証言者パトリック・ウォーディントン
本編終盤、二人の目撃者であった男子生徒の話です。前話と繋がってます。
「――第一学年魔術研究科のリオル・グレン!俺の未来の妃、シャリーナ・クレイディアにまとわりつく鼠め!俺は今ここに、お前に決闘を申し込むッ!!」
大ホールが水を打ったように静まり返る。
はるか前方のステージを見つめ、パトリックは驚愕に動けないでいた。
耳を疑った。この王子は今、誰を指して何を言ったのかと。
「リオル・グレン……?あの落ちこぼれか?」
「あの女……!そんな、噂は本当だったって言うの!?」
「うわ、殿下のお気に入りに手を出したのか……終わったなアイツ」
違う、それはおかしい、そう言おうとして開きかけた口は、結局一言も発することもできないまま閉じてしまった。
どんどん大きくなる非難の声。王太子が名指しで喧嘩を売った相手を庇ったらどうなるかなんて火を見るより明らかである。
「……っ!」
リオル・グレンには恋人がいる。パトリックは見たのだ。
彼のために毎日豪華なサンドイッチを作り、鈴を転がすような声で笑い、幸せそうにその横顔を見つめる女の子を。
あんなに仲睦まじい恋人がいる少年が、一国の王子の想い人に付き纏うなどするわけないのに。
「嘘だろ……」
他に、他に誰か真実を知っている者は、そうだあの女の子は、そう思って辺りを見渡して、パトリックは更に驚愕することになる。
「しっかりしろ、シャリーナ」
パトリックの視線の先、リオル・グレンがふらりと倒れかけたストロベリーブロンドの女の子を支えていた。
まさかレオナルドが未来の妃などと言ったのは、あの女の子のことなのか。
そして次の瞬間。
「此の期に及んで貴様ッ!その汚い手を離せ!」
レオナルドの怒り狂った声が響き、床の一部が光ったように見えた。おそらくレオナルドによる風の魔法陣。リオルを吹き飛ばす気である。
「危なっ……!」
特待生のリオルがその肩書きに反してまるで魔法を使えないのは周知の事実。あんな小さな身体で吹き飛ばされても、風魔法で受け身を取ることすらできない。
「くっ、どこまでも卑怯な鼠め!」
「え?」
しかしパトリックの心配は杞憂に終わった。確かに光っていたはずの魔法陣がほんの数秒で消えたのである。
魔法が不発に終わったのか、それともリオルが何かをしたのか。人混みに隠れてよく見えない。
「まあいい、全ては決闘にて決めてやる!貴様がどれ程姑息な手を使おうと最早どうにもできまい!」
なんにせよ何事も無くて良かったとほっと胸を撫で下ろし――まだ何の危機も去っていない事実に手が止まる。
今この瞬間は奇跡的に無事で済んだが、決闘ではそうはいかないだろう。
止めなければ。王子が間違っていることを皆に伝えなければ。そう思うのに口を開けない。喉がカラカラに渇いて声が出ない。
全生徒の前でこの国の次期最高権力者の間違いを指摘したらどうなるか、そもそも自分一人の証言で果たして皆信じてくれるのか。
「う……」
迷っているうちに話はどんどん進んでいく。なんとレオナルドは国宝まで持ち出し、全校生徒を証人にしてリオル・グレンを潰すと宣言をしたのだ。
「裁きの天秤!?そんなまさか!」
「殿下はそれ程までに本気で……陛下の許可が降りたというのか……」
「うそ、あれが本物の……?」
これには生徒どころか教師達まで騒ぎ出し、ますます収拾がつかない事態に。
「話は以上だ。皆速やかに教室に戻るように」
ホール全体を混乱の渦に落とした張本人は、優雅に上着を翻し涼しい顔で一人ステージを降りて行く。
パトリックがそれを止めるなど、できるはずもなかった。
せめてもっと他に目撃者がいれば。きっといる、いることはわかっている。
裏庭はあまり人目につかないところではあるが、そこへ二人が向かう途中とか、昼休み以外とか、あんなに仲睦まじい二人を誰一人見ていないことはないだろう。
……ただ、自分のように王子の反感を買うことを恐れて言えないだけで。
「あのシャリーナって子、本当に殿下の恋人なんだろうか?その、殿下とあの子が一緒にいるとことか今まで見たことないというか、むしろ……」
「そりゃあ今まであまり噂にならないように隠してたんだろ?決闘宣言までしたんだ、殿下は本気だ。たとえまだはっきり恋人ではなかったとしても、それに近い存在だったはずだ。嫌がる女がいるかよ」
「いや……でも、他に好きな相手がいたら……」
決闘当日。闘技場の観客席で、パトリックは周囲に座るクラスメイト達にさりげなく探りを入れていた。
誰か一人くらい“レオナルド殿下の方がおかしい”と言ってくれる人はいないかと。
「殿下を差し置いて他に好きな相手?いやいや、それこそおかしいだろ!お前は何を言ってるんだ?あの子に殿下が一方的に付き纏ってるとでも?」
「も、もしかしたらそういう可能性も……」
「はっ?お、おい!」
しかしそんなパトリックの悪足掻きも失敗に終わる。
「滅多なことを言うな。憶測で王族を貶める気か?誰かに聞かれたらどうすんだ、俺を巻き添えにするなよ!」
「……悪かった、忘れてくれ」
学園中、国中の令嬢の憧れの的である王子が一介の伯爵令嬢に横恋慕して付き纏っている。
そんな話を誰が信じるというのか。
パトリックとて裏庭でのあの光景を見ていなければ信じられなかった。
「……すまない、リオル・グレン……」
一人の少年が無実の罪で潰されようとしている。
力の差は圧倒的。万が一にも彼に勝ち目はなく、まず無事では済まない。
それをただ見ていることしかできず、パトリックは膝に置いた拳をきつく握り締めた。
「……え?」
万が一にも勝ち目はない。まず無事では済まない。
しかしステージに打ちつけられ倒れ伏すリオルの姿を想像していたパトリックが見たのは、それとは真逆の光景であった。
「ど、どういうことだ!?何が起こったんだ!」
「嘘、嘘よ、レオナルド殿下ぁ!」
「リオル・グレン……まさか本当にアイツが……?」
あまりのことに現実味が湧かない。観客席の喧騒がどこか遠くに聞こえる。
筆記の魔術研究科。落ちこぼれ特待生、劣特生のリオル。
学園一弱いはずのその彼が、レオナルドが放ついくつもの魔法を打ち消し、最後には巨大な竜巻に呑み込まれそうになりながらも寸前でそれを制してみせたのだ。
無様に倒れ伏したのはリオルではなく、レオナルドの方だった。
「は、はは……」
勝った。勝ってしまった。あんな絶望的な状況で、学園一の強者に、初級魔法も使えない新入生が。
ステージの上に立つその黒髪の少年に、ストロベリーブロンドの少女が駆け寄るのが見える。まるで囚われの姫とそれを救った勇者のように手を取り合う二人。
しかしまるで夢でも見ているようにそれを眺めていたパトリックは、次の瞬間現実に引き戻された。
「お前!自分が何をやったのかわかってるのか!?次期国王となるお方に!」
「っ!?」
レオナルドの従者であるエドワード・アーリアローゼの怒声がビリビリと響く。
「覚えておけ!殿下が王となった暁には、貴様の首が飛ぶぞ!」
そうだ、まだだ。勝ちはしてもリオルの汚名はまだ晴れていない。“王子の恋人にしつこく付き纏い、決闘により制裁されるところだった”という汚名は。
「パトリック!?どこに行くんだ!」
冗談ではない。ここまで来て結局は権力には敵わないなんて、そんなことであっていいはずがない。
「やめろ、まさかあいつに加勢する気か!?今従者の言ったこと聞いてなかっ」
「関係ないだろ!」
友人の制止を振り切り、パトリックは一目散に駆け出した。
階段を駆け下りた先のステージでは、既にリオルが冷静に己の潔白の証明をしていた。
パトリックより先に観客席から駆けつけていた、おそらくレオナルド派の生徒達が動揺している。
「ど、どういうことだ?無理矢理妃にって……」
「横恋慕?殿下が?まさか!」
「あいつが殿下のお気に入りに付き纏ってたんじゃ……で、でもそれなら今の状況は」
言うなら今だ。リオルの言葉を補強する第三者の視点、そのもう一押しが必要なはずだ。そしてそれができるのは今自分しかいない。
パトリックは冷たくなった唇を噛みしめ、意を決して手を挙げた。
「俺……ずっと、言えなかったけど……っ」
本当は一週間前の大ホールで言うべきだった。王族を敵に回すから何だ。この少年はこの場にいる全てを敵に回して、それでも少しも怯まなかったじゃないか。
「あのシャリーナって子が、その特待生のために弁当持って行ってたとこ、見たことある……裏庭で二人が一緒に弁当食べてて、仲良さそうだなって、邪魔しちゃ悪いと思って退散したんだ。だから横恋慕しているのなら、殿下の方……かと……」
過去の情けない自分を悔やみながら、突き刺さるような視線に怯みながらもなんとか最後まで言い切る。
驚愕に染まる周囲の人達の表情。辛うじて残っていたレオナルドへの信頼が大きく傾いたのがわかる。
「わ、私も!う、噂が広がって、怖くて言えなかったけど……!シャリーナちゃんが、あの男の子とカフェでデートしてたの見たことあります……!」
「!」
パトリックに続き、一人の焦げ茶色の髪の少女も手を挙げた。
「ずっと、怖くて言えませんでした、ごめん、今までごめんなさい、シャリーナちゃん……!」
震えながら、泣きそうな声で友人に謝る少女。
空気が完全に変わる。半信半疑から大きな疑惑に傾いたさっきまでの空気が、今度は暴君への恐怖に染まっていく。
「では、もう一度聞く。この天秤を用いて暴虐の限りを尽くし、この天秤によって王位を奪われた、十九代目国王と同じ道を辿るであろう人物を……王にしたいと思う者は、今この場で挙手しろ!」
その空気を逃さずリオルが再び声を張り上げる。
それに反論できる者は、もう誰もいなかった。
「アンコール!」
アンコールを求める者はいたが。
「リオル!リオル!凄く格好良かったです!アンコール!アンコールお願いします!どうか『負けたら死ぬ、勝ったら殺されるのでは一体どうしろと?』からもう一度!」
「無茶を言うな無茶を」
パチパチと手を叩きながら目を輝かせて言うお姫様に、勇敢な少年が至極冷静に返した。




