3話 放課後デート
シャリーナがまず抱いたのは、この人メンタル強過ぎない?という感想だった。スカートめくりの嫌疑をかけられたその日に接触してくるなんてと。
一国の王子と座ったまま会話するわけにもいかないので立ち上がるが、正直全く敬意を払う気がしない。
「……」
隣を見るとリオルも立ち上がりつつ同じような顔をしてたので、おそらく同じことを考えているのだろう。以心伝心である。
「女共はやれ化粧だやれ香水だ、やれ菓子だ果物だと甘ったるい匂いのものばかり好んで嫌になる。なあ、猫よ」
洗濯バサミで鼻を留めては?と口から出かけた言葉は何とか舌先あたりで止めた。せんた、まで言ってしまったところでリオルに物凄い形相で睨まれたからだ。長い前髪から覗く怒った顔がとても格好いい。
「カフェテリアを途中で抜け出したから腹が減ってるんだ。そのサンドイッチを一つ貰おう。それで今朝のことは不問にしてやる」
メンタルが強いんじゃない。面の皮が厚いんだ。おそらくリオルも同じことを思ってるだろうと考えながら、シャリーナは芝生の上のランチボックスに視線を落とした。
まあ元々一個が大きく二人で全部は食べ切れなかったので、一個あげる分には問題ないのだが。
「申し訳ありません殿下。これは素人の私がシェフの真似事で作ったものです。とても殿下の口に合うようなものでは」
量的には問題ないが、これは愛するリオルのために作ったものである。間違っても泥棒の口に入れたいものじゃない。精神的には問題大有りだ。
「構わん。素人が作ったことくらいあのクッキーでわかっている。それにしても凄い色をしていたな、あのクッキーは。作り手と同じく変わっている」
「え……」
何かに驚いたのか、その重たい前髪の奥で、リオルが目を見開いたのが気配でわかった。
「クッキーのような軽食ならまだしも、こんなものを殿下の昼食にするなんてとてもとても」
「しつこいな。構わんと言っている。これは命令だ」
「……そうですか」
チッ、と心の中で舌打ちし、これ以上は誤魔化せないだろうと観念したシャリーナは、渋々とバスケットを持ち上げ残り一個であるハンバーグサンドを差し出した。
「どうぞ。お口に合わなければ捨ててしまって構いませんので」
コイツに食われるくらいなら捨ててしまいたいわ、という本音は胸にしまう。
「ほう、随分と豪勢なサンドイッチだな」
本日四回目の「ほう」である。前世はフクロウだったのかもしれない。
「フクロウ……いえ、薄い袋で包んでますので取らずにお食べください」
うっかりはっきりフクロウと言ってしまったが、袋と言い直して誤魔化せた。隣のリオルが何故か思いっきりむせているが何か気管に入ったのだろうか。心配である。
「ふむ、美味いな。褒めてやろう」
そこは「ほう」じゃないのか。
「お褒めにあずかり光栄でございます」
「おい、そろそろそのわざとらしい態度をやめろ」
「はあ……」
ハンバーグサンドを半分程食べ終わったレオナルドが、不機嫌そうに眉を顰めた。そして横目でチラリとリオルのいる方を見る。
「誰に注意されたのかは知らんが。今更形だけ敬われてもいい気はしない。無理をするな」
形だけでも敬ってないと今すぐ飛び蹴りをかましそうなのだが、それも取り繕わなくていいと。思わず片足を上げたシャリーナだったが、流石に駄目だよなあと思い直して足を下げた。きちんと自分で思い直した結果である。決していつのまにか身体が触れる程近くに来ていたリオルに『正気か??』という顔で腕を掴まれたからではない。
「いえ、そういうわけにはいきません」
「おい、黒鼠。席を外せ。貴様がいては猫が猫らしくならん」
「……承知しました」
フン、とまた泥棒王子が踏ん反り返る。そのままひっくり返ればいいのに。
「リオル……」
王子の命令だ。聞かないわけにはいかない。リオルが静かに目を伏せ、本を抱え直して立ち去ろうとする。
「……放課後校舎の前で待ってる」
「っ、はい!」
すれ違い様に、ポン、と背中を優しく叩かれた。それだけでシャリーナにとっては百人力だった。
「フッ、やっと邪魔者が消えたな。お前も楽にしていいぞ」
「……はい」
いや消えてないんですけど邪魔者。邪魔者目の前に踏ん反り返ってるんですけど、消えろや邪魔者とオブラートが剥がれ落ちた本音は口の中だけで呟く。
「サンドイッチの礼だ。いいところに連れてってやる」
「え?きゃああああっ!」
いつの間にか邪魔者王子が近くまで来ていた。パチンと指が鳴る音がして、二人の足元に魔法陣が現れる。そこから風が吹き上がり、ものの数秒で身体が浮く程の強風となった。
「さあ、行くぞ。ん?」
そのままグッとレオナルドの方へ引き寄せられそうになったところで、バチンと魔法陣が弾けて風も止まった。今朝の出来事と全く同じ。
「あ……」
「……まだあったのか、あの護符は」
宙に浮いたシャリーナの身体が、とすんと何事もなかったように地面に落ちる。
「チッ、興が削がれた。やめだやめだ」
中途半端に手を浮かせたままだったレオナルドが、大袈裟に手を振って肩を竦めた。
「まあいい、サンドイッチに免じて許してやる。だが……黒鼠に言っておけ。三度目はないと」
少々機嫌が悪そうに、捨て台詞を残して去っていくレオナルド。その背中が校舎の角を曲がって消えたところで、シャリーナの背中からはらりと何かが落ちた。
「え」
役目を果たしたことで、真一文字に切れ目が入った護符。リオルだ。リオルが去り際に背中を叩くフリをして貼ってくれたのだ。
「え、好き……!」
格好いい。格好いいにも程がある。
落ちた護符を拾って胸に抱え、瞳をハートにしたシャリーナが、うっとりと感嘆の息を吐いた。
「リオル!ありがとうございます!好きです!」
「……礼だけ受け取る」
ずっと上の空だった授業を終えて、待ちに待った放課後。校舎を出てすぐに花壇に腰を掛けて本を読んでるリオルを見つけ、シャリーナは一目散に駆け寄った。
「おい、何で君も座るんだ。帰るんだろ」
リオルが本を閉じきる前にすかさず隣に滑り込む。
「だって、ここから寮まで歩いたらすぐ着いてしまうじゃないですか」
「そりゃ着かないと困るからな」
「もっとリオルと一緒にいたいです」
「馬鹿なこと言ってないでさっさと帰……」
鬱陶しそうに溜息を吐き、本を脇に抱えたリオルが立ち上がり寮の方向を向こうとして——
「リオル?」
くるりと校門の方向へ回れ右をした。
「振り返るな、絶対寮の方は向くなよ、このまま校門を出る」
「え?はい!」
そう言って歩き出したリオルを追いかけ隣に並ぶシャリーナ。
「どこでもいい、どこかで時間潰してから帰るぞ」
「喜んで!!」
何故急に、なんて疑問は浮かばなかった。というか浮かぶ隙がなかった。デートに誘われたという嬉しさで、些細なことなど気にしてられなかったのだ。
「どこに行きましょう?そうだ友人から最近学園近くに新しくできたカフェがとても良かったって聞いて、あ、本屋も近くにありますから!」
「わかった、そこでいい。急ごう」
まるで何かから逃げるように、リオルがシャリーナの腕を掴んで早足で歩き出す。これぞ愛の逃避行……とシャリーナの思考がお花畑に飛んだところで。
「いいか、振り返らないで聞けよ。あの王子の馬車が寮方向の坂道の前に停まってる。昼の様子からして十中八九目当ては君だ」
本当に逃避行だった。
「しかも馬車の向きがおかしい。寮じゃない、校門側を向いてる。君を乗せた後こっちを通って校門から出て街に繰り出す気だ。寮の裏門からじゃあ遠回りになるからな」
「え?ええっ?」
「そんなことになったら明日から君は学園中の嫉妬と噂の的だ。一体何を考えてるんだあの王子は……っ見つかる前に早く離れるぞ」
割とすぐそこに危険が迫ってるタイプの逃避行だった。
「で、でも他の女子生徒か友人を待ってる可能性は」
「あれだけ女性を馬鹿にしておいてそれはないだろう。友人なら寮に続く坂の前で待ち伏せる必要はない。消去法で君しかいない」
「成る程」
たかが一伯爵令嬢のために随分としつこい王子である。クッキー泥棒改めストーカーと呼んだ方がいいだろうか。
「でもそのおかげでリオルとデートできるなら感謝しないとですね!」
「ばっ……言ってる場合か!それにデートじゃない、ただの詫びだ。俺がクッキーを受け取らなかったから招いたことだろ」
早足を少しだけ緩めて、リオルが俯く。髪に隠れて表情は見えないが、悔しそうなことは声でわかった。
「……今日の昼王子が言ってただろ。変わった色をしたクッキーがどうのって。ということは昨日君を襲ってクッキーを奪った犯人って王子じゃないか」
「あ、そうですね。すみません言ってなくて」
そういえば犯人が王子だったことを言っていなかった。一応昨日の時点でその可能性も話していたが、まさか自国の王子の顔がわからないわけはないだろうと除外されていたのである。そのまさかだったわけだが。
「だから、君があの王子に目を付けられたのは俺のせいでもある」
「リオル……」
そんなわけない、リオルのせいじゃない。驚いたシャリーナが口を挟もうとして。
「責任は取る。ほとぼりが冷めるまで、なるべく俺の側にいろよ」
「勿論!言われなくても!」
そう思ってくれた方が都合がいいと判断し、あっさりと意見を翻した。
「さあ早くカフェに入りましょう、日が暮れるまで付き合ってくれるんですよねリオル!何ならカフェで一夜明かしたって」
「それただの迷惑な客」
そうこうしてるうちにカフェにつき、足取りも軽く入店する。残念ながら看板に夜の九時閉店とあったので、夜明けまで居座ることはできなそうだが。
「たとえ二十四時間営業でも日が暮れる前には出るからな?」
口には出していなかったはずが看板を見る顔に出てしまっていたらしい。念を押されてしまった。
「残念です、閉店ギリギリまで居座るしかないですね……」
「すみません店員さん冗談です、一杯飲んだら帰りますから」
今から閉店まで約五時間。引き攣った顔で振り返った店員にリオルがフォローを入れる。おかげで無事席に案内してもらうことができた。
「お茶でも飲んで、本屋に寄って、少し遠回りして帰れば充分だろう。さすがに何時間も待ってはいないさ」
「待ってる?どなたが?」
「……王子がだよ。何のためにここまで来たのか早速忘れるなよ」
メニューを開いて抹茶があることを確認し同じ色の目を輝かせていたリオルが、シャリーナの言葉にガクリと体勢を崩した。
「そういえばあの王子は人のことを猫猫って、アレ格好いいつもりなんでしょうか」
「多分君が怒って『猫じゃありません、私にはシャリーナ・クレイディアという名前があるんです』と言ってくるのを待ってるんだ。そうすればまるで君が名前を呼んで欲しがったかのようになるだろう?」
「了解です。一生アレには名乗りません」
「いい判断だ」
仮にも王子の悪口を言ってると思われては大変なので、声を潜めて話しながら。リオルは抹茶と団子を、シャリーナは紅茶とケーキを選びメニューを閉じた。
「そうだ、明日から登校時間を早めるぞ。またアレと鉢合わせたら面倒だからな」
「はい!」
ついに王子の呼び名がクッキー泥棒でもストーカーでもなくアレになった。
「ところでアレがリオルのことを黒鼠などと呼ぶのは何故でしょうね?リオルにも名乗ってほしいのでしょうか」
「いいや。猫はまだしも鼠は蔑称だ。単に俺を見下すことで格好つけたいだけだな」
「成る程、格好悪いことこの上ないですね」
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一方その頃。
「フッ……この俺を待たせるとは、やはり一筋縄ではいかないな。あの毛色の違う猫は」
「おかしいですね。もうとっくに授業は終わってるはずですが」
寮へ続く坂道の前。他の寮生達の通行の妨げになりながら、悠々と一台の馬車が鎮座していた。
「私が迎えに行きましょうか。このまま殿下の貴重なお時間をあの娘のために無駄にしてしまうのは……」
「構わん。たまには待つのも一興だ」
先程から何人もの生徒が馬車の横を通り過ぎていくが、搭乗者達が待つ生徒は中々来なかった。寮生ではない女子生徒までもが次々と隣を通っていくというのに。
「ふん、女共が群がって来たな」
「致し方ありません。近づき過ぎるようなら注意もできますが」
王家の紋章が入ったその馬車は、他家のものとは一線を画す。更にそれを引く馬は、馬は馬でもユニコーン。というわけで、校舎から見れば誰もがすぐに王子の馬車だとわかる程、その馬車は目立つ。
そんな馬車が誰かを待つようにずっと停まっているのだ。もしやと期待をしたり、これを機に王子の目に留まらないかと目論んだ女子生徒達がその側を通っていく。寮に用事があるフリ、忘れ物をしたフリをしてもう何往復もしてる強者もいる。
「こうも露骨だと嫌気がさすな。少しはあの猫を見習ってほしいものだ」
「いえ……確かに、あの令嬢は一見殿下に対し露骨に媚びを売ろうとしてはいないように見えますが、それだって殿下の気をひく為に敢えてそうしている可能性が高いです。気紛れもこれっきりにしてくださいね」
「全く、お前も疑り深いな。これはただのサンドイッチの礼だ。そう神経質になるな」
女子生徒だけではない。王子の待ち人とは一体誰だと、男子生徒も野次馬で集まってきている。この好奇の視線の中、己が入学間もない伯爵令嬢の為にドアを開けたらどうなるか——そして目の前でドアを開けられた毛色の違う猫はどう反応するかと想像し、レオナルドは笑みを深めた。
「しかし遅いですね。まだ校舎に残ってるとしても、窓からこの馬車が見えそうなものですが」
「図書室にいるのかもな。まだ気づいていないのだろう」
生まれた時から誰からも注目され、媚びを売られ、又は妬まれ、それが当然だったレオナルド・ランドール・ユリシア・エルガシア。だから初めて自分に目もくれようとしないシャリーナに興味を持ったわけだが。
本当に全く興味を持たれないとはどういうことなのかを、レオナルドは想像できていなかった。
王家の馬車が停まっていることに気づかれないことも、気づいた上で無視されることも、全く想定していなかったのである。




