断捨離アンジェリカ 後編
恋愛小説において、主役カップル以外のカップルが出てくるのは割とよくあることである。
特に元恋敵が本命ヒーロー以外の男とくっつくのは鉄板中の鉄板。
性格の悪い恋敵だとその限りではないが、恋敵の性格が良かった場合、ヒロインと友人関係を築くのが自然な流れ。そして性格の良い魅力的な恋敵がいつまでもフリーでヒーローの側に存在するとなると、読者は不安や苛立ちを覚えてしまう。
そこで恋敵に他の男を充てがうことで、読者の不安を拭い去り、ヒロインの友人としても活躍させられ、主役カップルの恋愛とはまた違った恋愛模様も楽しめる、一石三鳥の結果を得られる。
「ええっと確かこのあたりでライム君とラズベリーナの話があったような……」
隙間の空いた本棚から、アンジェリカが二冊の本を取り出す。『ドキドキッ!意地悪なアイツは王子様!〜おてんば男爵令嬢クランベリカの甘酸っぱい恋の果実〜』の四巻と五巻である。
「あ、あったあった」
そのうち一冊のページをパラパラとめくり、ライムの文字が出てきたところで手を止める。そのシーンは主人公のクランベリカが、ラズベリーナから恋の相談を受けている場面であった。
「そうそう、こんな話だったな〜」
再びベッドに寝転がり、読書体勢を取るアンジェリカ。
そして思い出すことになる。これを最初に読んだ時の自身の感想と、恋愛小説において恋敵が他の男とくっつくことによる一石三鳥メリットの裏に隠された、四羽目のメリットを……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『やはりこれ以上アプローチしても、ライム様の迷惑になってしまうだけでしょうか……』
『いやいや、逆にライムにラズベリーナは勿体ないくらいよ。きっとちょっと気後れしてるだけだって!』
しょんぼりと落ち込むラズベリーナの背を、クランベリカがバシンと叩く。今日はラズベリーナのトロピカルン学園編入日だ。
『今日も一緒にお昼ご飯食べようよ。ね?』
『クランベリカ……ありがとうございます』
レモネードとのお見合いのため、一ヶ月程度の短期留学のていを取っていたラズベリーナだが、先日とある理由により正式に編入することになった。ラズベリーナが、この学園でまだまだ学びたいことがあると自国の父親に強く訴えたためである。
『あ、ほら、噂をすれば』
『ライム様!』
ふと前方に野暮ったい緑髪を見つけたクランベリカが指をさせば、俯いていたラズベリーナがパッと顔を上げて目を輝かせる。
『おっはよーライム、今日早いじゃん』
『おはようございますライム様!』
『おはようクランベリカ。……おはようございます、ストロベリルの姫』
早歩きをして声をかければ、くるりと振り返ったライムが少しだけ困惑したように挨拶を返した。
『もー、ライムってば他人行儀ね。ラズベリーナでいいって言ってるじゃない』
『い、いえ、ライム様がお嫌なら無理強いすることでは……』
『嫌というわけでは……ただ、他国の王女様に対してあまり礼を欠くのも』
相変わらずこの幼馴染は頭が固い。
悲しそうなラズベリーナと気まずそうなライムを見比べて、クランベリカはやれやれと肩をすくめた。
『……それでは、ラズベリーナ姫とお呼びしても?』
『っ、はい!大歓迎です!』
しかしまるでこの世の終わりのように落ち込むラズベリーナに、ライムが折れた。ラズベリーナの表情に再び光が差す。
『どうかさっそくお呼び頂いてもよろしいでしょうか……!」
『ラズベリーナ姫』
『はい!』
名を呼ばれただけでこの喜びよう。とても微笑ましいことである。ライムだって、困惑こそすれ嫌がっている様子はないのだ。悪くは思ってないはずである。
『じゃ、私はレモネード王子と待ち合わせしてるから、ライムはラズベリーナを学園長室までしっかりエスコートしてよね!』
『えっ』
『え』
そんな二人の後押しをしてやろうと、クランベリカは悪戯っぽくウィンクをして颯爽とその場を去ったのだった。
『ライム様、ライム様がお好きな珈琲味のケーキを焼いてきまして是非食べていただきたく』
『え、あ、ありがとうございます……』
『こら、もうちょっと愛想良くしなさいよライム!』
その日の昼休み。
クランベリカはラズベリーナとライムと共に中庭のテーブルを囲んでいた。勿論ラズベリーナをライムの隣に座らせ、クランベリカは邪魔にならないようにその向かいに座っている。後からレモネードも来る予定だ。
『あとこちら珈琲クッキー、珈琲マフィン、珈琲豆』
『え、豆?』
『お持ち帰りにいかがかと……我が国からライム様がお好きだと言っていた酸味の強いものを取り寄せました』
テーブルの上に次々と並べられるラズベリーナお手製のお菓子達(豆以外)。聞いたところによると彼女の国では女性の魅力として料理の上手さが挙げられるらしく、王族貴族でもちょっとした料理くらいは淑女教育に含まれているらしい。
『わー、美味しい!凄いよラズベリーナっ』
『良かったです。沢山食べてください』
そのおこぼれに預かって、クランベリカもマフィンとクッキーに手を伸ばす。コーヒーとバターの香りが絶妙に混ざり合うマフィンに、苦味の強い生地にチョコレートをアクセントにしてホロホロと口の中で溶けるクッキー。
こんなに美味しいお菓子を作ってもらえるなんて、ライムはとんだ果報者である。
『……ライム様のお口に合えばいいのですけど、すみません、多過ぎましたね……』
『ええと、その……では、ケーキを一切れ……』
どんどんお菓子を並べて迫ったかと思えば『やっぱり迷惑だっただろうか』と顔に書いて引き下がりかけるラズベリーナに、慌てて折れるライム。
多分ラズベリーナは天然だろうが、その無自覚な押して駄目なら引いてみよ作戦はかなり効いてるようである。
『……美味しいです。ラズベリーナ姫』
『ライム様っ!』
ケーキを一口口に運んだライムがボソリと呟く。ラズベリーナはそれはもう嬉しそうに顔を輝かせた。
『では明日はこの倍作ってきますね!』
『いやそれはちょっと』
どうにかして傷つけないように2倍はやめさせようと言葉を探しているライムに、クランベリカがくすりと笑う。
なんだかんだ言って優しい男なのだ。この頭の固い不器用な幼馴染は。
『ま、私はレモネード王子が一番だけどね!』
もう少しで来るはずの最愛の人を待ちながら、クランベリカは珈琲クッキーをもう一枚口に放り込んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「そうだった……」
ライムとラズベリーナの話を読み終わり、当時の記憶を思い出したアンジェリカが一息をつく。
いい話だった。とてもいい話だった。しかし。
『まあでも、ラズベリーナの趣味は謎だよね〜。レモネード王子の方がずっとカッコいいし!』
余計な記憶まで呼び起こしてしまった。この話を読んだ当時、アンジェリカが真っ先に抱いた感想である。
片や国中の女の子の憧れのイケメン王子様、片や地味で冴えないガリ勉君。そんな王子様を射止めたクランベリカと、地位も身分も見た目もはるかに劣るガリ勉少年に夢中なラズベリーナ。勝ち組はどっちかと言ったら、そりゃあ比べるまでもなく。
「お嬢様。そろそろお約束のお時間では?」
「あっ、そうだった!うん今行く!」
と、アンジェリカが物思いに沈んだその時。メイドのジェーンが再びドアをノックする音がし、外出用のドレスを片手に顔を出した。足元には先程頼んだ本の寄贈用の箱とリボンもある。
「ありがとジェーン、そこに置いといて」
「はい」
ベッドの隅にドレスを置き、ジェーンが部屋を出て行く。アンジェリカも急いでそれに着替え、乱れた髪を整えた。
「行ってらっしゃいませ」
「はーい!」
今日は午後から約束があるのだ。王都のカフェで、親友のシャリーナとその想い人のリオルと待ち合わせをしている。レオナルド元王太子の決闘騒ぎから暫く経ち、ようやく落ち着いてきたのでその慰労会みたいなものだ。
「学園近くのカフェまでお願いね!」
「承知しました」
ちょっとだけのつもりで始めた本の整理に思ったより時間がかかってしまった。
アンジェリカは早足で廊下を駆け抜け、外で準備してくれていた馬車に飛び乗った。
「帰りは夕方になるから、迎えよろしくね」
「はい。それではお嬢様、どうぞ楽しんできてください」
カフェの近くで馬車を降り、来た道を戻って行く御者達に手を振って、アンジェリカは前に向き直った。
「あっちゃー、ちょっと遅れちゃったな」
ガラス張りの店内を見れば、窓際に並んだ席の一つに見慣れたストロベリーブロンドと黒髪が見えた。二人共先に着いていたようだ。
しかしすぐに合流しようとしてふと足を止める。
『懐かしいですねリオル!リオルと初めてのデートで来た場所です』
『デートっていうか、アレから逃げて来ただけだけどな……』
声は聞こえないが、だいたいこんな感じのことを言ってそうだなあと想像がついた。身を乗り出してきらきらと輝く横顔のシャリーナと、ちょっと呆れた様子のリオル。
しかしそのつれない態度もただの照れ隠しだろう。逸らした頬に僅かに朱が差している。
というかガラス越しとはいえこんなに近くにいるのに二人共全くこちらに気づいてない時点でお察しである。
アンジェリカは気づいてもらうことは早々に諦め、ぐるりと回って店の中に足を踏み入れた。
「……お待たせシャリー、リオルくん!」
「あ、アンジェ!待ってたわ」
「こんにちは、カークライトさん」
たった今来たばかりだろうと疑いもせず、シャリーナとリオルがアンジェリカに顔を向ける。いや数分前からすぐ近くにいたのだけども。
「あー私今日はいっぱい甘いもの食べたい気分だなー!」
「そう?ならこのケーキの中からいろいろ頼んで味比べしない?あ、リオルリオル、抹茶ケーキもあります!」
「じゃあ俺はそれで」
メニューを開いて一緒に覗き込んだと思えば、すぐにリオルに向き直るシャリーナ。その横顔は相変わらずとても幸せそうで。
「ああ……」
アンジェリカの脳内につい先程読んだばかりの本のシーンが浮かび、目の前の光景と重なった。
ライムの隣に座り、まるで世界に彼しかいないかのように見つめるラズベリーナ。
「それにしても抹茶のケーキなんて珍しいな。君のクッキーも珍しかったけど」
あくまでラズベリーナとライムの物語は本編のオマケである。ただ、このオマケには読者にとっていくつものメリットがあった。
「実はここの店長さんはアストライアーと知り合いだったみたいで、抹茶菓子レシピはアストライアーが教えたみたいです。私の抹茶クッキーも彼直伝ですし」
「思いもよらないところで繋がってた……」
「というわけでこのケーキはおそらく我が家のケーキの味と同じですのでお気に召しましたらリオルが我が家に婿入りするか私がアストライアーに習って嫁入りすれば同じ味を毎日でも」
「思いもよらないところで繋げてくるなあ」
恋愛小説において読者にとって元恋敵が他の男とくっつく三つのメリット。再び恋敵になるかもしれないという不安の除去、ヒロインの友人としての活躍、主役カップルとは違う恋模様の楽しみ。
そして、その裏に隠されたもう一つのメリット、それは。
『ま、私はレモネード王子が一番だけどね!』
ライムに夢中なラズベリーナを見ながら独りごちたクランベリカ。その言葉に当時のアンジェリカもうんうん頷いたものだった。
作中最高の男を捕まえた主人公と、はるかに劣る男で満足している元恋敵。勿論作中ではっきりとそう言語化されることはないが、読者の心は共通。
勝ち組の主人公として負け組の元恋敵を俯瞰し、優越感を抱くのだ。性格が悪いなどと言うことなかれ。あくまで物語の中の登場人物達への感想である。アンジェリカとて当時は同じ思いであった。あっちは地味で冴えないガリ勉少年、主人公の相手は国中の憧れの王子様だもんねと。
だが、今抱く感想は……。
「……あんたが勝ち組よ……ラズベリーナ……」
「え?何か言ったアンジェ?ラズベリーケーキがどうしたの?」
メニューを通り越しどこか遠くを眺めしみじみと呟くアンジェリカ。
隣のシャリーナがふわりとそのストロベリーブロンドを揺らして振り返り、不思議そうな顔でこてんと首を傾げた。




