断捨離アンジェリカ 前編
本編のちょっと後の、夢から覚めたアンジェリカの話。前・中・後の全3話予定。
『きゃあ〜!遅刻遅刻〜!』
淑女らしからぬ慌てた声を上げながら、食べかけのパン・オ・ショコラを咥えた1人の令嬢が全速力で坂道を駆け上っていく。彼女の名前はクランベリカ・キャンディーノ。キャンディーノ男爵家の一人娘で、このフルタリア王国中の貴族が集まる魔法学校、トロピカルン学園に今年入学したばかりの、ピッカピカの一年生だ。
『もお〜!リコリスったら!なんでもっと早く起こしてくれなかったのよ〜!しかもこんな日に限って馬車が故障するなんてついてな〜い!ちゃんと整備しといてよ〜!』
自分が二度寝したことは棚に上げ、クランベリカはキャンディーノ家の使用人達への文句を叫びながらラストスパートをかけた。
『正門を通って校庭を通り抜けて校舎の階段を登って……全速力で走れば間に合うわ!……きゃあっ!』
『うおっ!』
しかし、クランベリカがなんとか施錠時間前ギリギリで正門まで辿り着き滑り込もうとしたその瞬間、道の反対側から走って来た背の高い男に思い切りぶつかってしまった。
『いったぁ〜い!もう!どこ見て走ってんのよ!気をつけてよね!』
『それはこっちのセリフだ。このじゃじゃ馬女』
『なっなんですってぇ〜!!』
——パタン。
無機質な音と共に世界が切り替わる。ここはエルガシア国王都に建てられたカークライト伯爵家の別宅。
屋敷の主であるアンジェリカ・カークライトは、自身の部屋の天蓋付きベッドの上で今しがた閉じた恋愛小説本『ドキドキッ!意地悪なアイツは王子様!〜おてんば男爵令嬢クランベリカの甘酸っぱい恋の果実〜』を悲しげに見下ろした。
「無理……キッツイ……まず初対面で貴族令嬢をじゃじゃ馬呼ばわりってどうなの?いやクランベリカも大概だけど……ていうかなんでお互い最初にごめんなさいの一言が言えなかったの?だから拗れるんだよ」
そこに作者が居たら『それを言ったらおしまいだ!』と嘆いただろう。アンジェリカとて、物語は物語、現実とは違うことくらいわかっている。
しかしここ最近、理想の王子様の哀しい現実を嫌というほど思い知ったアンジェリカは、どうしても以前のようにロマンスの世界に没頭することが出来なくなっていた。
「確かこの後のシーンが、シャリーがアレに初めて遭遇したときとうっすら似てるんだよねぇ」
先程閉じた本を再び開いたアンジェリカ。
かつてはトキメク胸を押さえながら上気した笑顔でページをめくっていたものだが、今は吐き気を押さえながら感情が抜け落ちたような無表情で手を動かしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
思い切り尻餅をついてしまったクランベリカは、怒り心頭で立ち上がって目の前の男を睨みつけた。
肩のあたりで切り揃えられた黄金色に輝く髪に、アーモンド型の切れ長な目と、その中心に嵌め込まれた宝石のように美しい青の瞳。髪と同じ色のキリッとした細い眉毛に、高くスッと通った鼻。男性にしては珍しく全く荒れていない薄い唇。
それらのパーツが、女性のように小さく形の良い顔の輪郭の中、白磁のように滑らかな肌の上に絶妙なバランスで配置された、意外にも美しい容姿を持つその男を。
しかしそんな、衝撃的な出会いを果たした男性がとんでもない美形だったなんてことはクランベリカは全く気にしてなかった。クランベリカは異性の地位や容姿といった表面的な魅力に惑わされない女なのだ。
「それにしては随分容姿の描写が詳細じゃない?絶対ガン見してるよね」
しかし男は、そんなクランベリカを一瞥すると、馬鹿にしたように吐き捨てた。
『はあ……鬱陶しい女どもに纏わりつかれない為にこの時間まで待って、目立たぬよう従者も付けずに登校したと言うのに、こんなじゃじゃ馬に見つかるとはな。おいお前、これを機に俺とお近づきになろうなんて考えるなよ?俺はお前らと馴れ合うつもりなんて無いからな』
「失礼過ぎるし自意識過剰にもほどがあるよ!この世の全ての女が自分に惚れてるとでも思ってんの?」
『はぁーっ?!何わけわかんないこと言ってんのよ!!誰があんたみたいないけすかない男とお近づきになりたいもんですか!』
「うんうん、これは凄く正論」
『なっ……お前、俺を知らないのか?』
『私達初対面じゃない!知ってるわけないでしょ!』
『は、ははは!まさか、この学園に通いながらこの俺を知らない女がいるとは……』
不機嫌そうな様子から一変、珍しい動物を見つけた子供のように楽しそうな顔になったその男は、学園を囲む塀の前に立ち尽くしていたクランベリカを追い詰め、クランベリカの真横の壁にドンと手をついた。
『お前、面白いな』
「急に態度変わりすぎ。情緒不安定なの?」
『なっ………!』
熟したクランベリーの果実のように真っ赤に頬を染めるクランベリカ。
「はやっ!落ちるのはやっ!コイツ依然としていけすかないままだよ?意思よわっ!」
『俺の名はレモネード。レモネード・フーレシュ・スカーシュ・フルタリア。覚えておけ、女』
クランベリカの初心な反応を愉快そうに笑いながらそう名乗った男__フルタリア国第一王位継承者レモネード殿下は、ヒラリと身を翻し、サラサラのレモンイエローの髪を風に靡かせながら優雅に去っていった。
『何よ、アイツ……』
何故か高まる胸の鼓動を感じながら、クランベリカは小さくなっていく彼の後ろ姿を見つめ、真っ赤な顔でポツリと呟いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ち・が・う・で・しょ〜!そこは『何あの人……』ってドン引きするところでしょ〜!あとどうでも良いけど食べかけのパン・オ・ショコラはどこに行ったの!?」
元愛読書に要所要所で辛辣なツッコミを入れながら読み進めていたアンジェリカは、ついに居た堪れなさに耐えきれなくなりベッドの上をゴロゴロと転がりながら叫び散らした。
「なーにが『お前、面白いな』よ。直前まで散々罵倒してた相手に言えることじゃないでしょ!まず謝れって話だよ」
初めてこの本を読んだときは「レモネード殿下、素敵〜!」とクランベリカのように頬を染めてベッドの上を転がり回ったものだが、今となっては己の得意の火魔法で本ごと燃やしたいくらいの黒歴史だ。
「クランベリカもときめいてる場合じゃないじゃん!全くもう」
叫び過ぎて喉が痛くなってきた。アンジェリカはグッタリと疲れた顔で起き上がると、先程転がり回った時にベッドの下に落ちた『ドキドキッ!意地悪なアイツは王子様!〜おてんば男爵令嬢クランベリカの甘酸っぱい恋の果実〜』を拾い上げ、本棚の横の『寄贈用』という文字が書かれた木箱の方向に放り投げた。
その箱の中には既に何十冊の本が乱雑に詰め込まれ、入りきらなかった本がうず高く積まれている。乱暴に投げ入れた『ドキドキッ!意地悪なアイツは王子様!〜おてんば男爵令嬢クランベリカの甘酸っぱい恋の果実〜』はちょうど山の中間に直撃し、バランスを崩した本の山がドサドサと床に散らばった。
「あっちゃあ〜」
仕方なくベッドから降りて散らばった本をかき集める。あの本も、この本も、アンジェリカが幼少の頃より集め続け、何度も何度も繰り返し読んでいた『元』お気に入り恋愛小説本ばかりだ。
しかし『元』理想の王子様に憧れていた頃に好んでいた恋愛小説のヒーローは、当然ながら悪い意味で現実の『元』王子様にそっくりな部分が非常に多く、夢から醒めた今思い返すと居た堪れないことこの上なかった。
これではもう昔のように楽しむことなど出来やしないが、本に罪はないので捨てるのも忍びない。
だからいつも寄付しているカークライト領の馴染みの孤児院に寄贈しようかと思い分別していたのだが、送る前にページの抜けや汚れなどが無いか確認しようとしたところ、懐かしさと怖いもの見たさでつい読み返してしまったのだ。
そして案の定精神的大ダメージを受けて今に至る。
「そういえばこれ、一巻が好評で続編も出てたんだよね。『おてんば男爵令嬢クランベリカの恋の果実』シリーズ。毎回2人を邪魔するライバルが出て来て、2人の愛で撃退されるっていうワンパタ……王道だったよね、うん……」
散らばる本の中に先程の続編を見つけ、アンジェリカが手に取る。
一巻で並いる高位の貴族令嬢達を押し除けて、レモネード王子と両想いになったクランベリカ。二巻では確か、その幼馴染の地味な少年がお邪魔虫として出て来たなと……懐かしく思い出しながら、ページをめくった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『君と殿下とでは、住む世界が違う。今からでも遅くない。大人しく諦めた方が身のためだよ』
先日開催されたトロピカルン学園主催全校生交流パーティ。これまでレモネード殿下の最有力婚約者候補として名高かったオレンジーヌを押し除け、最初から最後までレモネードのパートナーを務めたことにより、新たな婚約者候補として学校中の注目を浴びることになったクランベリカ。
レモネードの恋人として相応しい女でいる為に、自分磨きやダンスのお稽古、レモネードとのデートに大忙しかつ充実した毎日を送っていた彼女に、冷たく辛辣な言葉を浴びせかける一人の少年が居た。
彼の名はライム・グリーン。地味で真面目な、クランベリカと同じ男爵家の令息で、クランベリカとは幼馴染の関係にある。
『遅くないって、何?私達はもうとっくに恋に落ちてしまったの。お互いを知らなかった頃になんて戻れないわ!住む世界とか、身分なんて関係無い!誰になんと言われようと、私はこの想いを貫いて見せる!』
『……っ!君はまだ、現実を知らないからそんなことが言えるんだよ。君に不幸になって欲しくないんだ。頼むから……』
『私の幸せは彼と共に、彼の幸せは私と共にあるの!引き離されることこそ最大の不幸よ!幼馴染みなのに、どうしてわかってくれないの?』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「いやライム・グリーン君超正論。わかってないのはクランベリカの方だよ。そう簡単に王妃が務まるわけないじゃん」
なんの因果か偶然か。アンジェリカの数ある俺様ヒーロー系恋愛小説コレクションの中でも、この『おてんば男爵令嬢クランベリカの恋の果実』は、舞台設定や物語の中で起こるイベントが現実でアンジェリカが王子様に幻滅する原因となったあらゆる出来事と妙に似ていた。
そのせいでキャラクターの言動をついつい件の騒動に関わっていた人物達に重ねて見てしまい、ダメージが更に倍増する。
もしも親友のシャリーナがこのクランベリカと同じような性格をしていたら、これと同じような展開を辿っていたのだろうか。少しだけゾッとする。
「ていうかライム・グリーン君びっくりするほどまともじゃない?クランベリカ絶対こっち選んだ方が良いって」
恋に浮かれるクランベリカに冷たい言葉を浴びせ、殿下を諦めるよう何度も忠告し2人を邪魔しようとするライム・グリーン。
本当は幼い頃からクランベリカのことが好きで、身分違いの恋によって彼女が周りから傷つけられることを心から心配していた、不器用で優しい当て馬少年。
最終的にはクランベリカを虐める元婚約者候補達を颯爽と断罪し彼女を助け出したレモネードを見て己の負けを認め、二人の真実の愛を応援して身を引くことになる。
アンジェリカが初めてこの続編を読んだ時は、レモネードの派手な立ち回りにはしゃぎ、ライム・グリーンのことは単なる当て馬の脇役としか思わなかった。
しかし今考えればどう見ても彼の方がレモネードより百倍常識的で百倍良い男である。クランベリカの男を見る目が節穴としか思えない。
「そういえばこのライム・グリーン君って、ちょっとだけリオル君に似てるなぁ。まぁ本物の方がもうちょっと頼りになってカッコ……いや、うん!なんでもない!なんでもないから!」
誰に対してかわからない言い訳を叫びながら再びベッドへと飛び込んで転げ回る。顔が若干赤いのは叫び過ぎたのと短時間で激しい運動をしたせいだ。きっとそうだ。
「お、お嬢様〜?如何なさいましたか?何か問題でも……」
その時、控えめなノックの音とともに、部屋のドアの向こうからメイドのジェーンの心配そうな声が聞こえてきた。
主人が休日の朝から自室でドタバタと大きな物音をたて時折奇声を発しているのだ、主人想いのカークライト家の使用人達が心配しないはずがなかった。
「う、ううん、なんでもないの!大丈夫だから!あ、そうそう、今度孤児院に小説本を寄贈するから、綺麗な箱とリボンを用意して」
「は、はあ……かしこまりました……」
アンジェリカが何やら無理矢理誤魔化そうとしてることはわかってるのだろうが、無事であることは確認出来たから良しとしたのだろう。これ以上追求してくることも、部屋に入って来ることも無かった。カークライト家の使用人はとても気が利くのである。
「どうしよっかな……これ」
まもなくジェーンか誰かが適当な箱や飾りを持って来てくれるだろうから、寄贈する本は全て一纏めにしておいた方が良いだろう。
散らばった本は全て木箱の上に積み直したし、本棚の中の俺様ヒーロー系恋愛小説本は全て取り出した。残りは先程まで読んでいた『おてんば男爵令嬢クランベリカの甘酸っぱい恋の果実』の続編シリーズだけ。
「まあ、少しくらい残してても良いよね。ライム・グリーン君が出る巻くらい」
確か三巻では隣国の王女ラズベリーナがレモネード王子のお見合い相手としてやって来て、クランベリカやライム達と一悶着あったっけ、などと朧げに思い出しながら。
アンジェリカはスカスカになった自室の本棚に、一巻だけ欠けた人気シリーズを立てかけたのだった。
断捨離アンジェリカ……略してダンシャリカ……。
リオルとシャリーナの出番もあるのでしばしお待ちを( ´ ▽ ` )ノ




