21話 世界が変わる時
「殿下!レオナルド殿下!」
「な、なんてことをしたんだ!リオル・グレン!」
「馬鹿な……こんなことがあり得るのか!?」
審判役の教師の一声で我に返る人々が続出し、次々と人がステージ近くに集まってくる。
「お前!自分が何をやったのかわかってるのか!?次期国王となるお方に!」
そんな中、倒れ伏すレオナルドを通り過ぎ、ずんずんとこちらに近づいてくる足音が。
「覚えておけ!殿下が王となった暁には、貴様の首が飛ぶぞ!」
その怒鳴り声に顔を向ければ、レオナルドの従者にしてアーリアローゼ家の次期当主、エドワード・アーリアローゼが忿怒の形相で指を突きつけていた。
「……ですが、俺が負けていたら永久国外追放でした。実質死刑です。負けたら死ぬ、勝ったら殺されるのでは一体どうしろと?」
シャリーナが言い返そうとするより先に、それを手で制したリオルが半歩前に出る。さりげなくシャリーナを庇うように。
「え、好き……」
「黙ってて」
こんなやり取りを前にもした気がする。
「屁理屈を言うんじゃない!次期国王を敵に回した時点で貴様は終わりなのだ!」
そして突きつけられた指先は、次にシャリーナへと向けられた。
「おい、貴様!シャリーナ・クレイディア!お前も同罪だ、殿下を誑かした悪女め!殿下もこれで目を覚まされただろう。次期国王を敵に回したのは貴様も同じだ、覚悟しておけ!」
「それは困るな、どうにかしないと」
「はっ……田舎の貧乏男爵家が、次期国王相手に何ができる?今更後悔しても遅いぞ!」
困ったように肩を竦めるリオルに、エドワードが勝ち誇ったように胸を反らすと。
「なら、次期国王ではなくなってもらおうか」
「は……?」
リオルの纏う空気が一変した。
「裁きの天秤よ、見届けろ」
静かに告げられた一言に周囲の空気も一変する。重苦しくどこか恐ろしい、得体の知れない何かが迫ってきているような。
「なっ!?て、天秤が!」
一人が気づいて声を上げ、一斉にステージ横の台に鎮座していた天秤へと視線が集まった。一方に傾き、黒い霧を纏う天秤に。
「勝者リオル・グレンが命ずる。敗者レオナルド・ランドール・ユリシア・エルガシア。王位継承権を放棄し、二度と王太子を名乗らないことを誓え」
裁きの天秤。古代の決闘の魔道具。これを用いて勝者が出した条件に従わなければ、敗者は死ぬ。
その象徴たる黒い霧が、リオルの条件を聞き届けるや否やレオナルドへと降りかかった。レオナルドの周囲に集まっていた人々がギョッとして後ずさる。
「レオナルド殿下が次期国王になったら俺とシャリーナの首が危ないんでしょう?こうするしかないですね」
霧が全てレオナルドの中へ消えたことを見届け、リオルがエドワードに向き直った。
「な、な、何、を……」
あまりのことに何が起きたか理解できないのか、エドワードが口をパクパクとさせて呆然と呟く。
無理もない。今までどんなものにも負けないと思っていた圧倒的な権力の柱が、一瞬で崩れたのだ。
「ふ、ふざけるな!貴様!こんなことをして、陛下や他の貴族達が黙っていないぞ!」
「それはどうでしょうか?」
一拍おいていきり立つエドワードに、涼しげに答えるリオル。
「裁きの天秤が何に使われたか、どうして使われなくなったかを踏まえて、それでも同じことが言えますか?おおかた陛下からの許可も取ってないのでしょう。外遊中であることをいいことに、勝手に拝借したと」
「な、何を……」
図星だったのだろう。エドワードがびくりと怯んだ様子が気配でわかった。
「他に好いた相手がいる令嬢に横恋慕して無理矢理妃にしようとし、魔力と権力に物を言わせて恋敵を死刑にするような暴君を、誰が王として戴きたいと思いますか?」
リオルの言葉に一人、また一人とレオナルドの周囲に集まっていた生徒達が振り返る。
「ど、どういうことだ?無理矢理妃にって……」
「横恋慕?殿下が?まさか!」
「あいつが殿下のお気に入りに付き纏ってたんじゃ……で、でもそれなら今の状況は」
一国の王子への信頼が揺らぎ始め、にわかにざわつき始める。
そんな中。一人の生徒が意を決したように顔を引き締め、手を挙げた。
「お、俺……ずっと言えなかったけど……あのシャリーナって子が、その特待生のために弁当持って行ってたとこ、見たことある……裏庭で二人が一緒に弁当食べてて、仲良さそうだなって、邪魔しちゃ悪いと思って退散したんだ。だから横恋慕しているのなら、殿下の方……かと……」
続いて。一人の気弱そうな女子生徒も手を挙げる。彼女はシャリーナと同じクラスで、レオナルドとの噂が広がる前は普通に交流していた人物。
「わ、私も!う、噂が広がって、怖くて言えなかったけど……!シャリーナちゃんが、あの男の子とカフェでデートしてたの見たことあります……!」
次期国王の不興を買うのが怖く、周りの空気に押され、言い出せなかったのだと語る女子生徒。先程の男子生徒も同意するように頷いた。
そもそも。決闘の決着が着く直前。誰もが王子が勝つと確信したその時に必死にリオルの名前を呼び、無事が分かるや否や喜び駆け寄ったシャリーナの姿を皆見ているのだ。
聞いてた話とは違うぞと、既に皆僅かに疑問に思ってはいた。
「そ、それじゃ、つまり……」
つまりこの決闘は、王子の完全な逆恨みによるもの。
半信半疑だった他の生徒達も、立て続けの証言で一気にリオルの言い分を信じた。そしてみるみると蒼ざめていく。
果たしてこの天秤が使われるのは今回限りだと言えるだろうか。恋敵に使うくらいだ、政敵やら気に食わない相手やらに、片っ端から使ってくる可能性も。
その空気を逃さず、すかさずリオルが再び声を張り上げる。
「では、もう一度聞く。この天秤を用いて暴虐の限りを尽くし、この天秤によって王位を奪われた、十九代目国王と同じ道を辿るであろう人物を……王にしたいと思う者は、今この場で挙手しろ!」
ステージ近くに集まってきていた者達は、既に皆リオルの言葉を聞いていた。しかし誰も手を挙げることはなく、一様に目を伏せ、誰一人反論しようともしない。
レオナルドに恩を売る絶好のチャンスだと言うのに。
「な、な、何をしてるんだお前達!こんな奴の言うことを信じると言うのか!?」
そんな重い空気の中。
わなわなと肩を震わせ、口を動かし、何か言い返そうと言葉を探す素振りを繰り返したエドワードが。
「こんな、こんな……くそっ!」
どうにもこうにも反論が見つからなかったらしく、地団駄を踏んだ。
「あ……」
黙っててと言われていたので、大人しく黙っていたシャリーナだったが。ここにきてついに耐えきれず肩を震わせ口を開いた。
「アンコール!」
興奮気味に両手を合わせ、目を輝かせながら何度もパチパチと叩く。
「リオル!リオル!凄く格好良かったです!アンコール!アンコールお願いします!どうか『負けたら死ぬ、勝ったら殺されるのでは一体どうしろと?』からもう一度!」
「無茶を言うな無茶を」
あっさりと却下されてしまった。
眼下に広がる、その光景を眺めながら。
「何さもう、心配かけて……」
ざわざわと騒がしい観客席で、一人の赤毛の少女が目尻に浮かんだ涙を拭った。
ステージへと耳を傾ければ、無茶を言う親友をその想い人の少年が淡々といなしている声が聞こえてくる。かつて三人でテーブルを囲んだあの時のように。
「カッコいいじゃん、リオルくん、シャリー……!」
学園始まって以来の天才と魔法を使えない少年。どうしたって勝ち目は見えず、嵐のような豪風がリオルに襲いかかった瞬間は生きた心地がしなかった。
それなのに、今、その少年は嵐を制し、堂々とその場に立っている。
先程元次期国王の従者が王子を敵に回したら終わりだの何だの喚いていたが、真に敵に回してはいけなかったのはこの少年の方だろう。
『だって私はリオルを知った瞬間恋に落ちたわ!』
リオルのことを知れば、恋に落ちてもおかしくない。親友のそんな主張を聞いた時は何を馬鹿なことをと思ったが、今なら少しわかる気がする。
「……まあ、私は友情を取るけどね」
恋と友情。一瞬の迷いもなく恋を取ると言い切った、薄情な十年来の幼馴染を思い浮かべ、アンジェリカは肩を竦めた。
「嘘……ですわ……」
姿勢だけはピンと正したまま、ロザリンヌが呆然と呟く。
分かり切った結果であっても見届けなければ。たとえ一瞬で終わるような決闘でも、レオナルドが全校生徒を証人とすると宣言した以上従うまで。
そう思っていたのに、今目の前に広がる光景はなんだ。
一瞬で終わるどころか、今地に倒れ伏しているのは紛れもなくレオナルドの方である。そして悠々と立つ黒髪の少年に、ストロベリーブロンドの少女が嬉しそうに寄り添っている。かつてテラスで見たあの時と同じように、お互いだけを見て、手を取り合い仲睦まじく。
どこからどう見ても、真に想い合う二人である。
「そんな……あり得ませんわ……こんなの、こんなこと……っ」
あり得ない。あり得ない。だって、これが事実なら。
考えの浅い馬鹿で軽薄な女がレオナルドを誑かし、まんまと次期正妃の座についたと思っていた。おそらくそう遠くないうちに正妃教育に音を上げ、レオナルドも目を覚ますだろうと。その時は己の忠言こそが正しかったと証明されるだろうと。
なのにこれでは正しいも何も、考えが浅かったのはこちらの方だと証明されたようなものではないか。
あのストロベリーブロンドの少女が愛するのはその黒髪の少年ただ一人だったとしたら、自分は。
一国の王子の寵愛を喜ばない女などいるわけないと決めつけ、賢しらに忠告し、今までの努力を踏みにじられた悲劇のヒロインを気取っていただけの、浅はかで馬鹿な女である。
「う、うう……っ」
何度も忠告をした時に、あの少女が何を言い返してこようと遮り、切り捨ててきた。少女自身の罪を認めた謝罪の言葉以外、聞くに堪えないと思ったからだ。
そして一向に謝罪しようとしないストロベリーブロンドの少女を。己の忠言を欠片も理解しない、自身が正しいと思い込んで憚らない、思い込みの激しい馬鹿な女だと呆れ、怒りを堪えてきたのに。
聞くに堪えないと、思い込みの激しい馬鹿な女だと、呆れられてたのはこちらの方では。
これでは今まで己に同調し、一緒になってあの少女を酷評していた両親に、腹心のメイドに、なんて言えば。ロザリンヌは頭を抱えた。
「ふ、ふざけるな!何故皆こんな奴の言うことを信じるのだ!そ、そうだ、貴様、シャリーナ・クレイディア!殿下が失脚してはお前の妃の座も泡と消えるのだぞ!?何故だ、何故リオル・グレンを止めなかった!」
身の程知らずにも主君に近づき、姑息な手を使い正妃の座を狙っていた悪女。
レオナルドが王太子ではなくなって困るのはこの女も同じなはず。
リオルに反論できなかったエドワードがそれでも諦めきれず、シャリーナに怒りと疑問をぶつけた。
「私は正妃になどなりたくないからです」
「いい加減にしろ!そのように取り繕ったところで、行動が伴ってなければそれが心にもないことだというくらい簡単にわかるのだぞ!」
この期に及んで嘘を吐き通すかと、怒りのあまり拳を振り上げようとしたところで。
「これ以上ないくらい行動で示してると思いますが?従者殿」
ハタとその拳を止めた。
突き刺すような少年の言葉に思わず顔を向ける。
見れば正妃の座を狙う悪女は、田舎の貧乏男爵家三男の隣でしっかりとその手を取っている。
「え?あれ?」
まるでこの二人が愛し合っているというような。
「し、しかし、今までは!」
「今までは、なんでしょうか」
少女が答える。少年の手を取ったまま。
「シラを切る気か!今まで貴様は、殿下に興味が無いフリをして殿下の気を引き、正妃の座が確実になった後も白々しくそれを否定し内心では勝ち誇り、それが泡と消えた今もわざとらしく喜んで……あれ……?」
言いながら、エドワードは自分でも自分の言い分がおかしいことに気づいた。
一国の王子の寵愛を喜ばぬ女などいない。正妃の座に目がくらまぬ女などいない。だからこそこの少女の王子から逃げようとするような行動も王子の気を引くためで、正妃になりたくないなどと言っていたのも謙虚ぶって腹の中では笑ってただけだと。
だがそれならば、レオナルドが次期国王の資格を失い、正妃の座が完全に泡と消えた今何故平然としていられるのか。いや、それどころか嬉しそうにしているのか。
「わざとらしく喜ぶとは、何のことでしょう。わざとなんてあり得ません、心から喜んでいます」
「え?え?」
嘘をつくなと言おうとするも、正妃の座を狙っていた悪女がそれが消えてわざと喜ぶ理由が思いつかない。
思い返せばこの少女は、シャリーナ・クレイディアは、初めて見た時からいつだってこのリオル・グレンと共にいる。
それがレオナルドの気を引くためだという証拠は何一つない。結果レオナルドが惹かれただけで、この少女がそれを意図してやったと言える証拠が、まるで無い。
そんな単純なことに今初めて気付く。
「私が好きなのは、愛しているのは、この方だけです。初めて出会った時から今この瞬間、そしてこれからの未来も、私はリオルだけが好きです」
「だ、そうです。まだ嘘だと思いますか?」
ぐらりと視界が揺れる。信じていた世界が崩れる。
動揺を隠せずにいるうちに容赦無く追い討ちをかけられ、エドワードは今度こそ何も言い返せずガクリと膝をついた。
「そんな……馬鹿な……!」
この少女が主君を誑かす悪女であるどころか、主君が愛し合う少年少女を邪魔する悪役であったのだ。
今までの主君の、そして己の行動がいかに的外れで、間抜けだったか。思い返せば思い返すほど恥ずかしく、屈辱であった。
「……そんな……馬鹿な……!」
ついさっき地に伏せた従者から少し離れたところにて。同じ台詞を悔しげに、納得いかない思いを乗せて振り絞る、先程からずっと地に伏せていた人物がいた。
この度の決闘の仕掛け人にして敗者、元王太子のレオナルド・ランドール・ユリシア・エルガシアである。
「……くっ……」
巨大化する魔法陣に身体中の魔力を奪われ倒れてから、それでもずっと意識だけはあった。周りの音や声も聞こえていた。
『リオル!リオル!格好良かったです、リオル!』
憎き鼠の名を嬉しそうに呼ぶ少女の声も、己を通り過ぎていく足音も。
わけがわからなかった。己があんな矮小な薄汚い鼠に負けたことだけではなく、あの少女がそんなにも嬉しげな声で鼠に駆け寄っていくなんてと。
身の程知らずにも猫に付き纏う鼠。猫とてさぞ迷惑しているだろうと思っていたのに。
自分がこんなにも迷惑しているのだから、当然猫も同じだろうと。何の疑問も無く。
『私が好きなのは、愛しているのは、この方だけです。初めて出会った時から今この瞬間、そしてこれからの未来も、私はリオルだけが好きです』
力の入らない身体にトドメを刺すような、凛と通った少女の声。
そんなわけがない。あの鼠に無理矢理言わされてるに決まってる。今までだったら何の疑問もなくそう思えたのに。
よく考えてみたら、王子である己の地位や権力、富に靡かないあの少女が、鼠などの脅しに屈するだろうか。今この瞬間全校生徒の前で嘘をつくだろうか。
『だ、そうです。まだ嘘だと思いますか?』
勝ち誇った鼠の声も聞こえる。
今までだったら何て痛々しい勘違い野郎だと鼻で笑ってやったはずなのに。
地位も身分も富も権力も容姿も才能も圧倒的に己に劣る鼠が好かれるはずないだろうと。それをこの決闘で思い知らせてやろうと。
だが結果はどうだ。決闘に勝ち、あの猫の手を取り、今まさに少女からの愛の言葉をその身に受けているのは鼠の方だ。
負けたのは、思い知らされたのは、己の方では。
「何故だ……何故、王子の俺が……アレ……?」
そしてふと。
王子という立場に目がくらまない、毛色の違う猫。だからこそ好ましいと思っていた。
なのに無意識に自分は王子なのだから好かれて当然という前提で行動していたという、大き過ぎる矛盾に今更気付く。
鼠に向けられた嬉しそうな声も、愛の言葉も、自分は一度として受け取った覚えは無いのに。
「そんな……馬鹿な……」
よって、数分前に呻いた台詞と同じ台詞を。今度はすっかり間抜けな声で、愕然とこぼしたのだった。
「リオル、リオル!」
「何だ?そんなに大声出さなくても聞こえるぞ」
リオルの手を取ったまま、シャリーナが何度もその名を呼ぶ。
「リオル!」
「聞こえてるって」
決闘の前と今で、完全に空気は変わっていた。リオルやシャリーナに突き刺さっていた針のような視線はもう無い。身の程知らずだと嘲る言葉も聞こえない。
この人が全て変えてくれたのだ。この人が全部ひっくり返してみせたのだ。
「貴方が好きです。大好きです!」
初めて会ったその瞬間、シャリーナの世界をいとも簡単に変えてしまったあの時と同じように。
「……俺も、好きだよ」
そんな偉業を成し遂げた目の前の愛しい人は。
少しだけ目を見開いて、それからふわりと優しく笑った。




