2話 手作りサンドイッチ
ファラ・ルビア学園は、エルガシア王国の貴族子女が集まる由緒正しき学び舎である。
貴族のためだけあって、敷地も校舎も広く、様々な設備が用意されている。食に関しては校舎内のカフェテリアは勿論のこと、男子寮女子寮にも食堂が付属しており、一流のシェフが常駐している。
更にお抱えシェフを連れてくる令息令嬢のために、寮の各階に厨房もあるのだ。
そんな、いいとこのご令嬢のための女子寮厨房にて。
「はあっ!うおりゃっ!おんどりゃあああ!」
およそ令嬢らしからぬ気合いの入った声を上げ、いいとこの令嬢シャリーナ・クレイディアがパン生地と格闘していた。
クッキーで胃袋を掴もう作戦は、リオルが固辞したこととその後不審者に盗まれたせいで頓挫してしまった。ならば、唯一食べて貰えるサンドイッチを限界まで極めてみせると。
というわけで数日前に家のシェフから送ってもらったレシピブックの、パン作りのページを開いてるのである。
「後は一次発酵させて……ふむ……睡眠時間を削れば明日の朝に間に合いそうね」
明日からは毎日リオルが朝夕と送り迎えをしてくれると言うのだ。このチャンスを活かさない手はない。朝に渾身の弁当を見せて、昼に中庭で一緒に食べようと約束する。今まで半ば押しかけで一緒に食べていたわけだが、これからは正式に約束して食べるのだ、そう、まるで恋人のように……。
「待って待って、気が早いわ私!」
うっかり妄想の世界に飛び立ちそうになり、シャリーナは慌てて地に足をつけた。自惚れてはいけない、リオルはあくまで不審者に襲われた自分を心配して送り迎えしてくれるだけなのだ。なんて優しい。なんて格好いい。こんないい男他にいな……いやそうじゃなくて。
連日のアタックにも素っ気ないあの態度から、リオルがシャリーナ自身に魅力を感じていないことは明確。辛うじて美味しい昼食をくれるいい人、くらいの評価であろう。自惚れて暴走してはいけない。
「でも……もっとしっかり胃袋を掴めれば……」
もっともっと料理を頑張れば、いつしかリオルも振り向いてくれるかも。というかそれ以外の方法が今のところ考えつかない。
パン生地発酵の準備を整えたシャリーナは、薔薇色の明日を想いうっとりと呟いた。
「まあパンでサンドしてたらサンドイッチよね」
翌朝。早朝にパンを焼き上げ、出来たパンに具材を詰め込んだシャリーナが頷く。ちょっと気合いが入り過ぎたというか、具を入れ過ぎてサンドイッチのボリュームが凄いことになってしまった。
パンが左右にある従来のサンドイッチだと持ち上げた時に具がこぼれ落ちそうなので、丸パンを上下で半分に切り、具を上から押さえて下から支えるような形に。
「薄紙で包めば食べやすいかしら……」
トマト、レタス、チーズ、ベーコン、目玉焼き、そしてハンバーグ。残念ながらハンバーグは手作りではない。焼いただけだ。相談したクレイディア家のシェフが「男の胃袋を掴むならまず肉」とハンバーグのタネを送ってくれていたので、有り難く使わせてもらった次第である。火の扱い方は同じく厨房で作業をしていた他の令嬢のお抱えシェフ達が教えてくれた。
「よし、完璧!皆さんありがとうございました、行ってきまーす!」
「はは、行ってらっしゃいませお嬢様」
ランチボックスに薄紙で包んだハンバーグサンドイッチを詰めて、意気揚々と厨房を出る。約束の時間まであと三十分。リオルを待たせるわけにはいかない、早く行かなくては。
「……あれ、サンドイッチじゃねぇよなあ」
「まあ美味しそうだしいいじゃないっすか」
数十秒後、シャリーナが軽やかに去って行った後の厨房で、各家のシェフ達がポツリとこぼした。
「なんだ、昨日の猫か。今日は甘い匂いじゃなくてソースの匂いなんだな」
「は?」
約束の時刻の二十分前。待ちきれずに男子寮の門の前まで来てしまったシャリーナは、隣を通った馬車の窓から顔を出した人物を見て思いっきり顔を顰めた。
校舎まで十数分程度の短い距離だが、わざわざ家から持ってきた馬車を使う生徒は多い。しかもこの馬車はただの馬車とは違う。
「殿下、わざわざ馬車を止めさせなくとも!」
「そうだな。おい、女。乗れ。昨日のクッキーの礼だ、送ってやる」
「結構です」
「……ほう。この俺が誰かとわかって言ってるのか?」
クッキー泥棒ですよね、と反射的に出そうになった台詞を飲み込み、シャリーナが口を開く。
「先程殿下と呼ばれていましたよね。我が国の第一王子レオナルド・ランドール・ユリシア・エルガシア様。それに王家の紋章がある馬車を見て分からない程無知ではありません」
「ほう、王子と知っても態度を変えないか……フッ、面白い」
どこが面白いのだろう。コイツの頭がだろうか。昨日からほうほうフッフフッフと気の抜けた風船のように空気漏れしてるし、頭に穴が空いてるのかもしれない。
と、そんな不敬罪まっしぐらなことを考えていると。
「これは命令だ。馬車に乗れ、女」
「えっ?やっ……いやあああああ!!」
泥棒王子がパチンと指を鳴らし、シャリーナの足下に魔法陣が現れた。次の瞬間豪風が吹き、シャリーナを持ち上げようとして。
――バチン!
「え?」
何かに阻まれたかのように風が霧散し、足下の魔法陣が崩れ消えた。
「……何だと?」
「シャリーナ!無事か!」
「リオル!」
それと同時に、待ちに待った愛しい人が駆けつけてくれた。まるでリオルがこの悪しき魔法陣を消してくれたかのようなタイミング。
「貴様の仕業か?一体何をした」
「どういうことです殿下、殿下ともあろう方が白昼堂々と淑女のスカートを魔法でめくるなど!」
「な!?」
「リオル!?」
シャリーナと馬車の間に入って、リオルが声を張り上げる。
「ち、違いますリオル、私は」
スカートをめくられたのではなく、無理矢理馬車に乗せられそうになっただけだ。どっちも酷いが前者は流石に洒落にならない。リオルが誤解しているらしいと思ったシャリーナが口を挟もうとして。
「……黙ってて、シャリーナ」
「ひゃいっ」
サッと耳元で囁かれ、大人しく黙った。
「何を言う貴様!それに今のは一体何だ?俺の魔法陣を崩すとはどんな手を使った?」
「……昨日の帰り、彼女のランチボックスの底に魔法の護符を貼っておいたんです。俺が作ったものですが、魔法陣の垂直線上の、魔法の効果範囲内にあればその発動を中断させることができます」
「え、好き……」
「黙ってて」
「はい!」
なんということだろう。本当にリオルのおかげだった。惚れ直し過ぎて腰が砕けそうである。
「今度は俺の質問に答えてください殿下。先程殿下は彼女のスカートの下に魔法陣を出現させました。彼女は悲鳴を上げ、スカートを押さえていた。護符の力で発動を停止してなければ、あられもないことになってました。いくら殿下といえど学園内で婦女暴行は看過できません、教師に報告させていただきま」
「ま、待て!誤解だ!」
リオルが言い切る直前、馬車から転がり落ちるように従者が飛び出してきた。
「お、おい、待て、誤解するなリオル・グレン!」
「……何故俺の名を」
「入学試験筆記部門トップのリオル・グレンだろう。特待生の顔と名前は把握している。たとえ『筆記の魔術研究科』でもな」
そんなことより、と従者が多大に汗をかきながら続ける。
「遠目から見るとそのように誤解してしまうかもしれないが、殿下は何も彼女のスカートをめくろうとしたわけではない。彼女が馬車に乗る手助けをしようとしただけなのだ」
「馬車に乗る手助け……?馬車の扉は開いていないように見えましたが……?」
「う、浮かせてから開けるつもりだったのだ!」
従者の言うことは本当だろう。しかしその大いに焦った態度のせいで、苦しい言い訳をしてるようにしか聞こえない。従者もそれがわかってるのだろう、悔しげに唇を噛んだ。
「おい、君!元はと言えば君が原因だろう!ちゃんと説明しろ!」
「待ってください。俺のことは名前で呼ぶのに、彼女のことは呼ばないのですか?先程の説明が正しければ、彼女は殿下が一緒に馬車に乗ろうとする程親しい女性なのですよね?その彼女の名を従者の貴方が知らないと?」
従者がシャリーナに詰め寄ろうとしたところを、すかさずリオルが割って入る。
「あ、いや……いえ、し、シャリーナ……嬢……」
「ああ、ファーストネームは最初に俺が呼びましたね。家名は?知らないんですか?」
「…………」
従者は完全に沈黙した。無理もない、数少ない侯爵・公爵家ならともかく、学年も違う、入学したばかりの伯爵令嬢の顔と名前を全て一致させておくなど至難の業だ。リオルと違ってシャリーナは特待生でもない。クレイディア伯爵家の名前は知っているだろうが、その娘の顔までは把握していないだろう。
「し、しかし……殿下にその気は無かったのは、本当なのだ……信じてくれ……」
苦し紛れに、従者が頭を下げる。従者とはいえ王子の従者だ、それなりの家の者だろう。それが、貴族の中では下であろう男爵家三男に。
「謝罪の相手が違うでしょう」
そしてそんな身分の差にも怯まず一歩も引かないリオル。
「素敵……」
「黙って」
「はいっ」
苦虫を噛み潰したような顔で、従者がシャリーナに顔を向けた。
「すまなかった。誤解を招くようなことをした、どうか許してほしい、その……」
「……」
「いや今は喋っていいから」
「あ、クレイディアです。シャリーナ・クレイディアと申します」
おそらく家名を聞きたいのだろうことは察してたが、律儀に黙ってたシャリーナはリオルの許しが出たのであっさりと名乗った。
「……クレイディア嬢。この度はすまなかった」
「いえ、私も誤解してしまって」
お互いに頭を下げ、謝罪を交わす。怒涛の展開だったがようやく収まりがつきそうだ。
「……フン。気が済んだか」
諸悪の根源のくせに従者が言い訳する間馬車で踏ん反り返ってた王子も、ここに来て文句を言うつもりまではないようだ。
「おい、黒鼠。今回の無礼はこの毛色の違う猫に免じて許してやろう。命拾いしたな」
気色悪い捨て台詞を残し、カラカラと音を立てて馬車が去っていく。
「はぁあああぁ」
馬車が充分離れていったところで、リオルがフラフラと地面に崩れ落ちた。
「一生分の大声出した……もうしばらく声出したくない……」
「リオル!リオル!格好良かったです!」
「今言ったこと聞いてたか?」
その小さな背中に勢いよく抱きついて、シャリーナが歓声を上げる。
「だいたい王子の誘いを断るとか正気かよ……あのまま頑なに断ってたら『王子自らの誘いをすげなく断った令嬢』ってことで目ぇつけられてたんだぞ、自覚あるのか?」
「あっ」
無邪気に喜んでいたシャリーナは、リオルの言葉にハッと息を呑んだ。
同じ学び舎で授業を受ける以上、生徒同士身分は関係ないという建前はあるが所詮は建前。リオルが止めてくれていなければシャリーナは暴れてでも抵抗する気だった。
そんなことをすればただの伯爵令嬢が王子に楯突いたとして、入学早々四面楚歌になってもおかしくない。
「そ、それじゃあ、リオルが王子に難癖をつけたと、従者の方に広められたらっ」
上気していたシャリーナの顔がみるみる青ざめていく。つまりリオルは、王子に楯突いたという罪を代わりに被ってくれたのだ。
「……女性のスカートをめくろうとした疑いをかけられたなんて、広められるかよ。相打ちどころか王子の方がダメージでかいぞ」
「あ、それもそうですね」
いくら誤解とはいえ、なんでそんな誤解を招く状況になったんだ?と皆から訝しがられるわけである。火のないところに煙は立たないのだから。
「全く……君が最初から素直に馬車に乗っていれば、こんな疲れることしなくて済んだんだ……」
「……ごめんなさい」
今更ながら馬鹿なことをしたと気づき、シャリーナがしょんぼりと落ち込む。断るにしてもせめて不敬にならない程度の断り方をすべきだった。
登下校でリオルの好感度アップを図ろうと意気込んでいたのに、これでは今まで稼いだなけなしの好感度も地に落ちたに違いない。
「リオルと一緒に登校したくて……ごめんなさい……」
「……う」
思わず泣きそうになって謝ると、リオルは気まずそうに目を逸らした。呆れられただろうか。
「……いいよ、君も被害者だ。ほら、早くしないと授業に遅れる。一緒に登校するんだろ」
「っ!はい!」
それでも。服についた土を払って、手を差し伸べてくれる優しい人。
「ありがとう、リオル。大好きです」
「だからそういうことを軽々しく言うなって……」
まだ出会って十日程しか経っていないのに。もう何回も惚れ直してしまうなあと、シャリーナはその差し出された男性にしては細い手を取りながら、愛しさを噛み締めたのだった。
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「これは何だ」
「サンドイッチです」
「両手で持たなきゃいけないならサンドイッチの意味なくないか」
昼休みの裏庭。もしかしたらもうリオルは来ないかもしれないと恐る恐る足を踏み入れたシャリーナは、木陰に腰を下ろす黒髪を見てホッと胸を撫で下ろした。
そしていつものように隣に座り、ランチボックスを開けて今に至る。
「あ、確かに。でも味は確かですよ。パンから手作りしましたし」
「パンから!?」
片手で食べられるようにと考案されたサンドイッチ。それを両手を使わないと食べられない大きさにしたら、サンドイッチの意義がなくなる。
「伯爵令嬢がパン生地をこねるのか」
「ハンバーグのタネはシェフがこねましたけど……」
「いや申し訳なさそうにしなくても」
「あ、でも目玉焼きに使った卵はうちで飼ってるニワトリの卵を取り寄せたんです、私もその子を実の子のように可愛がってたのでその卵は私が産んだと言っても過言では」
「過言だ」
本を開いたまま膝に置き、リオルがサンドイッチ(仮)にかぶりついた。もぐもぐと小さく咀嚼し、「美味い」と呟く。
「よかった。また作ってきますね、今度はハンバーグも手作りで!」
「そのうち野菜も一から育てそうで怖いな」
「はっ、その手が」
「やめろ伯爵令嬢が寮で家庭菜園しようとするな。いやパンこねてる時点で割と手遅れだけど」
シャリーナも一緒にサンドイッチ(仮)にかぶりつき、暫しお互い無言になる。だが気まずさはない。あるのはささやかな幸せだけ……。
「ほう、ここにいたのか。毛色の違う猫。ああ、黒鼠もいるのか」
ささやかな幸せが終わった。
「……殿下」
うんざりした気持ちを何とか表に出さずに押し込み、シャリーナが顔を上げると。
「今朝の匂いが気になってしまってな。どれ、俺も一つもらおうか」
金髪青目のクッキー泥棒が、殴りつけたくなるようなドヤ顔で目の前に立っていた。




