14話 新婚旅行(仮)
すっかり冷めた紅茶はメイドによって取り替えられ、温かな湯気が立ち上っている。大皿に綺麗に盛られたクッキーは、殆ど誰も手をつけないまま。
「あいつがはっきり止めてくれればこんな面倒なことする必要ないのに……あの従者、肝心なところで怖気付きやがって」
「ああ、やっぱりさっきのはあの人からその言葉を引き出そうとしてたんだね。でもパーティのこと聞き出せただけでも凄いよ、やるじゃんリオルくん!ところで何書いてるの?」
「わぁ、リオル、なんて速筆!なんて達筆!凄いです!」
ガリガリと紙にペンを走らせるリオルの手元を、隣に座ったシャリーナと向かいのアンジェリカが揃って覗き込む。
リオルが手紙を書くからレターセットとペンが欲しいと言ったのは、エドワードを乗せた馬車が屋敷を出て行ってすぐのこと。
「ですが、それならそうとあの方もはっきり言ってくださればいいのに。どうしてここまで来て肝心なところだけ濁したんでしょうか?」
「そのまま殿下に告げ口されたら困ると思ったんだろ。『殿下に近づくな』っていう忠告だけならまだ誤魔化しも効くが、その殿下がわざわざ手配したものを、先回りして断れと言ったとなれば流石に言い訳できない。あいつの立場からしたら、義姉を正妃にしたいが為に妨害工作を働いたとアレから思われても仕方ないからな」
「だから、シャリーを脅して自分から欠席の返事をさせたかったわけね……」
まっさらだった紙一面に埋め尽くされる黒い軌跡。本当に流れるような速筆である。速すぎて読むのが追いつかないくらいに。
「脅されなくたって、そんな世界一どうでもいいパーティ欠席するのに。当日体調不良になったことにして休めば」
「いや、学園のパーティとはわけが違う。一国の王子の成人祝いで、その主役からの直々の招待だ。多少の体調不良くらいなら這ってでもいくレベルだ。欠席したら後日確実に問い詰めてくるだろうし、仮病を使ったとバレたらヤバい」
最後にサラサラと署名をして、リオルがパタンとペンを置いた。
「そ、そんな……では、出席するだけして会場の隅で目立たないように大人しく」
「できると思うか?アレが何もしないわけないだろ、ローズ・ガーデンの皆を差し置いて君をダンスに誘うくらいは確実にしてくるぞ」
行くも地獄、行かぬも地獄のパーティ。行けばレオナルドに更に気に入られ、ローズ・ガーデンの全員を敵に回す事態になる。行かなかったとして生半可な言い訳だと、嘘がバレた場合一国の王子を敵に回す事態に。
「うーん、本当に大病を患うか会場に辿りつけないくらいの天変地異が起こるしかないってことね……で、リオル君はそれを何とかするために今その手紙を書いてるってことだよね?」
「ああ」
シャリーナ達が内容を読み切る前に、テキパキとたたまれ封筒に仕舞われる便箋。
封筒を閉じたリオルが顔も上げずに一言。
「天変地異に起きてもらう」
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「うぉええええっ」
「きゃあああ!リオル!リオル!大丈夫ですか!?」
「こりゃいけねぇ、一旦降りますぜお嬢」
空を飛ぶゴンドラの中。真っ青になったリオルが手にした麻袋に胃液を吐き出した。
「だ、大……丈夫です……まだ……」
「いやいや、これじゃ坊ちゃんのお父さんの前に坊ちゃんが死んじゃいますって!」
死人のようにゴンドラの隅にもたれかかるリオルを見て、三十手前の若い男——クレイディア家お抱え調教師、アポロンが口笛を吹いた。
途端、ゴンドラの高度がどんどん下がっていく。
「近くに街がありやす、今晩はそこで休みましょう」
街の入り口が目視できる程度の距離の拓けた場所にゴンドラが降り立つ。バッサバッサと巨大な翼がはためく音と共に。
「う……」
「坊ちゃんは俺が運びまさぁ、すいやせんがお嬢は歩いてください」
「私は大丈夫よ。リオルを頼むわねアポロン」
アポロンがぐったりしたリオルを背負いつつ、ゴンドラから降りる。シャリーナも慣れた動作でそれに続いた。
「キュルッキューキュッキュッ」
見た目に反して可愛らしい鳴き声のギガントイーグルに見送られながら。リオルを背負ったアポロンとシャリーナは街へ向かって歩き出した。
「きっと、親父さんが心配で気を張りつめ過ぎたんでしょうや。この速度なら明日には着くはずでっし、今晩はゆっくり休みやしょう」
「え、ええそうね、アポロン」
本気でリオルの父親を心配しているらしいアポロンの言葉に、シャリーナの胸にチクリと罪悪感が刺さる。アポロンが気にかけている、病に倒れたというリオルの父親は、今日も今日とて毎日元気に農作業をしているはずなのだから。
「ほら、もう少しで街ですぜグレンの坊ちゃん」
「すみません……」
「大丈夫ですよ、きっと親父さんもよくなってますって」
「……すみません……」
では何故シャリーナとリオルが、クレイディア家お抱えの調教師であるアポロンと共に、リオルの父親の身を案じながら空の旅をしていたかと言うと。
その発端は二日程前にさかのぼる。
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「父さんが病で倒れた、って知らせが来たことにする」
「ええ!?そんな、それならすぐにお義父様のところに帰らなくては!」
「いや、嘘だよ。そういうことにするってだけだ」
夕暮れの陽射しが差し込むアンジェリカ邸にて。たった今書き上がった手紙を囲み、シャリーナとリオルとアンジェリカの三人が作戦会議を続けていた。
「この手紙を、君の家の調教師のアポロンさんに渡してくれ。毎朝アポロンさんのギガントイーグルにハンバーグのタネを届けてもらってるって言ってたよな?その時にこの手紙を持たせて返してほしい」
「わかりました。何て書いてあるのですか?」
「騙すことになって申し訳ないけど……俺の父が病に倒れたと知らせが来て、一刻も早く帰りたいから、ギガントイーグルで運んでもらえないかって依頼だ。君からアポロンさんの話を聞いて、無理を承知で何とか、って」
「えっと……」
リオルから手紙の内容の説明を受けるも、意図がわからずシャリーナは困惑した。確かに前に一度リオルに、クレイディア家の調教師であるアポロンがギガントイーグルに乗って何処へでも行けること、自分もよく乗せてもらっていたことを話しはしたが、今回の件にどう関係するのか。
「一応聞くけど、アポロンさんと君と俺でギガントイーグルに乗るとして、重量は問題ないか?俺と君で大体成人男性一人分を少し超える程度の体重だと思うんだけど」
「は、はい、ゴンドラの定員が大人3人なので余裕かと……あれ、私も乗るのですか?」
「あ、わかった!招待状が届く前に、シャリーをグレン領まで連れてっちゃおうってことね?大事な友人を心配したシャリーが一緒に着いて行ってもおかしくないし、それで“不幸な行き違い”でパーティに出席出来なくても仕方ないもんね!」
それまで黙って聞いていたアンジェリカが、合点がいったようにポンっと両手を打って言った。
「ああ、かなりギリギリだけど……明日の朝手紙を送って、アポロンさんがそれを読んですぐに来てくれたら間に合う。招待状も明日届いたとして、タッチの差で行き違ったってことにできるだろう」
「な、成る程!」
シャリーナもようやく合点がいった。つまりリオルと一緒にゴンドラで空の旅である。そしてご実家へ挨拶である。順番が逆になってしまったが、これは新婚旅行と言っても過言ではない!
「過言だ」
あっさり否定されてしまった。小さく呟いていただけなのに。
「あっ……でも、殿下からの招待状なら、グレン領までだって届けなきゃダメだよね?時間はかかるけど普通の郵便で届けることはできるし……なのにシャリーがグレン領から帰らなかったら、怪しまれちゃうんじゃ」
クレイディア家からグレン家への連絡にかかる日数とパーティまでの日数を指折り数え比べ、アンジェリカが表情を曇らせた。
「明日シャリー達が出発して、入れ違いでシャリーの家に招待状が届いて、クレイディア家からグレン家まで普通の郵便を使って知らせるのに七日くらいかかるとして、知らせを受け取ったシャリーがギガントイーグルで帰れば三日で王都に戻れる……パーティに間に合っちゃうよ!パーティが嫌で帰らなかったって思われたら元も子もなくない?」
せっかくシャリーナが招待状が届く前にグレン領へ行けても、シャリーナの両親が招待状のことをシャリーナに知らせないわけにはいかない。すぐに帰れば間に合ったのに帰らなかったとなると、次期国王の成人祝いを遠方から急いで帰るのが面倒だから蹴ったことになる。
「だから、さっき言っただろ。天変地異に起きてもらうって」
しかし不安そうなアンジェリカとは裏腹に、何てことないようにリオルが言う。
「俺の故郷はこの時期しばらく雨が降り止まなくなるんだ。毎年ぴったり同じ時期にな。今はその雨期に入る直前」
成る程、とシャリーナが心のメモ帳にしっかりその情報を書き留めた。将来嫁入りした場合でも戸惑わないようにと。
「シャリー、あんた絶対別のこと考えてるでしょ」
親友が胡乱げな目で見てきたが気にしない。だってもう怖がる必要はないのだ。あの自分勝手な王子が何をしてきたって。
「大抵の鳥はあの大雨の中は飛べない。馬車で帰ろうにもそれじゃ間に合わない。雨期が本格的になる直前にうちに着いたものの、知らせを受け取った時にはもう毎日土砂降りの雨だ。不幸にも、致し方なく、パーティには欠席するしかなくなる」
何があったって、いつだってこの人が。
「しばらく授業を休むことになるから、向こうで毎日勉強もするぞ。いいな、シャリーナ」
「はい!」
当たり前のように助けてくれるのだなと、シャリーナはじわりと浮かんだ嬉し涙を指で拭った。
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「すまない……」
「リオルが謝る必要なんかないです!今水を替えてきます、ゆっくり休んで下さい」
グレン領と山を挟んで隣り合う街。その宿屋の一室。半分死人のようにベッドに横たわるリオルを残し、シャリーナは布を濡らす用の水桶を抱えて席を立った。
水魔法は使えない。水場を探す時間の省略のため、道中のギガントイーグルの水分補給を全てシャリーナの魔法で賄ったため、ここに来て魔力が切れてしまったのだ。
「坊ちゃんの様子はどうですかい、お嬢」
扉を開けてすぐ、心配そうに控えていたアポロンが水桶を代わりに持ってくれる。
「吐いていくらか楽にはなったみたい。でもまだ辛そうで……」
「明日の出発は遅めにした方がいいかもしれやせんね。山越えは途中で降りられんから」
道中で地図を見て、シャリーナも大体の地理は把握している。グレン領に一番近い街まで来たが、ここからが遠いのだ。高くどこまでもそびえ立つ山々と森を超えて行かねばならない。まあ、ギガントイーグルにかかれば余裕で超えられる高さなのだが、代わりに途中で休憩はできない。鳥は空中で止まれない。
「ところで、何でわざわざ外の井戸まで水を汲みに?頼めば中の水道も貸してくれるんじゃないですかい。いくら田舎でも貴族がいる限り水道は通ってるはずでしょう、魔水道なんだから」
一人で持たせるのは悪いと思い、シャリーナも水桶の取っ手に手を添えると、アポロンがふと不思議そうに言った。
アポロンの疑問は尤もである。各都市の地下に巨大な魔法陣を張り巡らせ、定期的に魔力を送るだけで水を確保できる魔水道ができてから早百年。最早井戸は万一の手段としてか、魔水道の配備が遅かった田舎にしか残っていない。
「でも、井戸水の方が冷たいでしょ。少しでも冷たい方が気持ちいいと思って」
ただ、井戸水は井戸水で利点があるのだ。苦労に見合うかは別として。今回はその利点が苦労を上回った、それだけだ。
「なら俺がやりまさあ。お嬢だって疲れてんだから、水汲みくらい俺が」
「いいの!それくらい私がやらなきゃ!アポロンの方が疲れてるはずなんだから、先に休んで」
アポロンから水桶を取り返し、シャリーナは井戸のロープに手をかけた。少しでもリオルが楽になるならば、水汲みくらいなんてことない。
「いや、お嬢の方が疲れてるはずでしょう。魔力のない俺にはわかりやせんが、魔導師の魔力切れはまともに立てないくらい辛いんじゃないですかい」
「大丈夫よ。そこまで辛くなるのは元々魔力が凄く多くて、普段から魔力に支えられてる割合が高い人だけだから」
本当なら魔水道よりも、井戸水よりも、魔導師が冷水魔法で出した水の方が冷たい。こんな時に限って魔力切れは悔しいが、それならそれで自分にできることをするだけである。
正直に言えば少々足がフラつき危うく倒れそうだが、リオルの辛さに比べれば大したことではない。
「……わかりやした。どうしても辛くなったら言ってくだせぇ」
その気持ちを汲んでくれたのだろう、アポロンが苦笑しつつ引き下がった。
「ええ、アポロンもしっかり休んでね」
結局部屋の前まで水桶を運ぶのを手伝ってもらってしまったが。桶からそっと手を離し、アポロンが自室に戻っていく。
「……リオル、具合はどうですか?」
「……ああ」
シャリーナがゆっくりとドアを開けると、リオルは上体だけ起こしたところだった。
「無理しないで寝てください」
「……別に、無理は」
「そんな青い顔で言われても説得力ないです」
ベッドの側に寄り、汲んだばかりの水で布巾を絞る。濡れ布巾を持ってじっと見つめれば、リオルは渋々とベッドに倒れこんだ。
「俺も魔法が使えれば、は無しですからね」
「……人の台詞を先取りするなよ」
仰向けになったリオルの額に冷たい布巾を乗せながらシャリーナが言うと、リオルは決まり悪げに目を逸らした。
「……格好悪いだろ。自分で考えた策で、俺だけ足を引っ張って……」
「いいえ!自らを苦しめることになる策であろうと我が身を顧みず実行し、今まさに全身を苛む内臓を掻き回されるかのような苦しみに打ち勝とうとするリオルはとてもとても格好いいです!」
「ただの乗り物酔いを随分格好良く言ったなあ」
本当にどうしてこの人は、こんなにも自己評価が低いのだろうか。この世の誰よりも格好良い人だと言うのに。そのことに誰も、本人すら気づいていないのなら、それを知ってるシャリーナが引き上げるしかない。
「待ってくださいね、今リオルの素晴らしいところをまとめてお話しますから!朝までかかりますが途中休憩どのくらい挟んだ方がいいですか?」
「いや寝かせろよ」
「あ、では子守唄代わりにしていただければ……まず初めて会った時私は一瞬時が止まったかと思いました風になびく漆黒の髪は夜の闇の如く、その間から覗く深い緑色の瞳は同じく深い知性をたたえ、その声は美しき花の罠にかかるところだった私を救い——」
「やめろ!始めるな!こんなナルシスト御用達の子守唄があってたまるか!」
大声で遮るリオルに負けじと朗々と語り——隣部屋のアポロンが「お嬢、さすがにうるせーです」と止めにくるまで、シャリーナは子守唄(自称)を唄い続けたのだった。




