12話 夢見るアンジェリカ
「アンジェ。気をしっかり持って聞いてね。あ、あとリオルのことも話すけど、好きになっちゃダメだからね」
「わかってるってば!心配性なんだからもう」
約束の放課後。午後の授業の間ずっと正直に話すか嘘をつくかの二択で揺れていたシャリーナは、厳選なる鉛筆倒しの結果正直に話すことに決め、断腸の思いでリオルには事情を話して先に帰ってもらい、寮の自室にアンジェリカと共に帰った。
三人で一緒に帰るという手もあったが、リオルと接触した親友がうっかり恋敵になってしまうことを危惧してやめた。
「でもねアンジェ、世の中には知らない方が良かったこともあるから」
「ここまできて隠し事は無しだよ!私は大丈夫だって」
「……わかったわ」
親友の目に並々ならぬ輝きを見たシャリーナは、覚悟を決めて口を開いた。
「落ち着いて聞いてねアンジェ…………カマキリの卵って、孵化する時は一気にぶわぁーっと数百匹の幼虫が出てくるのよ」
「ええええこっわ!無理!えっじゃあたまーに庭の木の枝に張り付いてたりするアレの中は!」
「数百匹の幼虫でぎっちぎちね」
「いやあああああ!……ってそれと殿下と何の関係があるの??」
薄っすらと青ざめながら口元を押さえ、小刻みに震えるアンジェリカ。いくらアンジェリカが勝気でも女の子であることには変わりなく、全女子の天敵である虫には勝てない。やはりショックだったようだ。だがまだまだ足りない。
「それだけじゃないわ!……ゴキブリって、頭を切り落とされても一週間は生きるの」
「きゃあああああ!」
「頭と胴体どっちも生きるの」
「ぎゃあああああ!」
「頭は頭、胴体は胴体で別々に動いて生きるの。それぞれ新しい生物になるの。そして死因は餓死」
「うぉおぇえええっ!」
相当気持ち悪かったようだ。最早真っ青になってうずくまっている。無理もない、シャリーナとて初めてその話をメイドのガブリエラから聞いた時は泣いて吐いた。幼い頃夏の夜に「肝試ししたい!」とガブリエラにねだったところ、「ではとっておきの怖い話を」と臨場感たっぷりに語られたのである。マジで肝を試された。
「って何の話!?殿下との話を聞かせてくれるんでしょ??」
「ちょっと慣らしておかないとって……凄くショックだと思うから」
「な、何……?何のクッションなの……?」
どうやら今から己が聞こうとしてる話が、ロマンティックな恋愛物語ではなく身の毛もよだつ怪談物語系統らしいということを察し、アンジェリカが訳がわからないというような顔で首を傾げる。
一方シャリーナはシャリーナで、この程度のクッションでは気持ち悪さへの耐性はついても夢が壊れることへの耐性はつかないと思い、何か他にいいネタがないか考えていた。
何か、今まで好きだったものが、信じていたものがガラガラと崩れるような話は。
「あ!そうだわ」
「え?」
考えに考え、ポンと思いつく。
「おしどり夫婦って言うけど、実は由来になったオシ鳥のオスって妻の子育て中は基本他のメスと浮気してるんだって」
「えっ、そ、そんな、うそ……!」
今までの話で一番ショックを受けたような顔をしてアンジェリカが崩れ落ちた。将来の夢はお嫁さんなの、素敵なおしどり夫婦になるんだと幼い頃からよく言っていたアンジェリカ。
「ごめんね、でもこれから話すことはもっとショックを受けると思うの……」
ちなみにこのオシドリの話も、昔夜寝る前にメイドのガブリエラが子守唄代わりにと話し聞かせてくれたことである。メスが卵を産む間、せっせと羽毛を運び周囲を警戒しメスを守るオシドリのオス。「まあつまり、何か疚しいことがある男は嫁に優しくするってことですよ……」と遠い目をしながら語るガブリエラを思い出し、今更ながらかのメイドの過去が気になったシャリーナであった。
十数分後。
シャリーナが淡々とレオナルドとの初遭遇時にクッキーを盗まれ、次の日馬車で拉致されそうになり、その日の昼にはハンバーグサンドを強奪されたことについて語り終えると、案の定アンジェリカはショックで混乱しているようだった。
「ちょ、ちょっと待って、そこは『もう!何よあいつぅ!』ってなるところでしょ?そ、そんなガチで怒るところじゃなくない?」
「何言ってるのアンジェ、泥棒はれっきとした犯罪よ?攻撃魔法まで使ってるのだから、強盗と言っても差し支えないわ。あるいは引ったくり」
「やめて!夢が壊れる!ああ、ヒロインと俺様王子の運命の出会いが……」
だってあの本も、この本も、とお気に入りの恋愛小説のタイトルを挙げ落ち込むアンジェリカ。もう素直に楽しめないじゃん、とがっくり項垂れて嘆いている。
「というか泥棒は泥棒でもね、普通そんなガチ犯罪扱いとかじゃなくて……次の日会ったら『あー!あんたはあの時の泥棒男ー!』って言うくらいなのがお約束のはずで」
「約束?誰との?だから泥棒は泥棒よ、相手が王子だからもみ消されるだろうから訴えられないだけで、本来なら衛兵に取っ捕まえてもらうレベルよ」
「いやー!衛兵とか言わないでー!」
ヒーローが衛兵に取っ捕まるラブロマンスなんて聞いたことない、とアンジェリカは頭を抱えて唸っている。怪盗ならまだしも、いや怪盗こそ捕まっちゃ駄目だし、と訳の分からないことまで。泥棒と怪盗の何が違うのだろうか。むしろ怪盗の方がタチが悪そうなのだが。
「そ、それにハンバーグサンド強奪されたって言ってもね、美味しいって褒めてくれたんでしょ?ちょっとくらいは嬉しいとかそういうのは」
「アンジェは財布を引ったくられてその引ったくりが『おお、沢山入ってるな!』って褒めてくれたら嬉しい?」
「なぎ倒すわ」
すっと真顔になり、紅蓮の瞳に静かに怒りをたたえてアンジェリカが答えた。
「確かに言われてみれば……あれ?じゃあレオナルド殿下って、あれ?」
憧れが揺らぎ、夢が壊れ、そのひび割れた幻想の間から見えてきた真実。
「ただの痛い勘違い野郎じゃん!?」
「加えて権力を乱用する暴君ね」
シャリーナはすかさずトドメを刺した。
「え、えー……うそぉ……ショック……そんな人だったなんて……」
「そもそも、素敵な王子様って皆が思ってることに疑問だわ。私のことがなくたって、婚約者候補をあんなにぞんざいに扱うようなひと、どこが素敵なの?」
「うう、どんな美女にも靡かないところが素敵!って思ってたんだよ……よく考えたら素敵でもなんでもないって今ならわかる……」
恋は盲目とはよく言ったものである。庶民だろうが貴族だろうが、いくつになっても王子様に憧れる女の子は多い。
レオナルドはなまじ見目が良く、魔法の才能があり、文武両道と褒めそやされる、表面上だけはまるで絵に描いたような王子様だ。幼い頃から憧れ続けて目が曇る令嬢達も多いだろう。雲一つ無い澄み切った瞳のシャリーナの方が珍しいのだ。
「ごめんねアンジェ、夢を壊すようなこと言って」
「いいよいいよ。むしろそんな奴にずっとキャーキャー言ってたらと思ったらそっちの方が怖いし」
そして今ここに、もう一人曇りなき目の令嬢が誕生した。曇りに曇ったフィルターを叩き割られ、クリアになった視界を得たアンジェリカ・カークライトが。
「でも、初めてリオル・グレンがちょっとだけ格好良く思えたかも……ってごめんごめんごめん何でもないそんな怖い顔しないでシャリー!好きにはならないから!私背の高い人が好みだから!」
危うく代わりに十数年来の友情が消滅するところだったが、すんでのところで無事持ち堪えた。
「……というわけで、今日はロザリンヌ様の言葉を盾にして逃げてきたわ」
「ううううもうショックは受けないと思ってたけど!無理!ほんと無理!嘘だと言って!」
数十分後。
ハンバーグサンド強奪事件後の、馬鹿高いアクセサリー押し付けからのお前を俺のものにする宣言。夜中の女子寮侵入疑惑、ダンスパーティでのリオルへの暴行や婦女誘拐。そして、今日起こったばかりのアレコレ。
全てを話し終える頃には、アンジェリカは真っ白に燃え尽きていた。
「というか、シャリーはこれまで殆ど拒否しかしてないよね!?シャリーが殿下に言った言葉って五割普通に拒否三割遠回しな拒否、二割命令されて渋々従っただけじゃん?何でそれでそんなに自信満々なの?」
「そこが本当に理解できないわ。多分、殿下にとっては『自分の思い通りにならないこと』が理解できないのでしょうけど」
一番最初は立場を知らずに。次は立場も考えずに。その後は立場の許す限りの拒否をし続けていたはずなのに、いったいあの王子の中でどのような変換がされたのだろうか。
「昨日のダンスパーティの時はさ、いつの間にか殿下がいなくて、なんか急に隅で騒ぎが起きたと思ったら終わってたんだよ。シャリーの想い人だって聞いてたリオル・グレンを吹き飛ばしてるとこを見たら、その時目が覚めてたかもなぁ」
「ならあの時出入口付近にいて、それを見てた女子生徒達は皆目が覚めたかしら?」
「いや……そんな噂は聞かないから、多分殿下しか見てなかった子の方が多いと思うよ……知らない男子生徒の一人が吹き飛ばされてたって、そいつが何か難癖つけたんだろうとしか思わないんじゃないかな。まあ、誰かしら目が覚めた子がいたとしても、殿下の悪口なんておいそれと言えないしね」
王子様フィルターとは恐ろしい。まさかこの人が間違ったことをするわけないと皆思ってしまう。特に恋に恋する、夢見る年頃の女の子は。
まあさすがに盲目にも程がある気もするが、今まで雲の上だった王子と同じ学園に、同じ場所にいるという高揚感でより盲目になってしまうのかもしれない。
「それよりシャリーは大丈夫なの?そんな奴に狙われちゃって」
「いつだってリオルが助けてくれたから、大丈夫よ」
「うーん、じゃあリオル・グレンは大丈夫なの?殿下の怒りを買っちゃって」
「え?」
ピタ、とシャリーナの動きが止まった。たった今軽い調子で言われた言葉があまりにも重い衝撃で。
「リオル、は……」
そうだ。いつだってリオルは助けてくれた。いつだって……レオナルドの怒りの矛先をリオル自身に向けてまで、助けてくれた。
シャリーナが逃げられるように。シャリーナにその矛先が向かないように。
「大丈夫、じゃ、ない……」
どうしてこんな簡単なことに今まで気づけなかったのだろう。リオルがいれば大丈夫、リオルなら大丈夫だと、頼ってばかりで。
一国の王子の怒りを買うのがいかに危険かと諭してくれたリオル。でも、じゃあ、そんなこと言ったら。
「リオル!!」
「えっ、あ、シャリー!?」
居ても立っても居られず、シャリーナは自室を飛び出した。
「いや、それが嫌だったら最初から助け船出してない。というか君が思ってる程ダメージはないし」
男子寮の出入口の近くで。
真っ青になって息を切らすシャリーナとは正反対に、リオルは顔色一つ変えず淡々と言った。
「グレン家なんて田舎の中の田舎のど田舎だぞ。付き合いのある家なんてほぼないし、貴族の子女なら大抵が通うここの学費すら払えないくらい貴族としては貧乏で、領民と殆ど変わらない暮らしだ。長兄も次兄も今日も皆と混じって山で狩りしてるし、俺は体力ないから小動物用の罠や兄達の弓矢を作ってたな」
遠い遠い王都で圧力をかけられたところで、届かないくらい田舎なんだと語るリオル。
「で、ですが、それでもリオルに迷惑ばかりかかってるのは確かで……!」
納得いかずにシャリーナが言い募るも、リオルはハァ、と溜息をついただけだった。
「大体な」
こめかみを押さえ、何故かまるで聞き分けのない子供に言い聞かせるように。
「君と初めて話すまで、俺は誰からもまともに挨拶されたことすらなかったんだぞ。魔法が使えないくせに筆記だけで特待生になった、落ちこぼれ特待生って陰口しか聞いてない。元々こんななんだ、俺に君以外に失うものはないよ」
「なっ……そんな、失礼過ぎです、皆見る目がないにも程があります!おかしいです!」
「まあ俺は君の目がおかしいんじゃないかって常々思ってるけど」
軽口と言うには割とガチなトーンで返された。
「だから、今更あんな奴に目をつけられたところで、マイナスがこれ以上マイナスになることはないから気にしないでいい。どうせ爵位を継ぐこともない三男だ、家に影響もない」
「でも!……でも!」
いつまで経っても、こんな時でもリオルは相変わらず自己評価が低い。しかしそんな間違った評価につけ込んでこれからも助けてもらおうなんて思えるわけがない。
「……わかった。言い方を変えよう」
しかし上手い言葉が見つからず、シャリーナが何も言えずに己の不甲斐なさに唇を噛んでいると。
「俺にとっては君が王子に盗られることの方がマイナスだ。俺は俺の利益のために君を守るだけだから、気にしなくていい」
「え……」
差し込んだ夕陽がリオルの髪を照らし、漆黒に銀色の輪が浮かぶ。その間から垣間見える深い緑の両の目が、まるで翡翠のように透き通って。
今度は、別の意味で何も言えなくなってしまった。




