【78】2月14日+③
姫野家に着くと、いつもなら大河さんが「おぉ、会いたかったぞ!千星子!」と言って毎回熱烈に出迎えてくれる。
なのに、今日は誰も居ない。
ただでさえ、広い家がさらに広く感じて。
静か過ぎて、逆にざわざわと気持ちが騒いで、妙に落ち着かない。
「千星先輩?」
家に着いたっていうのに手を離さないマコトが、不思議そうな顔をして私を見てくる。
「な、何でもない」
落ち着かないのは、手を繋ぎ続けているから?
それとも、この家に私たち2人以外、誰も居ないから?
マコトの向かう先が自分の部屋だから?
マコトの部屋は、相変わらず散らかっていて、布団も朝起きたままの状態だ。
私が、すっとマコトから視線を外した隙に、マコトは制服から部屋着に着替える音だけが聞こえてくる。
「千星先輩」
マコトは、黒のトレーナーに、ジーンズ姿。
両手にチョコが溢れんばかりに入った紙袋を持って立っている。
「昨日までの分です」
「………」
今日の分も足して、合計3袋…。
中身が全てチョコだと思うと、さすがの私も胸焼けするのを感じる。
「取り敢えず、気持ちが込められたらモノなので持って帰って下さい」
「うん……」
マコトの態度は、不機嫌という訳でもなく、怒ってるという訳でもなく…。
「オレ、」
「なに?」
「今日の昼休みまで、イラついてて」
「………」
「でも、千星先輩が来てくれたから、イラつくのもバカだなって、思って」
「………」
黙って聞いてる私を、ふんわりと優しく抱き締めてくる。
「マ、マコト!!」
腕の中から抜け出すのは、簡単だ。ほんの僅かな抵抗を見せればマコトは解放してくれるはず。
でも、逃げたくない。
このままで、居たい。
ココは何より安心する。
「千星先輩が、ヤキモチ焼いてたなんて――何て言うか、凄く嬉しい!」
「……――ひっ!!」
身体が、一瞬にして熱を持つ。
(や、や、ヤキモチって!?この私がーーっ!!!??)
あの闘争心にも似た感情は、ヤキモチだったのか?
今更ながら、恥ずかしいような、情けないような、照れてしまって顔を上げれない。
しかも、マコトに指摘されるまで気が付かない私も私だ。
そんな自分と葛藤中の私の耳元でマコトが囁く。
「欲しい」
どこか甘さのある声に、心臓がドクンと鳴る。
“欲しい”って、何を?
「食べたい」
次は“食べたい”?
あぁ!もしかして、チョコ?
紙袋に大量にあるんだから、一つ二つなんてケチな事言わない――。
「欲しいだけ、あげるよ」
ガチンと音が聞こえそうなほど、マコトの全身に緊張が走るったのが分かる。
「マコト?」
たかがチョコをあげると言っただけなのに、なに心拍数上げてるのよっ!!
「千星…」
ぱくっ!
ひっ!!??
ひぃーーーーっ!!!!!
耳!噛んだーーっ!!!!!!
ぺろっ!
「ひゃあーーーーっ!!」
な、舐めた!耳、舐めた!!
“欲しい”って、チョコじゃないの?
“食べたい”って、チョコでしょう?
え?え?違う?
もしかして、そっちの意味ーーーっ?!!!
欲しいだけ、あげるよ、なんて言ってしまったじゃないーーっ!!!!
膝がガグガクして、力が入らない。立っていられない。
「ひっ!!」
どさっ!
天井が見える。
細められた瞳に微かに震える長い睫毛。マコトが私を見下ろしてる。
「千星…、耳、弱いんだ」
「………」
はぁ?
“弱い”!?
この私に“弱い”って!?
しかも、何!この状態は!?
(私の方が、劣勢じゃないーーーっ!!!!!)
ぐるっ!
視界が反転する。
びっくりした顔を今度は私が見下ろす。
でも、そんな表情は一瞬で…。
ゆっくり、まぶたを閉じるマコト。
硬い胸元に手を乗せ、吸い寄せられるようにその首筋にキスを落とす。
キスを――落とす――つもりが…。
がぶっ!
思い切り、噛み付いた。
それは――まるで、ヴァンパイアのよう。
愛しい人の血は、私だけのもの。
最後の一滴まで、誰にも譲れない。
肉も骨も、命すらも私の手の中。
だから、私もあげる。
――無限の愛を。
~♪~~♪~~♪
スカートのポケットの中の携帯電話が、着信を知らせている。
噛み付きは無し!今度こそちゃんとキスをしようとしてる時に……。
「千星先輩、携帯…」
マコトが私の腰に手を回してむくっと起きる。
よく考えてみれば、馬乗りだ。
スカートの裾を気にしながら、そっと降りる。
「――もしもし」
『姉さんっ!!今!!どこ?』
光星だ。しかも、大声で慌てている様子。
「どうかしたの?」
『だから!!どこかって、訊いてるんだ!!!!』
いつも我が弟ながら、何事にも飄々と周りの人たちを煙に巻いてるヤツが、こんなにも声を荒げるなんて珍しい。
しかも、姉である私に対して。
「マコトんチだけど…」
『はぁっ??!!』
そ、そんな大きな声を出さないで!十分聞こえてるし、びっくりする事なんて何一つ無いと思うけど。
「光星?」
『今から、行くから!!早まるな!!』
早まるな!!って、何を?って、訊こうにも通話は切られていた。
何だったのか?さっぱり分からない。
「光星先輩ですか?」
「うん。よく分かんないけど、“早まるな!!”だって」
「………」
「………」
二人して、言葉を失う。
今まさに、私は早まろうとしてたんじゃないの?
マコトの顔が、見る見るうちに赤くなっていく。
「姉さんっ!!!!!!!」
玄関の戸が壊れたかと思うほど、バーンっと大きな音が響き、駆け込んでくる足音は、とても光星のものとは思えないほど、ダダダっと近付いてくる。
「姉さんっ!!!マコトっ!!!!!」
光星の迫力に圧倒されて、何も悪い事なんてしてないのに、勝手に身体が反応して、マコトも私も正座してしまう。
光星は、マコトの胸倉を掴んで立ち上がらせ、いきなり力任せに殴り飛ばす。
どんっ!
そのまま勢いで壁に激突してしまったマコトは、何が起きたのか理解できないって顔をしてる。
肩で息をして光星は、本気で怒っている。
本気で怒ってる光星なんて――こんなに感情を剥き出しにしてる光星を私は見た事が無い。
「ちょ、ちょっと、光星!!!」
「姉さんは、黙ってろ!!!」
なおも殴りかかろうとする光星を、私も本気で止めに入る。
「光星!!!待って!!落ち着いて!!!!!」
「マコト!!姉さんに何をしたっ!!!!!」
唇が切れたのか、口元が少し血が滲んでいるマコトは、真剣な顔を見せて頭を下げる。
「千星先輩を、押し倒しました」
ひっ?!なに、正直に答えてるのよ~~~~~!!!!!
「なのに、逆に押し倒されて」
だから、それ以上、何も言うな~~~~~~!!!!!!
「噛み付かれました」
真顔で、言う事か。もう、バカバカバカ~~~~!!!!!
光星がマコトの首元を見る。くっきりと歯形が付いて、こっちも血が滲んでいる。
「……喧嘩してたんじゃないの?」
(誰と誰が?)
冷静を取り戻した光星の言葉に、私とマコトは顔を見合わせる。
「コレ。――てっきり、姉さんがマコトに怒って、暴れてるんじゃないかって」
光星の手には、私が作ったチョコ。
「……!」
忘れてた!すっかり、綺麗に忘れてた!!記憶なんて、これっぽっちも無いほどに!!!!
でも、ゴミ箱に捨てたはずのチョコが、何故に光星の手の中に?
「光星、それ…、私の部屋のゴミ箱に捨てた……」
「姉さんの洗濯物、取り入れてクローゼットに入れようと部屋に入った時に」
(……!)
ガクっと、項垂れてしまう。
確かに、お互いの部屋はそれなりに行き来は自由だけど……。
「せ、洗濯は、私が担当するって、この前、言ったばかりじゃない!!!!」
「何で?効率良く家事をしてるだけだし、それに今更だし、お互い様だろう?」
ううっ…。
姉として、失敗だ。
女の子のインナーに対して、もう少し抵抗感を持たせるべきだったかも。
「とにかく、喧嘩してるわけじゃなかったんだ」
安堵の笑みを浮かべ、「マコト、ごめん。俺の早とちり。救急箱、取ってくる」と言って光星は部屋を出て行く。
素直に私も「ごめんね」と、マコトに謝った。




