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旧第九話 イシス辺境伯爵領事変 1

第九話 イシス辺境伯爵領事変 1


side マイマイ


「先程のパーティは、本当に失礼な子達でござったなあ」


「まったくどんな教育を受けてきたのでしょうか。

 マイマイ姫様が道を聞いただけで逃げ出すなんて。

 これではまるで、こちらが悪漢か何かだと言われているようなものです。

 親の顔が見てみたいです」


「カグヤ殿が墜落した彼等を魔法で助けた時の飛び方は、若気の至りで済ますには危険すぎる飛び方でござった。

 あんな猛スピードで森の中に突っ込むとは自殺行為でござる。

 あれではただの暴走族でござるよ。

 あの二人は、きっとまともな教育を受けてこなかったのでござるな」


ファイ一郎の上で、カグヤとスケサンが、まるで談笑するかのごとく、先程出会った人族の少年と竜人の少女のパーティについて酷評する。

このパーティは、マイマイが道を聞こうとしたところ、それを無視して逃げ出すという失礼な行動を取っており、カグヤとスケサンはその点を非難しているのだった。

だがこの談笑は、カグヤとスケサンの性格を知る者が聞けば、違和感を感じるようなものだった。

敵意が無い限り攻撃的な態度を取らない温厚なカグヤとスケサンの言葉にしては少々棘があり過ぎたからである。


実は、カグヤとスケサンが棘がある言葉を使ってこのような談笑をしていたのには、理由があった。


それは、談笑しながらカグヤとスケサンがチラチラと様子を伺っている相手。

マイマイの様子が先程からおかしかったからである。

具体的に表現すると、マイマイは両手を股の間に挟み、ジーっと下の方を見つめたまま動こうとしなかったのだ。

そのため、カグヤとスケサンは先程の二人の行動がマイマイの気分を害したのではないかと思い、マイマイの気分が少しでも晴れるように、あえて二人を酷評していたのだった。


では、そんなマイマイの心の中を覗いてみると…


(やばいよこれ、本気でおトイレ行きたくなってきたよ!?どうしよう~)


という感じで、カグヤやスケサンが思っているものとはまったく別のものだった。

マイマイ達は、ファイ一郎を何度も降下させ、ウォルフル達から入手した道筋を確認しながら進んでいた。

その結果、ファイ一郎は全速力で飛ぶことが出来ず、かなりの時間を費やすことになり、ついにマイマイの膀胱に黄色信号が灯ってしまったのである。


(おかしいよな、リアルだったら、このぐらいの時間でおトイレに行きたくなることなんて今まで無かったのに…

 いつもと違って、全然我慢が利かないんだけど。

 逆に考えるんだ、ゲーム内だから、漏らしちゃっても、おトイレに行っても、リアル視点から見れば何の関係も無いから、漏らしちゃってもいいんだ!!

 って考えようとしたけど無理!

 このままファイ一郎の背中で漏らしちゃったら、自分の中の大切な何かが崩壊する自信があるね!

 くそっ、やっぱり面倒くさがらずに、さっきの二人を森の中まで追いかけて、墜落から助けたことを恩に着せて、街の方角を聞けばよかった!!)


マイマイの本当の体はリアルにあり、今回のログインまで実際に使ったことが無かったものの、トイレの問題もクリアできる仕組みになっていた。

だから、ゲーム内のトイレに行こうが、木陰等のトイレ以外でしてしまおうが、漏らそうが、リアル視点から何の問題も無い筈である。

ところが、マイマイはどうしても、トイレ以外の木陰等でしたり、漏らしたりする気にはならなかったのだった。

何故か、木陰でしようと決意しようとすると、感情の制御が利かない子供がぐずる様な…

まるで、自分の中に自分以外の誰か、子供が心の中に住んでいるように、感情の波が心の底から押し寄せ、自分という理性を揉みくちゃにしてしまうのだった。


そのためトイレに行きたくなってきたマイマイは、先程見かけた件のパーティに街の方角を聞き、一気に街へと到達することを考えた。

しかし声を掛けたところ、何故か森の中に逃げられてしまったため、諦めたのだった。


(早く!早く街にたどりついて!!

 今はまだ耐えられるけど、このまま行ったら本気で危なくなってくるかも!!)


マイマイは、街への到達を必死に祈る。

すると運がいいことに、森の中にポツンとある沼の近くに、ひしめき合うように建つ集落が見えてきた。


「マイマイ姫様、前方に小さな集落があります。

 あれは恐らく、ステイシスの報告書にあった、街道の出口にあるアーダンの村です。

 つまり、我々はイシス辺境伯領に入ったことになります」


少し嬉しそうな様子でカグヤが報告してくる。

アーダンの村にたどり着いたということは、目的地であるイシス辺境伯領に入ったことを意味するからだ。


「ねえカグヤ、あの集落に降りたいんだけど?」


それを受けてマイマイは、カグヤにアーダンの村に寄りたいという要望を伝えることにした。

この村を逃したら、何分後にどこでトイレに寄れるか見当がつかないからである。


「お言葉ですが、あの集落は『目印になる』という意味以上の価値はないかと思いますが」


しかしカグヤからすれば、意味のある寄り道には思えなかったのだろう。

少し首を傾げつつも、冷静にアーダンの村の役割について説明してきた。


(おトイレを借りたいからなの!ってここまで出かけているのに、やっぱり恥ずかしくて言えないよ!!)


マイマイが、カグヤに「おトイレを借りたいから」と伝えればそれで意味が通じる話である。

ところが、マイマイはトイレが行きたくなった辺りから何度も「おトイレに行きたいから、おトイレ借りれそうな場所があったら下に降りて」と言おうとしたのだが、何故か言おうとする度に恥ずかしくなり、何も言うことができなかったのである。


(今までリアルでおトイレ行きたいって言うのを恥ずかしがることなんて無かったのに、どうしてこんなに恥ずかしくなるの!?

 言った後のカグヤとスケサンの顔を思い浮かべるだけで…あうあうあうあうあう…)


トイレに行きたいと言ったら、カグヤとスケサンがどんな顔をするのだろうか?

それを思い浮かべるだけで、マイマイは顔から火が出そうになる。


(こんなことで恥じらいを感じるなんて、これじゃまるで本物の女の子みたいじゃないか!)


そんな自分の様子が、まるで恥じらいを感じる女の子みたいで情けないと、マイマイは自分自身を叱咤する。

そして、勇気を出してカグヤにトイレに行きたいと伝えることにした。


「カグヤにとってはそうかもしれない」


しっかりと意思表示するために、カグヤの目を見て話し始めるマイマイ。


「だけど、おト…」


「おと?」


しっかり聞き取ろうとしているのだろう、マイマイの横に座るカグヤが、自分の席から少し身を乗り出してくる。


(やっぱり恥ずかしくて言えないよ!!)


「おととい…突然アーダンの村に行かないといけないと思ったんだ!!これは命令だから、早く降りて!!」


カグヤの顔が近づいたという事実が、マイマイの恥ずかしさを助長させ決意を鈍らしてしまう。

明らかに『今考えました、適当に言ってます』と言わんばかりに、マイマイはしどろもどろになりながら、理由を説明せずに強引に命令を出してしまった。


「了解いたしました、ファイ一郎、あの村に着陸です!」


色々と無茶苦茶な命令だが、忠誠心の成せる業だろうか。

カグヤは全ての疑問を封じ込めたように表情を切り替え、驚くほど素早く命令を実行に移してくれた。


(ごめんねカグヤ)


お世辞にも、まともとは言えない命令を出したことに、マイマイが心の中でカグヤに謝る。


「マイマイ姫様、沼に降ります。

 ファイ一郎、沼に着陸です」


「ガルルルルーーー!!」


そんなマイマイの謝罪に『気にしていない』と答えるかのように、カグヤは報告しながら笑顔を作ると、ファイ一郎に着陸場所の指示を出す。

カグヤの命令を受けたファイ一郎は、大きく吼えると、一気に高度を落とし始めた。

そして、減速しつつ村の周りを三周すると、ザブンと音を立て、沼に降り立った。

ファイ一郎の体は大きく、沼以外に降りると物を壊してしまう上に、ゆっくり減速しないと、ファイ一郎が起こした風で集落を吹き飛ばしてしまうからである。


「ファイ一郎と皆はちょっとそこで待ってて!」


「姫!?」


マイマイはいきなり大声でファイ一郎とスケサン達に命令を出すと、ファイ一郎から飛ぶように降りる。

突然の行動に、スケサンがマイマイを呼ぶが、マイマイはそれを無視して村へと突き進んだ。

スケサンについて来られると、トイレを我慢していたことがばれてしまうからだった。


(あの家が一番大きそうだな!)


そして、集落の中で一番大きそうな家の玄関に駆け寄った。

何となくではあるが、一番まともなトイレがありそうだと思ったからである。


「ごめんくださーい!!」


大声で、家の中に居るであろう住人に声をかける。





「あれれ?」


ところが、家の中からは、返事どころか、まったく物音が聞こえてこなかった。


「留守かな、じゃあこっちだ!」


マイマイは、最初の家を諦め、隣の家の玄関に飛びつく。


「すいませーん!!誰かいますかーー!?」




ところが、その家からも何の反応も無かった。


「また留守!?今度はあっちだ!!」




そして…


「なんで!!なんでどこも留守なの!?」


それはどの家でも同じだった。

村には八軒の家があったが、その全てから何の反応も無い事態にマイマイは焦り始める。


「もしかして、隠れているんですか!?

 角とか生えてますけど、別に怪しい者とかじゃないんです!!!

 ちょっと他とは違うことと言えば、ご先祖様がエントール魔王だったり、私が世界建設ギルドのギルド長を務めていたりするぐらいで、それ以外はいたって普通の魔族なんです!」


マイマイは焦り、自分が怪しいものではないと主張しながら、ドンドンと玄関のドアを叩く。

だが、やはりどの家も本当に人が居ないのだろう。

誰も出てくる気配が無かった。


(本当に誰も居ないんだ。

 こうなったら、仕方が無い)


「本当に誰も居ないのだったら、勝手に入りますよ!!」


そのため、マイマイは勝手にトイレを借りることにする。

万が一、住民や衛兵に見つかったら、不法侵入扱いされ、最悪の場合だと攻撃されかねない行為である。


(おトイレにどうしても行きたいし、間違って入りましたとか言い訳すれば、きっと何とかなるさ)


だが、この時のマイマイの心は『トイレに行きたい>危険性』となってしまっていた。

マイマイは、ドアについた輪っか状の取っ手を手に取り、ドアをぐっと押す。


「あれ?」


ところが、ドアはまったく動かない。


「あっ逆か!」


そのため、逆だと思ったマイマイは、ドアを引くが…


「あれ?なんで!?」


それでもドアはビクともしなかった。


「鍵がかかっているのか!?なら『鍵開錠 通常型 LV13』」


そのため、鍵がかかっていると思ったマイマイは、鍵を解除する魔法をかける。

もはや、完全に不法侵入である。

因みに、盗賊業や迷宮探索を生業にしているプレイヤーならマイマイの使った魔法は「やっとビギナーから抜け出したかな?」と評する程度の魔法だったが、召還術士であるマイマイにとっては、覚えている中で最も強力な開錠魔法だった。


「なんで、なんで、なんでなんでなんでなんで開かないの!?

 レベルが足りないのかな、どうしてこんな普通の村に、迷宮並みの鍵が!?」


しかし、それでもドアはビクともしなかった。

普通の民家でも鍵がかかっていることは良くあることだが、通常の場合、低レベルの鍵が設置されているものだった。

特に、今回のような田舎にある普通の民家だった場合、最低レベルの鍵か、鍵がまったく掛かっていないかのどちらかであることが常であり、マイマイの魔法で十分開錠できるはずだった。

つまり、魔法を使っても鍵が開かないという今の状況は、マイマイの経験上ありえない事態だった。

そんな想定外の事態に、マイマイの冷静さは坂を転がり落ちるかのごとく減少していく。


「そんな、せっかく村を見つけたと思ったのに、なんでこうなるの!!」


しかも、上げて落とされるという、人間が最も絶望するパターンがセットになっているのである。

マイマイの冷静さがゼロになるのは時間の問題であり、それはあっという間に訪れた。


「お願いだから開いてよ!!

 この村を逃したら、本当に漏れちゃうかもしれないんだよ!!

 必死に頑張って、あと一時間持つかどうかって状態なんです!!!!」


ついに半泣きになってしまったマイマイは、ドアを滅茶苦茶に叩きながら叫んでしまう。

何とも滑稽な光景だが、マイマイにとっては必死であり、見た目に拘っている場合ではなかった。

だが、マイマイはそこに第三者が居ることを完全に忘れていた。



「マイマイ姫様?」


カグヤの冷静な声が、マイマイの耳に入ってくる。

マイマイが涙目のまま振り返ると、まるで母親と父親が自分の赤ちゃんを見るような、そんな物凄く優しい顔をしたカグヤとスケサンが立っていた。

どうやら、勝手にマイマイを追いかけてきたようである。


(しまったーーーーー!!思わず漏れそうだってばらしちゃったー!?)


カグヤとスケサンの優しい顔を見た瞬間、マイマイは自分の失敗に気がつく。

そしてそれと同時に、マイマイの頭の中を羞恥心が塗りつぶし始めた。


(それに、なんで私はこんな行動を!?)


しかし、その羞恥心がマイマイの頭をスーと冷めさせ、冷静さを取り戻させた。

羞恥心を感じるということは、他者からの視点を意識するということであり。

他者の視点を意識するということは、自分を客観的に見るということだったからだ。


(トイレに行けなかっただけで、半泣きになって、ドアを滅茶苦茶に叩くとか。

 リアルでは子供なんてとっくに卒業している私にとって、ありえん行動だろう。

 いったい、いつから私はこんな豆腐メンタルに!?

 『世界建設ギルドのギルド長、トイレに行きたいだけで半泣きになる』って晒し者にされてもおかしくない行動だろこれ!!

 あれ?そういえば私、トイレがおトイレになってたよ!?)


羞恥心によってマイマイは冷静に考えることができるようになったが、その冷静さは諸刃の刃だった。


(今の私、色々な意味で恥ずかしすぎるだろ!!!

 何だよこれ、何故こんな訳の分からない事態に!!)


冷静になったことで、自分のありとあらゆる行動が恥ずかしいものになっていたと気がついてしまったマイマイは、その場でゴロゴロと転がりたい気持ちになる。

しかし、マイマイは天に見放されているのだろうか、そこに更なる衝撃が加えられた。


「マイマイ姫様、これは引き戸でございます」


ガラガラガラガラッ


カグヤの言葉に合わせてスケサンが取っ手を持って横に引くと、音を立ててドアがスライドし、これまでが嘘のようにドアが開いたのである。

どうやらこの集落の家の玄関は、日本建築の玄関と同じく全て引き戸となっているようだった。




カタカタカタカタ…


マイマイは、人間ここまで顔を赤くすることができるのだろうか?

と疑問に思うほど顔を真っ赤にしながら、カタカタと小刻みに震えだす。


「トイレに行きたいのなら、焦るのも仕方の無いことでござるよ。

 拙者やカグヤ殿は、トイレに行きたくて半泣きになるような子供っぽいところも含めて、姫のことが大好きでござるよ。

 だから気にしなくていいでござる!」


そんなマイマイに気を使ったのだろう。

スケサンが優しい口調で語りながら、肩をポンポンと叩く。

だが、今のマイマイにとってそれは、止めを刺す行為だった。








「もう私を構わないでーーーーーー!!」


漫画的な表現で例えるのなら、マイマイの頭からボンッと爆発音が聞こえ煙が出るような状態だろう。

マイマイは、真っ赤な顔を両手で隠したまま、家の中に飛び込んでいってしまった。

もはやマイマイの心のHPはゼロになってしまったのである。



マイマイの意外な?行動に、カグヤとスケサンは一瞬固まり、お互い見詰め合ってしまう。


「「ハッ!!」」


しかし、何が起きたか理解すると、大慌てで二人も家に飛び込んでいったのだった。


「姫!!一人では危ないでござる!」


「マイマイ姫様、お待ちを!」



----------



マイマイに続いて、カグヤとスケサンが家に飛び込んできたが、マイマイはそれを無視する。

そして、家の中のドアに手をかけた。


「ここか?」


ガラッ


「ここかなぁ!?」


ガチャ


「こっちもいいな!」


ガチャリ


おかしなテンションで適当にドアを開けまくるマイマイ。

一応マイマイはトイレを探しているはずなのだが、ドアを開ける様子は雑であり、適当そのものである。


(恥ずかし!恥ずかし!恥ずかしいい!!)


それは、マイマイの行動は、トイレを探すという当初の目的を忘れ、照れ隠しが目的になってしまっていたからだった。

そのため、明らかにトイレのドアとは思えない押入れまでも、気にせず開けまくってしまう。

だが、決して大きくない家である、あっという間にそれらしい雰囲気のドアにたどり着くことができた。


「ここだ!


 トイレ発見んん!?




 な、なにこれ…」


歓喜の表情でトイレのドアを開けたマイマイだったが、開けた瞬間表情が固まり、そして後ずさってしまう。

マイマイからは、先程までのおかしなテンションが完全に消え去っていた。


「マイマイ姫様!?これは…」


その様子に気がついたのだろう、カグヤがマイマイのすぐ後ろにやってくる。

だが、カグヤも絶句してしまう。


二人が絶句した理由。

それはとても女性としては容認できない程酷い、トイレの惨状だった。


トイレと思わしき所には穴が開いているだけであり、明らかに水洗化されていなかった。

それだけなら、百歩譲ってまだ許せる。

問題はトイレの不衛生さだった。

トイレからは耐え難いほどの悪臭が漂い、ハエのような虫が飛び回っていた。

そして何より、穴の近辺は表現し難い不衛生さがあったからだ。


「メイドとして、とてもこんな所にマイマイ姫様を入れる訳には行きません」


「わ、私もこんな所に入るぐらいなら、もう少し我慢するよ、うん。

 多分あと50分ぐらいは持つ、多分」


不衛生な臭気を振り切るかのごとく、二人は回れ右して家から飛び出す。

正直に言って、一分一秒もあの場に居たくないというのが二人の本音だったからだ。


「姫、いったいどうしたでござるか」


不思議そうな顔をしたスケサンが、家から飛び出した事情を聞いてくるが、マイマイにはそれに答える余裕が無かった。


(何だか、思い出しただけで身震いしてきた)


家の外に出たものの、あまりの惨状を思い出すだけで身震いしてきたからである。

ブルブルと身震いするマイマイは、これではいけないと思いつつも、トイレを探す意欲が減退する。

しかも、先程の惨状を思い出すたびに、子供がぐるずような感情の波がまたマイマイを揺さぶり始め、より一層意欲を奪っていった。

だが、あの惨状を見たもう一人、カグヤは違うようだった。


「マイマイ姫様」


「どうしたの?」


「マイマイ姫様の限界が訪れる前に、まともなトイレを見つけ出すよう全力を尽くします。

 そのために、これから私とスケサンはマイマイ姫様の下を離れ、スケサンは時計回りに、私は反時計回りに集落を回ってトイレを探すことにします、よろしいですね?」


カグヤの進言は、カグヤとスケサンの二人で各家のトイレを探してくる、というものだった。


「わかったお願い」


マイマイにとって断る理由が無いため、すぐに許可を出すが、自分の名前が無いことに気がついた。


「あのっ私は!?」


「マイマイ姫様は、動かないほうがお体のためかと」


「あうっ」


暗に「下手に動いたら、漏れてしまうかも知れませんよ?」と指摘されたことに、また恥ずかしさが沸々と湧き上がってくる。

だが、既に散々恥をかいたので、マイマイは何とか冷静さを保つことに成功した。


(マイマイは冷静さのレベルが上がった!!って喜ぶ場所なのかもしれないけど、何だか穢れちゃった気がする…)


そのことが良かったのか悪かったのか、何とも複雑な気分にマイマイは悩んでしまう。

(ここは「そんな恥ずかしいこと言わないで」って恥ずかしがった方が良かったのかなあ。

 でも私は男だし、冷静に受け止めるのが正しい訳であって、穢れちゃったと感じるのは本来はおかしい訳で…)

カグヤとスケサンが頑張ってくれているのに、当の本人は、とりとめのないことを考えるという失礼なことをするマイマイ。

だが、待ち時間を潰すという意味ではちょうど良かったようだ。

マイマイが悩んでいる1、2分の間に、カグヤとスケサンは全ての家を調べ終わってしまった。


「マイマイ姫様、この村でトイレを借りるのは無理です」


結局、多少の差はあるとはいえ、どれもこれも酷い有様だったのだろう。

カグヤがキッパリと無理だと言い切る。


「分かった」


「そこでなのですが、マイマイ姫様、先程50分ぐらい我慢できそうという話でしたが、それは間違いありませんか?ご提案があります」


カグヤが、私にいい腹案がある。

といった表情でマイマイに聞く。


「えっと、うん、多分大丈夫だと思う」


マイマイはどういった腹案があるのか検討もつかなかったが、聞かない理由が無いため素直に頷いた。


「それなら、イシス辺境伯領の領都、イスペリオンに向かうのが良いかと思います。

 行商の足ですら、ここから半日もかからない距離にあります。

 ファイ一郎が全速で飛ばせば、10分程度で着く可能性があります」


カグヤから発せられた言葉は衝撃的な内容だった。

そんな近くに大きな町があるのなら、最初からそこに行けば良かったからだ。


「ちょっと!!何で教えてくれなかったの!?」


そのため、マイマイは悲鳴を上げるが、カグヤからの返事は残酷なものだった。


「この村に下りた際には、マイマイ姫様の目的が分からなかったものですから…」


困った様子でカグヤが弁明する。


「また私の自爆か!」


原因は完全にマイマイ自身にあった。

恥ずかしがらずに、しっかりとカグヤに伝えれば、こんな無駄な時間を過ごすことが無かったのだった。


「とにかく、まだ時間の余裕がありますので、イスペリオンに向かいましょう。

 ですが、イスペリオンが見つからない等の問題が発生した場合は、お覚悟を」


茂みを指差し、カグヤが言う。


「わ、わかった」


最悪の手段ではあるが、他に道は無い。

マイマイは、不承不承といった感じで頷くのだった。


「それじゃ、カグヤ!スケサン!もうここには用は無いから出発!!」


「承知いたしました」


カグヤの判断を承認したマイマイは、早速出発することを決定する。

だが、ファイ一郎の背中に飛び乗ろうとしたところで、スケサンの返事が来ていないことに気がついた。


「スケサンどこ?」


マイマイがスケサンを探すと、スケサンは少し離れた村の入り口で地面を見つめていた。


「スケサン!?そこで、何しているの?」


スケサンの行動を不思議に思ったマイマイは、地面をホバリングしながら近づき尋ねる。


「姫、これを見てほしいでござる」


スケサンは右手で顎を触りながら、左手で地面に残った引きずるような形をした窪みを指差した。


「この特徴的な足跡は、アンデット系、それもゾンビ系の奴らが侵入したようでござるな。

 数は恐らく四体。

 これらから逃れるために、村人は村を一時放棄した、というところでござろうか」


スケサンは、地面にある引きずる様な形をした窪みが足跡だと看破し、この村に人が居ない理由を推理したようだった。


(なるほど、これは何かのイベントかもしれないな。

 本来ならば、イベントの兆候を掴んだスケサンを褒めるべきなのだが…

 ごめんね、今はそれよりトイレ探すのが先なの!)


スケサンの見つけたものは、明らかにイベントの兆候だった。

マイマイの経験上、この足跡を調べていけば、新たなイベントが発生するはずである。

だが残念なことに、今はイベントを楽しんでいる場合ではなかった。


「スケサンGJ!でも今は私がピンチだから急いで!!」


親指を立て、マイマイはスケサンを褒めるが、同時に推理を切り上げるよう指示を出す。

そして、スケサンの答えを聞かずに、ホバリングから飛行へと切り替え、上昇を開始した。


「これは、申し訳ないでござる」


それを見たスケサンは、少し慌てた様子で上昇するマイマイに頭を下げる。

そして、地面に屈みこんだかと思うと、今度は反発するバネのようにジャンプして、ファイ一郎の背中に飛び移ったのだった。


(スケサン、急いでくれるのは嬉しいけど、何もそこまで急がなくても)


戦闘時並のスピードで追い越していったスケサンにマイマイは呆れるが、これは仕方のないことだった。

マイマイ本人は自覚していないようだが、スケサンに『GJ!』褒めていた時のマイマイの行動に問題があったからだ。


マイマイは、トイレを我慢していることを表に出さないように努力していたが、それでも行動や言葉にどうしても焦りが表れてしまっていた。

例えば、口調が強くなり、スケサンの答えを聞かずに上昇するといった所にである。

そのため、それをスケサンが感じ取り、スケサン自身まで焦ってしまったのだった。


「全員揃いましたね、ファイ一郎、大至急私の指示に従ってイスペリオンに向かうのです。

 全速力です、わかりましたね?」


カグヤは全員がファイ一郎の背中に乗ったことを確認すると、有無を言わさない強い口調でファイ一郎に命令する。

実はカグヤもまた、マイマイが焦っていることを感じ取っていたのである。



「グアーーー?」


ところが、ファイ一郎の鳴き声は、ファイ一郎の言葉が分からないマイマイですら(緊張感の無い声だなあ)と思う程のものだった。

どうやら、沼でボーっと鳥や空を見ていたファイ一郎は、マイマイの事情をまったく知らなかったのである。


しかし、本人に瑕疵や自覚が無いとはいえ、社会では不用意な発言が時に不幸を呼び込むものである。

この時のファイ一郎もそうだった。


「全速力で飛ぶと疲れる?

 そんな事を言って、マイマイ姫様が『漏らしてしまう』という恥をかくことになったらどう責任を取る気ですか!!!

 家臣なら死ぬ気で急ぎなさい!!

 少しでも手を抜いたら、あなたの首を切り落としますよ!!」


「ガルーーーー!?」


(ひゃっ)


赤いファイ一郎が青くなるのでは?

と思ってしまうほどの剣幕でカグヤがファイ一郎を怒る。


「ガルッガルッ」


事実怖かったのだろう、ファイ一郎は必死に羽根を動かすと、村からあっという間に飛び立った。


「ファイ一郎その調子です!」


元々空を飛ぶことがそれほど得意ではないファイアードラゴンという種であり、更に他に例を見ない巨体ということで、ファイ一郎は離陸が若干苦手だった。

だが、この時のファイ一郎は必死だったのだろう。

驚くほどスムーズに離陸する。


その様子を見て、カグヤも少しは安心したらしい。

笑顔でファイ一郎を褒めると、マイマイが満足しているか確認しようと、マイマイの顔色を窺ってきた。


「マイマイ姫様、これなら直ぐに大きな町が見つかりそうです」


本来ならば、マイマイはそれに笑顔で答えるべきである。

そうしないと、ファイ一郎が努力不足だとカグヤに怒られてしまい、可哀想だからである。

だが…


カタカタカタカタ…


マイマイの体は、カタカタと震えマイマイの意思では止めることができなかった。


「マイマイ姫様!?

 申し訳ありません、また漏らすという言葉を使い、お恥ずかしい思いをさせてしまいました。

 ですが、ご容赦を。

 一刻も早くマイマイ姫様をトイレに連れて行くためには、あのようにファイ一郎に言い聞かすのが一番良いのです。

 ファイ一郎はこう見えても、精神年齢が人族で言うところの一桁ですから」


カグヤは、マイマイの震えを、先ほどと同じく羞恥によるものだと思ったのだろう、理由を説明し頭を下げる。


「えっと…あの…」


だがマイマイは、それにも、まともな答えを返すことができなかった。

それはカグヤの謝罪は的外れだったからである。


(カグヤ怖い…まさかあんなに綺麗で瀟洒で、誰にでも優しいはずのカグヤにこんな一面があったなんて。

 確かに言葉はとにかく、ファイ一郎を怒る様子もどこか優雅で、いつもの仕事の延長線上として怒っているって雰囲気なんだけど、だからこそ底知れぬ怖さがあるというか…

 必要があれば、もっと怖いことも仕事として割り切ってやってしまいそうというか…

 ファイ一郎が怒られているのに、傍から見ているだけで怖かったよ!)


実はマイマイが震えていたのは、羞恥でもトイレに行きたいからでもなく、カグヤに怯えていたからだった。

特に「首を切り落としますよ!!」という言葉を発した際の迫力は、傍から見ているだけのマイマイが恐怖を感じる程だったのである。


青い顔をしてカタカタと震えているマイマイを見て、カグヤは目を見開く。


「ファイ一郎!!マイマイ姫様が苦しんでいらっしゃいます!!!

 もっと急ぐのです!!」


「ガルーーーー!!」


マイマイの震えは羞恥ではなく、限界が近いことによるものだと勘違いをしたカグヤは、更にファイ一郎を怒鳴りつけると同時に、足元、つまりファイ一路の背中を強く蹴り飛ばす。

カグヤのマイマイを思っての行動だったが、それを見たマイマイの体は更にカタカタと震え出してしまう。


(やばい、カグヤが怖すぎて漏らしそう)


今日は完全に天に見放されているのだろうか。

予想外のところでピンチに陥るマイマイだったが、どうやら完全には見放されていなかったようだ。

数分後、希望がマイマイの目に前に現れたからである。






「ガウッ!!ガウーーーッ!!」


ファイ一郎は、カグヤに急かされ、これまでの実に三倍以上の速度で飛び続ける。

そのため、景色がこれまでと比べて、早送りしているように変わって行く。

あっという間に、森が視界の大半を占めるアーダンの村が後方に消え、森がどんどん疎らになり、その間を畑が埋めるようになっていく。

そして、小高い丘を飛び越えたところで、一気に景色が変わった。

広がる平地にびっしりと敷き詰められた畑、視界を横断するように流れる、キラキラと光る大河。

更に、その大河が大きくコの字型に湾曲した部分の内側に、城壁に守られた大きな街が見えてきた。


「イシス辺境伯爵領の領都、イスペリオンです!」


カグヤの怒りと、ファイ一郎の努力のおかげで、ついにまともなトイレがありそうな街が、マイマイの前に姿を現した瞬間だった。


「あの規模の街なら、まともなトイレがありそうでござるな」


「そうですね。

 ですが、マイマイ姫様の負担を考えると、先のように幾つもの家を回る余裕などありません。

 一回でしっかりとしたトイレを探し当てるべきです」


「カグヤ殿、それならあの城、いや、砦でトイレを借りるのはどうでござる?」


スケサンが指差した先には、街の更に先。

街から大河に飛び出すように作られた砦があった。


「なるほど、あそこならファイ一郎が降りるのに十分なスペースもあります」


砦は正方形の壁に囲まれ、その壁の四隅には一本づつ塔が建っていた。

そして、その砦の横には、破壊神国の制空基地を小さくしたような石畳の滑走路のようなものがあり、今まさに一匹の灰色の飛竜が降り立とうとしていた。


(あの形は空港か)


それは、プレイヤーの間では空港と呼ばれている場所だった。

その名の通り、飛行機の類が降り立つところだが、エバー物語では実際に飛行機が降り立つことはあまりなかった。

それは、エバー物語では飛行機より、飛行艇やドラゴンを始めとした飛行可能な生き物がプレイヤーの足になっていたからである。

つまり、城の横に設けられた空港は、マイマイのようにドラゴンでイスペリオンに立ち寄ったプレイヤーの玄関口だったのである。


「マイマイ姫様?よろしいですか」


(砦は空港に近いし、基本的に、城や砦には公共スペースがあるから、そこのトイレを使わしてもらおう!!

 他のプレイヤーと意図せぬ接触が無いとは言えないけど、空港はNPCも使うし、現に飛竜も降り立っているから、NPCの乗り物に紛れちゃえば目立たないはず!!!


 それに、カグヤに逆らったら怖いし)


「いいよ!あの空港に降りよう!」


「了解しました。

 ファイ一郎、あの飛行場の滑走路に緊急着陸してください。

 常識的に考えて大丈夫な筈ですが、万が一、物が壊れるといったトラブルが発生しても、修理する用意があります。

 ですが、あなたより小さいドラゴンが居るようですから、間違えて踏み潰さないように気をつけてくださいね。

 物と違って流石に厄介です。

 もちろん、人も絶対に踏み潰したらいけませんよ」


「ガウッ」


カグヤが命令すると同時に、ファイ一郎は飛行場に向けて高度を下げ始める。

それに伴い、視界に見える街は、マイマイの希望を表すかのごとく、どんどんと大きくなっていった。


しかし、この時のマイマイは、トイレを我慢することによる焦りと、それに伴う思慮の甘さ。

具体的には、ファイ一郎級の大きさの乗り物がいくつも存在した1000年前と今も事情が同じなのか?という爆弾を自分が抱えていることに、まったく気がついていなかった。


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