とある弟からのメール
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どうやら最近、弟には彼女が出来たらしい。
『姉ちゃん、俺、彼女の王子様役になった!』
弟から来る連絡が、モナにとって唯一の癒やしだった。
それは、今に始まったことではない。
貧しく哀れな幼少期も、苦しく辛い少女時代も、全て弟がいたからこそ、乗り越えられたことだった。
特に、彼が何かしてくれるわけではない。
ただ、彼が自分に『姉ちゃん』と笑いかけてくれるだけで、毎日頑張ろうと思えたのだ。
その夜、モナは明かりを落とした私室にて設置型情報端末で仕事をこなしていた。教師としての仕事を片付け終え、次に組織からの連絡を確認しようとした時だったのだ。
昼過ぎに届いていた弟からの短いメールに気付き、モナは苦笑する。
「彼女の王子様役って、なかなかロマンチックね」
仕事を後回しにして、モナは弟へと返事を打つ。
なんて書こうか。
浮かれている弟を持ち上げてあげるべきか。それともその恋愛が上手く行くように諭してあげるべきか。
画面の明かりが、彼女の穏やかに微笑む顔を青白く照らす。
長く青い髪と違った髪色を弟はしていたはず――ふと彼に似合っていないオレンジ色の鶏冠頭を思い浮かべたモナは、やんわりと後者よりの文面を思い浮かべていた。
当時、生まれの南部クオノールは差別意識が特に強い地域だった。
黒髪に近い青――紺色の髪。モナはまだしも、十歳近く離れた弟の髪は濃紺と呼ぶべき深い色彩。
そんな子供を産んだ母親は、あっという間に殺された。まだ弟も歩けないほど幼く、自分も子供と呼ぶべき年端。いきなり大勢の人が小さくもひもじい家に押しかけ来て、母親は悲鳴と共に真っ赤に染まっていった。
父親は、その光景を尻目に自分たちを連れて懸命に逃げた。そして、捕まりそうになった自分を庇って、呆気なく倒れた。代わりに弟を抱きかかえたモナは、子供ならではの小さな体躯だったからこそ、何とかゴミ捨て場の影に身を潜めて、逃げ延びた。この時初めて、栄養失調のために小柄で枯れ枝のような四肢で良かったと思ったことはなかった。
夜が明けて。朝が来ても、また夜は何度もやって来る。
夜泣きする弟を懸命に抱きしめながら、毎日ゴミ捨て場を漁って、その日の食べ物を探す毎日。弟のミルクもなければ、オムツもない。噛み砕いたモノを口移しであげて、トイレットパーパーを盗んではオムツに加工するような毎日。
それでも、モナは必死に弟を育てた。
だって、この赤子もいなくなってしまったら、本当に一人になってしまうから。
自分に残された、唯一の希望が弟だったから。
昔から、モナは本が好きだった。
自分が小さい頃から、どんな本でも読んで、どんな知識もどんどん吸収していった。
親が小さいながらも骨董品店を営んでいたという理由もある。
古い知識から、新しい知識まで、幅広く選ばず吸収した知識は、子供ながらに赤子を何とか成長させることを可能としてくれた。
だけど、その知識が足を引っ張ってしまう事態が訪れた。
それは、弟が五歳になろうとしている時期だった。ささやかながらに誕生日を祝おうと、モナが少しだけ弟から目を離して、拾い集めた僅かな小銭を手に、ケーキを買いに行ったのだ。
それは、小さなサプライズ。
ただ、可愛い弟に笑ってほしい――その一心だっただけ。
時間にして、ほんの十数分。その間に、弟は人買いに捕まってしまった。
同じような生活を送る人たちから情報を集めて、何とか売人の居場所を突き止めた。噂では、黒髪の子供はとある場所でそれなりの高値で取引されているという。ただでさえ邪険にされている存在。これ幸いと誘拐が流行っているというのだ。
何とか売り渡される前に、売人を見つけたモナ。だけど、彼女が持っているのは安いケーキ一切れだけ。とてもではないが、弟を買い戻すほどの価値はなく、大の男を相手に力技で勝てるわけがない。
まだ少女であるモナが持つものは、ただ一つ。
『私の身体を好きにしていいから、弟を返して下さい』
しかし、売人はせせら笑う。そんな貧相な身体に興味はないと、モナの全てを否定する。
だけど、モナはそんなことで心を砕いている場合ではなかった。
だって、このままでは唯一の希望が奪われてしまうのだから。
――他に、私の持っているものは……。
それを口にしたのは、本当にたまたま思いついただけだった。
『あなたが弟を売ろうとしている先は、政府ですか?』
『政府が異端の孤児を高値で買い取ってるというのか? お嬢ちゃん面白いこと言うねぇ』
売人の口角がこれ見よがしに釣り上がる。
モナとしては、ただの時間稼ぎにしかすぎなかった。弟を助け出す術を考えるための時間――そのため、今まで読んだあらゆる本から得た知識から、さらに自分が推測していた夢物語を口にする。
『以前から、不思議だったんです。どうして今のような平和な時代になっても、黒髪が意図的に差別され続けているのか。反政府組織という団体も近頃活躍しているようですが、それでもどうしてこんなにも順調にエクアが発展していっているのか。そこで、私は一つの仮説に辿り着いたのですが――』
不思議なことに、売人はモナの話を最後まで聞いてくれた。
今となっては、この売人が|それなりの知識があった《・・・・・・・・・・・》という幸運が重なった結果とも言える。
だけど、知識があり、それを発展させて自分で一つの結論を導き出していたモナと、その弟にとっては、不幸なだけだったのかもしれない。
『お嬢ちゃん、いいねぇ……その頭脳を、これから真の世界のために生かしてみる気はないかい?』
売人に手を繋がれていた弟は、ポケーッと指を咥えて立っていた。
何が起こっているのかまるでわからないといった顔で、ただモナの持っていた小さなケーキの箱を眺めているのみ。
そんな可愛い弟を見て、
『……今後の弟の生活を保証してくれるのなら』
モナは固い決意をする他に、選択肢はなかった。
その後、幹部候補生として入団させられたのは、反政府組織のメサイア。あの時語った仮説がまさか本当だったことに驚きつつも、しばらく弟と離れて暮らさなければならないことが、何より苦痛だった。だが、教団の教義を一通り身に付けるためだとか、また特別待遇が他の団員にバレないようにするために言われれば、モナに拒否権はない。ただでさえ、『弟は入団させない』という約束をしてもらったのだ。その上、自分と離れている間も彼の命は保証してくれるというのなら、ほんの数週間、我慢する他なかった。
そして、順調に教主まで出世して、今に至る。
弟は自分がただの教師だと信じたまま、極普通の学園生活を送っているのだ。
――このまま、彼さえ幸せになってくれるのなら。
その願いを込めて、モナは弟へメールをしたためていた。
その女性には特別優しくするように。急激に距離を縮めようとしないように。そしてやんわりと、もっと無難な髪型の方が似合うと思うと伝えて。
最後に劇の成功を祈る文面を書こうとした時、また弟からメールが届いた。
――こんな夜に、どうしたのかしら?
送信する前にそのメールを開いたモナは、思わず吹き出してしまう。
『やべーよ、姉ちゃん。彼女と身長差がおかしいからって、王子様役下ろされそうなんだけど』
彼の背が低いのは、幼少期の荒んだ生活のせいかもしれない。
だけど、それでも健康に育ってくれただけ、モナにとっては有り難いことだったから。
モナは今まで書いた文面を全部消して、こう書くことにする。
『頑張れ』
可愛い弟に、いつか本当の春が訪れることを願って。
それは弟の代わりに汚れたモナが送れる、最大限のエールだった。




