捨てられた可哀想な少年
◆ ◆ ◆
その少年は、悲しい別れをした経験が二回あった。
一度目は、貧しいながらも優しかった両親が他界してしまった時。
二度目は、見栄っ張りながらも優しかった兄が学校に通うと言い出した時だ。
『いいか――ここで、いい子で待っているんだぞ?』
まだ、親が亡くなって一年も経っていなかったと思う。
その時、兄は十歳で、自分は六歳。少年は同じスラムに住む遠縁の親戚に預けられることになった。
『どうしておれを置いていくの? おれのこと嫌いになっちゃったの⁉』
まだ幼かった少年は、リュックサック一つで旅立とうとする兄に縋り付いた。
もう二人しかいない家族なのに。もう頼れるのは兄ただ一人だけなのに。
兄は、エクアで優秀な生徒ばかりが集まる学園で、これから暮らすのだという。
このスラムで神童と呼ばれるほど頭が良いから、その能力を伸ばすために故郷を離れるのだというのだ。
ただ一人の、家族を置いて。
『嫌いになるわけなんてないじゃないか。ただ少しの間だけ、離れ離れになるだけだよ』
そう自分に微笑みかける兄は、もう以前までの兄ではなかった。
自分と同じ冴えないラクダ色の髪が、見るにも眩しい金髪に様変わりしていた。無邪気に弟の自分に対して優越感を抱いていた瞳が、もうどこか遠くの高みを目指してしまっていた。
『いやだ! おれも行く‼』
そう泣き叫びながらも、少年はわかっていた。
特待生として学費免除をフル活用して、兄は学園に通うのだ。学費と最低限の教材費は賄えるらしいが、生きていくためには寮費や食費や被服費など、かかるお金は多い。今後もトップを取り続けて進級するための勉強をしながら、それらの生活費を自分一人で賄うことすら至難の業だろう。
それなのに、さらに学園にまだ入れもしない弟の面倒など、どうやってみれようか。
だから、兄は顔をしかめて『ごめんな』と謝る。
『いつかたくさんのお金稼げるようになったら、必ずこっちに呼ぶから。それまで、おじさんとおばさんの言うこと、ちゃんと聞くんだぞ?』
『……いつかって、いつ?』
これも、少年はわかっていた。
兄の通う学園は十年制。つまりは、兄が社会人として働き出すのは十年後だ。
その時、自分はもう十六歳。今まで少年が生きていたよりも長い時間、兄と離れ離れなのだ。
わかっているのだ。正直、兄のプライドを保つために隠しているものの、自分もかなり知能は高いらしいのだ。
兄がどのような人生を歩もうとしているのか。
兄がどうして無理やり進学しようとしているのか。
わかっているのだ。
ただ、唯一わからないことは――。
――それは、おれよりも大事なことなの?
両親が死んでしまって、お互いが唯一の家族なのに。
お互いが唯一の存在なのに。
それなのに、兄は自分を捨てて、一人で行こうとしているのだ。
『本当に、ごめんな。わかってくれ』
『わかんない! わかんないわかんないわかんないよ‼』
少年がいくら泣き叫んでも、兄は謝るだけ。
未だに、賢い少年は兄のことだけがわからない。
兄がスラムを去って、しばらく経ったある日のこと。
必要最低限以外話さなくなった少年の元に、ある女がやって来た。
『こんにちは、ルイスさん』
胡散臭い女だな、と少年は思った。まだ十代後半といった若さに似つかない張り付いた笑みに、眠くなるほどゆったりとした話し方。油断すれば明日の食べ物を奪われてしまうようなスラムでは、まず生き残れなさそうな女。
その女の後ろから、少年の面倒を看てくれていたおじさんが言った。
『ルイス君。この方はね、カウンセラーをしている人なんだ。悩みがあるなら、話してみたらどうかな?』
『カウンセラー?』
少年は吐き捨てるように笑う。
『なに? おじさんはおれが病んでるとでも思ってんの? 別になるべく迷惑かけないように大人しくしているだけなんだけど?』
『先生……』
『大丈夫です。少しルイス君と二人でお出かけしても?』
そうして、その女に無理やり連れて来られたのは、ある地下組織のアジトだった。
胡散臭い――その第一印象は、まさに少年の勘が当たったと言える。
だけどガラス越しとはいえ、目の前で繰り広げられる奇跡の連続に、少年の目は釘付けだった。
人の手から、炎が放たれる。
手を薙ぎ払えば、疾風がコンクリートを打ち砕く。
足踏みすれば、宙に浮く。
それは、漫画や寓話の中でしかなかった夢物語のような光景。
ただ、難点をいえば――そうしたことを終えた途端、その人はみんな目や口から血を流し、次々と絶命していたことだ。
『なんなの、これ……?』
その感動かつ凄惨な光景を呆然と見つめながら少年が問うと、カウンセラーと言っていた女はアッサリと返答した。
『我々の研究の一種です。ルイス君、あなたは魔法に興味がありませんか?』
『まほう?』
『はい、神から人間が本来授けられるべきはずだった力です。エクアの民は、残念ながらその選抜に漏れてしまいましたが――我々は、後天的にその力を身につけられるよう、研究を重ねています』
『……どんどんみんな死んでるようだけど?』
少年が指差すと、女はイタズラがバレた時のような、年相応の笑みを向けてきた。
『まだ研究途中ですから。あ、でもほとんどが人造人間なので、あまり気に病まなくていいですよ』
――全部じゃないんだ。
胸中でそうツッコみながら少年が半眼を向けると、その女は言った。
『可哀想ですか?』
『まぁ、そりゃ……』
実験して、何の成果もなく死んで。子供心ながら、その光景を見せつけられて少年が何も思わないわけがない。そんな当然の感想に対して「あなたも可哀想な子供ですね」と女は表情一つ変えずに述べた。
それに、少年は激昂する。
『はぁ⁉ いきなりこんな場所連れてきて……おれをバカにしたかったのかよ⁉』
『そうですね……両親が亡くなって、お兄さんにも見捨てられて、一人で死んだように引きこもっている男の子なんて、バカにされても仕方ないのではないでしょうか』
『てめぇ……』
少年が女を殴ろうとするよりも早く――女の手が、少年の頭の上に乗せられた。その手が思ったよりも柔らかくて、あたたかくて、振り上げかけた少年の手が止まる。
『可哀想ではありますが、いつまで可哀想でいるつもりですか? 話によれば、もう三ヶ月以上あの部屋に閉じこもっていたみたいじゃないですか。それだけの時間があれば、色々なことが出来ますよ。子供のあなたが考えつく以上に、色々とね』
『な……何なんだよ、さっきから子供子供って……おれのことバカにしているのか⁉』
すると、女の手がゆっくりと動き出す。髪の毛に沿って、時に逆立てて、女性の手でゆっくりと撫でられたのは、久しぶりだった。それこそ、母親が死んで以来――だ。
その温もりに少年が言葉を無くしていると、女はまるで母親のようなあたたかい目を少年に向けた。
『一緒に、可哀想を脱却しませんか? 我々の仲間になれば、もしかしたら今見たような魔法の力を、あなたも使えるようになるかもしれません』
『……それは、おれに死ねと?』
『まさか――成功するまで、一緒に頑張ればいいんですよ。辛い時もあるでしょう。苦しい時もあるでしょう。でも、ここにいれば――少なくとも、私はずっと一緒にいますよ』
『ずっと?』
少年の疑問符に、女は当然とばかりに頷く。
『もちろんです。私たちが崇拝するメシア様は、理不尽な世の中に苦しむ者全員に、等しく救いの手を差し伸べてくれるのですから――』
そこまで話して、女は何かを思い出したかのようにクスッと笑う。
『でもそんな理屈置いておいて、私が勧誘したのにあとは放置って……それこそ無責任だと思いますけどね』
そして、女は少年の両手をあたたかい両手で包み込んだ。
『私はモナと申します。メシア様の元へ行く時まで、私と一緒にいてくれませんか?』
母のような、姉のような笑みから、少年は目を離せなかった。
それから、本当に辛いことや苦しいことは山程あった。
人体実験の実験体として、定期的に薬物投与がなされた。褐色髪の遺伝子には、魔法の素養があるというのだ。そのため、成長期の細胞分裂が阻害され、人並みに背や筋肉がつくことはなかった。
さらに、訓練と称して格闘技術や殺人方法などを身体を張って学ばされた。赤い鮮血を見るたびに最初は吐き気を催していたのものの、その感覚はいつしか簡単に麻痺していった。
同時に、戦術や人心掌握術なども含め、寝る間も惜しんで勉強させられた。だけど、それはどちらかといえば楽しい時間の一つでもあった。今までのスラム暮らしでは決して手に入らないような本が、読みたい放題なのだ。少年は食い入るように、あらゆる本という本を読み込んでいった。
だって、知識をつければつけるほど、撫でてもらえるのだから。
実験体としての成果があげられなかった分、成長しない身体では訓練にも限りがあった分、少年は懸命に知識を付けていくことに専念していった。
だって、何か成果を残せば残すほど、褒めてもらえるのだから。
自分に価値があると見せつければ見せるほど、そばにいてくれるのだから。
一人ではなくなるのだから。
反政府組織メサイア。
その教えとして、神に遣わされた救世主メシアのために仕え、その加護を頂戴するという大原則がある。
だけど、少年にとって、偶像にすぎないメシア様よりも、よほど自分に慈愛を与えてくれるモナこそが、独りになってしまった自分に手を差し伸べてくれた救世主のようだった。
たとえ、唯一の家族である兄に捨てられたとしても。
母のように愛してくれる彼女さえいればいいと、幼い少年はどんどん崇拝していったのだ。




