父か社長か旧友か
そんな紳士が大きく腕を広げている姿に対して、名前を呼ばれたメグは顔を青くしながら身を引いている。
「パパ……」
眉をしかめたその顔は、とても嫌そうだった。
けれど、パパだと叫ぶその男の赤い瞳は、嬉しそうに涙ぐんでいる。
「どうしたんだ、恥ずかしいのか? 大丈夫! あとでここにいる全員に、口止め料をたっぷり支払っておくから。安心してパパの腕に飛び込んでおいで‼」
「ここに誰もいないとしても、そんなことはしないから、パパこそ安心してさっさと帰って!」
きっぱりと断れた紳士は、悲しそうに俯いた。
「そうか……久しぶりの親子の再会だというのに、メグは嬉しくないんだね……」
「嬉しいか嬉しくないかと言われたら、手間が省けて嬉しいかな」
メグは娘として微妙な発言をして、ルキノの腕に自分の腕を絡ませる。
「パパ、紹介するね。彼が話していた、ルキノ君です」
「パパ、娘の彼氏なんて興味ないもん!」
ルキノが微笑を作って会釈をしようとするよりも早く、紳士は顔をぷいっと背けた。
その様子に、ユイは苦笑を漏らす。
――メグにそっくり。
子供っぽい仕草を、子供がやるか大人がやるかで、実際の受け入れは変わる。正直、大の大人がそんな仕草をしても気持ちが悪い。だけど、親子が並んで同じようなことをすれば、少し可愛いなと思えてしまう。
紳士は、クスクス笑うユイに注目した。
「もしや、あなたが噂のユイさんですか⁉」
「え?」
ユイの笑いが治まった瞬間、紳士に両手で手を握られる。どうにも、反応が早いオジサマである。
「いやぁ、メグから聞いていてねぇ。娘と仲良くしてくれて、どうもありがとう! なにぶん、僕に似て優秀すぎる娘だから、友達が出来ないんじゃないかとずっと心配していたのだよ!」
「はぁ……」
「あなたのこともちゃんと調査してあってだね。あのアバドン通信販売の一人娘だそうじゃないか。知らない人のいない大成功カンパニーの一人娘、ブライアンの娘と友達として相応しい! どうだい? これを機にアバドンとブライアンで手を組んで、何かプロジェクトを立ち上げてみないか?」
「……仕事のことは、全て母の一存で決めているので」
当たり障りのない答えを返しつつ、
――ブライアンの娘……?
ユイがメグを見やれば、ヤレヤレと呆れ顔をしているのみ。
ユイは半信半疑で確認する。
「あの……ブライアンって、あの食糧生産を一任されているブライアン社……ですよね?」
「もちろん、そうだとも! なんだい? あなたはそうと知らず、メグと仲良くしてくれていたのかい? いやぁ、若いねぇ。利益にとらわれず友達を選ぶなんて。でも、大丈夫! 君は幸運にも、友達選びには成功したんだ! だから、この幸運を互いの利益にするために――」
メグの父親がペラペラと喋っていたが、ユイの耳には入らなかった。
自分は、本当に彼女のことを何も、知らなかったのだ。
そんな、エクア随一の令嬢だなんてこと、知らなかった。お互いエクラディア学園の風習に従い、家のことはほとんど話さなかった。
それでも、自分はたまに仕送りのお裾分けなどで、メグに話していたこともある。だけど、言われてみれば確かに、メグから親の話など聞いたことがなかった。
しかし、彼女は知っていたのかもしれない。
自分の生い立ちを知った上で、仲良くしていたのかもしれない。
初めから、自分を利用するために、仲良くしていたのかもしれない。
――だから、簡単に友達の好きな人、奪えるのよね。
きっと、天秤にかけられたのだ。
通信販売会社の女友達か、将来有望な彼氏か。もしかしたら、ルキノもどこかのお坊ちゃんなのかもしれない。
――まぁ、確かにそれっぽいわよね。
ユイは、ルキノを見て笑う。
いつもより、ボサボサの髪。崩れた格好の彼は、それでもやはり輝いてみえた。どんな姿であろうとも、彼はとてもカッコいい。
そんなルキノが、ユイと目を合わせてくる。彼は、真顔で首を少し傾げてきた。それに、ユイは小さく首を振る。
その時だ。
「エクアージュよ、いつまで無駄話をしているつもりなのだ?」
荷物の上で、座禅を崩して胡坐を掻いていたナナシが、つまらなそうに言い放った。すると、メグの父親はユイの手を離し、ワナワナと震えながらナナシを指す。
「お前は……死んだはずじゃ……」
「死んでようが死んでなかろうが、私は今、ここにいる。それが全てだ」
ナナシは荷物から降りて、ユイの前に立つ。身長差もあり、ナナシはメグの父親を完全に見下していた。
「今は、大事な実習中だ。貴様も軍の関係者であるとはいえ、生徒の学びの場を侵害するなら、私は容赦せんぞ?」
「なんだお前、教師をしているのか?」
「さよう。何か異論あるか?」
「いや……僕がお前に勝てたことなど、一度もないからね」
すると、メグの父親は身を引き、
「どういう形であれ、お前が生きていて良かったよ。良ければ、あとで酒でも飲まないか?」
「貴様に費やす無駄な時間を、私は持ち合わせておらん」
「そう言われると思ったよ」
淡々と冷酷に答えるナナシに苦笑して、メグの父親は踵を返す。
「メグ、今回の戦場で、我が社の試作品が使われる。あとでお前も、会議に顔を出しなさい」
「……わかりました」
そう答えるメグの顔は、悲しげに視線が落ちているも、完全に状況について行けないユイはまるで気付くことはなかった。
スラムの夜空に、星が映し出されることはない。
マナを無限に汲み上げている施設の近くとはいえ、そんな無駄なマナを費やすくらいなら、首都に少しでも多くの光を灯すだろうことを選ぶ――エクアとは、そういう世界である。
カーテンも掛かっていない窓を開けても、心地よい風が吹くこともない。だけど砂嵐が止んで、窓を開けられるだけマシというものだ。
これで、多少は電波が良くなるかと思ったユイだったのだが、
「おかしいなぁ……やっぱり、ジャミングでもかかってるのかな?」
狭い一室。窓の下のベッドに身体を横たえながら、ユイは小型通信機をいじっていた。
本来ならば、やはり数人で同室を使わなければならないのだが、ユイは一人。
理由は一つ。誰も、ユイと一緒の部屋を許容する者がいなかったからだ。唯一メグが何やら言いたそうな目で見つめていたのだが、それを無視したのはユイである。
ともあれ、人に嫌われるのが幸いして、攻殻機兵鎧の整備を終えたあと、ユイは明日の準備をすることが出来ているのだ。
「えー、あんなに苦労したのになぁ……」
スラム街で迷ったのには理由があった。盗聴、盗撮の機械を設置していたのだ。
まんべんなく設置しておこうと、様々な路地に入ってみたはいいものの、あの砂嵐と土地勘のなさが災いして、あんな顛末になってしまった。
チップには虫に感知されないような仕掛けも施しており、時間が経てば半分溶けて、その床や壁に癒着する仕組みである。その分、衝撃などには弱いのだが、下手な鉄砲も数を撃てば――というものだ。
そんな苦労して設置したチップは、ほとんど機能していない。壊れたのなら、それはそれで信号が来るようにしてあるのだが、それもなく。
――軍がジャミング張っているなんて話は、聞いてないしなぁ。
あるいは、ユイが作ったチップが失敗策だった可能性も、無きにしも非ず。
「あーあ」
ユイは小型通信機を放り投げて、ベッドに倒れ込んでは、暗く染みも見えない天井を仰ぎ見た。
朝になれば、休む暇がないのは目に見えている。だから、少しでも眠らなければならない。
だけど、そんな気分にもなれなかった。
「明日かぁ……」
ユイはため息を吐く。
実地訓練に緊張しているわけではない。リーダー役になってしまったとはいえ、実習は実習。本家の軍人の後ろで、雑用に追われる程度だろう。まして、資料ではユイの配置場所は、補給部隊の補助。前線に出るわけではなかった。
肝心なのは、そこを抜け出してからである。
――マナ施設なんて、私に壊せるのかなぁ……?
その時、すでに聞き慣れた水の滴る音がして、ユイは身を起こした。
「ちょっと、この部屋にバスタブは付いてなかったと思うけど?」
ぴちょ……ぴちょ……なんて音に怯むことなく声を掛けると、彼は応える。
「些細なことを気にするな。今日は貴様が使用した後のシャワーの水跡から出てきたのだ」
「……念の為に訊いておくけど、私のシャワーシーン、覗いたりしてないわよね?」
「そんなものに興味はない」
「そっか」
「そうだ」
とりあえず、いつも通りに会話をした後、ユイは髪を払った。
――まぁ、ナナシがどこからどう現れても、今更よね。
ユイはナナシを見上げる。今日は、出会った時と同じ黒い外套姿だった。ほどかれた白髪のせいか、いつもよりも威圧感を覚える。
「準備は出来たのか?」
「んー……正直、思うようにいかなくてね。ちょっと先行き不安かな」
「道具などの問題ではない。貴様の心の準備のことだ」
「……だったら、始めからそう言ってくれる?」
足を組み、勝ち気な黒目を細める。何にも染まることの出来ないその瞳は、悲しいまでに色を変えない。
「まぁ、やることは簡単だからね。マナ施設に侵入して、制御室や制御核を破壊すればいいだけだからさ」
「貴様の魔法技術で、充分出来ることだ。臆することはない」
相変わらずの無表情から放たれる妙に説得力に、ユイは思わず頬を緩めた。
「あら、褒めてくれるんだ?」
「私は、事実を述べているだけだ」
「そっか」
「そうだ」
そのあとに、続く会話はなかった。
暗くて、静寂な中で、ただユイの鼓動が高鳴る。
――いよいよ、明日。
明日で、長年続いたエクアの平穏が大きく崩れ出す。
エクアを支えるマナの供給施設が壊されれば、その報道はすぐさま世界中に駆け巡るだろう。マナがなくなれば、エクアは何一つとして、機能しなくなるのだから。
「そういや、あんた結婚してたの?」
「私がモテないわけがなかろう」
「……メグのお父さんとは――」
「大事な夜に余計な好奇心を抱く暇があるなら、子守唄でも歌ってやるが?」
ランティスの夜は、とても静かだ。




