可愛らしい女の子
「メグ、それは本気?」
二人の会話を注視する者は、ユイ以外にいなかった。ナナシの質疑応答が想像以上の盛り上がりで、その中でもタカバの「おお!」と感心する声が目立っている。
その中で、ルキノがチラチラとユイの方を見ながら、メグに問いかけた。それに、彼女はルキノの手を取って、コクリと頷く。
「うん。ずっと、ルキノ君のこと憧れだったの。もしもあたしを選んでくれたら、ルキノ君の欲しいもの、何でもあげられるよ?」
今に限ってメグはいつもみたいに舌っ足らずな喋り方をしていなかった。だけど、十分にその話し方は女の子らしくて。そのルキノを見つめる赤い瞳が、とても健気で。誰が見ても、可愛らしい女の子そのものだった。
「僕が欲しいものって、何かな?」
「それは――」
メグはルキノの腕をツンツンと引っ張り、背伸びしながら屈んだ彼に耳打ちする。
「……本当か?」
ルキノの目が見開かれた。彼の腕を話したメグが、嬉しそうな顔で「うん」と頷いて、
「あたし、ルキノ君のためなら何だってしちゃうよ?」
「ちょっとメグ――」
ユイの我慢は限界だった。大股で近づいて、メグの肩を押す。「きゃっ」と小さな声をあげて、メグがあざとく尻もちをついた。それによって質疑応答が静まり、ユイ達に視線が集まるものの、構わずユイは声を張り上げる。
「どういうつもり? あんた、私を裏切るっていうの⁉」
「……裏切るって、なにを? あたしは、ルキノ君の気持ちに応えようとしただけだよぉ?」
「何って……⁉」
眉をしかめて、立ち上がらずに見上げてくるメグが小首を傾げる。それに舌打ちして、ユイは次にルキノを睨んだ。すると、ルキノは何も言わずに、視線を逸らす。
「……もういい」
ユイは黒い髪を払って、ルキノを押しのけた。足早に教室から去ろうとするユイの背中に向かって、「ユイ!」とルキノの声がかかるものの、それに振り向く気にはならなかった。
たとえ、ルキノが実はメグのことが好きだったのだとしたら、それでもいい。自分を助けに来たのだって、好きな人の友だちだから、という理由なら、それでも納得できないわけでもない。ユイが、アンドレを助けたことと大した相違はなかったというだけのことだ。
だけど、メグがルキノを好きだというのは、許せなかった。
ついさっきまで、タカバがいいと言っていたのに。
タカバに心配してもらえて嬉しかったと言っていたのに。
――あぁ、そうか。
ふと思い出すのは、ユイにタカバを薦めてきたメグの言葉。それに、ユイは「はっ」と吐き捨てるように笑う。
――自分がルキノと付き合いたいから、正当に厄介払いしたかったというわけね。
廊下に出て、方向転換しようとした瞬間、ふと目に入ったのはルキノがメグを助け起こそうとする姿だった。差し伸べられた手を、メグが恥ずかしそうに握り返している。
王子様のような男の子と、可愛らしい女の子。
噛み締めた唇から、鉄の味が滲む。それでも、涙だけは零さないように息を吐いて、ユイは大きく漆黒の髪を掻き上げた。
教室からは、新しい担任が「それではまず、皆で黒板を作成することにしよう!」という、脈絡のない提案を告げる声が、防音設備に負けずと響く。
ヘッドホンに耳を傾けながら、自室のベッドに寝ころぶ。
カーテンも閉め、電気も付けない真っ暗な部屋の中。ぐしゃぐしゃになったシーツを握りしめながら聴いているのは、人のうわさ話。
エクラディア学園では、盗聴盗撮の類いが容認されている。それも訓練のうちということで、それを見つけるための部活動まであるくらいだ。そして、ユイは校内に五つ盗聴機を仕掛けているが、未だに見つけられた試しはない。昨日は盗撮されてしまったものの、ただ黙っているだけのユイではないのだ。
今もその一つに耳を傾け、女の子らしくないな、と思いつつも、舌打ちする。
タカバが夜な夜な談話室で、友達に嘆いているようだった。
『クソォ……メグちゃんが、メグちゃんがよォ。あんなキザ野郎となんてよォ……劣等種の野郎、今まで何してたんだよォ……』
――そこで私が出てくる意味がわからないんですけど?
その場にいれば直接抗議なり手なり出しているところだが、あいにく男子寮まで行く気力はない。代わりにユイは枕を投げ飛ばして、それでも抑えきれない感情をベッドに叩きつけた。
その時、ピピピと小型通信機の通信音が鳴る。
ユイはため息を吐きながらベッドから下りて、机の下に投げ飛ばされていたそれを拾った。
――いまさら謝ってきたって、許さないんだから。
そう覚悟して画面を開く。しかし、薄闇の中に浮かび上がったのは彼女の名前ではなく、『母』という絶対的存在を告げる名前だった。
ユイはその文字をしばらく眺めるものの、電子音が鳴り止む気配はない。ユイは致し方なくヘッドホンを外し、通話ボタンを押し、勉強机の椅子に腰掛けた。
『ちょっとユイ、出るのが遅いんじゃないの?』
画面から浮かび上がってくるのは、文句を口にする金髪のゆるやかな四十代の女性。化粧っ気はないものの、切れ長の眼力は弧を描いていた。
「はいはい、すみませんねーお母さま。それで、私に何の御用かしら?」
『あら、今日はずいぶんと機嫌が悪いのねぇ。何かあったの?』
――昨日告白して振られた男を、友達に取られたの。
そう素直に言えればラクになれるのかもしれないが、ユイの口は微塵も動こうとはしない。
そんな娘の顔を見て、映像の母は苦笑しながら肩を竦めた。
『仕方ないわねぇ。父さんのご機嫌の良さを、ちょっとでも分けられたらいいのにね』
「え? 父さん、帰ってきたの?」
貴重品や珍品を主に取り扱う通信販売を営む女社長である母。そんな母の仕事を手伝うため、父は各地に商品を集めに周っている――といえば聞こえはいいが、実際はそんなに甘いものではなかった。
商品集めという名目で、父親は各地を放浪。ユイが学園に入学してからは、滅多に家には帰っていないのだ。それでも母はたまに会っているらしいが、長期休暇くらいしか家に帰れないユイは、かれこれ十年近く、父親には会っていない。父親が会いに来ることもなければ、連絡すらも来たことがなかった。
――エクアを一周したって、一週間かからないっての。
そんな愚痴を言っていたのも、始めの一年くらいだけ。母親はそんな夫に対して文句を言っていないのだからと、ユイもいつしか何も言わなくなっていた。
それでも浮かぶ僅かな期待に、母は『まさか』と首を横に振る。
『でも今日珍しく連絡があってね。なんかすごくイイコトがあったらしいわよ。偉そうな顔がいつになく上機嫌で、なんか殴りたくなったわ』
「今度、私の分も殴っておいてよ」
『えぇ、もちろんそうしとく』
そんな軽口に、ユイの頬が少しだけ緩む。そして、母は絶えずに『そうそう』と話しだした。
『そういえば、こないだ取り寄せてたネイルケアセット、どうだった? いいならお母さんも使おうかと思って』
「あーあれ……」
ユイは両手の指を伸ばして、ボロボロになった爪を見る。暗い中でも、指先が割れて、触ればザラザラとしてしまった女の子らしくない手。それをボンヤリと眺めて、ユイは力なく笑った。
「うん。使った翌日は、けっこういい感じになったよ。でも、もうボロボロになっちゃった」
『あら、すぐ落ちちゃうってこと?』
「ううん。今日、けっこう激しいことやらされて……」
『大変な授業、ご苦労さま』
何も知らないであろう母が、穏やかな顔で自分を労ってくれる。
「うん……」
シンプルなその優しさが嬉しくて、ユイは目を擦った。そして、それを誤魔化すように無理やり深呼吸して、
「で、一体何の用で掛けてきたのよ?」
『何よ、その言い方。母親が娘に連絡取るのに、なにか用が必要なわけ?』
年甲斐もなく頬を膨らめせる母に、ユイが「あーそうですねー」と間延びさせて返事をした時だ。
通話中の小型通信機が音楽を奏でだした。その単調なメロディは、ユイがアラームに設定しているものだった。
「あ、行かなきゃ」
『あら、こんな時間に?』
不思議そうに首を傾げる母に、ユイはクスっと小さく笑って立ち上がった。
半分取れかけたカーテンごと窓を開けると、肌寒い風がユイの髪を大きくなびかせた。夜闇の中でもなお黒い髪だけは、梳かし直してサラサラと促されるがままに動く。
「うん。ちょっとデートでね」
自虐と皮肉が、夜に溶けた。
今日はエネルギー節約の日なのだろうか。いつもなら誰もが頭上に瞬く偽りの星が、今日に限って鳴りを潜めていた。




