どうか世界が破滅しますように
真っ赤にたぎる炎に包まれてもなお、ユイは笑う。
熱い。痛い。そんな表面上の感覚なんてどうでも良かった。
そんなことよりも悔しくて。そんなことよりも惨めで。
だからユイは足元のガラス片を握りしめて、背筋を伸ばし真っ直ぐ前へ歩み進める。
「逃げないでよ」
火柱から歩み出たユイの身体は、全身焼けただれていた。ドレスは焼け焦げ、顔も含め、肌や皮膚は血まみれよりも無残な赤で覆われている。黒髪もまた炎に溶けて艷やかな姿の原型はない。
「ユイ……⁉」
案の定避けたメグは、ただただ絶句していた。初めて見た彼女の怯えた表情に、ユイはますます笑みを強め、動けないでいるメグを抱きしめた。
「お望み通り、殺してあげようとしてるんだから」
「ユイ‼」
ユイが背中からガラスを突きつけるよりも早く、メグは即座にユイを押しのけ、飛び退く。そして周囲をキョロキョロと見渡して「どうしよう⁉」と珍しく慌てる彼女に骨が透けて見える首を傾げた。その動きにつられて揺れる髪も、今はない。
「何を探しているの?」
「何って、ユイを治療出来る何かに決まってるじゃん!」
「はっ……そんなの化け物に必要ないでしょう?」
ユイは鼻で笑い飛ばして、パチンと指を鳴らす。
すると、爛れ落ちそうになっていたあらゆる皮膚がたちまち再生した。あるべき部分の肉が盛り上がり、新鮮すぎる桃色から落ち着いた肌色へと変化していく。それはユイの漆黒の瞳を包む切れ長の瞼も例外ではなく、いつもの澄ました眼差しでメグを見下ろしながら、ユイは元通り指通りの良い長い黒髪を大きく掻き上げた。
「ほら、ね?」
「ユイ――どうして、そんなことまで⁉」
「質問多いなぁ。一個だけって約束じゃなかったっけ?」
ユイはケラケラと笑いながら、自分の手足を確認する。ドレスはさすがに戻らないまでも、四肢はまるで何事もなかったかのような肌を取り戻していた。メグに折られたはずの右腕も支障なく動く。そんな両手をグーパー動かしながら、
「さすがにこんなこと初めてやったんだけど、何とかなるもんねぇ。後でナナシに自慢出来そうだわ」
軽く喋るユイの顔を、メグは心底信じられないような顔で見つめている。それに気が付いたユイは目を細めた。
「あんただって言ってたじゃない? 私が短気だって」
「で、でも、それでも!」
「それこそ、大した原理じゃないのよ。空間転移の際、身体を別の場所で再構築出来るんだから、怪我の一つや二つ修繕出来ても何も不思議じゃないってだけ」
「だから、そういう問題じゃなくて――」
「ふふ、慌てるあんた見てるのは楽しいんだけどさ……そろそろ決着つけようよ」
そう告げるユイに対して、メグは首を横に何度も振りながら叫ぶ。
「ユイ、どうしてそこまでするの⁉ どってことないじゃん! 今回のことだって、騒ぎで逃げ出したユイは迷子になって、あたしが探し出したってことにすればいい。それだけだよ! ユイやルキノ君たちは、ただ不幸にもトラブルに巻き込まれただけ! 休暇が明けたら、みんなにこのトラブルを話して、またいつもの学園生活に戻るの! タカバ君と喧嘩して、ルキノ君に尻ぬぐいしてもらって――きっと、楽しいよ? そう思うでしょ⁉」
――思わないわね。
ユイは彼女の言葉を否定する。
もう二度とあの日常には戻れない――そう感じるから。
このたぎる狂気を実感してしまったが最後、無邪気にタカバを蹴り飛ばすだけで満足していた頃には戻れない。
だから、ユイは願う。
こんな世界が破滅しますように――と。
――そりゃあ、エクアも負けるわよね。
頭の片隅で、ユイは思う。
魔法の力が、あまりにチートすぎるから。
――こんな力に、いくら科学を極めた所で勝てるわけがないじゃない。
どんなに高性能の銃が開発されたとしても。頑丈な盾が生まれたとしても。
どこにでも瞬時に現れて、どんな怪我も一瞬で治せるような化け物に、普通の人間が敵うわけがない。いくら強い武器があっても、それを扱う人がいなければ無駄となるのだから。
だから何も答えないユイに対して、メグが悲しげな目を伏せた直後、
「あたし……ワガママでごめんね。ユイにはどうしても、殺戮者にはなって欲しくないんだ!」
涙の浮かんだ奥の瞳は、とても熱そうだった。ユイが抱きついた時に、彼女も火傷を負ったはず。だけどそんなことを微塵も感じさせることもなく、メグはさっきよりも速い速度でユイに詰め寄った。
彼女の爪先が、ユイの眼前に迫る。
――死ぬ。
その予感を抱いても、ユイは目を見開く暇さえない。もちろん指を鳴らす時間もない。
それでも、
――たとえ目が抉られようとも!
自分が化け物なら、彼女は怪物だろうか。
人が図れる力を超えてしまったのなら、後は誰がその存在に名前を付けてくれるのだろう。
――もう想像するだけでも、私は……!
ユイはそれが届く直前で目を閉じる。彼女の全身が破裂する想像が脳裏に浮かぼうとした、その時――――
「だから、怪我をさせたら許さねェーって言っただろーがっ‼」
野太い声音が頭上からユイの脳天に降って来た。それと同時にユイは頭に強烈な衝撃を受けて、寸で止まったメグの手の眼の前で、痛みのままにうずくまる。
「タ……タカバ君⁉」
「メグちゃん! 無事だったか⁉」
メグが驚く一方、男の声はとにかくうるさい。
――あんの筋肉馬鹿あああああああ!
涙ぐむ黒い瞳でユイが見上げると、似合わない真面目な白シャツを着た大男が、戸惑う小柄な少女を力強く抱擁している真っ最中だった。
「あら……」
思わぬ熱い展開に視線を逸したユイの足元には、長期休暇の宿題として渡された少し伝導率のいいだけの白いパイプがコロコロと転がっている。そして、転がったそれを拾ったのは、また他の男子。
「何やってるの?」
耳の奥まで甘く伝わる声が、呆れたようにユイを問う。それにユイは顔を上げないまま、辛うじて答えた。
「……見ての通り、タカバに思いっきり殴られたのよ」
――ルキノだ。
確認するまでもなかった。
タカバとルキノがやってきた。この惨状を見られたのだ。
――どこから見ていたの?
――どこから聞いていたの?
あらゆる疑問が脳裏を駆け巡る。そして疑問の先の結論が、ユイの床の上で握る手を小さく震わせた。
――殺さなきゃ。
このままメグを殺せなければ、自分のことがルキノたちに知られるのは時間の問題だろう。なんせ自分は数々の大事件を起こした犯罪者なのだ。そこから政府警察含め、あらゆる方面に広まることは想像だにしやすい。
だから、彼らがここに来てしまったからには、やるべきことは決まっているのだ。
口封じのため、ルキノたちも殺す――ただ、それだけ。
死体も残らないほどに燃やし尽くす。それが一番簡単な解決策だろう。変な場所で死体が見つかってしまって、そこから足がついたらおいおい面倒くさい。
そう考えるからこそ、身体が震える。
怖くなる。
「ユイ?」
屈んだルキノの手が、そっとユイの手に乗せられる。重なる手の温度が熱い。
「うわ。もしかしてタンコブ出来てる?」
「も……もしかしなくても出来てるわよ。気を失うかと思うくらい痛かったんだから」
「アハハ、可哀想にね」
「まったく同情心を感じないんだけど?」
軽く笑い飛ばすルキノに苛立って、ユイは反射的に顔を上げた。
屈む彼の笑みが、想像以上に眩しく見えた。
金髪がぺったりと乱れ、肌も少し汗ばんでいる。シャツにもシワが付いているし、靴だってつま先が擦れてしまっていた。
それでも安心したように笑う彼の表情に、ユイの胸が大きく高鳴る。だからユイの口はそれを押さえるために、とっさに適当な質問をしていた。
「ど、どうしてあんたたちがここにいるのよ?」
「もちろん、ユイ達を探しに来たに決まっているじゃないか」
「どうやって?」
「一般的な場所は避難する人達でいっぱいだったからね。メグの様子だとそんな場所にいそうにはないから、彼女から貰った暗証カードでしか行けない場所を辿って行ってたら、急に床が溶けるように穴が開いて。覗き込んでみれば君達がいたから、飛び降りたっていうわけさ」
――タイミング悪すぎるでしょう⁉
自分の不運さに顔をしかめるユイの頬に、ルキノがまたそっと触れた。
「怪我は頭のくらいかい? 他に動かない場所や痛い箇所はない?」
「特に、ないけど……」
ルキノたちに居場所がバレたきっかけとなった火柱で全身焼け焦げたが、辛うじてそれは彼らには見られていないらしい。そのことに少しだけ安堵するも、ルキノの次の一言で、ユイは再び胸中で慟哭をあげる。
「それなら良かったけど……ごめんね。僕もジャケットは捨てて来ちゃってさ。君がそんな姿なら、邪魔でも着てくるべきだったよ」
――あ……あああああああああああああ‼
身体の再生とドレスの再生。
空間転移の際は自然と洋服分の気にしていたのだが、さすがの今回はそこまでの余裕はなく。
――まぁ、女同士というのもあったけれど!
今からでも服を再生すべきか否か。
やろうと思えば、出来る。その自信がユイにはある。
だけど、
――本当にいいの?
ルキノの目の前で魔法を使う。自ら、自分は化け物だと誇示する。
その勇気が、ユイに出てこない。
ボロ布状態で辛うじて残っている布地で懸命に肌を隠そうと目論むも、ユイの身体はただクネクネと踊るのみ。その様子を見やり、すぐさま後ろを向いたルキノからはクツクツとした笑い声と共に、
「まぁ、テロ行為に巻き込まれたのに、その程度で何よりだよ」
「テロ行為?」
発せられた何度目かの安堵の言葉に、ユイは思わず眉をしかめてしまった。
――しまった!
そういうことにしておけば良かったと失態に気付いた時には、すでに遅し。ルキノの碧い目は、もう丸くなってしまっている。
「まさか……喧嘩でこんな惨状になったわけ?」
見渡すまでもなく、周囲の惨状は酷いものだ。人造人間とはいえ、酷い死体が多数転がっており、ありとあらゆる機械は破壊され、壁が崩れている箇所まであるのだ。さらに天井には、ルキノ達が降りてきた大穴まで空いている。
誤魔化す言葉がポッと出てこないユイは、視線を逸らすしか出来ない。
「マジかよ……」
唖然と呟かれる低い声に、ユイがますます顔をしかめた時だ。
「オイ、破廉恥! ちゃんと説明しろっ!」
――それ、いつもよりムカつくわね!
そう言い返したくても言えないユイの頭に、フワリと白い布が投げかけられる。正直汗臭いものの、天の恵みとばかりにユイは反射的に袖を通しつつ見やると、メグから離れたタカバの上半身が裸だった。
――誰もあんたの肉体美なんて見たくないんだけど。
そう胸中で毒づきつつも、ユイは再びそれを口にするのを躊躇った。
タカバはいつになく真剣な眼差しであり、その後ろのメグの視線も真っ直ぐにユイを射抜いていたからだ。
「こんな場所で何やってんだよ! 喧嘩するのは、今更何も言わねェーよ? けどなァ、お得意の爆弾なんだろうけど、どー見ても喧嘩で使う規模じゃねェーだろうよ。一応訊いておくがよォ、ここに倒れてるこれらは……」
そこまで言いかけて、タカバが後ろのメグを気にしながらどもる。その様子に、メグは静かに頷いた。
「その点は大丈夫だよ。全部、制作途中の人造人間だから」
「あ、すまねェ……その……」
「大丈夫だから。あたしであって、あたしでないし。ありがとね、タカバ君」
「あぁ……うん、わりィ」
メグの笑顔をタカバは気まずそうに見返している。そんな優しいクラスメイトに、ユイはメグとは違う冷酷な笑みを投げかけた。
「爆弾なんて――そんなもの、使ってないわよ」
「ハァ⁉ じゃなかったら、誰がどうやって――」
「ねぇ、メグ? 私たち、何も武器や火薬、使ってないわよねぇ?」
「……うん」
ユイは鼻で笑うしかない。だって、それは本当のことなのだから。ユイは何も武器を使ってないのだから。
「ハァ⁉ メグちゃんまで巻き込んで、つまんねー冗談言ってんじゃねェーよ!」
メグは今更だからいいだろう。人造人間なのだと明かしてしまったし、彼女が身体能力がいかに常識の範囲外であろうとも、全てはその通りなのだから。それに、そもそもこの惨状を作ったのは彼女ではない。
「ううん……タカバ君、ユイの言っていること、本当」
「な、なら、誰がこんなこと⁉」
「それは……」
それでも、彼女は事実を口にしない。俯いて口を噤むメグに舌打ちした後、タカバはズンズンとユイに詰め寄る。
「テメェ! この期に及んで隠し事してんじゃねェー‼」
――本当に、みんな優しいんだから。
何度も自分をまるで本当に慈しむような眼差しで心配してくれるルキノ。
破廉恥と罵りながらも、自分の着ていたシャツを貸してくれるタカバ。
ユイの出方をジッと待ってくれているメグ。
「ふふふ」
決して本気ではないタカバの拳が、ユイに向かってくる。
それにユイは笑うしかない。今更気が付いたって、笑うことしか出来ない。
――私、今からこれを捨てるんだ。
たとえ交際を断られても。喧嘩ばかりしていても。裏切られても。
それでも、そう悪い毎日じゃなかったと思えてきたから。泣いたり、怒ったり、笑ったり。人よりもツライことが多いのは間違いないだろうけど、それでもそれなりに充実していたんじゃないかと、思えてきてしまったから。
――何よ、今更……。
ただ、感傷に浸っているだけかもしれない。気分が昂ぶりすぎているだけかもしれない。
「うふふ……あははははは……」
それでも、いざ手放す時が来たのかと思うと、どうしてもこみ上げてくる感情が雫となって溢れ出す。
ポロポロと。ポロポロと。
笑う度に零れていく。言葉にならない感情が、今まで我慢していた分だけ溢れ出す。
それを見て、腕を振り上げているタカバが固まっていた。
その横から、今まで黙っていたルキノの手が、ユイの黒曜の瞳から流れる涙を優しく拭う。
「ユイ、どうした?」
ユイの頬を優しく包むルキノに、ユイは唇を噛んで首を横に振った。
目を閉じる。何も見なくていいように、視界を黒く染める。
「ユイ! もうやめよう! 全部話そう? あたしも全部話すから……だからっ‼」
ユイの手に縋りついてくるメグの言葉に、ユイは何度も首を横に振る。
拒絶する。甘いものを否定する。
今ならまだ戻れるのかもしれない――その甘い考えに、首を振る。
「どうせ……また裏切るんでしょう?」
涙と共に、虚勢を零す。
「好きだとか、友達だとか言っておいて、どうせすぐ裏切るんだから」
「そんなこと……」
メグは言葉を詰まらせた。そんなメグの肩を抱えて、タカバが言う。
「テメェ、何ごちゃごちゃメンドクセーこと言ってんだよ⁉ 女なんだしよォ、喧嘩なら口でしろ。本音でぶつかって、最後にお互いゴメンナサイすりゃいいじゃねェーか。ダメならダメで絶好すりゃいいだけだろ!」
「……どうせ、私はメンドクサイわよ」
ユイは静かにタカバの言葉を鼻で笑った。
面倒なのだ。
自分はとても面倒な女なのだ。
簡単に人を信じられない女なのだ。甘える事ができない女なのだ。
それができれば、初めからこんなことには――――
そして気が付いた時には、多くのものを自分で壊してしまっているのだ。現に、目を開いてしまえば、友人と同じ姿の真っ赤な残骸が、幾つも転がっている。それだけではない。他にも今まで自分が壊してきたモノを積み上げれば、簡単に手の届かないほどの死体の山が出来上がるだろう。
見たくない。認めたくない。何も考えたくない。
だからユイは指を鳴らそうとして――――
「え?」
目を見開いた。頬を撫でる優しい指に、少しだけ力が入っていた。顔をくすぐる柔らかい髪が視界を金色に輝かせ、唇に何かが押し付けられる。
目眩がするほど甘く。
蕩けて消えてしまうほど柔らかくて。
憂いを帯びたルキノの瞳が、すごく近くで開かれた。
そして、唇と唇が離れる。
「…………は?」
ユイから零れる吐息は、ただの疑問府。
何が起きたか理解ができず、反芻するにはもどかしい。
「あ」
我に返ったのか、ルキノが「しまった」とばかりに顔をしかめていた。
それが、とにかく腹立ち、頭にカッと血が昇る。
一度自分を振った男にキスをされた。その直後に、嫌そうな顔をされた。
「こんな世界なんて――――」
涙を引っ込めるよりも早く、ユイの手は動いていた。
ユイの世界が、全て黒に染まる。その中からこみ上げる衝動は、どれも破壊。
こんな世界なんて弾け飛べ。
こんな世界なんて砕けて散ってしまえ。
こんな世界なんて破滅してしまえばいい。
だからユイは、そのキッカケとなった人物に向かって叫ぶ。
「ルキノの馬鹿ああああああああああああああ!」
そして、彼の頬をパチンと叩いた合図とともに。
白く。色を認識できないほど眩く。
全ての衝動に形となって、一瞬でユイの世界に広がった――――




