友達と平和を
これは、長い長い親子喧嘩だ。
父親の命令を、娘が頑なに聞かない――簡単に言えば、ただそれだけの話。
その日も、全くの別件でエクバタ支社の社長室に訪れたあたしに、
『エクアを縛る因縁から、解き放たれる時が来たんだよ』
パパはそう説得しようとし始めた。
かつての大戦で敗者が逃げ、引きこもった楽園がエクア。その楽園から、パパはわざわざ抜け出そうとあたしに言ったのだ。
『いつまでも狭い所に閉じ籠もっていたくないだろう?』
それは人それぞれだ。広い場所に行きたい人もいれば、狭い所にずっといたい人だっている。
どちらかと言えば、あたしは後者だ。だって、広い場所だとますます自分の異常さが際立ってしまうから。だったら狭い楽園で、この些細な幸せを満喫していたいと思うことは、それほど変わった考えではないはずだ。
だけど、あたしはそれを口にしない。あくまでこれは、あたしの一個人の意見だから。この問題は個人の意見で決めていい案件ではないから。
それでも、あたしはどうしても疑問に思うことがあった。
『パパは戦争に賛成なの?』
すると、パパは苦笑した。
『残念ながら、今はパパとして話しているわけではないんだよ。メグ』
そして社長はあたしに厳しい視線を向ける。
『正直な話、君に拒否権はないんだ。君はそのために造られたんだからね』
『あたしに戦争の道具になれと?』
『なるんじゃない。始めから――そうだったんだよ』
その目の色に苦悶や陰りの色はない。
それはそうだろう――社長としてのこの男の働きぶりは、あたしから見ても遜色ないものなのだから。
そりゃあ、私生活では少し情けなくて、娘が大好きすぎて若干気持ち悪いパパだけど、たまに見せる仕事での顔は、全く油断も隙もないものだった。
会社としての利益と、私欲。それをこれほどまで割り切っている男を、あたしは他に知らない。
『じゃあ、あたしがもしも無理矢理この話を断ったとしたら?』
『そんなことは万が一にもないとは思うけど……まぁ、普通に処分だよね。だって、失敗作になるわけだから』
『まぁ、そうだよね』
兵器として造られたあたしが戦いたくないと言ったら、それは当然不良品扱いされるだろう。いらないモノは処分される。それは会社云々関係なく、普通の摂理。ゴミはゴミ箱へと、幼子にも教えるような常識。
だからこそ、あたしはあっさりと言うことが出来る。
『じゃあ、あたし戦争とか嫌いだから、早く処分してくれないかなぁ?』
それに、目の前の社長はとても悲しそうな顔をした。
『メグ……それを僕に言うのは、さすがにズルくないかな?』
『そう? 先にズルい言い方したのは、パパの方でしょう』
『それは……そうかもしれないけど……』
ひどく困った顔のパパが、ため息を吐く。
『ほ、ほら。アンドレ君もそれを承知で婚約しているわけだしさ。彼、メグがどんな辛い目に遭っても全力で支えてみせると豪語してたよ。もちろんパパも出来る限りのことをするから、二人で新しいエクアのために頑張るっていうのも、素敵じゃないかな?』
『急に饒舌だね、パパ。社長として話しているんじゃなかったっけ?』
あたしがニヤリと口角を上げると、返ってきたのは呆れるような半眼。
『それはもう止め。メグが死ぬとか、パパに耐えられるはずがないじゃないか』
『いや、それは社長さん耐えなきゃダメでしょ。そもそも戦争なんてものに参加したら、あたしの意志関係なく死ぬ可能性あるんだからさぁ』
『それはそうだけど……僕が殺すかどうかって違いがさぁ。その……大事な愛娘を自分で殺すとか、その……さ?』
同意を求められても、あたしだって半笑いしか返せない。
だって勝手すぎるでしょう。僕の言うこと聞いてくれないと殺すしかないけど、でも僕は殺したくないから言うと聞いてね――なんて、始めからあたしの意見を聞く気なんてないじゃないか。
『……じゃあ、百歩譲って戦争にあたしも参加したとして、それだけで許してくれる?』
すると、今度はパパも半笑い。
『んー……やっぱりアンドレ君と子供は作ってもらわないとなぁ。パパも孫を抱きたいしさ』
『社長としては?』
『魔法の力がないとさすがに戦争も厳しいだろうからね。君の生存の必須条件かな』
『……孫が化け物でもいいんだ?』
『嫌な言い方しないでよ。始めから……全部覚悟の上で、僕の遺伝子から君を造ってもらったんだから』
そりゃあ政略的な意味もあったけど、それだけじゃなかったんだよ――と、パパはそう付け足した。
そしてその日も話は平行線のまま終わったんだけど、何回話したとしても、解決策は見えてこない。
どんなに人間より優れた脳を使っても、平和的にこの案件を解決するには、あたしが我慢するのが一番だ。
だって、あたしの製造が決定した段階で反政府組織からの金銭や労働力などの支援も発生しているし、そもそも外界に対して戦争を仕掛けるという案件自体も、ここ数年で決まった話ではない。
パパよりも前の代から、ずっと前から少しずつ計画されてきた案件。
そもそも戦争自体も今日明日に仕掛けるという話ではなく、あたしとアンドレの子供に魔法の素養が宿るかどうか実験して、成功したとしても大量生産出来るかどうか確認して、それから具体的な作戦を立てるとなると、早くて次世代か、下手したらパパもアンドレもみんな死んだ後の遠い未来のお話だ。あたし自身は何年生きるのか、明確にわからないのが皮肉な話ではあるけれど。
ともあれ、それでもあたしからさらなる人外を造ろうとしているのは事実なわけで。
あたしが戦争の発端になって、また大勢の人を泣かせるのかと思うと、それだけで胸が苦しくなって。
――絶対、嫌。
だからこそ、あたしは選ぶしかなかった。
あたしの中の小さな楽園か、世界規模のみんなの平和か。
「ごめんね」
謝る相手は、目の前のパパだけではない。
幼馴染然り、友達然り、その他利用する相手然り。
だけど、とりあえず目の前のパパは落胆して、
「それは、今日も同意を貰えないということかい?」
「まぁ、そういうことだねぇ」
「時間は待ってくれないんだよ?」
悲しげに見つめるその瞳は、あたしと同じで赤い。
見返すあたしの赤い瞳も、同じように悲しげだったのだろうか。
「……だったら、どうしてあたしをもう少し欠陥品として造らなかったの?」
「どういうことだい?」
あたしは人間ではない。人工的に造られた存在――だけど、悲しいことに機械にもなれない。
「あたしの意志なんて、造らなきゃ良かったじゃない」
それでも、持ってしまったモノを捨てるのは簡単ではない。
それは『思考』という能力のみならず、持ってしまった関係性も同様だった。
『さっきの話だけど、もし本当だったら、あたしとお付き合いしてくれないかなぁ?』
『メグ、それは本気?』
『うん。ずっと、ルキノ君のこと憧れだったの。もしもあたしを選んでくれたら、ルキノ君の欲しいもの、何でもあげられるよ?』
だからあたしがルキノ君に告白した時の、ユイの絶望した目はさすがに堪えた。
それもそうだろう――ついさっきまで失恋を慰めていた友達が、急に手のひらを返して彼女の想い人を口説き始めたのだ。
さすがのタイミングの良さには、やっているあたしですら片腹が痛くなるほどだった。
自分の悪女っぷりが滑稽すぎる。それでも、あたしが関与しないうちに自社の『戦争用の武器』が広まり出してしまったのを見たら、もう待ってはいられなかった。
あの目立つ優等生には、前々から目を付けていた。八方美人から透ける野心はおあつらえ向きにちょうどいいと思ったのだ。生まれ持った権力以外は、全てにおいて婚約者の上を行く美青年。誰もが一度は憧れる学園の王子様とのラブロマンスに、溺れる社長令嬢の一人や二人いてもおかしくないだろう。その身分差もまた憧れの香辛料だ。
そんな滑稽な憧憬に身を滅ぼそうとするあたしを、社長が切り捨てるのであればそれでいい。
戦争なんて起きてほしくはないけれど、それでもあたしが関与しないで済むのなら、そこまであたしもお人好しではないから。そもそも人間でもないし、そのくらいの身勝手さは勘弁してもらいたい。
だけど、そんな無能なあたしを社長が切り捨てられないのならば――それが出来ないくらいに無能ならば――その時は、あたしも一番最悪の選択肢を選ばなければならないだろう。
以前、それをアンドレに伝えた時には、絶句していた。
『もっと他の手段を……考えることは出来ないのかい?』
辛うじて絞り出されたその提案に、あたしは首を横に振るしかなかった。誰も最悪の選択肢を取りたい者なんていないのだ。散々よく造られた脳をフル回転させた上で、一番確実な方法がそれだったのだ。
さっきルキノ君にそれを伝えた時も、同じような反応をされるかと思った。
この数ヶ月共に過ごしてきて、思っていた以上に彼が情に厚い人だということがわかったから。
『でも実際、ルキノ君はあたしの邪魔をしないでしょう?』
だから、予防線を張った。彼があたしなんかに情を傾けないように。あたしの思考の矛盾を指摘してくる賢い彼に、想い人のために情を捨てる愚か者になるように――そして、彼はあたしの意図通り、後者を選んだ。
――いや、違うか。
あたしはパパを追いかけながら、その考えを否定した。
彼が最後にあたしの頭を撫でた手は、とてもあたたかかったから。
色々言いたいことがあったのだと思う。
これは彼の弟から聞いた話だが、どうやら彼は両親を不慮の事件で亡くしてしまっているらしい。そのことに偶然ユイも関わっているらしく、それがキッカケで彼らは報われない両片思いになっているみたいなのだ。
「馬鹿だよねぇ」
あたしは一人苦笑する。不器用すぎて可愛い友達を、誰よりも引っ掻き回した自分にそんな権利がないとわかっていても、それでも素直に優しさを示さない彼女の幸せを願わずにはいられないから。
『そのためだったら、あたしはパパを殺すから』
そう宣言しても、あたしのために何も言わずにいてくれた偽りの彼氏の不器用な努力が、少しでも報われて欲しいと思ってしまうから。
二人に対する願いを祈りに込めて、あたしは目の前の扉を開く。
キラキラ光る夕焼け空の下――――あたしはこれから、あたしの信じる平和のために、最愛の父親を殺すのだ。




