あんたが化物と言ったから
「茶番だったな」
「何が?」
「あの腹黒令嬢と坊っちゃんの話だ。おそらく、あの坊っちゃんは以前から婚約破棄のことを令嬢から言い渡されていたのであろう。それなのに、まるでつい最近知ったかのような言いぶりだったであろう。下手な芝居をしおって」
誰もいない無機質な通路を、ユイとナナシは走っていた。逃げたブライアン氏とモナ教師を追いながら、苦笑するナナシにユイは半眼を向ける。
「……その根拠は?」
「『麗しの幼馴染』……だったか。貴様もわかっているだろう、エクアージュよ」
――まぁ、何となくはね。
メグがルキノと付き合っても、アンドレがそれについて彼女を責めている所をユイは見たことがなかった。メグやルキノに対する尊敬にも似た態度からして、ナナシの言う通り、アンドレは以前から――それこそ、メグがルキノと付き合う前から、メグから婚約破棄したい旨を言い渡されていた可能性が高いだろう。
――それに、もしも両者合意の上だったら『麗しの婚約者』とでも呼んでそうだしね。
割り切るために『幼馴染』を強調していたのだとしたら、その健気さがまたアンドレらしい。
でも、ユイは思考を切り替えるために息を吐く。
たとえ、メグがユイの想像以上に色々なモノを背負っていようとも。
たとえ、アンドレがひたむきにメグのことを想っていようとも。
――私には、関係ないことじゃない。
そんな話、今まで欠片も聞いたことがない。
お家事情も、その生まれも、苦労も、悩みも――そのせいでユイを裏切り、ルキノと付き合う選択を取ったのだとしても。
――私は、何も聞いていないわ。
「……てかナナシ、そんな茶番よりも、話が違うことがあると思うんだけど」
あえて『茶番』の言葉を強調するユイに、今度はナナシが冷酷な瞳を向けた。
「それはこちらが訊きたいな、エクアージュ。なぜ、あの場でブライアンを仕留めなかった?」
「え?」
通路は緩やかに上っているようであり、微妙なカーブを描いている。蛍光灯の冷たい光で照らされた細い空間にはもちろん圧迫感を覚えるが、それよりもユイが不満なのは、隣で息を切らすことなく走るナナシが、無駄に黒いフリフリのドレスを着ていること――だったのだが。
パーティー用というよりも、ダンサーが着るようなものだろうか。
上がタイトで、下腹部からバルーンのように丸いスカートから伸びる動物のような引き締まった足は、一目でスベスベであることが見て取れた。白髪の長い髪を器用にまとめ、リボンで留めているバックスタイルもまた女性らしい。だが、顔は無駄に上品かつしっかりと化粧をしているようだが、どこをどう見ても精悍で整った顔つきは男そのもの。もちろん、背丈も通常通りユイの頭一つ分くらい高い。
だけどナナシ本人にそう聞き返されてしまい、ユイは渋々と答える。
「……メグに邪魔をされたから」
そんな奇妙な相棒の姿は、概ね予定通りであるのが腹立たしいところ。本来ならば、ナナシの声が聴こえてから明かりが消え、ユイがブライアン伯爵を仕留めようが失敗しようが、ユイが脱出した後、あの場をナナシが撹乱する予定だったのである。
その際、世にも奇妙な恰好をしていれば、何かでユイの姿を見ている者がいたとしても、強烈なインパクトに記憶が薄れるだろうとのことで、ナナシが奇怪な恰好をすると発案したのは、当の本人。
だけど、その奇妙な格好がここまで不気味な女装姿であったとは想定外である。
その今にも踊り出しそうな変態が、冷たい眼差しでユイを一瞥した。
「彼女ごと貫けば良かったであろう。邪魔者が一気に二人片付いたのだ。その絶好な機会をどうして生かさなかった?」
「それは……」
――考えもつかなかったわね。
閃きもしなかった。メグが視線に入ってきた瞬間、ユイは中断しか思いつかなかった。メグを殺すという案が欠片も浮かばなかった。
それを口にするよりも前に、ナナシが言う。
「貴様はぬるい。ましてや、貴様は彼女を憎んでいるのではないのか? 男を取られた恨みを晴らしたいのではないのか?」
「それはそうなんだけど……」
「ましては、先程の彼女の発言で、貴様は何も感じなかったのか?」
そう言われて、ユイは何も言い返すことが出来ない。
息を吐いて、ユイは足を運ぶ速度を緩める。走りながらして話して、息が切れてきたのだ。
肩で息をするユイに、ナナシが嘆息する。
「そんな甘いままでは、いつか簡単に後ろから刺されてしまうぞ? 貴様はそんな甘言を呈しながら死ぬ運命でも納得できるというのか?」
そう苦言を言いながらも、ユイに合わせて速度を緩めるナナシ。
――ぬるいのは誰の方だか。
その優しさにユイは嘆息を返して、話を逸らす。
「それで、その衣装。何がモチーフなのか一応聞いてみてもいいかしら?」
「よくぞ聞いてくれた。これは古代のバレエというダンス手法の一つの代表作である『黒鳥の湖』という題目での衣装なのだ」
「ふーん……それは男の人が女装する作品なの?」
「いや、たいていは絶世の美女が主役を張っていたらしいな」
「……そっか」
これ以上何も聞くまいと、ユイが固く決心した時である。
前方に見えた扉に、ユイとナナシが視線を合わして、再び足を速める。
メグの発言に、何も思わないわけがなかった。
『あたし以上の化け物なんて産みたくないっ!』
――これってつまりは、魔法を使う私は化け物ということよね。
その解釈は、捻くれているのかもしれない。
だけど、親友だった彼女に間接的に否定された傷を拭いさるかの如く、ユイは目の前の飾り気のない扉を、魔法で吹き飛ばす。
暁の空が眩しかった。
赤み帯びたオレンジの強烈な光の中にユイたちは駆け込む。
夕焼けの空が広い。たとえ天井であるのだとしても、ユイがいくら手を伸ばしても届かない空。
――いつか、あれも壊せるようになるのかしら?
いつもよりも空に近い場所にいるというのに、夕陽に染まる壮大な森の上に情緒ある空からは温もりを感じることはない。その非情な空から吹かれる風が、ユイの照らされてもなお黒い髪を大きく掻き上げた。
壮大なまでに高いビルの屋上にある回転翼機着陸場。その空中には小型回転翼機が梯子を下しながら旋回していた。プロペラのまわる音が騒々しい。
その真下に、二人の男女がいる。
「どうして君がここにいるのだね?」
声を張ったブライアン伯爵が、不思議そうに顔をしかめていた。だが、次の瞬間すぐにそれは険しいものに変わる。
「伝説、やはり君だったか……」
「ブライアン社社長の貴様をあんなに清々しく愚弄する者が、私以外そうそういるものではないと思うが?」
ユイの後ろから、ナナシが一歩前へ出る。
ブライアン伯爵の隣にいるモナ教師が何かを言おうとしていたが、その姿を見て絶句しているようだった。それはユイたちが後を追ってきたからか。それともナナシの姿のせいか。どちらにしても、彼女の間抜けな顔を見て、ユイは笑いを堪えることができない。
「ほんと……三流な敵ね」
「なっ……まさか、それは私のことを言ってるのではないでしょうね!」
吹き荒ぶ青い髪を押さえながら、慌てて気を取り直すモナ教師。だけど、ユイは滑稽だとしか思えない。
「反政府組織って、ここまで堂々とブライアンと癒着してたのね。実習の時からおかしいなーとは思ってたんだけど。やっぱり、反政府組織って儲からないの?」
「儲かるとか儲からないという問題ではありません。我々は神を崇め、救世主様へ助けを乞うことによって、この醜い世界から抜け出そうと模索している集団にすぎません。そのために、ブライアン社と意見が合った――それだけの話です」
「それで? オジサンはその夢見がちな発想に同感なんだ?」
ユイが嘲るように首を傾げると、ブライアン伯爵は真面目な顔で答えた。
「夢見がちなどと、本当に魔法を使える君が言えることではないだろう?」
――おや、バレてる。
ユイは目を見開いて、隣のナナシを見る。ナナシは表情を微動だにさせていなかった。
「貴様が悪いのではない、エクアージュよ。そもそもこいつは学生時代から、すでに私が魔法使いであることを察している」
「何やってんのよ、あんたは?」
「楽しく学生時代を謳歌していたのだ」
「……そうなの?」
「そうだ」
そう断言されては、ユイに返す言葉はなかった。代わりに半眼で睨んでみるものの、そんなことで狼狽えるナナシではない。
なぜか、ブライアン伯爵からは同情の声が掛けられた。
「ユイさん……本来なら私が言うのもおかしいのだが、諦めた方がいい。その恰好からも想像できる通り、当時からこいつはそういう奴だ」
「救いようがないですね」
「まったくだ」
――ナナシとこの人が同級生ってのは、本当みたいね。
ユイは嘆息しながら、頭をポリポリと掻く。
ナナシとブライアン伯爵が旧友の仲だとしても、ナナシがこの作戦に同意したのは事実。だけど、それでもユイは確認する。
「あー、ナナシ?」
「なんだ、今は無駄な質問で時間を浪費する暇はないと思うのだが」
「今にも逃げられちゃいそうだもんね」
そう言って、ユイはパチンと指を鳴らした。
瞬間、空中で旋回していた小型回転翼機のプロペラの一枚が弾け飛んだ。不規則な回転音で落ちていく船体からは、斜めに灰色の煙があがっている。どんどん降下していくそれは、このビルから離れ、森の方へと落ちていく。
「エクアージュよ。トドメは刺さないのか?」
「……今はあんたに質問する時間を稼ぐことが目的だからね。無駄なことはしない主義なの」
「ずいぶんと言い訳が上手くなったものだ」
「やかましいわよ」
鼻で笑うナナシに対して、ユイは咳払いを返し、
「本当にさ、あの人殺しちゃっていいのね?」
本題を聞く。
ブライアン社の壊滅。それが今回の作戦の目的だ。そのためには、本社を破壊することはもちろんであるが、会社のトップを潰す必要がある。再興されてしまっては、意味がないのだ。
――まぁ、社長のみならず、役員や後継者であろう子息も潰さなきゃいけないんだけど。
かつて親友だった赤毛の少女がユイの脳裏によぎるものの、それを見透かすかのようにナナシは言う。
「貴様と同類だと思われるのは心外だな。私は物事の優先順位が付けられる男だ」
「世界を破滅させることの方が大事だと」
「無論」
即答に対して、ユイは一瞬間を開けて視線を外す。
「……私も、復讐することの方が大事だわ」
今まで、散々自分を馬鹿にしてきた友達に対して。
今まで、散々自分を馬鹿にしてきた世界に対して。
「そういうことだ」
ナナシは肯定するものの、ユイは彼がそこまでする理由を知らない。
作戦のためとはいえ、わざわざ黒いおかしな女装をする理由も、もちろん知らない。
だけど、彼がかつての友を切り捨てる覚悟がとうに出来ているのなら、それをとやかく言う資格はない。
「じゃあ、さっそく――」
ユイがブライアン伯爵に向かって、指を弾こうした時には、伯爵と女教師の姿はなかった。
視線の先には、ユイ達のやってきたのとは違う出入り口がある。そこから逃げたのは明白だった。
「ほら、ナナシ。あんたのせいで逃げられちゃったわよ」
「そういうことにして、貴様が落ち込まないで済むのなら、そういうことにしてやってもいいが?」
「……余計に惨めになるから、そういうことは言わないでくれる?」
「ならば、責任転嫁をやめるのだな」
冷たい眼差しにはもう慣れた。
ユイは嘆息して、髪を掻き上げる。
「まぁ、楽しみは取っておくということで」
ユイがナナシに向かって手を差し出すと、何も言わず出されるのはユイの小型通信機。
それを見て、ユイはニヤリと口角を上げた。
「まぁ、せいぜい絶望の中で死になさい」
ユイは小型通信機の画面にいくつもの赤い点滅を見ながら、指を鳴らす。




