それぞれの男たちの想いは
◆ ◆ ◆
「なぁ、アンドレ」
「なんだい? タカバ氏」
「オレ……メグちゃんのこと好きだったんだよ」
「……あぁ」
「ゴメンな」
二人は抱き合って、男泣きをしていた。
社長室前の廊下。一面の透明な壁からは外の緑々しい景色が一望できる。今いるビルを円形に取り巻くように設置されている各種の施設ビル。その各々もかなりの高さがあるものの、屋上の回転翼機着陸場を悠々と見下ろせるほどの高さを保持している、一般人には到底足を踏み入れることが出来ない場所。
そんな場所で大声で社長令嬢に告白した一学生なんて、本来ならば即座に警備員に排除されていてもおかしくない。だけど、彼と共に社長令嬢の婚約者でもある財界大手の御曹司が、共に泣いていれば話は別だ。
そんな警備員たちに、アンドレは視線で「離れろ」と訴える。それに、シズシズと後退っていく警備員たちを確認して、アンドレはタカバに尋ねた。
「どうして、ボクに謝るのだ?」
警備員たちは角を曲がり、距離は開けてくれたものの、すぐ駆けつけられる位置にはいるのだろう。声も聴こえるだろうし、もしかしたら盗聴や監視の虫が仕掛けられているかもしれない。
――そんなの、ボクにはわからないけれど。
それでも、たとえ表向きだけだったとしても、失恋した友を少しでも気遣いたかったから。
アンドレの疑問に、タカバは鼻を啜りながら答える。
「オレ……メグちゃんのこと好きなの、テメェに言ってなかっただろ?」
「そ、そんなことか?」
「騙し討ちみてェーで、ゴメン」
――何も、騙されていないのに……。
アンドレは視線を落とす。
むしろ、騙していたのは自分の方だ。メグの婚約者であることを黙っていた。そして、彼女の秘密やこれから何が発表されるか、知っていながら自分は黙っている。
嘘は吐いていない。それでも、
「……騙しているのは、ボクの方だ」
漏れ出た言葉に、腕を緩めたタカバが顔をしかめる。
「どういうことだ?」
「……キミに言えないことが、ボクにはたくさんある。ボクのことも、メグのことも、会社のことも……ボクの口から話せないことが多すぎて……とてもじゃないが、ボクはキミの友人だと胸を張れそうにない」
「バカなことを言うんじゃねェーよ」
タカバから即座に返ってきた言葉に、アンドレは目を見開いた。
「一緒にオレん家のパンを売ってくれた仲じゃねェーか。マールも、またテメェが遊びに来るの、待ってるんだぜ?」
「そ、それはボクが迷惑を掛けたからで――」
「友達なんだよ、テメェがなんて思っていようが、オレにとってアンドレ=オスカーは友達だ。その友達が好きな相手……ずっと分かっちゃいたのに、オレはテメェに何も言えなかった。今だって、つい昨日片思いどころかアンドレが婚約者だって知ったってーのに、オレはオメオメとメグちゃんに告白したんだ」
「それの、どこが悪いのいうのだ?」
恋愛とは、残酷な勝負の世界だ。
一人の女性に対して、複数人が好きになれば、必ず敗者が出てきてしまう。
皆が幸せになることは出来ず、必ず誰かが涙を呑む世界。
――それは、恋愛に限ったことではないのだろうけど。
でも少なくとも恋愛という世界において、アンドレ=オスカーは思う。
「弱肉強食だ――欲しい女性を手に入れるために、時に誰かを蹴落としても許されるのが、恋愛というものだ。タカバ氏」
「でも……」
アンドレは笑う。
「それでメグが幸せになれるのならば、ボクはそれが望ましい。生徒会長殿でも、タカバ氏でも、誰かがメグのことを幸せにしてくれるのなら、ボクはそれでいいんだ」
だけど、アンドレは知っている。
――それでも、彼女は幸せになれない。
このままいけば、数時間後のパーティでアンドレとメグの婚約が発表される。それと同時に、あの計画も公表されるだろう。
そうすれば、世界はもう止まらない。
もう恋愛という次元に留まらず、世界を真っ赤に染める世界の話になってしまう。
――それを止めるために、彼女は一番自分が不幸になる選択を取ってしまうから。
アンドレは唇を噛み締める。口の中に広がるのは、後悔の苦味のみ。
彼女がなるべく穏便に計画を邪魔するために、ルキノと付き合いだしたことを知っていた。
でも本当は、タカバのことが好きなことも知っていた。
どちらかに――あるいは両者に、全て話しておけば何かが変わったかもしれない。メグもどこかで心変わりをしたかもしれない。他にも、誰かに相談していたならば、全てが丸く収まるような名案を誰かが閃いてくれたかもしれない。
だけど、アンドレは黙っていた。
彼女の覚悟を尊重した――そう言えば聞こえはいいかもしれないけど、全ては彼女の一存に任せただけだ。
自分には、何も出来ないから。
ただの親の付属品でしかない御曹司の自分には、自分のワガママの結果オスカー財閥が潰れるかもしれない重圧を背負うことも出来ないし、力尽くで何かを為せるほどの強さもない。
こんな自分に、彼女の婚約者と名乗る資格はない。
こんな自分に、彼女に「愛している」と伝える資格もあるわけがない。
「タカバ氏……キミはさっき、メグに『これから強くなる』と誓ったよね?」
「お、おぅ……」
アンドレの質問に戸惑いながらも、だけどすぐに頷くタカバにアンドレはニコリと微笑んだ。
「ならば――ボクは、こんなボクを友と呼んでくれたキミを信じたいと思う。何があっても、必ずメグを幸せにしてあげてくれ」
「……それを、さっきフラれたばかりのオレに言うのか?」
「フラれたら、もうキミの好きは消えてなくなるのかい?」
「まさか!」
話しているうちに、タカバの涙は何処かへと消え去っていた。目と鼻はまだ赤いけれど、それでもタカバは真っ直ぐにアンドレを見てくれている。
それに満足したアンドレもまた笑みを強める。虚勢で作った笑みは、彼の幼馴染にそっくりだった。
「任せたぞ、タカバ氏ッ!」
アンドレは友に手を差し出す。「お、おぅ」とついていけない様子ながらも固く手を握り返してくれる友の手は、とても頼りがいのあるあたたかいものだった。
◆ ◆ ◆
その男は私室で着替える。パーティのための正装として準備されているのは、いつもよりも畏まったスーツ。
社長という仕事柄、寝る時以外のほとんどの時間をスーツで過ごしていれば、もはやスーツも既に肌の一部。それが平易な時のために仕立てられていようが、このパーティ用のように光沢感があろうが、大した問題ではない。
常に身に纏わねば生きていけない装備品――つまりは、脱いでしまえば何一つとして身を守るすべがないということ。
――社長という鎧を脱げるんだったら、命の一つや二つ惜しくはない気もするけどね。
ジャケットを羽織った時、ふと目に入ったのはサイドテーブルに置かれた電子写真集だった。昨晩、友との酒のつまみの一つとして、見ていたものだ。
「しまったつもりだったんだけどな」
パーティの開始まで、まだ少しだけ時間がある。
なんとなく男がその冊子を開いたのは、ただの気まぐれ。
ページを開くごとに浮かび上がる画像は、娘と共に過ごした十六年間だ。
自分から生まれたとは思えないほどに、可愛らしい娘。配合相手として選んだ女性は能力だけでなく見た目にもこだわったので、娘はなかなかの愛らしさを持って生まれてくれた。それでも、赤い髪や少し垂れ目気味の大きな同色の瞳、小柄な所など、やはり自分に似た所を見つけると嫌でも頬が綻んでしまう。
それは、彼女が誕生した時からだ。
カプセル越しにしか会えなくても、男は毎日毎日、寝る間も惜しんで娘に会いに行った。一ページ目の写真は、まさにカプセルに張り付いて娘を凝視している写真だ。秘書が呆れながらも、ヒッソリと写真に収めていたのだ。
――あの時の秘書さんも元気で過ごしているかな。
寿退職した社員と、わざわざ連絡を取るほど社長業は暇ではないし、距離を詰めるほどの間柄ではない。それでも、スケジュールにきちんと『お見舞い』の時間を毎日組み込んでくれる茶目っ気のある秘書のことを懐かしむくらいの情緒はある。
男が苦笑しながら次のページをめくると、今度は三歳くらいの娘が絵本を読んでいる写真が浮かび上がった。カプセルから出れるようになって、識字能力のテストをしている時のものだ。
カメラを向けられ、ビックリしたのだろう。フリフリの洋服に身を包んだ娘が、目をまん丸く見開いている姿がまた愛らしい。
だけど、同時に男は覚えている。彼女は既にこの時、絵本のみならず新聞も音読が出来、当然内容も把握出来ているという検査結果となったことを。
――そして、一度見たものは忘れない絶対記憶能力も確認出来たっけか。
次に目を引いた写真は、もう少し大きくなった確か五歳の頃。
運動着に身を包み、成人男性相手と組み手をしている姿がまた可愛らしい。だけど相手はお遊びではなく、その目は真剣そのもの。男の記憶では、さすがに正式軍人には敵わないものの、学生相手には八割の勝利を収めていたはずだ。
――負かした相手全員に、彼女は悲しげな視線を送っていたか。
それは相手に対する同情か、それとも自分の強すぎる能力に向けたモノか――その時の心境を、男は本人に訊くことが出来なかった。
だけど、他の写真で彼女は笑っていた。
忙しい仕事の合間を縫って、海へ行った時の写真。
自分への誕生日プレゼントにと、初めてお弁当を作ってくれた時の写真。
寝ている自分の顔に落書きしている写真。
動物の背中に乗ってこちらへ手を振っている写真。
社長業の傍らで、少しでも娘と過ごす時間を確保してきた軌跡が、色鮮やかに蘇る。
学園に入学した頃からは写真の数が減ってしまい、自分と彼女以外にも彼女の幼馴染の少年が映ることが増えてきた。中にはヒッソリと盗撮のように撮った写真もあるくらいだ。
それでも、自分にとっては永遠に大事な娘。
彼女が大人になるにつれ、徐々に自分を邪険にするようになったとしても、愛おしさは変わらない。
――たとえ、彼女の願いを叶えてあげられないとしても。
たとえ、彼女が普通の生まれ方でないとしても。
人為的に生まれた存在だとしても。
そのため、彼女がどんなに願ったところで『普通の幸せ』を与えてあげることが出来ないとしても。
――それでも僕は、彼女の父親だと胸を張っていいのかな……?
男はそっと電子写真集を閉じる。
昨日これを見ながら、友にどれだけの自慢をしてやったことか。
友の娘の写真も見せてもらいたいところだったが、頑なに拒まれてしまったことが悔やまれる。
「また落ち着いた頃に、連絡くれるかな」
娘との思い出と、友ともの思い出。
その二つを胸に、男は手慣れた様子でネクタイを締める。
鏡に映る自分は、エクア一の大企業ブライアン社の社長。
そこに娘に甘い父親もいなければ、友に呆れっぱなしの情けない男もいない。
エクア数十万人の生活と今後の命運を握る権力者が険しい顔で鏡に映っている。
「よし」
男は優雅な足取りで私室を出る。
私欲と思い出を部屋に置いたままにして、娘の想いを犠牲に、よりよい世界を作るために――――




