父親の事情
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エクア東部トリドールをほとんど占拠している大企業ブライアン社。
その本社ビルの最上階にある社長室で、一番の特等席に座る男に怒鳴りつけることが出来る少女は、この世に一人しかいない。
「パパ、何回も言っているように、あたしアンドレと結婚する気はないから! ルキノ君も呼んでるんだし、失礼なことは言わないでよね‼」
「だからメグ……こればかりはと何度も話しているだろう? 他のワガママなら何だって聞いてあげるけど、これだけは無理だ。いい加減諦めなさい」
怒鳴っても、泣いても、この娘には効果がない。
だから父親にして、ブライアン社の社長たる男は、なるべく落ち着いた口調で言い含めるよう説得する。
それでも、この自分と同じ赤毛が可愛い娘は、まるで言うことを聞かない。
「それはこっちの台詞だよ、パパ。今まで、これ以外のことは何だってあたし、言うこと聞いてきたよね? ここでこそ可愛い娘のワガママを聞いてもらいたいところなんだけど⁉」
――確かに。
彼女が生まれて十六年。誰が見ても、彼女は素晴らしい娘だった。
諸事情により母親がいない環境だったにも関わらず、小さい頃から親や家政婦を困らせることもなく、泣き叫んだり、地団駄を踏んだりすることもなかった。社長令嬢として複雑な環境ながらの教育内容も全て一度で身に付け、学園でも文句の付けようのない成績を納めている。
本当ならば、もちろん娘には幸せになってもらいたい。
子供が欲しい。出来ることなら女の子がいい――それは、自分がまだ若かりし頃からの唯一の夢だった。
彼女以上に、ブライアン社の御曹司として完璧な教育を受けてきた自分に、自由は何一つなかった。
食べる物も、着る物も、付き合う相手も、もちろん全て完璧なモノが準備されていた。
その中で一つだけでもと、自分で望んだモノ――それが、可愛い一人娘。自分が生まれた証にもなる愛おしい存在。
――本当なら、娘の好きな人と幸せになってもらいたい。
それは、親ならば誰しもが持つ親心。もちろん、それがないわけではない。むしろ、誰よりも持ち合わせていると男は自負できる。
それでも、それだけはどんな地位や名誉、金があっても、叶えてあげることが出来ないのだ。
むしろ、それらを持ち合わせてしまったからこそ、与えてあげることが出来ないのだ。
男は短く揃えた赤い髭を撫でる。昔は童顔と言われていた顔も、それなりに年と苦労を重ねれば皺も出来て、貫禄へと変化してくるのだ。
「メグ――理解しなさい。君のその一つのワガママで、どれだけの損害が出ると思っているんだ。お金だけの問題でないのは、君も承知のことだろう?」
それに、娘はより一層顔を険しくさせる。
「損害……? 娘のたった一つの願いよりも、パパはお金や名誉の方が大事だというの?」
「……そうだ。君の結婚によって、ブライアン社何千人の生活――いや、エクア全土の将来がかかっているんだ。むしろ、きちんと良好な相手と結婚させてあげるだけで、かなりの譲歩なんだよ」
それに、娘はムスッと黙る。ふくれっ面。十六歳という年相応か、それよりも幼い表情は父親という眼鏡を外したとしても可愛い。
それでも娘のワガママを利いてあげられない男は、ため息混じりに続けるしかなかった。
「アンドレ君は良い子だろう? 僕が言うのもあれだけど、御曹司という立場でありながらもあれだけの善人はまずいないよ。オスカー夫妻の教育の賜物ともいえるけど、たとえ政略結婚でなかったとしても、僕は彼のような男の子が君の伴侶になってくれるのなら、安心して君を任せることが出来ると思っている」
「……それは、あたしが普通の人間だったとしても?」
「もちろんだとも」
男は即答した。なんせ、今の言葉は紛れもない事実なのだから。
今は、どうしても頼りなく見えてしまう幼馴染かもしれない。だけど、近い将来その評価は百八十度変わるだろう――それは社長としてあらゆる人を見てきた先見の明による判断。
だけど、それを娘を相手としても、理解させるのはやはり難しいらしい。
「でもアンドレは――」
そう言いかけた時、彼女のポケットから振動音が響いてくる。彼女は不満げな顔で小型通信機を取り出すと、唇を噛み締めていた。
「タイムリミットか」
小さく愚痴た彼女はスカートを翻す。
「友達が来たから、迎えに行ってくる。でもパパ――あたしはギリギリまで諦めるつもりはないからね!」
そう言い捨てて立ち去る彼女の足音は、どこか荒々しい。
「明日が婚約発表だっていうのに、いつまで粘るつもりなんだか」
その苦笑を聞く者は誰もいない。盗聴などがないように管理しているし、誰も無許可でこの部屋に入らないように徹底している。
だから、こんな運のいいタイミングで私用の小型通信機が鳴ることなんて、滅多にないのだ。
この後も娘が友達を連れて来るまでは書類に目を通す予定だったが、通話相手を確認する時間がないわけでもない。ましてや、私用にかけてくる相手なんて、娘くらいしかいないのだ。
――誰だ?
小型通信機に浮き上がる文字を見て、男は思わず目を見開いた。
それは、とても懐かしい相手だった。かれこれ二十年近く連絡を取っておらず、つい先日まで死んだのかとも思っていた相手。
――そういや、在学中も通話してくることはまずなかったな。
連絡先を交換した覚えもない。いつの間にか勝手に登録されて、勝手に自分の連絡先も知られていた――そんな本名すら知らない親友を示す伝説という単語を見て、男は通話ボタンを押さずにはいられなかった。
「やあ……君が連絡をくれるとは思ってもいなかったよ」
『ならば涙の一つも流したらどうだ? 今ならば、私も若干時間があるからな。数秒なら貴様に時間を割いてやってられなくもない』
「ハハ、君のその物言いも久々に聞くと楽しいものだね」
そう笑うと、通話の相手は不服そうな声を発した。
『ほう、それは嫌味のつもりか?』
「いやいや滅相もない。通話くれて嬉しいよ――で、いきなりどうしたの?」
『うむ。貴様が私と呑みたいだろうと思ってだな。今日の夜中から時間が取れそうだから、相手をしてやろうと思ったのだ』
――確かにこないだ会った時には誘ったけどさ。
前回久々にあったのは、ランティスの事件の時。
その時自分から誘った時には『貴様に費やす無駄な時間を、私は持ち合わせておらん』と一網打尽にされたのは今でも当然覚えている。
「嬉しい申し出だけど、あいにく今はトリドールにいてね」
『奇遇だな。私もだ』
「……明日大きなパーティがあるから、その準備が夜遅くまで――」
『だから夜中と言っているだろう。明日が大事だからこそ、一睡もせずに貴様が働くような予定を詰めているとは思えのだがな』
「……つまりあれかな。その睡眠時間を削って呑もうというお誘いなのかな?」
それに、通話相手は間を入れずに「うむ」と頷いた。
『無論だ。私と一緒に酒が呑めるのだぞ? 睡眠時間なぞゼロになっても惜しくもなんともないだろう』
「いや、明日は大事なパーティだって、僕言ったよね?」
そうは返しても、男の口角は上がっていた。
学園を卒業して以来の気まぐれな旧友からのお誘いだ。確かに睡眠時間なんて惜しくないくらいの魅力はある。
それに、男はわかっていた――どうせ断っても、無駄なのだと。
『というわけだから、適当な時間に貴様の寝室に訪ねてやるから、酒の準備をして待っていろ。ではな』
容赦なく告げた通話は、一方的に切れる。ツーツーという機械音が男の予測通りにスピーカーから無情にも流れていた。
「やっぱり僕には拒否権がないわけね」
それは、昔からのことだった。
気が付けば傍にいて、いつも面倒事に巻き込んでくる旧友。
それは、男が唯一周りから与えられたわけでもなく――ついでに希望したわけでもなく手に入った存在。
「男同士でパジャマパーティーか」
彼にはどんな道理も理不尽させも通用しない。だからこそ、十数年ぶりの急な呑みの誘いだって、おかしくはないのだが、
「でもあいつ……今ここにいるというのか?」
その事実に、男は顔をしかめる。どんな厳重な警備をしていても、きっと彼なら何ていうこともなく突破して、社長である男の寝室にやって来ることは造作もないだろう。
だからこそ、抱く懸念に「参ったな」と零した時だった。
扉が丁寧にノックされる。娘たちにしては早いなと思いながらも「どうぞ」と声を掛けると、開かれた扉の奥には一人の淑女が微笑を浮かべていた。
「ブライアン伯爵。一つ確認したいことが」
「あぁ、モナ君か。どうしたんだね? 何か手違いでもあったかな?」
共同研究社の代表である青髪がたおやかな女性に愛想笑いを返すと、彼女は複雑そうな顔で一つの質問を投げかけてくる。
「少々噂として耳に入ったのですが……メグさんのお友達が、明日のパーティに出席するというのは本当ですか?」
「あぁ、彼女たっての希望でね。クラスメイトが――三人だったかな。参加する予定だけれども……何か不都合でも?」
「いえ……ただ、一つ覚悟だけはしておいてください」
そう言った彼女は真面目な顔で、男に告げる。
「明日は、荒れます」




