サムが息子
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ある日、あるいはその日、超絶した常時を過ごしていても僕の考えはいっこうに鈍らないし、そこにはさしたる変化も生じなかったんです。つまらない話なのかもしれないし、きっとそうに違いないのだけれど、闇の深淵にまでえらく落ちくさった自身の思いを改めるつもりなんてないんですよ。これまでの惰性を続けることなのかもしれない。それでも僕は僕がやりたいことに身を委ねることができているうちは、それでいいと考えるんです。そんなのダメ? ダメじゃないよ。だって僕が僕自身がそうであることを良しと定義したんですから。
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彼の名前は本庄朔夜。
興味深い人物だったんです、なによりおもしろいニンゲンだった。あからさまに――たかが9ミリではあったけれど――銃口を向けてもよけようとしなかったんです。いっこうに両の腕で頭部だけをかばうようにして結果として――やっぱり9ミリのレガシーな銃――マカロフの八発をしのいでみせたんですよ。脳みそ撃ち抜かれたら死んじゃうじゃないですか。それだけ防げば彼からすれば勝ちだったんですよ。とにかく彼は大した人物だと感じさせられたんです。どうやら「僕のボス」と彼とは何か通ずる部分があるらしい――のだけれど、そのあたりのファクターは抜きにして、ただ一人の個人としてただ一つの個として、一般的なニンゲンより優越的な男だと思い知らされたんですよ僕は、本庄朔夜という脳筋馬鹿のニンゲンに。
忘れません、忘れることなどできようはずもないんです。ほんとうに。僕は良い意味でも悪い意味でも「人類の超越者」なんだろうと思うのですが、だからこそ、本庄みたいな泥臭いニンゲンには敬意を覚えるように思ったんです。彼にだって両親はいるだろう、あるいはきょうだいなんかもいるかもしれない。そんなハンデを背負っているかもしれないのに。だからこそ、僕は彼を尊敬します。何があろうが何がいようが、いっぺんのくもりもなく、刑事という堅苦しいに違いない職業に、きっと、殉じるに違いないからです。
本庄朔夜。
きみは素敵だと言えると、僕は思っています。
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僕のボスの名は「神崎英雄」といいます。現状の「テロリスト」に成り下がる以前は、陸自諜報部の一佐だったらしいです。その名のとおり、特に諜報活動についてのプロらしいんですよ。他にも闇討ちの手法等について熟知していらっしゃいます。ニッポンが暗殺部隊を創設する。意外性に富んだ野蛮なことかもしれないけれど、そんなもの、とうの昔にあったんですよ、表向きにはならないだけで、いわゆるSR班とかね。ヒトを殺すすべについてはニッポンだってかなりやるほうなんです。優秀な後進を続々と育てつづけているという側面、事実もあって。だけど、僕が彼――神崎英雄に惚れたのは「元一佐」だとかいう肩書に惹かれたとかそういうんじゃなくて、ただひたすらにピュアで、おまけにその復讐心めいた感情が確かなものに感じられたから彼に身を委ねようって決めたんです。突飛な僕は人生という概念についてすらつくづく退屈さを感じていました。具体的な「たとえば」を言うと、人生について暇を持て余しているのに親戚も親もきょうだいすら殺せなかったんですよ、極端な話。――うん。僕はとにかく未達成で、未完成だったんです。だから何か「トンデモ」を成せることを探していたんです、重ねてのようになりますけれど、それがヒトの生き死にに関わることだとはわかっていたんだけれど、ほんとうに理解が及んでいたんですけれど、客観的に観察しても僕はじつに愉快な存在なんです。常識に囚われたくないんです、倫理に縛られたくないんだ――ないんですよ。
闇が深い部屋で、「神崎さん」と僕は呼びかけました。「サム、なにかな?」と答えると、神崎さんは細いメガネのブリッジ部分を押し上げたんです。もういい年であるはずなのに神崎さんには贅肉がついたような無駄なところがまるでないんです。むしろシュッとしすぎているくらいシュッとしていて、たぶんこういうヒトのことを「イケオジ」と呼ぶんだろうなって思います。どこに行ってもモテるだろうというのが根の深い感想です。
「こないだ、本庄朔夜と会ったんです」
「それはもう聞いた。いいカンジにしつこいな、おまえも」
「かの泉伊織の恋人だと噂される男です」
「噂もなにもない。恋人なんだろう」
「いいんですか?」
「おまえの真意を推し量ることはできるが、私の大義に『そのようなもの』は必要がない」
嘘だよね、それ。
僕は即興的にそう感じた。
そうだね? 神崎さん。
あなたは心のどこかで泉伊織のことを忘れられないでいて、ときどき思い出したりもするんだ。
直接会ったことはないけれど、泉伊織はイイ女に違いない、だって神崎さんの恋人だったんだから。
察しが良くて鋭くて敏感で、きっと直情的で豪放で、だけどなによりクレバーな女性なんだ。
ああ、不倫を罪深いと感じたのかな?
それとも何かが許せなかった?
とにもかくにも、神崎さんはたった一人と誓ったお嫁さんのことを殺したらしいんだ。しかも死体を食らったらしいんだ。そこにどんな理由があるのか――詳しいところはわからない。わからないけれど、それこそ、きっと何かが許せなかったんだろうって思う。俗物とはきっと神崎さんのことだ。じつのところ、僕はそんなふうに確信してる。
僕がおふざけ半分で「彼女の何が良かったんですか?」と訊ねても、神崎さんは「グラマラスな肢体が好みだったんだよ」などと嘘に違いないステレオタイプなことしか謳ってくれない。胸が大きいとかヒップが肉感的だとか、女性の部位に興味を示すようなヒトじゃない。ヒトの生き死にとそこにあるかけひきにしかひりつけない人物なんだ、彼は。いっぽうで他者にヒトとしての価値を問う――ある種のサドでマゾなんだろうと思うんだ――思います。
「神崎さん」と僕はまた呼びかけた。「僕は次に何をすればいいですか?」と問いかけた。
逆に問おう。
そんなふうに、神崎さん。
「サム、おまえの満足の閾値はなんだ?」
閾値ときましたか。
神崎さんは小難しい単語ばかりを持ち出すなぁ。
「楽しいことはそのときそのときで変化します。いやだなぁ、神崎さん。僕のそんなところ、あなたはしっかりわかってるんでしょう?」
神崎さんは暗い一室の背の高いスツールの上であらためて紫煙をくゆらす。丸いテーブルの上のダックジャニエルをボトルのまま、がぶ飲みするかっこうで、僕はその琥珀色の液体を、喉からその奥へとかけて流し込んだんですよ。当然、胸の内がかっとなったわけなんですよ。
「以前のやりとりの果てに、僕は興味を抱きました。純粋なものです。僕はきっともう、本庄朔夜のことが好きなんですよ」
「誰が誰をどう感じようが、それは私の興味があるところではないよ」
「自由にさせてもらっていいですか?」
「ゆるそう。なにせかわいらしい部下の発想にして懇願だ」
「部下なんですか?」
「いや、言い直そう、サム、おまえは私の息子だよ」
僕の家庭環境はフクザツで、だから誰からも面と向かって「おまえは大切だよ」などと言ってもらえたためしとか皆無だったんです。そもそもはそのへんに理由がある、そのへんに、神崎さんに傾き、心酔したような要因がある。――とはいえ、そういったバックステージ、あるいはバックボーンを度外視して、僕は彼に途方もない魅力を感じているように思います。そう、実のところ、過去にあったことなんて、どうだっていいんです。
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手を尽くして連絡をとって、今、僕は「彼」の指定した喫茶店にいます、個室です。漆黒のスーツに白シャツが良く映える、白シャツに漆黒のネクタイはこれまた映えるんだ。本庄朔夜の外見は完成度が高く、とにかく見映えがするんです。
てっきり会った途端にひたいに突きつけられた上でぶっぱなされるものだと予測していたんですよ。彼はそれをしなかった。慎重な姿勢だということです。このあたりの冷静さに僕は鳥肌を覚えるくらい震えました。意外な展開に驚きもしました。脳汁がほとばしったとも言いますね。阿呆すぎる脳筋馬鹿でありながら、じつは物事を正しく見分けることができるニンゲンなんです。僕は彼に対して「ひどい真似」をしたつもりです。そうでありながらの静謐なるたたずまい――僕が彼に惚れ込まない理由なんてもはやないと言っていいんです。
で、だ、サムさんよ。
問題の本庄朔夜がそう切り出してきたんです。
「オメー、わかってんのか? オメーは俺の身体にいくつも穴ぁあけてくれた男なんだぜ?」
「それはもう言いっこなしということで」
「はぁ?」
「結果が得られればこれまでどおり納得と満足がいくと思っていたんですよ。だけど、そうじゃなかったんです」
「だったらどうする?」
「ボスにアドバイスを求めました」
「おまえは弱虫毛虫だな。自分で考えろよ、くそったれ」
そう言われてもしょうがないと考えたし、そう思われて当然だと思いました。
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暗澹たる部屋、自室にこもり、専用の器具を使って適切な量の火薬をいちいち手作業でこまごまこまごまちまちまちまちまはかりながら、僕は一つ一つ、弾丸を仕上げていたんです。市販のものでもかまわないと言えばかまわないのだけれど、自らの手でこしらえたほうがよっぽど信頼ができます。信頼――これほどまでに愛すべき語句はありませんね。嘘くさい言葉もない。幻想に近い概念です。
部屋に、神崎さんが入ってきました、珍しいことです、基本、誰にも興味を示さないのが彼なのだから――です。「相手はそれほどまでに狂的なのかね?」と問われました。「そうですよ」と返すと、「サム、おまえは幸せ者だな」と軽口を叩くように言われました。
「で、次は誰を殺すんだ?」
「この国の最重要人物です」
「だから、それは?」
「決まってますよ、後藤泰造です。モグリでなきゃ誰でも知ってることです」
回転椅子をいよいよ回し、後方を振り返った。
神崎さんは訝しむような表情を浮かべていた。
「殺れるのか?」
「始末します。あの『おじいさん』が僕たちにとっての最大の難敵であり、障害であり、防壁なんですから」
「だからこそ、しくじる可能性のほうが高い。それでも、おまえは?」
「戦いますよ、最後まで。だからついでに本庄朔夜も殺してやります」
「それは私情だろう?」
「任せてください。僕はきっと天才なんですから」
僕は嘯くようにして――いっぽうで問答無用にそう言い切ったんです。
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いろいろなネゴを済ませた結果として、僕はふたたび本庄朔夜と――某高校の体育館にて銃を向け合い向き合っています。シチュエーション、ロケーション――先方とこちらとが交渉した結果なんです。第三者にあたる会場が望ましいというのはお互いの無言の合意事項だったんですよ。
「テメー、いいかげんにしろよ」と、本庄朔夜の声色はかなり強くてキツかったです。
「いいかげんにしろとは? その気になれば僕たちのことなんか簡単に潰せると軽んじられているんですか?」
「んなこた誰も言ってねーだろうが」
「戦いましょうか」
「やぶさかじゃねーよ」
「でも、やめましょう」
「ああん?」
やめましょう。
も一度言って、僕は彼に背を向けた。
「待てよ!」
「殺され急ぐことはないはずです」
「テメー」
「仲良くやりましょう。のんべんだらりと、どちらかが死んでしまうまで。その旨、伝えたかっただけなんですよ」
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少々面倒なこと起きているらしいです。
組織のアジト、暗い部屋の中、簡素なデスクの向こうの回転椅子に、神崎さんは僕に背を向けて座っていて。
「面倒なことってなんですか?」
「我々の組織の信奉者を名乗るニンゲンが次々に自殺している。まだ内々の話だ」
「自殺、ですか?」
「――いや、違うな。正確には、彼らは自爆テロに身を投じている」
ホントにそんなの初耳だったんです。「我が国でも自爆テロかぁ」とじゃっかん嘆きたくなりました。その行為にはあまりに救いがないからです。
「私は彼らを止めたい」神崎さんの物言いはいつも正直だ。「なぜかって、それは不本意だからだ」
「止めたい――事案の阻止を、僕に指示されるわけですね?」
「そうだ。しかし、実際に果たすのは難しいだろう」
「えっと」
「なんだ?」
「いえ、実際の神崎さんはそこまで悲観なんてされていないでしょう?」
「そう言える根拠は?」
ですから感覚です。
僕はそれを吐かなかったんです、特に意味もないですから。
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自爆テロを食い止められないでいます。昨日から立て続けに、しかも折り目正しく二時間おきにあちこちに悪意――否、悲しみという名の爆弾を炸裂させています。「突き止める側」の限界はあるに違いないんです。そもそも情報が足りず、あてずっぽうの探索になるんですからね。そんなこともあって、僕はなにより刑事であり、もはや「旧知」と言える本庄に連絡をとったわけなんです。連続自爆テロの心当たりを知りたいと謳い、それを共有したんだから一緒に調べようと提案したんです。当然、個人としては怖いもの知らずながらも堅苦しい公僕たる彼は、第一声から強い言葉で突っぱねたわけですけれど、「信じてほしい」とだけはしっかりはっきり伝えました。――馬鹿なんですね、本庄は。「ヒトの生死」を説いただけで信用してくれたんですから。
電話でのやりとり。
「ええ、そうですよ本庄さん、何度だって申し上げる、っていうか申し上げます。連続自爆テロの犯人は、まあ言わば、僕たち側のニンゲンです」
『だったらだったでオメーさんとこで始末をつけろって話なんだが?』
「それができそうもないから頼っています』
『ふざけてんのかテメーは』
「とにかく次のテロ犯を捕まえてください。お願いします」
『ふざけんなっつってんだ。オメーは俺が知ってる中でも最悪に近い殺人鬼なんだからよ』
だけど僕にとって、あなたは最悪ではない。
僕たち「組織」にとっても、じつのところ、それは言えることなんですよ。
『連続自爆テロに共通する現象は?』
「それは当然、決意の固い者から事に及ぶであろうということです」
『当然の共通認識が得られてよかったぜ。直近のはどれくらい前なんだ?」
「一時間前です」
『もう二時間ごとじゃねーのか』
「そういうことです」
『世の中ってのは馬鹿ばっかだな、くそったれ』
つくづく豪胆な人物だと言えます。
正直言って、ウチの内部的ごたごたの処理を任せるのは申し訳ないとすら考えています。
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疲れた身を癒すには楽園と呼べるかもしれない某テーマパークにおいて、たがいにベンチに並んでチュロスを齧りながら。僕はポップコーンがいいと言ったんですが、あまりに行列が長かった。ポップコーンの列にファストパスはないらしいです。
「いくつか芽は摘んでやったわけだが、で、どうなったんだよ、自爆テロの話はよ」
「それが、以降の詳しい情報はつかめていないんです」
「なら潮時だ。俺はおりるぜ」
「協力してくださいと言っています」
「金なら払うってか?」
「ええ」
彼は「けっ」と吐き捨てると、つまらなそうに笑ったんです。
「ああ、ホント、笑わせんなよ、サムさんよ。つくづくテメーは紫色のオーラをまとった怪物だろうが」
「言い値をお支払いしますよ」
「魅力的な条件だ。それでも競争なんだろう?」
「それはそうですが、どちらが捕縛しても結果は同じですから」
おいしい夕食をともにしましょうよ。
そう言って、僕は自分でもそれとわかるくらい穏やかに微笑みました。
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地味な感じで自爆テロは続いています。こうなってくると誰が指示役だとかそんなことはどうだっていいんです。自ら木っ端微塵になるニンゲンが多いとなると、この国に住むニンゲンは少なからずゾッとするでしょう。「不意打ちの自爆」なる行為は恐怖の大きさとしてはじゅうぶんなんですよ。
アジトにて丸テーブルを挟み、今夜も僕は神崎さんと向き合っています。
「もはや、わかりました」と僕は言い。
「何がわかったんだ?」と低く――そう渋い声で、神崎さんは問いかけてきて。
「世の中はなるようになっています。その点は疑いようがありません」
「市民に対する粛清は必要がない、と?」
「僕はそう思います。従いますけれど」
「大きなタービュランスが起きる」
「神崎さんが起こすんでしょう?」
「やはりおまえは優秀だな、サム」
僕は笑い、そして椅子から腰を上げました。
「僕はあなたの強烈なシンパですよ。最後までそうありたいんです。くれぐれも期待を裏切らないでくださいね」
「それは愚かな思考だよ」とか、神崎さんは結論づけた。
「どうしてですか?」
「今は言うまい」
だったらやっぱりひとまずついていきます。
僕がそんなふうにやんわり誓うと、「サム、やはりおまえは私の息子だよ」と、神崎さんはにこりと笑いました。
生きているうちは、楽しみがない。
誰も知らない涅槃に思いを馳せるよりほかにないと考えていたんです。
でも、ここははっきりと、あえてその考えを、勢いを込めて、改めましょう。
その果てに殺されるようなことがあれば、それはそれで美しい結末だと言えるんです。
本庄朔夜。
僕は最後まで、あなたと命のやりとりができれば嬉しいなって思います。
そう考えると、残りの人生、楽しく過ごせそうな気がしています。
またあなたに会いたいな。
きっと会うことになるのでしょうね。




