閑話79.5 父と息子
ポートラの港町は今日も人で賑わっている。
大漁旗と共に帰ってきた漁師や、長い航海を経て交易を成功させてきた商人、そしてそれらを相手にする地元の人々。
アデム商会もまた、大勢の人が出入りしていた。特に今日は遠く離れた東の島国から交易船が帰ってきたとのことでより一層盛り上がっている。
そんな声を、ジャントーニは遠くぼんやりと聞いていた。
胸の内は後悔で一杯である。
どうしたら、時間を戻せるだろうか。
そんな馬鹿なことすらも頭に浮かぶが、いざ戻せるとしてもどの時点に戻れば良いか。いっそのこと生まれる前に、とまで考え始めたところで部屋のドアが開いた。
「お2人は一度帰られましたよ」
威圧感は嘘のように消えており、優しいいつもの父の顔に戻っていた。だが、それで罪悪感がなくなるわけがない。いや、やらかしたことを考えれば増すばかり。
「父さん、本当に申し訳ない」
まともにその顔が見れず、ただただ頭を下げる。
少しの沈黙のあと、ロウヤは口を開いた。
「貴方がやらかしたことは、とても大きなことです。商業ギルドを敵に回してしまえば商売はあっという間に立ち行かなくなります。そうでなくとも他者から顧客を奪い取るような真似は商人としてご法度です」
「はい」
「理不尽に奪われる辛さは、貴方が何よりも知っているはずですよ」
「あ……」
その言葉に苦い記憶を思い出し、深くうなだれる。
何をしてでも役に立ちたいと思ったのは事実。しかしながら現実としては役に立つどころか足を引っ張っている。
「そもそも、貴方は何故商人の道を?」
「吟遊詩人で行商をやっている方もいます。私だって今から頑張れば商売の道にだって……」
「不可能とは言いません。しかし、それは本当に貴方がやりたいことですか?」
「それは……」
問われてジャントーニは口を閉ざす。
即答できなかった。それが、答えだとロウヤもジャントーニ自身もわかっている。
「貴方が本当に、心から商売をやってみたいと思うのであれば私も知識の出し惜しみなどはしません。しかし、貴方の心は別の場所にあるような気がしてなりません」
「ですがっ……そうでもしなければ父さんの夢が……」
「私の夢、ですか?」
「幼い頃聞かせてくれたじゃありませんか。父さんは、この世界の隅々まで品物を届けられる、そんな大きな商会にするんだって……。なのに、私はその道半ばで父さんの夢を奪ってしまった。ならばせめて商会が大きくなる手助けでもしなければ、私は……」
幼い頃、街を出ていく商隊を眺めてロウヤはジャントーニにそう語った。たくさんの荷を載せた馬車が少しずつ小さくなっていくのを見送りながら、胸を張って。
子供ながらに、そんな父を誇らしく感じたものだ。
「なるほど……そんな風に考えていたのですね」
感情を露にするジャントーニとは対照的に、ロウヤは穏やかな笑みのままだった。しかし、息子が本音を零す様子に、その笑みが苦笑に変わる。
「若いお2人に勧められるはずです。息子がここまで思い詰めていたとは……。それに、言葉にしなければ伝わらないこともある。本当にそうでした」
独り言めいた口調にも苦みが顕著だった。
それでも、ロウヤはジャントーニの正面に立ち、その目をまっすぐに見つめ、毅然と話し始めた。
「よくお聞きなさい。確かにそれは父の夢でした。ですが、今はまた違う夢を持っています」
「違う、夢、ですか?」
「えぇ。私の才能豊かな子供たちが、人生を謳歌することです」
ジャントーニには年の離れた兄姉が1人ずついる。兄はジョブが商人だったので、父の跡を継いでいる。姉のジョブは魔法使いだったが、その頭の良さを活かして商会の経理を務めていた。先日縁あって他の商会の人間と結婚したのだが、揉め事になることもなくどちらにとっても良い取引が続いているらしい。
2人ともアデム商会を盛り上げている才気ある若手と称されていることは聞いていた。
「子供たちのためなら、商会の会頭という椅子くらいいくらでも捨てられますよ。事実、シャルルは今イキイキと新進気鋭の会頭として頑張っていますからね」
「……兄さんは流石ですね」
ジャントーニが物心ついた時には、兄・シャルルは既に商いの道に進んでいた。嬉々として店に足を運んでいた姿を思い出す。
自分がおかしなパトロンにひっかかったせいで交代が早まったと思い込んでいたが、そういえば兄はそんな人だった。目をキラキラさせて、新しく思いついた商売の話を捲し立てていた。
「貴方もシャルルと同じように、好きな道を行けば良いのです」
「……私には、無理です。もう、何のフレーズも思い浮かばない」
音楽が好きだった。
いや、今でも好きだ。
だが、以前は溢れんばかりに湧き上がってきた音が、フレーズが、何も聞こえないのだ。それを認めたくなくて、必要のない時でも楽器をかき鳴らし、言葉に抑揚をつけていたのだけれど。
もしかしたら、あの鳥かごの中で自分の音楽は死んでしまったのではないかとさえ思う。
「ならば気分転換に、私の最後の商談に付き合いませんか?」
「最後……ですか?」
先程までロウヤはあの2人と話をしていたはずだ。自分がしくじった商談の続きを。
ということは、彼が最後と言い切る仕事は、あの2人が持ってきたものなのだろうと予想がついた。最後になどしないでほしい、と言えたら良かったのだが、その原因を作った自分が言えるわけがない。
そんなジャントーニの心情を知ってか知らずか、ロウヤの声は変わらず穏やかだった。
「一度は引退した身ですので、息子から人材を借り受けなければなりませんね」
口ではそう言っているが、ロウヤはどこか楽し気だった。
そこでジャントーニはふと思い出す。自分はまだあの2人に正式に謝罪をしていない。
「あの、私が行けば、お2人は不快に思われるのでは?」
「大丈夫ですよ。何せあちらからお誘いをいただいたのですから。あとは貴方の気持ち一つ」
新たな商談の場。そう聞いても正直心は踊らない。やはり自分は商人ではないのだなと密かに自嘲した。かといって未だ新しい歌のフレーズも浮かばず、自分はもう何者にもなれない気さえする。
まだ迷うジャントーニを前に、ロウヤは変わらぬ笑顔で言った。
「折角窮屈な籠から出られたのです。この場に留まっているよりも、広い世界を見るべきでしょう」
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