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77.イエナの作業スピード

 その後、ロウヤから人魚に関する様々な質問を受けた。イエナもカナタもそれらが全て取引を成功させるのに必要なことだと十分に理解していたので、答えられるものは真摯に答えたつもりだった。ただ、人魚たち本人でないとわからない部分も多く、この先は直接交渉した際に、ということになる。

 実のところ直接交渉については2人とも不安を抱えていたのだが、ロウヤは「アデムの名に懸けて、私の命を懸けて、安全を保証いたします」と誓ってくれた。取引に不利になると承知の上で、あえて過去の事例までも詳らかにし、公平であろうとしてくれた。その思いと合わせて、ロウヤの言を全面的に信頼することを決めたのだった。

 質問以外では、海底での調理が不可能であることと、果物とお茶にとても興味を示していたということはキッチリ伝えておいた。人魚とは意外と食いしん坊であるという印象を植え付けてしまったのではないかと後になって少しばかりヒヤヒヤしたが。


「それでは、取引の基本は物々交換。ただ、それだけですと我々の利益が大きすぎますので、人魚の皆様にそれ以外に希望する品をお伺いするという形で」


「まだ加工を始めたばかりで技術も教え切れてませんし、手もそんなに早くないです。それに、海で泳いだり歌ったりして過ごすことが彼女たちの基本的な生活なので、あまり量は出ないと思います。そこだけはご了承いただければ、と」


 今は海ウールが日常生活を脅かすほどに増えているからやっているだけで、本来ならば泳いで歌って気ままに過ごしているはずなのだ。


「いつまでもイエナが手伝えるわけじゃないもんな」


「いっそのこと半分くらいにまで減らしてから出立も考えたんだけどね。でも、それって練習の材料奪っちゃうことになるでしょ?」


 あの海ウールの塊は、どう考えてもキレイな海の景色には不要なものだ。イエナがシャカリキになって加工し続ければ大幅に減らすことはできるけれど、物事にはデメリットも存在する。

 イエナとしては人魚たちの成長の機会を奪いたくなかった。

 のだが、その会話を聞いているうちに、ロウヤの目が点になった。

 今日は彼の様々な表情を目撃する日のようだ。もしかしたら息子であるジャントーニよりバリエーション豊かな彼を見ているかもしれない。


「あの、お話に口を挟んで申し訳ないのですが……」


「はい、答えられることならなんでも!」


 一番の秘密である、取引相手が人魚であるということはもう告げてある。そもそも腹芸だの隠し事だのがあまり得意でないイエナは肩の荷を降ろしたような気持ちになっていた。これからはリエルたちもお世話になる人だし、信用を得るためにも質問は大歓迎だ。

 そんな気持ちを込めて笑顔で返事をすると、予想外の質問が飛んできた。


「海ウールの加工とは、そんなに簡単なものなのでしょうか?」


「え? えっと……作る人による、かと?」


「今一番上手なミサで、一日にチビTシャツを1つくらいか?」


 てっきり人魚のことを聞かれると思い込んでいたイエナは、予想外すぎてちょっとモゴモゴしてしまう。そこへカナタが助け舟を出してくれたので、落ち着きを取り戻した。ナイスアシスト、カナタ。


「そうね、そのくらい。あんまり根を詰めすぎても他のことを楽しむ時間がなくなっちゃうでしょう? だからやりすぎちゃダメだよって言ってるのはあります。……やっぱり今の量だと取引するには足りないですか?」


 普段から製作を楽しんでやっている自分ならともかく、初めて製作に関わる人魚たちには無理をさせたくなかったのだ。最初に張り切りすぎたあまり、飽きたりイヤになってほしくはない。そんな気持ちから作業は緩めだったし、作業場の雰囲気もおしゃべりの片手間に、という感じだったのだが。


「いえ、それはご心配なく。人魚の皆様が作るというだけで、希少価値が付いて価格が跳ね上がることは間違いございませんし、取引量の多寡は些細な問題です。そこを調整するのが商人の仕事ですから。えぇと、そうではなく……」


 ロウヤの歯切れがいつになく悪い。

 どうしたのだろうと不思議に思いつつも、彼の言葉を待つ。


「職人の方にこのようなことをお尋ねするのは大変失礼かと存じますが、えー……イエナさんの作業スピードとは、どのくらいのものなのでしょう?」


「はい? 人魚たちよりは早いですよ?」


 流石に彼女たちにやり方を教える者として、それなりに自負はある。ただ、何故そんなことを聞かれるのかがサッパリわからない。


「えぇ、それは勿論承知しておりますがなんと言いますか……」


「イエナ、作って見せた方が早くないか? リエルに1スタック分貰ってるから材料はあるだろ?」


「あるある! 確かに見せた方が早いね」


 カナタの再びの助け船に、即座に乗っかることにした。喋りながらもサクサクとインベントリから材料と製作道具を取り出す。作業スピードの話だったが、手は抜きたくないのでいつも納品する品質、会心作をギリギリ回避するレベルで製作を開始する。

 カナタにとってはいつもの見慣れた製作風景だろう。


「いつもながら手早いよなぁ」


「いえ、あの、これは……」


 言葉を濁すロウヤのことは気になるけれど、そうしている間にも完成は目前。ラストスパートをかけてフィニッシュとなる。


「はい、完成です!」


 ロウヤが見ている、ということをちょっぴり意識してしまったが、努めていつも通りの作業スピードと精度でやったつもりだ。

 出来立てホヤホヤの海ウールTシャツを差し出す。


「あ、ありがとうございます。拝見させていただきます」


 Tシャツを受け取ったロウヤはじっくりと品質を確かめているようだ。目の前で査定されるのは流石に緊張してしまう。


「イエナさんの、いつもの品質と変わりありませんね。つまり、普段からこの作業スピードで製作している、と」


「え? はい、そうですね」


「そうですか……。これならその山ほどあるという海ウールを半分に減らせるとおっしゃるわけですね……」


 どういう意味かわからず、思わずカナタを見た。

 だが、カナタも自分と似たような困惑した表情をしている。ロウヤが何に納得しているのかがわからない。


「イエナさん、貴女は今すぐにでも工房を持ち、弟子をとるべき人材です」


「へぁ!? 私が!? いやいや、まだ無理ですよ!」


 自分の工房を持って弟子に技術を引き継がせるというのは、職人であれば大半が最終目標にするものだ。イエナにとってはもっとずっと先の話で、まだまだ経験を積まなければ。……そう思っていたのだが。


「私は貴女ほどの職人を見たことがありません。質も勿論ですが、その作業スピードは圧巻の一言に尽きます」


「え、えぇ? そんなことを言われても……」


 そこまで言われるほどのことなのだろうか。ロウヤがこんなことで嘘を吐くとは思えないが、イマイチピンとこない。

 首を傾げていると、カナタが声を上げた。


「イエナって前、未知ジョブだから人の倍頑張らないとみたいな話をしてなかったっけ?」


「言った気もする、かも。実際弟子時代とかはそう思ってやってたし」


「それじゃないか? 俺はそっちの知識がないまま見慣れちゃったから気付かなかったけど、そうやってめちゃくちゃ努力した結果、作業スピードがとんでもないことになった、とか」


「ありえますね。クラフター職であっても、畑違いの仕事は皆さん苦労されますから。それを補おうとした結果作業スピードがその『とんでもないことになった』と」


「えっと……とんでもないんですか?」


「私の言葉で言わせていただけるならば、『異常』です」


「え、えぇぇ?」


 ロウヤらしくない言葉だと聞き返してみたら、そんな回答が。『とんでもない』と『異常』、どちらがマシだろう。


「もし貴女が工房を開きたいとおっしゃるのであれば、商会を挙げての支援をお約束いたしましょう。貴女にはその価値があります」


 一人前の職人として胸を張れるようにと思っていたのだが、いつのまにかそこを飛び越え、工房を持たないかと言われている現実。喜ばしい言葉なのだが、それよりも先に困惑がきてしまうのは何故だろう。

『とんでもない』と『異常』か……。


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