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70.歌う男

 ここ数日は女性人魚たちで賑わっていた海神の溜め息内だが、長老様の言いつけが守られたようでイエナたちが戻ったときには誰もいなかった。片付けもキチンとされているのはミサの生真面目さが出たお陰かもしれない。


「そういえば、カナタ戻ってきたときになんか話があるって言ってなかった?」


 カナタは、同じ異世界出身のセイジュウロウの手記を読みたくてソワソワしているのが見て取れた。なので、先にこれは聞いておかねばと思ったのだ。

 夢中になったらその他のことが手につかないのはお互い様である。可能な限り没頭できる環境作りに協力したいので、まずは早めの情報共有から。


「あ、そうなんだよ。えーと……ゲンたちのブラッシングしながらでいいか?」


「オッケー。あと今日は私が料理作るから、遠慮せず没頭していいよ」


「マジ!? すげぇ助かるありがとう」


 チラッと見ただけだが、セイジュウロウの遺した冊子はそこそこの厚さがあった。夜を徹してとまではならないだろうけど、普段やってもらっている雑用くらいはしてあげたい。

 そんなことを思いながらルームに入り、地下でいつものようにモフモフたちのブラッシングをする。


「メェッ!」

「めぇ~~」


「久しぶりに走って楽しかったみたいだ」


「魔物退治はしなかったの?」


「あぁ、それがポートラの港町で妙なのに会ってさ。これはイエナにも伝えないと思って狩りはやめたんだよ。イエナはアデム商会って覚えてるか?」


「勿論! ロウヤさんのところの大きな商会よね」


 ロウヤというのは、トマリの街で出会ったちょっぴり風変わりなナイスミドルである。どこが風変わりかというと、商会の元会頭という肩書きを持ちながら街の商業ギルドでバイトをしていたあたりだ。普通元会頭なら座を譲って悠々自適生活をしていそうなのに。

 そんな元会頭様が、イエナの製作品をエラく気に入ってくれて、専売の話まで持ちかけてくれたのだ。覚えていないわけがない。

 その商会がどうしたというのだろう。


「そうそう、その商会の縁者だっていうのが現れてさ。イエナは今どこだ? って言うわけ。多分商会で俺の人相書きと一緒に噂になってんだろうな」


「えぇ!? なんだろ、欠陥品を提出した覚えはないんだけど……どうしよう、怒られる?」


「あ、いやそういう雰囲気じゃなかったんだよな。順を追って説明すると……」


 カナタの話をまとめるとこうだった。

 まず、ポートラの港町に入ったカナタは商業ギルドに立ち寄ったらしい。先立つものをゲットするために、イエナ作の海ウール製品を中心とした製作物を持っていったのだ。特に海ウール製品は運が良ければ高値で買い取ってもらえるかも、くらいの気持ちだったのだが、そこに『待った』を掛けてきたのが今回の話の中心人物である。

 ジャントーニと名乗ったその人物は、買い取りカウンターで製品を見てもらっていたカナタに突然声をかけてきたそうだ。これにはカナタだけじゃなく、商業ギルドの受付係も困惑していたらしい。


「『その人相、そしてその素ぅ~晴らしい製品! もっしっや、あなたはイエナなる職人の連れの方ですか!?』って言い出すってか歌い出すんだよ。リュートみたいな楽器鳴らしながら」


「……それはインパクトあるわね。もしかしてジョブが吟遊詩人だった?」


「正解! ……こっちの吟遊詩人が皆いきなり歌い出すとは思わないけど……ちょっとかなりだいぶ困った」


 商業ギルド内で突如かき鳴らされる弦楽器、朗々と響く歌声。想像しただけでも騒音問題で怒られそうだ。

 実際、彼は怒られたらしい。そして、それでもへこたれなかった。


「『何卒その製品を売ってください~』ってしまいには拝むんだか踊るんだか歌うんだか……とにかく騒々しかった。でも、提示された値段がギルドの価格よりも高くってさ。醤油も欲しいし結局そいつに売ったんだよ」


「商業ギルドからアデム商会に抗議がいってないと良いんだけど……」


 ジャントーニと名乗った彼がやったことは顧客を奪い取る行為である。それを白昼堂々商業ギルド内でやらかしたのだから店の信用問題に関わりそうだ。


「あ、その時はまだアデム商会って名乗ってなかったからセーフじゃないかな。……いやでも容姿も服も派手だからその道の人間なら知ってたかも」


「うわぁ……」


 何もないことを願いたいところである。

 ロウヤさんにはお世話になったし、今後も関わるかもしれない商会なのだ。これでヘンな気まずさが漂うのはやめてもらいたい。


「う、うーん。まぁギルドの人に確認はしたから、俺たちにペナルティはない」


「それを聞いて安心したわ。で? そのジャントーニなる人はなんだって私の作品買い取ったわけ?」


 そこからがまた難解だったらしい。何せ彼は説明の合間に歌い出すという奇妙なクセがあったのだとか。

 とりあえずなんとか話を総合すると『父、ロウヤが目を付けた職人ならば素晴らしいに違いない。どうしてもこの目で確かめたかった。彼女はいずこへ? 是非会わせてほしいし、この製品がまだあれば買い取りたい』ということらしいのだが。


「え、会うの?」


「そこはイエナの自由だと思う。俺もまさか正直に『今彼女は海の底にいて会えません』とは言えないしさ。ただ、果物とか醤油とか仕入れてる最中にも歌いながらついてくるから参った……」


「えぇ……」


 あまりにも会いたくない。会いたくないがロウヤさんの息子ということであれば、会わなければ不義理な気もする。どうしてあのロウヤさんからそんな騒がしそうな息子が産まれたのか。


「機会があればこの街にもう一度くらいは立ち寄ると思いますって言って撒いてきた。醤油は手に入ったし、イエナがあの街に未練ないなら寄らずに次の目的地へ向かうこともできるぞ」


「う、うーん……いや、伝聞だけで人を判断するのは。海ウール加工品だって買い取ってもらえるならそれは嬉しいこと、だ……し……?」


 そこでピシャーン! とイエナの脳裏に稲妻が走る。要するに、閃いたのだ。

 

「そのジャントーニさんとやらに仲立ちしてもらって、人魚作の海ウール製品売ればよくないかな!? そしたら海ウールも徐々に減ってくと思う」


 我ながらグッドアイデアである。

 海ウール加工品は今は人魚たちが面白がって作っては着てくれている。けれど、多少オシャレとして着替えを複数持ったとしてもその量はたかが知れている。

 一方で海ウール自体は今もどこかで生産されているのだ。海スライムが生まれては死んでいく限り、あの黒いモジャモジャは海に漂うことになる。まだクラゲの方が見栄えが良い。

 だが、それを加工して定期的に引き取ってもらえればどうだろう。


「うーん、需要あるかな?」


「海ウールの強みは、何と言っても乾きやすさにあるわ。漁師さんの服だったり、雨でも仕事しなきゃいけない人の作業着とかにいいんじゃないかしら。それに形をめちゃくちゃ凝って作れば水泳を楽しむお貴族様にもいいかも」


「あー……そういう売り方もあるか。ただ、まずは村の皆の同意を得てからだな。長老様にもちゃんと話を通して」


「っと、そうだったわ。部外者の私が暴走しちゃだめよね」


 危うく脳内に浮かんだ試作品を作りにとりかかるところだった。まずはこの話を皆にしてからだ。……でも、時間があるときに試作だけはしてみようと思う。


「長老様は今セイジュウロウさんとの思い出に浸ってるだろうから、明日以降だな」


「じゃあ今日の夜はのんびりしようか。よし、もっふぃーも素晴らしい毛並み!」


「ゲンもな。今日はお疲れさん」


 光り輝かんばかりに手入れされたもっふぃーとゲンの出来に満足しつつ、2人はそれぞれの作業へと向かっていった。

 イエナは久しぶりの調理に。そして、カナタはセイジュウロウが遺した手記を読みに。

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