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194.落ち込んでいても……

 あの後。

 まさに呆然自失といった様子のカナタを何とかルームまで連れ帰ってきた。どこか心許ない足取りながらも自室に入ったところまでは見届けている。

 賢いモフモフたちは詳しいことはわからなくても、空気を察してくれたのだろう。ルームへ連れ帰るときは手伝ってくれて、その後は自主的に2匹で寄り添って地下へと向かってくれた。


「まさかこんなことになるなんて……」


 イエナはなんとなく来てしまった作業部屋でボソリと呟いた。

 長い時間をかけて、様々な場所を渡り歩いて、この日のために準備してきた。それが無駄になったという喪失感はイエナにもある。カナタはその上に故郷に帰れないという絶望付き。心情を察するに余りある。一緒に旅をしてきたイエナでもこんなにショックなのだから。

 それでも、イエナは当事者ではない。

 もっとずっと辛い思いをしているカナタをサポートしてあげたいと思う。


「……どうするのが正解なのかしら」


 隣にいて一緒に泣くだとか、優しい言葉をかけるとか、いっそ笑い飛ばすとか。様々な手段があるだろう。けれど、思いついたそのどれもがしっくりこない。結果、カナタを放置しているような状態なのだが、これもある意味で正解な気がした。下手に言葉をかけるよりも、心の整理がつくまで一人にしてあげるのはアリかもしれない。


(私、ハウジンガーで良かった)


 かつては自分のジョブを呪って恨んで悔やんだことがある。そのジョブが今は本当にありがたいと思うようになるのだから、人生わからないものだ。

 もし他のジョブであれば、あの状態のカナタを連れて下山しなければならなかった。どんなジョブであってもカナタを守りながらの戦闘は、モフモフたちの助けがあったとしても、かなり大変なものになったはずだ。下手したらそこで命を落としていたかもしれない。

 けれど、イエナはハウジンガーだから。すぐに安全なルームの中へと飛び込むことができた。戦闘は得意じゃない。けれど、守ることはできるのだ。


「三日三晩、泣きまくって寝込んでも仕方がない状況だよね。でも、ルームがあれば、守れる」


 思う存分泣いて落ち込んで、たくさん考える時間をイエナは提供できる。今回のことは、受け入れたくないくらいショックだろう。イエナだってまだ上手く呑み込めていない。でも、いつかは受け止めてもらわなければいけないわけで。時間はかかるかもしれないけれど、きっとカナタにならできると信じている。それまでの時間をイエナが上手くフォローすればいいだけだ。

 ただし、人間は難儀な生き物である。突然職場をクビになり、それが原因で恋人にフラれて、物凄いショックを受けても、お腹は空くものなのだ。ショックのあまり食事が喉を通らないタイプの人もいるけれど、人間は飲まず食わずでは生きていけない。


「それに、お腹が空いてるとか、寒いとか、寝てないとか、そういう状況のときってめちゃくちゃ悲観しちゃうわよね。まともに考えられないもの。うん、私がすべきことはそのあたりのサポートよね」


 そうと決まればイエナのやることはただ一つ。カナタが食べられるようなご飯を作ることだ。あまり物音を立てないようにキッチンへと向かう。こんな状況であっても気配察知のスキルは勝手に物音をキャッチしてしまいそうなので、気持ち静かに行動を心がける。

 食材を確認したところ、いつの間にかキチンと付箋が貼られていた。これでこのキッチンに不慣れなイエナであってもなんとか調理できるだろう。

 問題は、本日のメニューだ。

 この長い旅の間で、カナタの好みは大体わかっている。本当なら一番の好物である海鮮丼を出してあげたいところではあるが、流石に材料がなかった。


(ポートラの港町に向かうのはアリかもしれないわね。好きな食べ物食べたら元気出るかもしれないし……っと、まずは今日のメニュー考えないと)


 他の好物を、と考えた際にふと、脳裏に先日のことがよぎった。

 カナタと初めての意見の衝突。あのときのメニューも、カナタは美味しそうに食べてくれていた。


「マグマ魚はないけど……あ、そうだ。干物、お魚の干物はあったはず。メインをそれに変えて……味噌汁の具は……」


 あのときは食事をしながら色々な話をした。出し巻き卵のコツから、最適な味噌汁の具まで。

 最適が何かは好みによるけれど、と前置きをしてから好みの具を教えてくれていた。


「大根が好きって言ってたわね。えーと……あ、あった。じゃあ、再現っていうかバージョンアップレシピ。いけるわね」


 今度こそカナタのようにきれいな形の出し巻きを作ってみせる、と意気込みながらイエナは調理を開始したのだった。

 大根に火が通るのを待ってから出し巻きに取りかかる。コツは聞いたもののやはり実践は難しい。それでも前回よりずっと形になったと思える出来にホッと息を吐く。フライパンから魚の焼ける良い匂いがしてきて、イエナのお腹の虫が騒ぎ始めた頃。


「あ……」


 カナタの部屋のドアが開いた。

 泣き腫らして赤くなった目元、憔悴しきった表情はとても痛々しかった。それでも、瞳にはちゃんと生気が見えて少しだけ安心した。


「ごめん……」


「なんのこと~? それよりご飯作ったから食べましょ。もうできてるから。座って座って」


「あ、じゃあ、配膳」


「いいからいいから。お腹空いたでしょ。すぐだから待っててね」


 カナタの泣き腫らした顔にも次元の狭間のことにも触れない。触れる必要はないと思う。


「あの……やっぱり俺……」


「はい、お待たせー!」


 ご飯は食べない、とかいう言葉が来るのを恐れて、勢い良く遮った。


「カナタほど美味しくないかもだし、食べる気分じゃないかもだけど、手を付けられるものだけでも付けて」


「あ……これ、この前の」


 テーブルに並べられたメニューを見て、カナタは目をみはった。先日のモノと似通っていることに気付いてくれたのだろう。


「はい、いたーだきーます!」


「いただきます」


 イエナはパチンと手を合わせて、カナタはそれに倣うようにモソモソと食事を開始する。


「食べられなかったら残してもいいからね」


 本当は全部食べてほしいけれど、無理はさせられない。一応念押ししてカナタの方を見ると。


「……っ、たべる、よ」


 泣いていた。


「え、ごめん! 美味しくなかった!? 大丈夫!?」


「いや、違う。違うんだ……」


 言いながら、ボロボロと涙をこぼすカナタに、慌てて近寄る。違う、と言いながらカナタは首を振った。


「これ、故郷の味なんだ……」


「あ……ごめん」


「いや、嬉しくて……いや、悲しいのも、あるけど……。わかんない、感情ぐちゃぐちゃだ」


「うん……」


「ごめん、ちゃんと食べるよ。ありがとう。ほんと、美味しいから」


 その日、カナタは泣きながら、美味しいと繰り返しながら、キチンと完食してくれた。

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