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193.次元の狭間

 昨夜不覚にも感情が溢れてしまい、枕を濡らしたイエナだったが、おそらくカナタにそれはバレていないように思う。なぜかと言うと。


(流石は万能水! 目の腫れにも良く効くのね。ありがとう、ありがとう! これからも誠心誠意お世話させていただきます!)


 世界樹のありがたみをバッチリ享受したお陰で、今朝も笑顔でカナタと接することができた。

 きっと今日が最後、お別れの日になる。その時には笑顔で見送ってあげたいのだ。元の世界に戻っても色々と大変だろうことが予測されるカナタの、重荷になりたくない。

 次元の狭間はエバ山の中腹辺りにできた洞窟の奥にあるらしい。寒さは変わらず厳しかったが幸いなことにペチュン近辺ほどの降雪量はなく、一行は大して難儀せずに山道を登ることができていた。聞いていた通り、人の気配は全くない。安心してもっふぃーとゲンも一緒に進んでいる。不思議なことに上に登るにつれて魔物も出なくなってきた。

 そうやってどのくらい登り続けただろうか。突然、黒い穴がポッカリと口を開けている場所に出た。


「ここが……?」


「うん」


 思わず尋ねると、カナタは一言頷いて臆する様子もなく入っていく。遅れないよう付いて行くと、中は意外と明るかった。岩盤の裂け目から日が漏れ差しているし、光苔も自生しているようだ。洞窟と聞いていくつか光源を用意していたのだが、今のところ必要なさそうである。進むにつれて吹き込んでくる雪もなくなり、足元はむき出しの岩場になった。ところどころぬかるんでいる箇所もあるが、悪路というほどではない。モフモフたちも全く苦にした様子もなく付いてきている。

 想像していたよりもずっと順調な道のりだった。なのに、カナタの顔がどんどん曇っていく。


(カナタ、緊張してるって風には見えないんだよな...)


 今までずっと一緒に旅をしてきたから、少しはわかる。カナタの表情は「いよいよ元の世界に帰れるぞ」という緊張とは別のものに見えた。

 そんなカナタに上手く話しかけられず、一行は無言で進んでいく。すると、小休止できそうな開けた場所に出た。

 ここらで一旦休憩をしようとイエナが口を開きかけたとき、カナタが唐突に語りはじめた。


「次元の狭間のイベントってさ、普段全然存在感を出さない運営が主催するんだ」


 カナタはイエナたちに語りかけているようで、独り言を言っているようにも見える。その視線の先は、亀裂の入った壁。

 どう返事をしたものか迷っている間にカナタの言葉は続いていく。


「ストーリーは「このままだと異界と繋がっちゃうから助けてくれ」って感じでさ。運営が直々に、異界と繋がる次元の狭間を塞ぐっていう依頼を出すんだよ。それでプレイヤー、要するに冒険者たちは狭間を塞ぐための素材とかを集めたりするんだ。当時は同じ会社が出してるゲームとコラボの布石か? とか騒がれてたんだけど、結局そんなことはなくって。ただ、毎年恒例の季節行事に落ち着いたんだ。俺たちも慣れっこになって「あーまた次元の狭間イベの季節がやってきたんだ」みたいに思ってたんだけどさ。今思えば、この世界に運営がいるって不思議なことなんだよな」


 やはりカナタの話すことには専門用語が多く、理解がしづらい。


(カナタは何度かウンエイっていうの言ってた気はするけど......もしかしてウンエイっていう人がいるのかな? 依頼を出すとかなんとか)


 ただなんとなく、カナタはイエナやモフモフたちに説明するためではなく、自分自身の整理のために言葉にしているように感じた。なので、相槌なども打たずにただ黙って聞いている。

 少し不安になったのか、ゲンがもっふぃーの傍へと寄っているのが視界に映った。


「要するに、このイベントは俺が飛び込もうと思ってた次元の狭間を広げないためのイベントなんだ。でもそれは、主催である運営がいないと成り立たない。わかってはいたんだ」


 カナタの声が、震え始めた。


「でも! 手記を残してくれたセイジュウロウとミコトは「チャンスがあるならそこしかない」って言ってた。だから、そこに賭けるしか、俺にはなかったんだよ。そうチャンスなんだ、あったのは。可能性でしかない。100%そこにあるなんて2人も言ってないんだ」


 言いながら、カナタは壁の一部を指さした。


「本当ならここに運営が立っていて、イベントの概要を説明するんだ。そもそも、イベントの間は麓に声をかけてくる案内人がいたり、道に立て看板があったりするんだ」


 今まで歩いてきて、そんなものはなかった。

 ジワジワと、カナタの言いたいことがわかってくる。そして、彼が感じていた不安の正体も。


「運営が立っている横には岩盤の裂け目と、そこから漏れ出す不気味な光があったはずなんだ。でも、そんなもの......どこにも......」


「ま、待ってカナタ! よく見たら、ほら!!」


 イエナはカナタが示していた場所へと駆け寄る。インベントリから魔石ランタンを取り出して、照らしてみた。

 そこには右上から左下にかけて不自然な裂け目がある。そして目を凝らせばその奥に、モヤモヤとした何かも確認できた。カナタの言う通り不気味な光に見えなくもない。

 裂け目自体はかなり狭く、薄い本の一冊くらいなら押し込むことはできそうな程度だ。


「多分この奥に行けばなんとかなるかも! 私のドデカハンマーならこの裂け目広げられそうよ」


 カザドで作ったイエナの新武器は、攻撃だけでなく採掘もできるように設計してある。それに重力魔法を加えれば破壊も可能だろう。

 だが、勢い込むイエナを止めたのは他ならぬカナタだった。


「だめだよ、イエナ」


「どうして?」


 言い募るイエナに、カナタは悲しげに首を振って見せた。そんな顔をさせたくてここまで一緒に歩んできたわけではないのに。


「この裂け目は、広げちゃいけないものなんだ。運営がいないから、広げてしまったら最後、塞ぐことができない」


 カナタが語っていた話を脳内で整理する。

 この次元の狭間というのは、本来広げてはいけないモノらしい。そして、そのためにウンエイなる人物(?)がここにいるはずだったという。ウンエイと力を合わせて、素材を集めて広がった隙間を塞ぐのが本来のイベントだそうだ。カナタはその、もともと広がっていたはずの裂け目に飛び込んで帰るつもりだった。

 しかし、裂け目は見ての通り、カナタが飛び込むどころか、指を差し込むのも難しそうな隙間しかない。飛び込むことは不可能だ。


「でも、カナタが帰るには裂け目を広げるしか……」


「そうしたら、どうなるかわからない。何かが飛び出てくるのかもしれないし、最悪この世界が壊れてしまうのかもしれない。普段表に現れることのない運営が出てきてまで塞ごうとした裂け目なんだ」


 カナタがウンエイとやらに信頼を置いているのはわかる。この世界が、自分の行動が原因で壊れるかもしれない、とまで言われてはイエナも思い止まるしかなかった。

 イエナの知らないカナタの知識はいつも正しいものだったから。


「......うん、だから......。そう、口に出すのが怖かった。けど、そういうことなんだよ」


 カナタの声が再び震える。

 今まで感じてきた不安は、どれほどだったのだろう。イエナには想像することすらできない。

 もしかしたら、と一縷の望みをかけて先に進んでいた。知っているのとは違う風景に、嫌な予感を覚えながら。

 そうして得られた結果は、残念ながら想像通りで。


(やだ、辛いのはカナタなのに......)


 イエナの目から涙が溢れる。泣きたくなんかないし、今泣くべきなのはカナタなのに。そう思っても止まらなかった。


「元の世界に帰るっていうのは、最初から無理だったんだ」


 とても静かなカナタの涙声が、辺りに響いた。 


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