05:聖櫃
伏兵の谷を抜けた3日後の夜、野営地にエルシャダイ人の一団が訪れた。
この先の村に住む人々で、親ユピテル派を名乗った。
彼らの中にヨハネさんの知り合いの司祭がいて身元を保証したので、中央の天幕でラスと面会になった。
「ランティブロス殿下。わたくしどもはシモンの大罪を決して許しません。父殺し、兄殺しなど神に歯向かうのと同義。このまま奴が王位につけば、神はシャダイの民を見捨ててしまうかもしれない。
どうか殿下が王位を取り戻し、我らシャダイの民にもう一度神の恵みをお与え下さい」
長老がそう言って、食料などの物資を寄付してくれた。
「ありがとう。皆も決して余裕がある暮らしではないのに、貴重な食料を分け与えてくれたこと、神はきちんとご覧になっているでしょう。僕はシモンと決着をつけます。どうか神のご加護を祈って下さい」
ラスがねぎらうと、長老は平伏して涙を流していた。
「ありがたいお言葉です。先王ヨラム様も、第一王子のアルケラオス様も信仰に篤く優しいお方でした。それなのに、どうして……」
一通りの挨拶をしてエルシャダイの民たちが下がった後は、司祭の人だけが残った。
「この者は王都のシャダイ教会に所属する司祭です」
ヨハネさんが言って、司祭は礼をした。
「王都の様子を知らせに参りました。親ユピテル派による正規兵切り崩し工作に一定の成果が出て、約3割が職務をボイコット中、1割が脱走しました。脱走兵たちは明日にはこちらに合流します。
シモンが動かせる兵は残りの正規兵6割3000人余り、補助兵は半数の500人、それから過激派の民兵が1000人ほど」
脱走兵は1割ってことは500人くらい。
今、ユピテル軍は正規兵2500人と補助兵が800人くらいだ。脱走兵が加わってもまだ敵の方が多い。でも、差は少ない。
「シモンは王都で籠城するつもりのようです。脱走兵が出て以降、城壁は固く閉ざされました。私は混乱に乗じて脱出して、知らせに駆け付けた次第です」
「籠城か……」
副団長が唸った。
「王都の城壁は堅固な造りです。もともと東のアルシャク朝の防波堤として建設されたものですから」
と、ラス。
「抜け道とかはないの? 王族だけが知っている秘密の通路みたいなやつ」
私は聞いてみたが、彼は首を横に振った。
「ありますが、当然シモンも知っている通路です。塞がれているか伏兵がいるかのどちらかかと」
「それは、そうだよね……」
馬鹿なことを聞いてしまった。
副団長が言う。
「この程度の兵力差であれば、会戦に持ち込めば我が軍が勝つ。練度も装備も違うからな。だが……」
「シモンとしては守りを固めて、時間を稼ぎを狙うでしょうな」
ヨハネさんが受け答えるが、司祭は言葉を挟んだ。
「籠城はともかく、疑問点があります」
「……というと?」
「彼は王位継承を宣言したものの、まだ王位に就いていないのです」
「何故? この期に及んで他国の承認が必要なわけでもあるまいに」
「理由は不明です。ですが、そのために不満がさらに出ています。正式な王ですらないただの罪人だと穏健派が糾弾して、過激派も反論出来ずに意見が割れているようです」
どういうことだろう?
というか、そもそも私は王位継承に必要な資格などがちっとも分かっていない。改めて聞くと、ラスが教えてくれた。
「エルシャダイにおいて国王とは、現世における神の第一のしもべにして代理人です。王家は最も古い預言者の血を引く家系。
シャダイの民の忠誠も信仰も全て神のものですが、王はその代理として権威と権力を持っています」
「古い時代は王家とシャダイ教会は同一でしたが、時代が下るにつれていくつかの宗派が生まれました。王家以外の宗派を取り仕切る場としてシャダイ教会が発足したのです」
ヨハネさんが付け足した。
私は考えを整理しながら言った。
「それなら、たとえシモンのような反逆者でも王位に就いてしまえば、一定の権威と権力が認められるということですか」
「そうですね……。そもそも、王位は神の承認がなければ継承できないという『建前』になっています。正統な王は神の承認のもと、地上でシャダイの民たちを統治するという話です。少なくとも民草たちはそう信じていますよ」
ラスが『建前』と言った。あの小さくて素直だった彼がそんな言い方を……いや、それは今は関係なかった。
そうなるとさらに疑問が出る。
「じゃあ、シモンはさっさと王位に就いてしまえばいいのに。そうすれば過激派はもちろん、中立派もある程度は取り込めるのでは?」
「そのとおりです。この状況は不可解です」
「うーん……。じゃあ逆に、王になるのは何が必要なの?」
「王家の血を引く男子であること、シャダイ教会の司祭の立ち会いのもとに王位継承の儀式をすることです」
反逆者だがシモンは王家の男子だ。それに過激派の司祭もいるから、儀式だって不可能ではないだろう。
「儀式……まさか……」
ヨハネさんが呟いた。副団長に促されて続ける。
「儀式には必要なものがあります。――聖櫃です」
ラスがヨハネさんを見た。
「聖櫃は最初の預言者が、聖なる山で神より授けられたもの。神との契約を納めた、我らシャダイの最も重要な宝物」
「聖櫃は新王が即位の際に開いて、納められた原初の聖典の一節を読み上げるのですが。王の資格のない者に聖櫃は決して開かず、むやみに触れると神罰が下ると言われています。それゆえに王の正統性が示される。でも……」
ラスの言葉をヨハネさんが受ける。
「ええ、実際にそういうことはありません。ただ聖櫃は普段は王家の宝物庫の一番奥に厳重に保管されていて、そう簡単に紛失するものではないのです」
なんか今、さらっとシャダイの至宝の神秘性を否定したな、ヨハネさん。信心深い人なのにいいのだろうか。
私の視線に気づいて、彼は困ったような笑みを浮かべた。
「信仰と現実は両立しますよ。私は神の存在と奇跡を心から信じていますが、実務上の問題はまた別です」
そういうものか。
「しかし、聖櫃が紛失したとなると一大事。王位継承の儀式になくてはならないもので、シャダイの民の信仰心の象徴でもある。シモンが追い詰められる以上に、今後の信徒たちの暴走が心配です。ラス殿下の即位にも差し障りが出る……」
ヨハネさんは沈痛な面持ちだ。私は再び質問した。
「聖櫃はどのくらいの大きさですか?」
「両手のひらに載せられるくらいの箱です。黄金と宝石で装飾されています」
ラスが教えてくれる。
「そんなに大きくないんだね。……じゃあ、誰かが持ち出すのも出来る?」
「それは――持ち運びという意味では可能でしょうが、何重にも施錠された王家の宝物庫に忍び込んで盗み出すのは、とても難しいと思います」
「そっか……」
反乱の混乱に乗じて誰かが盗んだのかと思ったが、無理そうだ。
と。
ラスが「まさか」と声を上げた。
「盗むのは難しくても、資格のある人が持ち出すのは可能だったかも! 第一王子、アルケラオス兄上です!」
「……!」
皆、一斉にラスを見た。





