07:真実ひとつ
「竜って、でっかいトカゲみたいので空を飛んで、火を吹くあの竜!?」
私の脳裏に、さんざんユピテルを荒らし回ったあの怪物の姿が鮮明に蘇る。あれはもうトラウマだ。
生きているうちは暴れて人を食い殺して、討伐後は元老院に口実を与える結果になった。私、竜とリスは大嫌い。
「うん、火竜なら火を吐くね。赤黒い鱗に黄色い瞳だ」
グレンがうなずいた。
「そう、それ! 5年前にそいつがいきなり人界に出たの! 頭だけで牡牛より一回りも大きくて、ユピテル人を襲って食べた!!」
「そのくらいの大きさなら、大人になりたてくらいの若い竜だろう。分別がまだついていない年頃だ」
「竜って分別つくの?」
「それなりに。教えれば言葉も覚えるよ。――それより、人界に出たと?」
「そんなことがあり得るのですか」
腕を組んだグレンに、カイが問いかける。
「どうかな……。可能性は低いが、絶対に不可能とまでは言えない」
「意味が分からないよ、ちゃんと教えて!」
訳知り顔で会話する魔族たちに業を煮やして、私は隣りに座っているグレンの腕をつかんだ。おいこら、嬉しそうな顔をするんじゃない。
「ごめん、ごめん。ゼニスから触ってくれるのが珍しいから、嬉しくて。
――つまり、あなたの魔力に大量の魔力石が反応したせいで、一時的に魔界と人界がつながったと思うんだ。境界の機能に依らない、自然に近い世界の重なりだね。
そんなケースは歴史的に見てもほとんど例がないから、あくまで予想だが。
恐らく、あなたの魔力色が透明なのも無関係ではないだろうね。透明だから他の色にぶつからず、どこまでも上昇した」
「でも、私が北西山脈で鉱床を見つけた時と、竜が出てきた時期は何年も差があるよ」
「具体的に何年?」
「丸2年足らず」
魔力石の鉱脈を見つけたのは13歳の秋。竜が出たのは15歳の夏だ。
「その程度の時差なら、じゅうぶんにあり得る。世界が重なると言っても、完全に接するケースと多少の距離が離れた状態があるんだよ。
竜は魔獣の中でも肉体と魔力が特に強靭だから、少しの距離ならば乗り越えられただろう。その距離を進むのに2年は、むしろ妥当だ。
竜が1匹いなくなったのは気づかなかったな。数を厳密に管理しているわけではないから」
なんだと……。じゃああの竜は、魔界生まれだったのか。
甚大な被害が出たのだから、ちゃんと魔界で管理しておいて欲しい。
と、私は一つ気づいて聞いてみた。
「竜は魔界の生き物なのに、太陽は平気なの?」
「竜も太陽は毒になるよ。ただ体が大きいから、毒が回りきるのが魔族よりもゆっくりなだけで」
そういえば、あの竜は夜行性だった。最初に首都に出た時も夜で、その後、昼間はテュフォン火山の火口で眠り、夜になったら街を襲いに来たっけ。
それどころではなかったから、気にしていなかったが。理由があったのか。
もし知っていたら、昼間の太陽の下に引きずり出して弱らせて討伐してやったものを。
というか、だ。
あれだけの被害を撒き散らした竜は、端的に言えば私が呼び込んだ……? そんな。そんなことって。
私が余計なことをしなければ、あの被害はなかったのか。自己嫌悪の苦さがじわじわと心を侵食してくる。
でも、と思い直す。
もし私以外の誰かが同じことをやって、結果としてあんなことになったら、私はその人を責めるか?
答えは「否」だ。
因果関係は事前に分かるはずもなく、ましてや害意や悪気があったはずもない。今この瞬間まで関連も不明だったのだから。
だから、必要以上に悩まないでおく。自己嫌悪に陥ったところで、誰も喜ばない。
ただ、この件は心に留め置いて忘れないようにしたい……。
私は一度ぎゅっと目をつむって、開いて、気持ちを切り替えた。
思ってもみなかった竜の出身地と因果を知って驚いたが、そもそもなんでこんな話になったんだっけ。
……魔力の色についてだった。私の魔力が透明とかで話がそれまくってしまったのだった。
「アンジュくん、そろそろ本題に戻ろうよ。魔力色の話だったよね」
「おっと、そうだったね!
魔力色を聞いたのは、魔力回路の訓練に必要だからなんだ。透明の人に会ったのは初めてだけど問題ない、っていうかむしろ効率的かも?」
彼はテーブルの上に置かれた魔晶石に触れた。
「より精密に魔力回路を運用するには、その形を正確に認識するのが大事。そのためには自分とは違う色の魔力を流してやると、分かりやすいんだ。魔力回路を巡っていく色を追えばいい」
アンジュくんの手の中の魔晶石が光った。ひまわりみたいな鮮やかな黄色だった。ここまで鮮明な色彩は人間では見たことがない。
「これからゼニスちゃんにボクの魔力を流すよ。集中してこの黄色い色を追いかけてみて」
分かったと言いかけて、私はふと不安になった。
「あの……他の人の魔力を混ぜるんだよね? それって変な意味にならない?」
この前、うっかりグレンの魔力に触れてしまった時を思い出す。やばい、顔が赤くなる。平常心、平常心、心頭滅却すれば火もまた涼しの心境だ!
「ならないよ! みんな訓練でやってるから!」
アンジュくんが焦ったように両手をぶんぶん触った。
「ホントはグレン様に頼めれば良かったけど、ほら、2人はもう魔力が混じり合ってるから。違う色として追いかけるのは無理でしょう」
「ま、混じり合ってるとか言わないで!!」
心頭滅却~~~~~!!
ふとグレンを見ると、とてもいい笑顔でニコニコしていた。ムカつく!
以上のような羞恥プレイを経て、やっと魔力回路の訓練に入る。前フリが長いよ。
私とアンジュくんが立ち上がって向かい合った。(ちなみに何故かグレンも立ち、私の後ろに立って両肩に手を置いた)
「じゃあ行くよ」
「うん」
脳を起点に魔力回路を起動した。
アンジュくんが私の額を人差し指でちょん、とつつく。
すると触れられた部分から、ひまわりの黄色が流れ込んできた。鮮やかなイエローは脳の奥でくるりと一回転すると、起動済みの魔力回路を伝って巡り始める。
まるで水先案内人のように、きれいな黄色が魔力回路のかたちを丁寧に教えてくれる。
内と外の頸動脈を通って上大動脈を経由し、心臓へ。隣接した両の肺に触れるのも忘れない。
次に背骨に沿った下大動脈を下っていく。胃、脾臓、肝臓に胆嚢。副腎と腎臓。前世で何度も見た解剖図の通りに、いくつもの内臓に魔力で触れていった。
それから下腹部、小腸と大腸に重なって子宮、卵巣がある。ここは魔力回路の要点の一つだ。ひまわり色が花びらが舞うように進んで、魔力回路を彩っていた。
動脈と並行して走る静脈との間には、網目状の毛細血管が無数に走っている。下腹部から大腿動脈を下ると、血管はだんだん細くなる。
やがて足の甲まで達すれば、血管はさらに細かくなり、網目のような細いU字のような形のものが、数え切れないほどに――
「ぐっ……」
小さな毛細血管を全て認識しようとしたら、その圧倒的な情報量が一気に脳に流れ込んできた。強い目眩がして、私はよろける。両肩を支えてもらっていたおかげで、転倒は避けられた。
目を開ける。視界がぐらぐらしていた。吐き気がこみ上げたが、どうにかこらえる。
「ごめん、アンジュくん。せっかく教えてくれたのに、集中力が続かなかった」
「いいや、そんなことないよ。――っていうか、どう解釈したらいいのかな、これは」
視線を上げると、アンジュくんがどこか不審そうな瞳で私を見つめていた。





