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【書籍化】転生大魔女の異世界暮らし~古代ローマ風国家で始める魔法研究~  作者: 灰猫さんきち
第三部成人期 第十章 森の奥の遺跡

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05:初夏の夜の告白


おそらく本作品初の恋愛メイン回です。




 夏の盛りが近づきつつある夜を、ラスと二人で歩いて行く。(護衛の奴隷の人は少し距離を置いてついてきてくれた。)

 夜の浅い時間であれば、首都の人通りはそれなりに多い。ユピテル人はそぞろ歩きが好きなのだ。

 通りに面したお店に明かりが灯され、笑い声や歌声が漏れ聞こえてくる。

 さっきまでの私たちと同じように、居酒屋のお客たちが楽しい時間を過ごしているのだろう。


 人通りがあるとはいえ、最低限の用心は必要だ。

 ラスは大きな通りを選んで歩く。彼は言葉少なで、何か思い詰めているようにも見えた。

 そのうち正面に小高い丘が見えてきた。首都に丘はいくつかあって、それぞれ元老院議会場などの公共施設や神殿、大貴族の邸宅などが建てられている。


 この丘はユリアのフォルムが建っている丘だ。

 首都の名所の一つで、大貴族ユリウス家門が古い時代に建築した神殿である。祀られているのはユリウス家門の祖先とされる、愛と美の女神。

 昼間は市民の憩いの場として賑わっている場所で、夜の今でも多少の人が行き交っていた。


 ラスは丘に続く道を登ったが、列柱回廊の中には入らず途中で脇に逸れた。

 どこへ行くのだろうと思っていたら、丘の途中、小さな広場のように開けている場所に着いた。

 人々のざわめきは遠くに聞こえるけれど、近くには誰もいない。

 満月に近い月が出ていて、辺りは思ったよりも明るかった。


「ここからだと」


 ラスが言う。声がどこか硬い。


「あの列柱回廊(フォルム)がよく見えるんです。覚えていますか。マルクスと最初に会ったあの場所です」


「あ、本当だ」


 指差す先を見てみれば、夜闇の中、見覚えのある場所が視界に入る。


「よく見つけたね。私もユリア神殿は時々来てたけど、こんな所があるなんて知らなかった」


「僕は異教の神殿に入れないので。まわりを散策していたら、見つけました」


 なるほど。一神教の信徒である彼は、宗教上の制約が多い。他教の神に触れないのもその一つだ。


 ラスは夜の先の景色を眺めながら、静かに続けた。


「ゼニスが本格的に活躍を始めたのは、あの氷の商売が最初でしたね。

 僕はよく覚えています。ゼニスが魔法で氷を出して、飲み物を冷やしてくれたこと。

 それからティベリウスさんと対等に議論を交わして、商売の許可を取り付けたこと。

 あの時のゼニスはまだ九歳だったのに……」


「あぁ、うん。そうだったね。私は変に早熟だったから、あの頃は神童っぽく見えてたでしょ。

 でも大人になればこんなもんだよ。ただの普通の人」


 早熟というか、前世アラサーの記憶がしっかりあったせいだ。つまり単なるズルである。

 子供時代の実績は全てズルなので、あまり褒められると気まずい。本来の私は凡人以外の何者でもないわ。


 私の言葉にラスは困ったように首を振った。


「普通だなんて。子供の時も、もちろん今も、ゼニスより素晴らしい人なんていませんよ。

 小さい時からずっと、僕とアレクを導いて下さいました。

 僕がこうしてユピテルで暮らしていられるのも、あなたのおかげです」


 呟くような声の後、正面から目を覗き込まれる。私はギクリとした。

 17歳になったラスはもう立派な青年だ。背丈はとっくに私を追い抜いて、目線が上にある。


「今年でやっと、僕も成人を迎えました。ここに来るまで、ゼニスが誰かに取られてしまうのではないかと気が気じゃなかった。

 間に合って良かった――」


 指先に暖かな体温が触れる。ラスの手だ。初夏の夜気は決して寒くはないのに、私の指は強張ってしまっていた。

 それをゆっくり解すように、彼の指が絡められる。小さい頃とは違う、骨張った感触。

 敬虔なシャダイ教信徒である彼は、普段は自分から女性に触れようとしないのに。それがたとえ、姉代わりの私であっても。


 変に意識してしまって、急に顔に血が上がった。なぜだかすごく焦って、私はワタワタしながら言った。


「成人! そうだ、ラスも成人だもんね。手だってほら、昔はぷくぷくで白パンみたいだったのに、すっかり逞しくなっちゃって」


「ゼニス」


 彼が言う。声変わりを済ませた、大人の男性の声で。少しだけ混じる不安定さだけが、かつての可愛らしいボーイソプラノの面影を残していた。


「……ずっと、あなたが好きでした。弟としてではなく、一人の男として。

 才能豊かで優しいあなたに比べれば、僕が頼りない自覚はあります。

 でもどうか、これからは、隣に立つのを許して下さいませんか。

 あなたの暖かな麦穂のような髪に触れる位置で、僕はゼニスに寄り添いたい。

 かつてゼニスがそうしてくれたように、僕もあなたを支えたい。支えられるよう、努力します。

 だから、どうか、ゼニスの心を僕に下さい。僕の心も身体も、お望みであれば魂も。全てあなたに捧げます」


 魂。それはシャダイ教で特別な意味を持っていたはずだ。

 神の息吹で吹き込まれた魂は、信徒にとって唯一無二のもの。肉体も精神もやがて死を迎えて塵になるが、魂だけは不滅で、神の楽園に行って永遠を過ごす。そう、ヨハネさんが言っていた。


「軽はずみにそういうこと言っちゃ、駄目だよ」


 彼の言葉を実感として捉えられなくて、私は論点をずらした。卑怯だと思ったけど、どうしていいか分からなかった。


「軽はずみ?」


 私の手を握ったまま、ラスが笑う。いつものきれいな笑顔から程遠い、熱に浮かされたような表情だった。

 少し怖くて一歩下がろうとしたけど、強く手を取られていたせいでできなかった。

 これが、この人があのかわいいラス? 何だか信じられない。


「まさか! 今日のこの時まで、僕がどれだけ想いを募らせたか、あなたは知っていますか?

 三歳も年下で助けてもらってばかりだったから、異性として見てもらえないのは分かっていました。

 だからせめて、年齢が大人になったら告白すると決めていました。

 心優しい努力家で、能力があって、皆に慕われているゼニスに不釣り合いなのは承知の上です。

 大地の実りのような麦穂色の髪も、光の加減で赤い宝石のように光る瞳も、全てあなたを彩って輝くよう。

 僕は平凡な人間です。何を持っているわけでもない。

 だけど僕のものであれば、全てあなたに捧げたい。……いえ、もう既に僕の全てはゼニスのもの。

 だから、どうか、どうか」


 夏の夜空を背景に、彼の金茶の髪の縁が淡く光っている。きっと頭上に輝いている月のせいだろう。

 彼は貴族学校を卒業した後に、髪を短くした。おかげでくるくるの巻き毛は目立たなくなっている。あの小さな天使みたいな髪が好きだった私は、少し残念に思ったものだ。

 大人の男性に成長した彼を眺めながら、私はぼんやりとそんなことを考えていた。


「あなたを欲しいと思う、僕に赦しを――」


 すがるような声音に、胸が痛くなった。

 こちらを見下ろして来る彼の瞳は金色で、お月様のような煌めきを放っている。その色合いだけは昔と変わらなかった。



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