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遍歴騎士アレス  作者: 矢田
第一章 『義の騎士』アレス
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06.出立

「それじゃ、気を付けて」


 翌朝、日の出と共に出発するサキ達をアレスは見送りに来ていた。軽鎧を身に纏い、剣帯に厚布で包んだ剣を吊るしたその姿はいかにも騎士然としている。


「その、アレスさんは……」


 躊躇いがちに喉を震わせるサキを見て、アレスは全くもって情けない話だと思う。物語に出て来る無双の騎士――或いは自身の党首でない方の兄であれば身を案じさせるような不甲斐ない事はないだろう。


 リリィの件から何も進歩しちゃいないとアレスは自嘲するように思う。力が足りずに悔しい思いをするのは御免だと思っていたのに。


「俺はまだやることがあるから」


 まあ上手くやるよと言いながら、アレスは思う


 ――そう、上手くいけば、ね。


 一息にこの領地の政治は改善されるだろう。サキに渡した手紙で領主本人の方は兄――党首の方だ――が抑えてくれる筈。自分が上手く立ち回れなくても――何も成せずに命を落としたとしても、兄なら上手くやってくれるだろう。


 ――それも、俺の努力次第では楽になる。


 正直、兄には迷惑を掛けっぱなしで、出来るだけ負担を掛けたくはないのだが、貴族同士の諍いには調整が必要になってくる。人のいいアレスが首を突っ込む面倒事の中には今回のような貴族絡みも少なくないのだ。


 故に、党首である兄に頼る他ないのである。かなりの影響力、権力を持つアレスの家だが、それ故に様々な問題も起こる。兄さん胃に穴が空かなきゃいいけどな、と思うアレス。


 ちなみに、アレスは三男坊で本妻の二人目の子。党首である長兄は本妻一人目の子。もう一人の腕っ節の強い兄は次男で側室の子。アレスは三男坊で、アレスの下には側室の二人目の弟が居る。全員男兄弟で下手をすれば後継者争いが起きかねない環境なのだが、起こったのは壮絶ななすり付け合いだった。


 次男の兄は頭を使う仕事は出来んと拒否。アレスは父の葬儀が終わると同時に出奔。旅の身に。四男の弟は画家になりたいと言って拒否。順当に長兄が家を継ぐことになったのだ。


 そのことで迷惑を掛けた自覚があり、かつ面倒事の尻拭いをして貰ってもいるため、アレスは長兄に全く頭が上がらない。


 一応、アレスが見つけた遺跡や古代の知識には有用なものがあったり、アレスが義に厚い騎士として名を広めることで家の印象が良くなったりと家に対して貢献していない訳でもないのだが。


「まあ、やるだけのことは、やるつもりだよ」


「御免なさい。私に関わらなければアレスさんは……」


「何、どの道首を突っ込んだだろうから、寧ろ可愛い娘と知り合えた分ありがたいよ」


 肩を竦め、カラカラとアレスは笑う。言っていることは事実であるし、偉大な騎士も「若き騎士よ、神を愛し、婦人を尊ぶことを学べ」と言っている。女性には、できる限り優しくがアレスの姿勢(スタンス)だ。


 尤も、サキに対して少なからず好意を持っているという部分が影響していないとは言わない。むしろ、下心も十分にある。


「……もうっ」


 少し顔を赤らめ、頬を膨らませたサキに、アレスは戯けたように口を開く。


「怒った顔も可愛らしい……と、巫山戯てばかりいるのもあれだ」


 サキの目が若干吊り上がったのを見て、ここらが引き時だなと思ったアレスは姿勢を正し、表情を引き締めて、言う。


「村の皆さん。危険な仕事を引き受けて下さって、本当にありがとうございます」


 先ほどまで戯けていたのと同じ人物とは思えないほど堂々とした態度で、朗々と響く声でアレスは続ける。


「この恩は、領地の悪政を変えることで返すとここに誓いましょう。戦神アレスの御名と等しい我が名に懸けて」


 大仰な言葉遣いや態度は演技だが、言葉までもが偽りではない。サキとのやり取りで巫山戯た人物だと思われていた印象を一瞬で拭い去ってしまうほどに、アレスの瞳は真摯だった。


「……ま、期待しとくぜ、騎士さんよ」


「これっ、リット!」


「気にしませんよ、村長殿」


 口が悪い、という程でも無いが、貴族に対しては不敬ととられてもおかしくない少年の態度を村長が諌める。大方、アレスよりも一つか二つ下だろう少年に、アレスは軽く微笑んで言う。


「今は信用ならないだろうけど、きっと信用させてみせるよ」


「ふ、ふん。やれるもんならやってみやがれってんだ」


 アレスの柔らかな態度に押されたのか、少しどもってしまう少年。アレスは少年――リットから視線を動かし、サキを見つめるとウインクを一つ送ってみせる。


 ――この言葉は、君に向けたものでもあるのだ、と。


 一瞬キョトンとしたように目を瞬かせたサキだったが、頭の回転は良いようで、クスりと笑みを零した。


「やっぱり、気障な人ですね」


「何、騎士ってのは大体そうさ。特に、遍歴なんてしてるやつはね」


 大抵馬鹿かロマンチストさとアレスは冗談めかして言う。アレス自身は馬鹿な上に、初恋の人を探すために神秘の探求なんぞをしているロマンチストの極みのようなおとこなのだが。


「さ、そろそろ行くといい。今出れば日が沈むまでに森から随分離れられる筈だ」


 森の近くは獣が出かねない。夜闇に紛れて襲われればまず命はないだろう。幸い、この辺りの住人は獣に関する知識もあるし、弓を持った男も二人いる。危険性は十分承知している筈だ。


「はい。アレスさん……その、絶対また会いましょうね!」


 アレスが危険なことをすると察してのサキの言葉に、アレスはこれ以上心配させるわけにもいかないな、と心の内で笑って、戯けた態度で口を開く。


「ああ……その時にはキスの一つもして貰えると嬉しいね」


 キ、キス!? と顔を赤くするサキを網膜に焼き付けてから、アレスは踵を返し、後ろ手に手を振って歩み去って行く。サキの行く道も平坦ではないし、アレスの行く先には何が待っているか分かったものではない。


 しかし、必ず再会してみせようとアレスは心に誓う。騎士として、男として、婦人を悲しませるのことは避けなければならないのだから。



 ■ □ ■ □



 ――今の所は問題なし、か。


 サキを見送った後、アレスは荷物を持って村を出ていた。木々の影で太陽の姿が見えないため確信は無いが、そろそろ中天に座している頃合いだろう。


 村から村へ、最短距離を行っていればアレスの健脚も相成って二分の一程の距離を踏破していただろうが、その実、アレスは道程の三分の一を越えるか越えないかという場所に居た。


 整備がされていなくとも拓けた最短距離の道ではなく、森を少し入った場所を通って隣の村に向かっていたのだ。


 考え過ぎかもしれないが、ライノや私兵達の報告から道に兵を伏せている可能性を案じたのである。遮蔽物のない場所で騎兵とやり合うのは流石のアレスも御免だった。


 管理費が掛かる騎兵を持っていない可能性もあったが、それでも数の利を活かしやすい平地はアレスにとって死地になり得る。そのため、念には念を押して森の中を進んでいるのだ。


 アレスにとって森は有利な場所だ。人が立ち入らない秘境ばかりを回っているアレスは、自分より悪所での戦いに慣れた者はいないだろうと自負していた。


 仮にそんな人が居たとしても、問題ない。狼やら熊やらアレスよりも森に慣れた強敵を下してきたのだから。


 森では数の利を活かすことは難しいし、馬はその利点を大きく減じる。もしもの時は森に逃げ込むことすら選択アレスが採り得る肢の中にはあった。


「これは……」


 アレスは樹皮が大きく剥がれた木を見つけて軽く顔を引きつらせた。鋭く残る爪痕に、大胆に剥がれた樹皮。導き出されるのは――


 ――熊の縄張り。


 そこまで深くないというのに、熊の縄張りの内側に入ってしまったようだとアレスはぼやくように思う。縄張りの誇示のためだとか、樹液を吸っているのだとか諸説あるが、熊剥ぎがある以上、熊は居る。


「……しかし、大きいな」


 爪痕の深さからして、熊の中でも大型の種類。その中でもかなり大きな個体だろうとアレスは推測する。


 何度か熊とやり合う羽目になったことのあるアレスだが、動物の中では狼の次に面倒な相手である。狼は一匹ずつなら問題にならないのだが、徒党を組んでくるため、熊よりも危険度が高い。


 熊は非常にタフで、個体によっては刃が通らないほど強靭な毛皮と筋肉を持っている。走る速度も早く、力も強い。まともにやり合うと命を落としかねない存在だ。


 尤も、繁殖期以外で熊は滅多に襲って来ない。人間を危険な生き物だと理解しているからだ。しかし、人の肉の味を覚えた個体は別。


 その強靭な肉体と人間とは比較にならない身体能力を以って襲い掛かってくることだろう。


 熊剥ぎを調べていたアレスが唐突に鼻をひくつかせる。その後に不味いなと小さく呟き、剣を抜くとするすると厚布を取り去った。


 ――強い獣臭。


 周囲に視線を巡らせつつ、視覚だけでなく五感を総動員して気配を探る。視界の中に獣の姿はない。意識を集中させていたアレスは、小枝が折れる音を聞き取ってその方向に視線を投げる。


 深い茂み。その中でのそりと動く大きな影を知覚して、アレスは顔を引きつらせた。


 ――何だ、あれ。


 僅かに覗いた体表から熊だとは分かったのだが、アレスが一瞬自身の目を疑った程に、その熊は巨大だった。


 人を恐れる様子など一切なく、不遜なまでに堂々と姿を表した大熊。決して低くないアレスの背の丈の二倍近い巨躯を揺らすその姿は正しく森の王。


 体重差にして十倍以上はあるだろう。四肢は人の胴程も太く、口は人の頭を容易く噛み砕けそう。涎を垂らしつつ牙を剥くその姿は気の弱い人間であれば卒倒してしまう程に恐ろしい。


 ――あれは……。


 化け物じみた巨躯を誇るその熊の瞳は炯炯と血を思わせる赤に輝いている。あの輝きを、アレスは知っている。


 ――妖魔(ニグロ)


 影絵の化け物。子供の頃、リリィの助け無しには立ち向かえなかった超常の存在。リリィを失う事になった原因ともいえる敵。


 妖魔(ニグロ)そのものではない。化け物じみた大きさのを誇るとはいえ、常識を完全に逸した存在とは言えないのだ。神秘と常識の境界線に立つもの。


 理屈はわからないが、妖魔(ニグロ)の力を僅かに持っている獣。アレスは物語に登場する怪物の名から『魔獣(ガルム)』と呼んでいた。


 世間では『凶獣病』と呼ばれている。感染すると獣は攻撃的になり、通常の個体よりも強靭になる病であると恐れられているのだ。


 アレスはこれまでに何度か魔獣(ガルム)の相手をした経験がある。どれも平均的な個体の能力を大きく逸脱した強さを持っていた。


「……魔獣(テメェ)に直接的な恨みはねぇが、八つ当たりさせてもらう」


 妖魔(ニグロ)はアレスにとって憎悪の対象であり、騎士でもなく、女性に対する気取った態度でもない素のアレスが漏れ出て来る。


 頭では別の存在だと分かっていても、情動は抑えきれないのだ。


「――それに、ここは村に近い。お前が村の人達を襲う可能性がある以上、遠慮無く討つぜ」


 アレスは剣を下段に構え、ジリジリと大熊との距離を詰めて行く。剣先を下げ、下段に構える『愚者の構え』。守るべき頭部や胸部を無防備に晒すことからそう名付けられた構えを取りながら、今の光景を誰かが見れば構えの名の通りに自分を呼ぶだろうとアレスは笑う。


 ――グルアァァァァァッ。


 魔獣(ガルム)の咆哮がビリビリと森の空気を震わせる。


「行くぞっ」


 それと同時に熊の間合いに飛び込むアレス。


 愚かな騎士と魔獣(ガルム)の立会人の居ない決闘(フェーデ)が幕を上げた。



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