05.アレスの選択
「心配したんですよ、もう!」
「すまなかったよ。みっともないとこ見せたね」
あのまま気だるさの波に呑まれたアレスは睡魔に身を任せて微睡んでいたところ、時間が掛かり過ぎていると我慢し切れなくなって見に来たサキに揺り起こされ、欠伸を噛み殺した。
「し、死んじゃったのかと思ったんですから!」
瞳に涙を溜めて言うサキ。アレスは何をそんなにと思ったが、少し考えた後、得心がいったと口を開く。
「ん、ああ。そうか。そう見えないこともないのか」
大きな負傷は無いが、斧槍と鞘がぶつかり合った時の破片は腕を浅く裂き、刺さっているものもある。馬の突進を躱した時は咄嗟のことだった為に姿勢も整わず擦り傷も幾つか。顔も土で汚れている。
焦りに満ちた心境で、医療の知識に疎いサキが代官の私兵が訪れていたという状況と合わせて最悪の結果を想像したのも無理からぬことだろう。
「すまなかった。大口叩いてこの様だ。格好が付かないったらありゃしない」
「そんなこと……」
「あるさ。これは俺の甘さが招いた結果だから」
自嘲するように言うアレス。これは、相手を甘く見た結果なのだから笑える話だ。整備が終わっていなかったとしても鎧を着て、投げナイフのベルトを付けていれば結果は変わっていたかもしれないのだから。尤も万全の状態でもライノは強敵であり、同じ結果に終わった可能性もあるが、それでも。
とはいえ、アレスはどうにか生き残った。生きているからこそ、笑い話に出来る。生きていれば、名誉を贖う機会もあるというもので。騎士の名誉はどうでもいいが、男の矜恃はまた別だ。
「その……やっぱり、私、王都に行きます。危険かもしれませんけど、これ以上アレスさんに迷惑を掛けられません」
躊躇いながらも真っ直ぐで芯を感じるサキの言葉に、アレスは信用を勝ち取れなかったのだろうな、と思う。彼女にとって、村を圧政から救うというのはとても重い願いだ。状況から見て私兵達に敗北したアレスは願いを託せる人間では無いと感じたのだろう。
それだけでなく、損得感情を抜きにした、アレスを案じる気持ちもサキからは感じられた。確実な手を採るなら、アレスを利用して王都まで行けばいいのだ。
それをせず、自分一人で王都に向かおうとするあたり、サキの不器用な真っ直ぐさが感じられて、アレスは軽く笑った。
――なっさけないなぁ、俺。
「ただ……そうだな。少し。そう、一日ばかり俺に時間を貰えないか?」
「構いませんけど……」
一体何を、と小首を傾げるサキに、アレスは言葉を濁して立ち上がり、剣と鞘、斧槍を回収して歩き始めるのだった。
■ □ ■ □
「さて、こんなものかな」
アレスは剣を砥ぎ終え、鎧の整備を終えて満足気に背筋を伸ばした。投げナイフも研ぎ終わり、微妙に崩れたバランスも鉛を巻いて調整してある。
剣に関してはややしなりが弱くなっているのが気がかりだ。剣の芯が草臥れてきているのだろうが、こればかりはアレスには如何ともし難い。火を入れ直して打ち直さない限り、剣のしなりは戻らない。
残念ながら鞘は使い物にならないため、剣には厚布を巻いてある。鞘同様斧槍も大きく刃毀れし、柄が少し曲がっている。使い物にはならないだろうが、アレスは一応軽く手入れをしておいた。
腕には包帯が巻かれていて、血止めの薬草も貼ってある。因みに、サキがそれをしてくれたため、アレスはかなり機嫌が良かったりする。
武具に欠損があるため十全とは言い難いが、現状出来る限りにおいて、アレスは万全だった。傷の治療と武具の手入れで約半日、アレスはサキから貰った時間を使っていた。
サキはアレスに何がしたいのかを聞きたげにしていたが、アレスはその度に話を逸らしたり、誤魔化したりしていた。
「で、後はコイツを――」
「――アレスさん」
家の外で武具の整備をしていたアレスに、サキが声を掛けてくる。その声は固く、これは言い逃れを許してくれそうにないなとアレスは苦笑いした。
「一体、何がしたいんですか? 私は一刻も早く王都に行きたいんです。アレスさんには感謝してますけど――」
「――王都に行って陳情しても酷く時間が掛かるか、或いは握り潰されるだろう」
「えっ?」
アレスは剣の刃に欠けがないか改めて視線を走らせながら言う。普通に話すのと変わらない調子で、酷く残酷な言葉を続けた。
「領地に居るのは代官で、ダースト領の領主は王都に居ると考えて間違いない。君が陳情に行ったとしても、根回しされて陳情を握り潰される可能性が非常に高い」
そもそも、平民が陳情を上げると一月二月は間違いなく時間がかかるしね、と続けるアレス。
「そんな……それじゃ、村が」
サキの声は深く沈み込んでいる。無理もない。唯一の希望を潰されたのだから。
「と、いうわけで。これを持って行くといい」
アレスは突然軽い調子で言って、サキに手を差し出した。そこに載せられていたのは、封筒と紋章の書かれた金属板。赤を基調として金の獅子と銀の騎士が描かれた紋章は精巧な造りで、これだけでもかなりの値がつくであろう代物だ。
「これは……?」
「俺も一応貴族の出でね。手紙は党首をやってる兄貴宛で、紋章はその証明。この領を抜けて大き目の街に出れば、その紋章で護衛付きの馬車に乗ることも出来るだろうさ」
領を出て、大きな街に出るまではこの村の男衆を護衛に付けて貰えるよう村長に話しておいた、とアレスはここで一呼吸置いて、続ける。
「王都に着いたら紋章を衛兵に見せれば館にまで案内して貰える筈だ。手紙を渡せば、兄貴から陳情を通して貰える」
「えっと、その……」
いきなりの展開に着いていけないサキは目を白黒させている。それが可笑しくて、アレスはクッ、と小さく笑い声を漏らした。
「君を信用させると言って無責任で情けない限りだけど、俺は王都には着いて行けない」
女性を危険な目に合わせるのは情けない限りだけど、厄介な約束があるし、この村にもいい加減面倒をかけ過ぎたから、とアレスは言って更に続ける。
「もしかしたら、君が王都に着く前に解決しているかもしれないし、どうにもならないかもしれない」
後者の場合、俺は死んでるだろうけどね、とアレスは冗談めかして笑う。その笑みに翳りはない。
「どうして……そこまで?」
「俺は騎士道を尊奉しているわけじゃないけど、婦人を尊べってのはその通りだと思ってる」
泣いてる女性がいるのなら、できる限りその涙を止める為に行動する。男は自力で這い上がればいい、というのがアレスの持論だ。圧政に泣く女性が居るから、動くのだ。
尤も、女性の為に身体を張れるような男は尊敬しているし、助けもするのだが。
「後は、そうだな。君に惚れたからなんてどうだい?」
「えっ?」
言葉の意味を解した瞬間、サキの顔が真っ赤に染まる。耳まで赤くなって、今にものぼせて目を回しそうなサキを見て、アレスはニヤリと笑う。
「冗談さ、冗談」
アレスは立ち上がると、声にならない感情を混乱のままに音として吐き出しているサキを背に歩き始めた。サキからは見えないその表情は引き締まったもので、冗談めかした言葉とは裏腹に余裕のない表情だった。
■ □ ■ □
「無理を言って申し訳ない。村長殿」
サキに手紙と紋章を渡した後、アレスは村長の家を訪れていた。仮にも貴族に席を置くアレスは深々と村長に対して頭を下げる。
「貴方方にも余裕は無いだろうに、本当に申し訳ない」
「いえ、頭を上げてくだされ。騎士様」
「すまない。少ない男手を駆り出させてしまう」
アレスの表情は罪悪感で歪んでいる。一人の少女のために一つの村に負担を掛けているのだから、全くもって悪徳貴族とやっている事が変わらないとアレスは自嘲した。
「十分な金子を頂いての事。護衛の仕事としては多過ぎるくらいですしの」
「だが、男衆を危険に晒すことになる。本当にすまない。この件が片付き次第、出来る限りの便宜ははからせて貰う」
「いえいえ、そのようなお気遣いは」
「だが――」
言葉を続けようとしたアレスは村長の視線で発しようとした言葉を呑み込んだ。何処か寂びた、しかし長い時を生きてきた者の重みのある視線だった。
「儂等の村は確かに貧窮しておりますが、隣の村程ではございません。儂等は今まで隣村の困窮を知りながら、何も行動を起こしはしませんでした」
「…………」
無理もない、とアレスは思う。一日一日を生き抜くのに必死で、他者を慮ることが出来ないというのは当然で、恥じる程のことではない。
他者を慮れるのは余裕のある者だけだ。時には自分の身を削ってでも他者を愛する者も居るが、それは極稀な大徳を持っているのだろう。常人では難しい。
「ですから、これは儂等の罪滅ぼしようなものですじゃ。結果的にこの領地が改善してくれれば儂等も助かりますしの」
「……ありがとう」
言って、好々爺然と笑う老人。アレスもそれに合わせて小さく笑う。そして、らしくないなと思いながらも片膝を地面に着き、宣誓の姿勢を取って、口を開く。
「この領の舵を良き方向に向けることを約束しましょう。この剣に懸けて」
「ほっほ、頼もしく思いますぞ。騎士殿」
村長は朗らかに笑って言った。或いは、自身が騎士らしくない騎士であると勘付かれているのかもしれないなとアレスは思う。野盗じみた風貌も見られているし、亀の甲より年の功。何かを察せられたのかもしれない。
初対面の時に得た印象とは異なり、どうにも中々強かな御仁らしい。考え過ぎかもしれないが、何となく気まずげに立ち上がると、アレスは軽く息を吐いてから口を開いた。
「お伝えしてある通り、明日明朝にサキは出ることになると思います。私も昼には隣の村に向かうつもりです」
「承知致しました。連れの男衆には準備をさせております」
隣村までは夜通し歩いて約一日の距離だと聞く。あの様子だとライノが突っかけてくることはなさそうだが、代官からの妨害はあり得る話だ。
サキのことも心配ではあるが、こちらも気を引き締めていかねばならないだろうとアレスは明日以降へと思考を巡らせるのだった。
改編済みです。




