閑話2.縁談
「あの時は聞き逃したけど……」
「何だよ」
メテウスの書斎に呼ばれたアレスは、詰問のように机を挟んで一対一でメテウスと向かい合っていた。侍女ではなくメテウスが手ずから茶を淹れているあたり、よほど聞かれたくない話をするのだろうな、とアレスは溜息を吐く。
「その、あの娘とは本当はどんな関係なんだい?」
「あの娘? ああ、あいつか」
メテウスが誰のことを言っているのかアレスは一瞬分からなかったが、すぐに暗殺者の少女のことだと気が付いた。理由があってのことか、単なる気まぐれか、名前を教えてくれないあの少女。
――多分気まぐれの方だろうな。
アレスはそんなことを思いつつ、まあ兄さんには隠しても仕方ないか、と言って、続ける。
「俺を暗殺しに来たんだよ。で、何故か懐かれて、俺も一緒にいて疲れるけど楽しいってとこかな。友人って言い方が近いのかな?」
まあ、妙な関係なのは確かだけどさ、締めるアレス。
「ああそうなのか、いや、そういうことを言いたいんじゃなくてね……」
「……ずいぶん歯切れの悪い」
いつも見た目からは想像出来ないくらいズバズバ切り込んでくるのに、今日はどうしたのさ、と首を傾げるアレス。
あー、そのー、と何かを言いかけては口を閉ざすメテウスに、アレスは流石に我慢出来なくなって、言葉を被せるように声を張り上げる。
「だーっ、一体何だってのさ。兄さんらしくない。迷惑掛け通しなんだ。今更何言われたって気にしやしないよ」
言いにくそうにしていたメテウスはそれで覚悟を決めたようで、アレスを真っ直ぐ真剣な眼差しで射抜いた。アレスも腹を括り、居住まいを正してメテウスに向き合った。
「アレス、お前と彼女は――」
「おう」
「――男女の仲なのか?」
アレスがずる、と姿勢を崩す。あれだけ長い前置きがあって、あれだけ言い淀んだ挙句がこれである。緊張感を返して欲しいとぼやきながら、アレスは「違ェよ!」と半ばキレ気味に返す。
「何だって、そんなこと聞くのを躊躇ったんだよ!」
「いや、その、なあ。男女の関係はデリケートなものだし……」
気まずそうに言うメテウスを、アレスは「この人本当に大貴族の当主かよ」と呆れたような眼差しで見つめた。
「うそはよくない」
「がほっ……」
メテウスの淹れた茶を口に含んでいたアレスは、唐突に聞こえてきた声に、思わず口の中の紅茶を吹き出した。
「何処から出て来た!?」
「はじめからいた」
ぶい、と人差し指と中指を立てる少女に、アレスは嘘だろ、と頭を抱える。気付かなかったのかよ、と問うアレスの視線に、全く気付かなかったと返すメテウス。
尤も、生粋の戦闘者であるアレスが気が付けないものに気付けというのも酷な話ではあるわけで。結局のところ、気付かなかったアレス自身に責があつのだ。
「お前が出て来ると、また話がこんがらがるだろうが!」
「あの夜、初めてをうばったのに……」
少女の言葉に、ばっと顔を上げてアレスに視線を送るメテウス。アレスは何のことだよ、と慌てるばかりだ。
ちなみに、アレスには分からないことだが、少女のいう『初めて』とは『初めて自分に殺されなかった人』『初めて自分を捕まえた人』のことである。
それに加えて、初接吻も口移しの時とはいえ捧げられていたりするのだが、ともあれ。
「アレスお前……」
「やってないって言ってるだろうに」
勘弁してくれよと頭を振るアレス。アレスの疲れた様子を見て、流石にやり過ぎたと思ったのか、少女が「じょーだん」と言ってその場は収まった。
メテウスが少女にも茶を淹れ、一旦落ち着いたところでアレスが口を開く。
「しっかし、何でいきなりこんなことを聞いたんだよ?」
「……もしお前が女性と関係を持って、子を成せば、その子は公爵家の血を引く者になるからね」
後継の問題もある。仮に公爵家の子と認めることは出来ずとも、金銭的な支援は行うべきだからね、と言うメテウスに、アレスは「俺はそこまで信用ないのかよ」と天を仰いだ。
「確かに俺は女好きだけどさ……その、関係を持ったことは一度もねぇよ」
アレスの言葉にメテウスは驚いたように目を見開く。少女の方も表情こそ変わらないものの、驚いているような雰囲気だった。
「えっ、お前童貞だったのか!?」
「どーてー?」
「やかましいわ!」
実の兄と、気を遣う必要のない少女が相手であることもあって、アレスの言葉遣いは、荒い。
「……わたしも処女」
お揃い、と頬に両手を当てて身体をくねらせる少女を、アレスは見なかったことにして大きく溜息を吐いた。
「いや、その、すまん……」
お前が面倒ごとを引き起こす度に女性の名を聞くものだから、てっきり何人かとは関係持っているものだと思っていたよ、というメテウスに、アレスは大きく溜息を吐く。
アレスとて、仮にも大貴族の直系。子作りには細心の注意を払わなければならないと自覚していたし、何より、長兄であるメテウスが未だに子供どころか、結婚もしていないことを常に気に掛けていた。
アレス達兄弟は権力欲が皆薄かったために何の争いも起きなかったし、兄弟仲も貴族の中では信じられないほど良い。しかし、アレス達の子世代までそれが続くかは分からないのだ。
それ故、出来ることならメテウスが第一子を作った後に女性関係は好きなようにしよう、とアレスは心に決めていた。
絶対に安全な日など存在しないのだし、アレスの子ではない赤子を、アレスの種と偽られる可能性もある。公爵家の看板はそれ程眩しく重たいものなぼだから。
「謝るくらいなら、早く結婚して、やることヤって子供作ってくれると嬉しい」
「お前なあ……」
アレスの明け透けな物言いに、メテウスは苦笑いを浮かべる。難しいと分かっているだろうに、我儘な奴だ、と。
「私は公爵家の当主だ。婚姻には王家の許可がいる。分かっているだろう?」
「はぁ……分かってるよ。でも、縁談があるとすればそろそろだろ?」
メテウスは二十三歳。若いことは若いが、貴族であればもう結婚していてもおかしくない、むしろ、遅れ気味ですらある。
「第一王女と、って話は出ているけれど……」
「へえ、王家はうちとの関係を強めたいわけだ」
ここ何世代もレグルス家には王族が嫁いで来ていない。力、こと軍事力に関して絶大な力を持つ公爵家に、手綱をつけておきたいと思うのは必然だろう。
加えて、当代の直系連中は権力欲が薄いことで有名だ。王家としても、外戚としてのさばられる心配がないというのは大きい。
そのため、外交のカードとして有用な第一王女を嫁がせようとしているのだろう。
「ただ、一つの家に二人の姫というのは、余りに力を持ち過ぎるという話もあってね」
二人の姫、という言葉にアレスは首を傾げ、その後何かを察したように滝のような冷や汗を流し、恐る恐るといった様子で問いを口にする。
「二、人?」
「第一王女と、第三王女だよ。分かってるだろう?」
アレスは「げっ」と思わず漏らし、メテウスの咎めるような視線にごめんと頭を下げる。
「第三王女……アイツなぁ」
「王族の方をアイツ呼ばわりは不敬だよ、アレス」
「分かってるけどさ」
誰しも苦手なものはある。アレスにとってそれが第三王女であり、アレスがマイペースな女性が苦手になった原因でもある。
「何が嫌なんだい? 美人だし、確かお前の好みにぴったりだろう」
「見た目はね」
スタイルは抜群だし、明るくコロコロと変わる表情は魅力的だ。しかし――
「一人称が『私様』だったり、人に無理難題を押し付けては苦労しているのを見るのが趣味だったりしなけりゃ最高だったよ」
――要は、性格が受け付けないのだ。
アレスが父の葬儀の後姿を消したのも、七割は妖精を探すため、一割は家督を継ぎたくなかったから。残り二割は第三王女と距離を置きたかったからである。
「……王女は降家してくる気だったぞ。結婚相手がお前じゃなかったら、初夜の前に自殺してやると王を脅しているらしいよ」
王がそう愚痴を漏らしてた、というメテウスの言葉を聞いて、アレスは盛大に顔を引き攣らせた。そんな言葉を言う王女の姿がやすやすと想像できたから。
相変わらず情が深いというか、思い込みが激しいというか。
アレス自身、惚れられている自覚は当然あるのだけれど、切っ掛けが切っ掛けだけにどうにも釈然としない思いが捨てきれないのだ。
「どんなひと?」
こてん、と首を傾ける少女の瞳にはいつになく真剣な色があって、アレスは気圧されるようにそうだな、と呟いてから、嵐のような人かな、と答えた。
■ □ ■ □
「フーハッハッハッハ。貴方は今、私様の前に居るのです。喜びに咽び泣いても構いませんよ」
女性がするのは、というより男でもそんな笑い方はしないだろう、と突っ込みたくなる気持ちを抑えてアレスは膝をつき、頭を垂れていた。
この少女――第三王女リシアとアレスの付き合いは長い。
レグルス家が公爵家であり、王族に近く、また領地も王都に近いこともあって、王族が視察という名目の保養によく来ていて、歳の近いアレスとリシアは共に遊ぶ機会も多かった。
とはいえ、この時点ではアレスにとってリシアはたまに遊びに来る女の子、という程度の認識だった。恐らくだが、リシアも似たようなものだったと思う。
それから月日は流れ、アレス十三歳になり、大きく成長していた。リシアと会う機会など殆どなくなっていたし、そのことをどうこう思いもしなかった。
暫く会わない内に性格が変わった、ということもなく、リシアはあのままの性格で成長していたらしい。
子供の頃は腕白で、アレスと同じくらい活発だったし、王族らしい我儘さも持ち合わせていたが、それが今も変わっていないとは、とアレスは気づかれぬよう溜息を吐く。
「リシア様、何のご用でしょうか」
「フフフ、私様の深遠な考えが分からないようですね」
分からねぇよ、と口汚い突っ込みを入れかけて、アレスは歯を強く噛み合わせた。そうでもしないと色々なものが漏れ出しそうだったから。
「私様は、森へ行きたいのです!」
ビシィ、とあらぬ方向へと指を突き出すリシア。そっちに森はねぇ、と思いながら、アレスは言葉を返す。
「申し訳ありませんが、それは出来かねます」
森は、危険が多い。レグルス家の領地にある森には狩猟用に熊や猪が放し飼いにされていて、小さい森ながら危険度は非常に高い。
アレスも、訓練でなければあまり入りたくない場所だった。尤も、諸事情あってアレスは誰よりもその森に詳しい自信があったが。
とはいえ、王族をそんな危険な場所に連れて行くなどということは出来ない。熊あたりに襲われでもしたら、庇いきれる自信など無いからだ。
――それに。
もっと幼かった時、妖魔(二グロ)という化物に出会ったのもあの森だ。あれからアレスは随分成長していたけれど、かといって、あの化物に再び出くわして倒せるという自信はなかった。
「王族命令ですよ、王族命令!」
「出来かねます」
この命令を無視したところで、何の咎めもないだろう。寧ろ、言葉を真に受けて連れ出した方が問題になる。アレスはそれが分かっていたから、頭を垂れ続け、嵐が去るのを待っているのだった。
「私、は、狩に行きたいんです!」
「申し訳ありません」
早く終わらないものか、とアレスが思っていると、不意にリシアが静かになる。叫ぶのに疲れたのかとアレスが密かに溜息を吐いたその時――
「ぐがぁっ」
――頭に強い衝撃を受けて、アレスはその場に倒れ伏した。
「フッフッフ、誰も私様を止めることなど出来ないのです!」
さーらばー、と高笑いしながら走り去って行くリシアを、アレスは止めることが出来なかった。それから少し経って、アレスが立ち上がると、周りには花瓶の破片が散乱している。
「野郎……」
頭を垂れて隙だらけのアレスの頭に重い花瓶を叩きつけてくれたらしい。
元々、気の長い方ではないアレスは、この時点で王族への敬意だとか、忠誠だとかそういったものをかなぐり捨てて鬼気迫る表情でリシアを追った。
この時アレスの様子にただごとではないとメテウスが王族への取りなしや、事態の把握、父の怒りを収める等、三面六臂の活躍をしていたことを後にアレスは知る。
アレスが森に着いて、人の通った痕跡を探していると、「ぎょわー」という間の抜けた悲鳴が聞こえてきて、そちらに向かってみると熊に睨まれて動けなくなっているリシアの姿があった。
「その、私様はあまり美味しくないのですよ。食べたらお腹を壊しますよう」
熊相手に何をやっているのやらとぼやきつつ、アレスは剣を抜き、ゆっくりと近付いて行く。
リシアの足元には弓矢が落ちていて、熊の胴には一本矢が浅く突き立っている。
大方、矢を当てて熊を刺激してしまったのだろう。
――まったく、間に合って良かったよ。
王族への敬意はリシアに対して欠片も抱いていなかったが、リシアは女性。貴婦人である。
騎士道とは男が女を、強い奴が弱い奴を守ることだ、と兄アトラスに言い聞かされて来たアレスは、小難しい騎士道はともかく、兄の言う騎士道は正しいと信じていた。
「シッ」
アレスは全体重を乗せて熊の首筋に剣を突き立て、その結果を確認することもなくリシアの手を引いて駆け出した。
今のアレスにとって、熊は強敵だ。まともに戦って勝てる相手ではない。だから、精一杯の一撃を食らわせて、後はひたすら逃げるのだ。
「あ、あ……その」
「文句なら後にして下さいよ、王女様!」
言いながら、走る、走る。
狩に行きたいと駄々を捏ねるだけあって、リシアの体力は女性にしてはかなりのもので、アレスが自信を持って安全だ、と言える場所までずっと走って着いて来れた。
「はぁ、はぁ」
「……ふぅ、お怪我はありませんか、王女様?」
「はぁ、えっと、ふぅ、大丈夫、です」
息を切らせながらもそれ以外には調子の悪いところはないようで、アレスは大きく息を吐いた。
この後、アレスは父にそれはもう怒られることになったのだが、この件で王女に気に入られたらしく、アレスは度々王女に呼び出されることになるのだった。
■ □ ■ □
――助けられたから惚れるって、単純すぎやしないか。
と、アレスは過去を思い出しながら思った。
あの一件以降、王女に呼び付けられては達成出来ないような無茶を押し付けられるようになり、嫌われているものばかりと長い間思っていたのだが、最近になって捻くれ者の愛情表現らしいことに気が付いたのである。
とはいえ、それに気が付いたところで、無茶振りばかりする上、ずっと嫌われていると思っていたことも相成って、アレスは第三王女リシアが途轍もなく苦手だった。
「本当に、嵐のような人だよ」
出来れば遭いたくないってのも合わせてね、とアレスは冗談めかして言うのだった。




