閑話1.アトラス
「嫌だっ! 何で俺まで巻き込まれるんだよ。自殺に巻き込まれるのは御免だっ」
「いや、アトラスも多分、おそらく手加減してくれる筈だ。ただ、我が家に加わってくれる優秀な騎士が、仕える前に潰されるのは忍びないんだ」
話を聞いた瞬間、脱兎のごとく逃げだそうとしたアレスの肩をメテウスががっちりと捕まえて説得にかかる。ここで言う優秀な騎士とはライノのこと。
「俺とライノの二人掛かりなら、兄貴は絶対手加減を忘れる! そしたら肉塊が二つ作られるだけぞっ」
メテウスの頼みとは、ライノがアトラスと戦う時、ライノと一緒に戦って欲しいというものだった。アレスの認識では自殺と何ら変わらぬ蛮行である。
アレスにしろ、ライノにしろ、国でも有数の腕を持つ騎士なのだが、アトラスの名の前にはそれも霞む。正直、『切り札』を切って五分だろうとすらアレスは考えている程だ。
「周りには、ボウガンを持たせた兵を用意する。矢に麻痺毒を塗っておかせるし、万が一は起こらない……筈だ」
自信ないじゃんかよ、と文句を垂れるアレス。とはいえ、ライノを見殺しにするのも気が引ける。仕方が無いと呟いて、アレスは嫌々ながらその頼みを引き受けることにするのだった。
■ □ ■ □
後日。
完全装備の上、暗殺者の少女の手を借りて数種類の毒物まで用意したアレスは、それでもまだ足りないと不安気に目を彷徨わせていた。
「テメェが一緒に戦うだァ? 御免だぜ。俺一人で戦わせて貰わァ」
「兄貴と向かい合って、まだお前がその言葉が吐けたら、喜んでそうするよ」
自信あり気に気炎を吐くライノ。兄を除けば、アレスの知る限り一、二を争う実力の持ち主だ。自負心があるのは当然だろう。アレスの目にそれが蛮勇にしか映らないのは、アレスがアトラスに対して強いトラウマを抱いているからである。
別段、アレスは兄を嫌ってはいない。
真っ直ぐ単純で分かりやすく、明朗快活。気持ちのいい武人気質の人である。鍛錬にもよく付き合って貰ったし、兄弟仲は決して悪くないのだ。
――いい人なんだけどなぁ。
戦闘狂で、いざ戦いとなると手加減を忘れるところを除けば。一定以下の腕なら問題ないのだが、一定よりも強いと楽しくなってくるらしく、途端に手加減が利かなくなるのだ。
その被害に一番遭っているのはアレスであり、一歩間違えれば肉塊になっていたことが度々あった。
――我ながら、よく生きてるよ。本当。
ここのところは暫く手合わせしてなかったけど、と思っていたところで、アレスの身体が一瞬にして戦闘時の状態にまで引き上げられる。
ライノも同じようで、警戒心を高め、何が起きたのかと周囲を見渡す。
「……何だァ、こりゃ」
「兄貴が来たみたいだ」
信じ難い話だが、アトラスが近付くと生物としての生存本能が働くのである。
此方にゆっくりと歩いて来る男の姿は、縮尺を間違えたのではないかと錯覚してしまうほどの巨体。肩幅も広く、かなり大柄なライノよりも一回り以上大きい。
銀色の全身金属鎧は分厚く、並の騎士であれば押し潰されてしまうほどの超重量。肩に担いだ大剣のように見える鉄塊は鉄鞭といわれる打撃武器だ。
アトラスの凄まじい腕力に剣では耐えられないが故の鉄鞭である。戦鎚を使っていた時期もあったが、打撃部分と柄の境がすぐにボロボロになってしまうため、今の鉄鞭に落ち着いたのだ。
鉄鞭は凄まじい重さで、アレスでは持ち上げることが精一杯。とてもではないが構えたり、ましてや振り回すなど不可能だ。
「おお、アレス。久しぶりだな!」
「久しぶりだね、兄貴」
「ほぉう、一層力を増したようだな。隣の騎士も中々の力量とお見受けする」
今日はいい日だ、とアトラスは笑う。
「メテウスから聞いているぞ。腕試しをしたいそうだな。幾らでも掛かってくるといい」
何度でも相手になるぞ、と鉄鞭を一振りするアトラス。引き千切られた空気が強い風を辺りに撒き散らした。やる気満々のアトラスに、アレスはしかし待ったをかける。
「兄貴、これ。ライノも、ほら」
そう言って手渡したのは、木剣だ。ライノには両刃両手剣型の木剣を、アトラスにも同じものを。アレス自身は両刃片手剣型の木剣に加え、木製の盾を持って来ていた。
普段盾を使わないアレスだったが、騎士として当然盾を扱う技能は修めている。アトラス相手では何を持ち出しても不安しかないが、最低限無いよりはましである。
アレスの経験上、木剣であれば余程当たりどころが悪くない限り、アトラスの一撃でも大怪我で済む。
死にはしないことを喜ぶべきか、木剣を使っているのに鎧の上から大怪我を負わせるような一撃を放つ兄に慄くべきか、アレスは分からなくなっていたが。
「ふーむ。こいつは振っている気がせんのよな」
爪楊枝か何かでも振っているかのような調子で言う兄に、アレスは顔を引き攣らせる他ない。樫から削り出された木剣は、金属と比べれば軽いが、それでも十分な重量があるのだ。
「『お人好し』、お前は右。俺は左から仕掛けるぞ」
「……分かった」
先程までの威勢は何処へやら、ライノは迷うことなく共闘を選ぶ。賢い判断だとアレスは思う。この兄を見て戦力の差を理解出来ない奴は危機感を欠いているか、余程鈍感なのだろう。
話し終えた瞬間、アレスは右に、ライノは左に爆ぜるように散会し、ほんの一瞬アトラスの注意が散ったのを感じ取って二人は同時に仕掛ける。
示し合わせたわけではなく、各々が効率的に動いた結果だったが、アレスとライノの行動は噛み合って、最良に近いコンビネーションを発揮した。
アレスは下段、『愚者』の構えからアトラスの左膝裏を狙い、ライノは上段、剣の切先を相手の顔に向けて構える『雄牛』の構えから首を狙った突きを繰り出す。
上下から挟み込むような二人の攻撃に対して、アトラスがしたのはただ、前方に跳んで二人の攻撃を透かし、振り向いて木剣を薙ぎ払った。それだけである。
単純かつ技量も何も絡まない一閃だが、それが凄まじい速度で行われる為にまるで対応出来ないのだ。
とはいえそこはアレスにしろライノにしろ腕の立つ騎士。アレスは、どうせ躱されるだろうと考えていたこともあって、木剣を盾で受けた上に衝撃も受け流してみせる。
ライノも寸前で木剣を立てて弾かれながらも薙ぎ払いを防ぐことに成功する。
「ハハッ、いいぞおアレス。反応が前よりもいい。そっちの騎士殿も剣を弾き飛ばされないとはできますなあ」
これは楽しくなってきた、と瞳を輝かせるアトラス。今のはちょっとした小手調べといったところなのだろう。
その小手調べでアレスは盾を持つ左手が痺れ、ライノは全身が衝撃で痛んでいたのだが。
「さて、今度はこっちから行くぞ」
踏み込もうと身を僅かに沈めたアトラスに対して、アレスの対応は早い。盾を投擲武器に見立てて投げ付けたのだ。それはあっさりと弾かれてしまうも、盾を追うようにしてアレスも踏み込んでいる。
「シッ」
鋭い吐息と共に放たれるのは、片手突きだ。盾の影に隠れ、最速で最短距離を貫く鋭い刺突は、アトラスの身体に届く直前で掴み取られていた。
「……驚いた。本当に強くなったな、アレス」
俺は今の突きに対応出来るあなたに驚いたよとぼやくように思うアレス。仮に今持っているのが木剣ではなく真剣であったとしても、アトラスの握力と分厚い籠手の前では引き切ることも出来なかっただろう。
そこでもアレスは止まらない。掴まれた剣から手を離し、更に踏み込むと喉笛を狙った貫手を繰り出したのだ。
「おっと」
軽い調子ながら、反撃は酷く重い。アレスは腹部に強い衝撃を感じて、吹き飛ばされながら意識を手放した。
ライノはアレスを囮に、胴を狙って両手で剣を突き出した。
アレスの貫手に、アトラスは膝蹴りで対応していた。つまり、片足が浮いた状態。そこを狙ってライノの全体重を乗せた突き。
例え先程のアレスのように受け止められたとしても押し倒せる。そう確信しての一撃。しかし――
「――足りないな」
アトラスが無造作に振り抜いた木剣がライノを吹き飛ばす。それは、後から繰り出された袈裟懸け斬りが、先に繰り出した刺突よりも早く届くという不条理。
圧倒的な身体能力の差によって成される蹂躙だ。鎧の上からとはいえ、凄まじい衝撃にライノもまたアレスと同じように吹き飛ばされ、意識を失うのだった。
「なあ、俺も手加減が上手くなったもんだろう、メテウス」
アトラスは大声で屋敷の方へと語り掛ける。アトラスの言葉の通り、アレスもライノも気絶こそしてはいるが、後に響くような傷は負っていない。
「知ってたさ。アレスには教えなかったけどね」
屋敷の中から窓を介して見下ろしていたメテウスは、勝手ばかりするアレスにはいい薬だと笑う。
「ふん、俺は恐れられたままかよ」
「後で説明してやればいいさ。からかわれたと怒るだろうけどね」
いい性格してるぜ、と笑うアトラス。
「それで、二人はお前の目から見てどうだ?」
私では二人が強いことは分かっても、どの位の実力なのかまでは分からなくてね、と言うメテウスに、アトラスは楽しげな声で答える。
「アレスはかなり強くなってるな。その上、まだ隠し球があるんだろ?」
「らしいね。私も見たことはないけど、本人曰く『兄貴にも勝てる……ような気がしないでもない』だってさ」
そりゃ楽しみだ、とアトラスは声を上げて笑った。
「こっちの騎士もかなりのもんだ。鍛えてやりゃ、もっと伸びる」
いい拾いもんだと思うぜ、と言うアトラスに、メテウスは満足気に頷く。
こうして、ライノはレグルス家の騎士として取り立てられたのだった。




