17.決着
「いしき、ある?」
暗殺者の少女の問いに、アレスは目を見つめ返すことで応える。
少女は血で汚れることも厭わずアレスを抱えると、砕けた鎧を脱がせにかかった。血で滑り、苦戦しつつも鎧を脱がせた少女の瞳が翳る。
「……ひどい」
アレスの胸板には砕けた鎧の破片が付き刺さり、酷く出血していた。傷は深く、身体の内側も無事でないことは明らかで。
致命傷。
少女の目から見ても、最早助かるとは思えない傷だった。しかし、躊躇うことなく処置を始める。
――しなせたくない。
少女は必死に手を動かす。破片の刺さっていない傷に布を当て、圧迫して出血を抑えた。
呻き声を上げるアレス。
しかし、少女は医療の知識など殆どない。薬草や毒物に関しては心得があるも、傷の類に関してはどうしていいのか分からないのだ。
何故自分がアレスにここまで拘るのか、少女自身不思議だった。初めて自分に殺されない人で、興味を持った。殺されそうになったのに、自分を殺そうとしなくて、益々興味が深まる。
――話していると楽しくて、面白い。
少女が抱いているのはこの程度の思いなのだけれど、少女にとってこんなことを思わせる相手は初めてだっった。少女に自覚はなかったが、或いは初恋となのかもしれなかった。
「『……せん……スよ、血と……を……べ、る者よ』」
「……なに?」
アレスが蚊の鳴くような声で何事か呟くアレス。少女は耳をアレスの口元に近付けてみるも、何を言いたいのか分からない。表情には出さないものの、わたわた慌てる少女。
アレスは虚ろな目のままに、しかし聞き取れるか聞き取れないかの声量で呟くのを止めない。
「『お……の、刃が……が……申……げる』」
「なにをして欲しいの?」
少女は問うも、アレスは答えない。或いは、聞こえていないのかもしれなかった。
「『我は……挑む……御……欠を……に貸し……え』」
うわごとのように言葉を垂れ流すアレス。少女には末期の言葉のようにしか思えなかった。
「『共……喝采……を征、かん』」
アレスが言い終えた瞬間、少女は弾き飛ばされた。
先程と同じように赤い風を身に纏ったアレス。何処からか注ぎ込まれる力がアレスの内に満ち、内側から鎧の欠片を弾き飛ばす。
「ぎ、が……済まない。警、告す……る余裕が、なかった」
「……ほんとうに、せきにんとってもらう」
尻餅をついて責めるような口調で言う少女に、アレスは苦しげに表情を歪めながらも口元を笑みの形に歪めた。少女の表情は先程よりも明るい。それは、一見アレスは回復したように見えるからで。
「生きて……いたら、何でも、しよう」
しかし、現実は残酷だ。喋るだけでも意識が遠のく。呼吸だけで肺が焼けるように痛み、血液が全て刃に変わってしまったかのように全身が痛む。
――これは、死んだな。
自分の生命力が尽きかけていることがアレスには分かった。死の淵にあって『切り札』を使ったせいだろうか。アレスは体の中を流れる生命力や、それとは別の力を感じ取れた。どちらも零れ落ちて行き、身体の中は空に近かったが。
――『切り札』が切れる時が、俺の死だ。
本来、死んでもおかしくない状態でアレスが動けるのは、『切り札』によって注ぎ込まれる力が生命力の代わりになっているからで、それが失われれば命を保つことはかなわないだろう。
『切り札』を使ったのは、どの道死ぬなら、せめて豚鬼を道連れにしてやろうと思ったからだった。死にたくはなかったし、今も死にたいわけではないが、あのままでは何も出来ずに死んでいた。
それならせめて、自分の愚かしさが原因で生み出された化物位片を付けたかった。自分のせいで少女が、ライノが、村人達が命を落とすとあっては死んでも死に切れない。
「すまん、な」
「えっ?」
少女に言い残し、豚鬼に向けてアレスは吶喊する。
一歩毎に全身を激痛が貫く。空気に触れていることすらが苦痛だった。しかし――
――不思議だ。
身体が軽い。
身体に残っているものが少ないからだろうか。
痛みも、気にならなかった。苦痛ではあるのだけれど、自分がまだ生きている証明なのだと思うと、苦痛と等量の喜びがあった。
「ハ、ハ、ハッ!」
途切れ途切れに、笑う。
夜だというのに、世界が輝いて見えた。
死を覚悟したからこそ、生きていることが何より素晴らしいと思えたから。生を失うことの恐怖もより増したけれど、失わせたくないという思いも強くなる。
――我ながら、業が深いよ。
今まで自分は幾つの命を奪ってきただろうか。その時々の判断に後悔はないが、命の重みに対する認識が足りていなかったように思える。殺さなくても済ませられる場面でも、自分は剣を振り下ろしてきた。
この素晴らしい輝きを奪ってきたのだ。
ゾッとするが、同時に奪ったよりも多くの輝きを救ったという自負がそれを緩和する。それで許される訳ではないが、アレス自身を誤魔化す理由としては上等だ。
「オオオオオッ!」
叫び、猛る。
豚鬼は今のアレスが危険な存在だと感じ取ったのだろう。向かい合っていたライノを放ってアレスへと向き直った。しかし、それは一瞬遅く、さらに言えばライノとて注意を逸らしていい相手ではなかった。
振り向いた豚鬼の隙に、ライノの剣が入り込む。
アレスが裂いたのとは反対側の足首をライノの一閃が切り裂いた。アレスのそれほど深くはなかったが、両足の腱を傷の付けられた豚鬼はバランスを崩す。
「グボオオオオオッ」
「ガアアアアアアッ」
豚鬼の悲鳴と、アレスの咆哮が上がる。
赤い残光を引きながらアレスが飛び上がった。
ライノの一撃によって下がった頭部。巨大なそれを前に、アレスの拳が矢のように引き絞られる。
赤く輝くアレスと豚鬼の瞳が交錯する。方や覚悟の光で満ち、方や恐怖に彩られた瞳をしていた。
振り抜かれるアレスの拳。
豚鬼の眉間を捉えたその一撃は豚鬼の巨体を凄まじい勢いで吹き飛ばした。屋敷の周囲を囲っていた塀すら突き破って横たわる豚鬼。
しかし、化物は伊達ではない。
脳は衝撃に揺れ、頭蓋に罅は入っているが、その命を断つにはまだ足りなかった。
――出せるのは、あと一撃。
それで、終わりだ。それで『切り札』が終わる。
出来るだろうか、とアレスは自問する。
あの超常の生命体の命をあと一撃で断ち切れるのか、と。無理かもしれない。弱気の虫が顔を出す。剣があれば、そう思ってしまう。拳では、きっと足りないと。
「『お人好し』!」
ライノが何かを投げて寄越す。アレスの瞳が驚きに見開かれた。
両手両刃剣。
剣は、騎士の誇りでもある。それを投げ渡してきたライノにアレスは何かを言わなければと口を開きかけ、ライノの冑、その奥に輝く瞳を見て口を閉じた。
言葉が、無粋に思えたから。
――決めて来い!
声はなく、しかしそんな言葉が剣から伝わって来た。
アレスは、剣を携えて豚鬼に追撃をかける。最早その心に一片の不安もない。
代わりに、ただ確信だけがあった。
――勝てないわけがない。
だから、行った。
仰向けに倒れている豚鬼の身体に飛び乗り、その胸元で剣を振り上げるアレス。
狙うは、その首。
丸太のように太い首だ。肉体の強度を考えれば、仕損じる可能性もある。しかし、今のアレスにそんな不安は少しもなかった。
「じゃあな、豚野郎。俺も、すぐ行くだろうさ」
あの世で会っても話しかけて来るなよ。知り合いだと思われると恥ずかしいからな。そんな風に戯けた言葉と共に、アレスは剣を振り抜いた。
静かに走る、銀閃。
手応えは重く、そして軽い。全身を貫く痛みなど気にならぬほどの、会心の一撃。
物心ついた時から剣を振ってきて、最高の斬撃だった。結果など、見るまでもない。豚鬼の胴と頭は泣き別れることになった。それだけだった。
「ああ……」
身体の中から力が抜けて行くのが分かる。アレス自身の残り僅かな生命力も、共に。
赤い光の風は掻き消え、『切り札』の時間は幕を下ろす。
――未練は、腐るほどある。
妖精を見つけられなかった。サキとの再開の約束を果たせなかった。ライノと決闘が出来なかった。兄弟には迷惑をかけ通しだ。
だんだんと暗く落ちて行く意識。もう身体は痛くなかった。むしろ、眠りに揺蕩うような心地よさすらある。アレスは霞み行く意識の中で、未練を思う。
そして、暗殺者の少女にも礼を返せていない。
――ああ、そういえば名前も聞いていなかったっけ。
あれだけの美少女の名前を聞き逃しているとは女好きの名も返上かな、とアレスは笑い、その表情のまま心臓の鼓動を、止めた。
――良き、剣よな。
アレスは死にゆく意識の最後の最後、何処かで聞いたことのある男の声を聞き、人生の最期に聞く声が男の声とはなあ、とぼやきながらその意識を閉ざすのだった。




