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遍歴騎士アレス  作者: 矢田
第一章 『義の騎士』アレス
17/25

15.豚鬼

 偶然か、必然か。


「ぐっ……」


 アレスが『切り札』の反動で短剣を振り下ろそうとした瞬間、膝から力が抜けて振り下ろすのが遅れ、更に狙いが外れてファッジの胸元を裂くにとどまった。


 浅くはないが、臓器を傷つけるほど深くもない。


「ヒィィ、嫌だ! 死にたくないっ」


 ファッジが血を流しながら後退る。『切り札』の反動で痙攣の収まらない足で即座に追うことは難しく、アレスは短剣を投げようとして、ファッジの胸元で揺れるメダルが黒紫色の光を纏っていることに気が付く。


 ――あれは、まずい。


 それを見た瞬間、背を無数の蟲が這い上がって来るかのような、言いようのない不安がアレスを襲う。理屈ではなく、本能だった。


 この際当たれば構わないと狙いが定まり切らないままにアレスは短剣を投げ放った。もし投擲用のナイフなら、この状態でも狙い通り当てていた。もし『切り札』による痛みと疲労が無ければ投擲用でないこの短剣でも狙いを外すことは無かっただろう。


 しかし、投擲用でない短剣。『切り札』の反動の二つが重なって、アレス投げた短剣は左肩に突き立ちはしたものの、命を奪うことはかなわない。


「痛い、いたいぃ……嫌だ。こんな所で死ぬのはイヤだぁ」


 胸と肩の傷。どちらも致命の傷ではないのだが、痛みに対して耐性を持たないファッジは悶え苦しむ。最早目を開けているのも苦しい程に輝くメダル。


 ここに来て身体が動いてくれず、それを見ている他ないアレス。嫌な汗が全身から噴き出す。


 ――動け、動けっ!


 痛みと疲労から来る痺れ。早目に『切り札』を解除したにも関わらず、反動は大きい。解除直後に無理して動いた事も祟って、いくら意思を伝えても手足は震えるばかりで動いてくれない。


 こんなことなら後のことを考えず、『切り札』を解除などせずにファッジを殺しておくべきだったとアレスは自分の愚かさを罵る。


 何が起こるのかは全く予測がつかないが、あのメダルには神話の時代の文字が刻まれていた。今目の前で起こっているのも間違いなく魔法か、それに類するもの。


 何が切欠で発動したのか分からない。おそらく、神秘の時代の遺産の発動条件を偶発的に満たしてしまったのだろう。


 その予想は、当たっている。


 アレスには分からないことだが、ファッジの胸に掛かっているメダル――『妖魔の召印』の発動条件は、使用者の強い意思、大量の生贄、そして起動に必要な魔力の三つ。


 その全てをアレスが満たしてしまった、満たさせてしまったのだ。


 使用者(ファッジ)はアレスに殺されかけたことで、強い生に対する欲求を抱いた。これによって強い意思の条件が満たされる。そして、大量の生贄は、アレスのが殺した三十人以上の兵士の命である。これによって、二つ目の条件も満たされてしまう。


 最後に、魔力。


 これは本来であれば、絶対に満たされない条件である。神秘の時代はともあれ、現在魔力を扱える人間は存在していない。しかし、アレスの『切り札』でアレスの周囲を覆う赤い風には魔力が含まれていた。


 それが『切り札』を解除した時に撒き散らされ、『妖魔の召印』に吸い込まれて最後の条件を満たしてしまったのだ。


「ひっ、な、何が……!?」


 ファッジが混乱の極みに達し、叫んだ瞬間――


 ――黒紫色の光が爆ぜた。


 アレスはそれに弾き飛ばされ、バルコニーから飛び出してしまう。身体が動かない状態で吹き飛ばされる。


 大した高さでも速度でもないが、受け身も取れず、悪い体勢で落下しようものなら命を落としかねない。せめて足からと足掻くも、身体が動くようになったタイミングが遅い。


 ――間に合わない。


 アレスが衝撃に備えて覚悟を決めた瞬間。


「きゅーせいしゅ」


 そんな気の抜ける声と共に、背に傾き気味に落ちていたアレスの肩へ衝撃が走り、その肩を支点にアレスはやや前傾の姿勢で地面を掴むことに成功する。


 着地の瞬間、膝を曲げ、そのまま倒れこむように衝撃を逃がし、腕で更に衝撃を殺す。逃がした衝撃のままに地面を転がって、どうにか無事に着地することが出来た。


「ぐ、はぁ……お、お前!?」


 アレスは立ち上がると、暗殺者(アサシン)の少女に驚きに見開かれた目で声を掛ける。


「そんな目でみられると……照れる」


「馬鹿なこと言ってる場合か! 手を見せろっ」


 口調の割に優しい手つきで少女の手を取ったアレスはやっぱりか、と顔を歪ませる。


 先程、少女は落ちてくるアレスへ跳び上がり、腕で肩を押してくれた。そのお陰で殆ど無傷で着地出来たのだ。しかし、それは口でいうほど簡単なことではない。


 アレスは細身だが、筋肉質で見た目の割に体重はあるし、その上、全身鎧(フルプレート)ではないといっても金属製の鎧を身に付けている。総重量はかなりのものになるだろう。


 それを少女の細腕で、しかも衝撃を逃がすことなく弾いたのだからただですんでいる筈がない。


 少女の手首は熱を持ち、間違いなく痛めている。下手をすれば折れているだろう。右肩も少し不自然で、関節が外れていることが分かる。


「キズモノにされちゃった」


 責任取ってね、とやはり平坦な口調で言う少女。しかし、よく見れば額には汗が浮いているし、瞳にも微妙に余裕がない。


「……なんで、そこまで」


 アレスにはさっぱり分からなかった。命の恩人、と少女は言っていたが、少女にとってアレスは暗殺の対象でしかない筈で。自分が傷付いてでも救おうなどと考えるだろうか。


 それはアレス自身にも返ってくる言葉ではあるのだが、アレスの場合、生来の気性に加えて高貴な者の義務ノブレス・オブリージュだと考えている面もある。しかし、少女は違うはずだ。


「殺されなかった人、はじめて」


 それが、理由だとばかりに少女は胸を張る。アレスには少女の考えがまるで理解出来なかったが、それは少女にとっては重く、命を賭け得る理由になることだけは分かった。


「……ありがとう」


 だから、もう何故とは問わなかった。ただ、心からの感謝を伝えると、『切り札』を使う前に突き立てていた剣のところまで戻り、それを引き抜いた。


「おうおう、何だァさっきのは。いきなり強くなりやがってよォ」


 そう酔っ払いのように絡んできたライノを無視しつつ、アレスの場合は未だ黒紫色の光が踊るバルコニーを睨んだ。


「無視とは悲しいって、おい。ありゃお前がやった訳じゃあねェのか?」


 しつこく絡むライノだったが、アレスの表情の厳しさに気が付いたのか、声の質が真剣なものへと変わる。


「……ああ。何が起こるか分からない。が、嫌な予感はある」


 言って、アレスは軽く剣を振る。


 全身に筋肉痛を酷くしたような痛みがあるのと、身体が鉛になったかのように重く、動き辛いこと。一度目を閉じたが最後、意識が睡魔に呑まれそうなことを除けば万全だった。


 ――全くもって、絶好調だ。嫌になるね。


 心の内で軽口を叩く。当然調子は最悪のそれに近いのだけれど、足は動くし剣も握れる。最低限とはいえ戦える状態だった。それは、あの暗殺者(アサシン)の少女のお陰だ。あれがなければ身体を強く打ち付けてそのまま意識を手放していたかもしれないのだから。


「この戦いから生きて帰れたら、礼をしないとな」


「死亡ふらぐ?」


「何だか分からんが、その不吉な言葉は勘弁してくれ。どうにも嫌な感じがする」


 突拍子もなく意味のわからないことを言い出す少女。意味は分からなかったが、どうにも嫌な感じのする言葉にアレスは顔を顰める。


 ――やっぱり苦手だなぁ。


 助けて貰ったこともあり、好きか嫌いかの二つで語るなら好きなのだが、好き嫌いとは別のベクトルでアレスはこの少女が苦手だった。


 いい意味でも悪い意味でも気が抜けたその時、黒紫色の光が収まった。アレスも、アレスの言葉に警戒心を高めていたライノも、暗殺者(アサシン)の少女も皆バルコニーを見上げた。


 ――何だ。


 瞬間、空気が重さを持ったようにアレスは感じた。


 鳴動する大気。


 集中するまでもなく、意識が強制的に戦闘用のものに切り替わる。鳥肌が立ち、背がどっと汗ばんだ。本能が叫んでいる。この場から逃げろ、と。


 疲労からではなく、恐怖で身体が震え出す。


 生物としての本能に刻まれた生存本能が目一杯に警鐘を鳴らすのだ。身体が勝手に逃げを打とうとする。


 この時踏み留まれたのは、男としての見栄と意地だ。


 ライノが恐怖に耐えて踏み留まっている。少女が身体を震わせながらも逃げ出さない。


 ――ここで逃げるなんて、みっともなくて出来やしない。


 大体、自分がファッジに止めを刺しておけばこの状況は起こり得なかった。故に、これはアレスの責任であり、義務でもあるのだ。


 ずうん。


 バルコニーが、揺れた。何か途轍もなく巨大なものが移動したかのような、重々しい音。ゆっくりとそれ(・・)が立ち上がった時、アレスはまず自分の目がおかしくなったことを疑い、何度か目を瞬かせ、それが幻覚の類ではないと理解した瞬間、軽く絶望を覚えた。


 ――デカイ。


 熊の魔獣(ガルム)よりも二周りは大きい。横幅が熊の魔獣に比べて太いこともあって、体感では二倍近い大きさにすら感じる。


 分厚い脂肪と筋肉に包まれた身体は打突斬のどの攻撃も効き目がないようにすら思える。特にでっぷりと出た下腹には剣を突き立てたところで何の意味も無いだろう。


 脅威的なことに、二足歩行。凄まじい体重を支える丸太のような足はどれほど強靭なのだろうか。


 牙の生えた豚そのものの頭部。そこにファッジの面影があるように見えるのは、何らかの関連性があるのか、アレスの錯覚か。


 見たこともない、物語の中の怪物(モンスター)


 しかし、アレスにはあれが何か、少しだけ予測がついた。炯炯と輝く、赤い瞳。


 ――妖魔(二グロ)。


 或いは、魔獣(ガルム)か。ともあれ、妖魔(二グロ)が関係していることは間違いない。


「……さしずめ、豚鬼(オーク)ってところか」


 物語の怪物の名になぞらえてアレスは呟いた。その瞳には怯えの色があり、額には汗が浮かぶ。


 ――厳しい戦いになるな。


 限界一歩手前の身体で、どこまでやれるか。アレスは剣を構えながらも、腕の震えを抑えられずにいた。



サキよりよっぽどヒロインしているのに未だ名前が出ていない暗殺者……ヒロインとは一体。

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