14.切り札
「や、やれっ」
僅かな間躊躇っていたファッジだったが、こうなってはやる他ないと決めたのか、単にヤケになったのか、アレスを殺すよう私兵達に命じた。
自身の周囲から、そして屋敷の中から迫って来る気配を感じながらアレスは剣を『鉄の門』に構えた。最も注意すべきライノから注意を逸らさないよう目を細める。
「俺ァやらねえよ。面白くねェからな。見物させてもらわァ……テメェの自信がハッタリかどうかを、よ」
「な、ライノ、お前も戦わんかっ!」
「おいおい、契約の時『戦いに関しちゃ口を挟まねぇ』って話だったろ。だから護衛やら使いっ走りみてえな真似をしてやってんだ」
ファッジとライノが軽く揉めているのを視界の端に流しつつ、アレスは厄介なことになったと溜息を吐いた。ライノが手を出してこないというのはありがたいが、同時に今から使う『切り札』を観察されることになるし、向こうが手を出して来ない以上、こちらから仕掛けるのはアレスとしても気が引けた。
本来、ライノと兵士達は一度の『切り札』で仕留め切るつもりだった。そもそも乱用出来るようなものではないし、危険も大きい。
安全面を考えるなら、ライノの手を出さないという言葉を無視して『切り札』を使用した直後に仕留めるのが正解なのだろうが、ライノの憎み辛い性格もあってアレスはその判断が出来ずにいた。
『切り札』を使った後、アレスの身体は無事とは言い難い状態になる。その状態でライノとやり合うのは不可能だ。
とはいえ、切り札を切らなければ三十人相手の戦闘もまた無謀が過ぎる。
一対一の決闘で決着をつけたいというライノの欲望に賭けるほかないな、とアレスは結論付け、それ程悪い賭けでもないだろうと自分を無理矢理納得させる。
迫り来る兵士の足音を聞きながら、アレスは剣をその場に突き立てた。
屋敷の中や、庭の木の陰から兵士達が姿を現す。殆どが革鎧に剣だが、数名槍を持っている者も見えるし、厄介なことに弓持ちの姿も見えた。
――まあ、一切合財関係無いけどな。
アレスは大きく息を吸い、そして吐き出す。こればかりは何度やっても慣れるものではないな、と思いつつ、『切り札』を切り出した。
「『戦神アレスよ、血と闘争を統べる者よ! 御身の刃が一振りが申し上げる。我は剣群に挑む者。御身が一欠を我が身に貸し与え。共に血と喝采の戦場を征かん!』」
アレスの口から流れ出る詠唱の意味を解する者はアレス自身以外には存在しなかった。それもその筈。これは古い時代、神秘がまだ存在していた時代に使われていた力ある言葉なのだから。
この言葉を理解出来る者は現状存在しない。アレスを含め、である。
アレスはこれまでに多くの遺跡を回り、空振りも多かったが時には神秘の時代の遺跡に巡り会えることもあった。そんな中で神秘の時代の文字も見つけているし、比較によって意味が掴めている単語もそれなりにある。
物語で語られるような『魔道書』。悠久の年月を経て未だ朽ちないそれには超常の力が込められていることは間違い無かったが、百分の一も読み解けない上、仮に読み解けたとしても――
――魔法を使うことはかなわない。
それは、単語の意味自体はどうにか掴めても、呪文を詠唱するのに必要な発音が全く分からないから。
意味を掴んでいるアレスにしても文字の意味を理解しているわけではなく、絵に近い感覚で認識しているのだ。
にもかかわらず、アレスが『切り札』を使えるのは、一年半ほど前に見つけた遺跡の奥深くで頭の中に直接響いてくる不思議な声を聞いたからだった。
荘厳でありながら、荒々しい声。アレスは声を耳にしただけでその場に膝を折ってしまいそうになった圧倒的な重圧。
その声を聞いた後、脳髄に直接書き込まれたかのように詠唱が浮かび上がったのだ。詠唱の内容からして戦神アレスが声の主であったのだろう。
ともあれ、この『切り札』はアレスが使える唯一の神秘である。
詠唱が終わると同時に、アレスの身体に変化が起きた。
翠色瞳は血を思わせる深い赤に染まり、アレスの身体を赤い風のような光が覆う。
凄まじい力が何処からか流れ込んで来るのを感じて、アレスは歯を食い縛る。この感覚は何度やっても慣れるものではない。
炎が身体の中に投げ込まれたかのような熱。吐息すら燃えているような錯覚。
熱は血管を辿るように全身を巡り、確かな力をアレスに与える。
詠唱の通り、もしこの力が戦神アレスの力の一欠片だというのなら、神の力というのは想像を絶するものだ。とてもではないが人の手が届く領域にはない。
――今ならば、誰にも負けない。
ライノだろうが、兄だろうが、腕の一本で葬れる。そんな全能感と、体内で燻る熱を吐き出したいという強烈な欲求にアレスの精神が侵されていく。
犬歯を剥き出しに、獣じみた表情で指をゴキリと鳴らしたアレス。
「ひっ」
アレスの背後から迫って来ていた兵士がその異様な姿に悲鳴を上げる。アレスは緩慢にすら取れる動作で振り向き、次の瞬間、姿を消した。
――身体が軋む。
アレスの姿は兵士の背後にあった。反応を許さず、腕を一閃。手刀で兵士の頸を飛ばす。
吹き上がる血に構うことなく次の獲物に向けて地面を蹴る。
次に目に入ったのは、二人の兵士。
今起こった出来事を把握出来ていない。呆然と立ち尽くしているだけだ。武器も構えていない相手を恐れる理由は少しもない。無雑作な俊足で距離を殺し、二人の兵士の顔面を掴むと地面に叩きつける。
骨を砕いた手応えがある。
頭蓋か、頚椎か。
――どうでもいい、次だ。
周囲の人間の認識がようやく追い付き、皆驚愕と恐怖に顔を歪めている。悲鳴を上げている者がいた。怯えて腰を抜かす者がいた。股座を恐怖で汚す者もいた。
その全てが今のアレスにとってはどうでもいいことで――
――コロセ。
抑え難い、衝動だけがあった。
館から出て来ていた兵士達の姿を捉えると、アレスは脚力を爆発させる。十人ほどの集団の中央に現れたその時には、行きずりに二人の命を奪い去っている。
両の手に握られているのは、もぎ取った人間の頭部だ。
――コロセ。
頭部を奪われたことに気付かず立ったままの肉体から間欠泉がごとく血液が吹き出し、アレスが纏う赤い光の風に乗ってその身を更に赤く染め上げた。
血風を纏ったその姿は、正しく怪物で。
「ひいいぃぃ」
誰のものとも知れぬ悲鳴が上がる。
最早、この時点で戦いではなくなっていた。そこに広がる光景は、家畜の屠殺場と変わらぬものだ。
無抵抗の命を摘み取っていく。
――モットダ。
中には剣や槍を振り回す者もいたが、その程度の抵抗は何の意味も持たず、素手の一撃で無慈悲に命を奪われる。
次、次、次と目に映るところから兵を殺して行く。恐るべきことに、『切り札』の発動から十も数えぬ内に目に映る範囲から全ての私兵は排除されていた。
「フウゥゥッ」
――モットコロセ!
熱い吐息を吐き出すアレス。全身を真紅に染め上げ、それでもまだ獲物を求めて視線を彷徨わせる。次へ、と足を踏み出そうとした瞬間、鋭い痛みが全身を貫き、熱されていた思考は水をぶちまけられたかのように冷えていく。
――あ、相変わらず危険だな、これは。
今も血と殺戮を望む衝動はあるが、軋むような痛みのお陰で暫くはその熱に呑まれずにすみそうだ。痛みが来たということは、この状態でいられる限界が近付いている証拠。これ以上の無茶は出来ない。
アレスが『切り札』を出来るだけ使いたくない理由の一つがこの殺戮衝動にあった。
これは『切り札』を何度か使ったアレスの推測だが、この殺戮衝動は戦神アレスの性質によるものだろうと考えていた。自身と同名の神は、非常に血生臭い神であり。闘争、戦争、勝利を司る神格である。
高潔な戦いというよりも首級の数で名誉を競うような戦争を望む神で、伝承の通りであれば非常に激しい気性をしていると聞く。
『切り札』で身体に宿る力は無色ではなく、戦神の色に染め上げられている、戦神の性質を宿しているのではないかと思っているのだ。
この衝動、ある程度方向性を定めることは出来ても、御し切るのは難しい。圧倒的な全能感によって理性が緩められ、そこから衝動が入り込んでくるからだ。
きっかけがあれば熱も冷めるのだが、逆にそれがないと止まれない。更に、この衝動のせいで複雑な動きが出来ず、攻撃が単調になってしまうのも弱点の一つだった。加えて――
――ギシリ。
身体が、軋む。
『切り札』は身体に負担がかかり過ぎる技だ。それは、人間の限界を超える代償であり、神の力というほんの一欠片であっても人間にとっては激毒になり得るものを取り込んだ影響なのだろう。
初めて使った時は、三日間寝込んだ。使う度に身体が慣れているのか、短時間の使用であれば寝込まずに済むようになってはいるが、身体に走る激痛だけはまるで変わらない。
使った直後はいい。狂乱の熱で身体の痛みなど気にならないのだから。
しかし、今のように使用限界が近付いてくると堪え難い激痛に苛まれることになるのだ。筋繊維一本一本が切り刻まれ、骨の全てがハンマーで叩かれているかのような、痛み。
本来ならいくら意思が強かろうが発狂確実の激痛を、燻りかかっている熱で押さえ込んでいるのだ。おかげで動けることは動けるが、苦痛は少なからずある。
これがアレスが『切り札』を使いたくない二つ目の理由。一から数えて三十を数え終わる頃には解けてしまう、極短時間しか持続しない技なのだ。
それでも、使っている間は超常の身体能力を手に入れ、刃を弾く赤い風で周囲を気にせず立ち回れるというのは凶悪だ。余りの腕力に、武器を使うと砕けてしまうのが難点ではあるが、一度使えば百の兵とてアレスの敵ではなくなる。
アレスは地面を蹴って跳び上がり、ファッジの居るバルコニーに降り立った。
未だに状況を飲み込めておらず、呆然とした表情を浮かべるファッジにアレスは短剣を突き付け、『切り札』を解く。赤い風と共にアレスの中から殺戮と狂乱の力が抜け出ていった。
力の抜ける感覚に思わず膝を付きそうになるも、意思の力で堪え、アレスは短剣を振りかぶる。
「終わりだ」
一言呟いて、アレスは腕を振り下ろした。




