11.暗殺者の少女
――少女が立っていた。
老人のように真っ白な頭髪は膝を少し超えるほど長く、無造作に放り出されている。僅かな明かりの中で白髪は銀糸の輝きを宿して、艶やかな白髪というのは美しさにアレスは無意識に息を飲む。
どんな芸術家にも作り出せないと確信出来てしまう程に整った容貌は神秘的ですらあった。身体の起伏は少ないが、華奢な身体は保護欲を掻き立てられる。
そんば少女の容貌の中でも特にアレスの目を引いたのはその瞳だ。まるでくすんだ鏡のような瞳だった。光を宿さない、美しいが何処か浮世離れした印象をアレスに与える。
一瞬、警戒を忘れて見惚れたアレスは、こんなことだから毎度毎度死にかけるんだと自分に呆れつつ、同時に男なら見惚れなきゃ嘘だと思いながら口を開いた。
「何か用かな、お嬢さん?」
「……やっほー」
アレスの言葉が聞こえているのやら、いないのやら。美しい少女は平坦で熱を感じさせない、どうにも気の抜けた声で話し掛けてくる。
――あ、この娘苦手かもしれない。
騎士道と個人の趣向が合わさって、アレスは女性が好きだ。できる限り尊重もしている。しかし、好きなものの中にも苦手な分野はあるわけで、アレスはマイペースな女性を苦手としていた。
「こんばんわ。しかし、こんな夜更けに男の部屋を訪れるのは危険だよ」
男は皆狼だ。無論、俺もね、と常の戯けた調子で返すアレスだったが、態度が何処と無くぎこちない。
「……夜這い?」
何を考えているのかさっぱり分からない鏡面のような瞳のままに、こてんと首を傾ける少女。どうにも掴み所のない娘だと思いつつ、アレスは口を開く。
「あー、君みたいな美人さんに言われるのは嬉しいんだけど、見知らぬ男にそんなことを言ってはいけないよ。我慢を知らない狼ならパクリといかれるからね」
「……わかった」
コクリと頷く少女。本当に何の為に来たのやらと思った瞬間――
――ガギィン!
胸に、強い衝撃。アレスは僅かに息を詰まらせながらも大きく飛び退いた。
「しっぱい」
特に落胆の様子もなく呟く少女。その足元には一本の短剣が落ちている。
先程の一瞬、少女はアレスの鎧に覆われていない脇腹を狙って短剣を突き出したのだ。若干気が抜けていたとはいえ、警戒を緩めていなかったアレスは膝を落として短剣を鎧で受け、追撃を避ける為に大きく後ろに飛んだのだ。
そして、鎧で防がれた衝撃で少女は短剣を取り落としたのだ。
――死んだかと思った。
警戒していたからどうにか身体が反応してくれたものの、アレスは少女が短剣で突いてきたという実感が一切なかった。攻撃してくる予兆、『意』のようなものが感じ取れなかったと言ってもいい。
殺意はおろか、動くという意識そのものが感じ取れなかったのだ。警戒心を最大まで高めていなければあっさりと腹を突かれていた。
警戒していたというのに取り押さえるでもなく退くことしか出来なかったあたり、アレスの余裕のなさが窺える。
「びっくり」
「……こっちが吃驚だよ」
冷や汗を浮かべたアレスは油断なく少女に視線を向けながら構えを取る。剣は抜かない。女性を斬る気は毛頭ないのだから。
恐ろしいことに、戦闘態勢に入ってなお、少女の動きが見えてこない。どう動いてもおかしくないというよりは、動くようには思えないというのが正確だろうか。
「……ぶっすりできなかった」
「されたら死ぬからね」
女性の頼みといえど、無為に殺されるのは御免だよとアレスは肩を竦める。最初は代官が女を使って伽をさせ、気の緩む行為の最中に殺そうと企んだのかと考えたのだが――
――違うな。
とぼけた印象のある少女だったが、暗殺者としての技量はかなり高い。短剣を突き出す速度は警戒してなければまず避けられないものだった。
何故こんな辺境に居るのかさっぱりわからないが――
――プロの、腕のいい暗殺者だ。
見た目の印象からは全く想像がつかない。白髪に特級の美貌と目立つ要素が揃っているというのに、気配が薄く、言いようもなくずれている印象があった。焦点が合わせ辛いとでもいえばいいのだろうか。
そういう技術なのか、体質なのか。どちらにせよ、厄介なことに変わりはない。そして、アレスにとっては或いはライノ以上の強敵だ。
斬るわけにもいかず、打撃も駄目。となると組技しかないわけだが、暗器の類を隠し持っている可能性が高い暗殺者相手に密着するのは危険が大きい。
――女性の身体に密着出来るってことで、危険はその代金かね。
思いながらじりじりと間合いを詰めるアレス。少女はまるで構えを取らず、呆けっとしているようにしか見えないのだが、油断はしない。
「君みたいなのが何でまたこんな辺境に?」
「おしごと」
アレスの問いに、あっさりと応える少女。暗殺者は情報を秘匿するものだと思っていたのだが、案外そうでもないのか、この少女が例外なのか。
――後者だろうなぁ。
出会ってまだほんの僅かな時間しか経っていないが、アレスは確信を持って思う。それほどに色々とずれた印象のある少女だった。
少女はすっと指先をアレスに向ける。何かしてくるのかと身構えるアレスだったが、特に何も起こらないままに一呼吸程の時間が過ぎる。
「……あなたの命?」
何故疑問形なのやらと口を挟みたい気持ちを抑えて、アレスは「へぇ」と納得したような声を漏らした。
「正直、心当たりが多すぎて分からないな」
「ここもふくめて全部で四つ。報酬多重どり」
がっぽがっぽ、と無表情のままに言う少女。抜けている印象の割に強かというか、何というか。とにかくマイペースな少女だとアレスは思う。
不意に、意識の間隙を縫って少女が踏み込んでくる。先程よりも小振りな二本のナイフを両の手に構え、気が付けば間合いの中まで侵入されていた。
屈み込み、膝裏を狙って振るわれた左の刃を足を下げることで脚甲で受け、屈んだ状態から腕を回すように臍を狙って突き出されたナイフを手首をアレスは掴むことで防いだ。
そこから寝技に持ち込むべく腕を引き寄せようと力を込めた瞬間、アレスの背を冷たい感覚が走り抜ける。
感覚に任せて少女の腕を放し、一歩大きく身体を引くアレス。眼前、先ほどまで頭があった場所を銀の閃光が斬り裂いて行くのを見て肝を冷やす。
――投擲!
アレス自身投げナイフを使うが、実際に使われてみると恐ろしく厄介な武器だと思う。全身金属鎧でも着込んでいれば別だが、そうでもなければ手痛い傷を負うことになるからだ。
アレスのものには特段細工は無いが、少女は暗殺者。
毒の類が塗られていれば掠めるだけでも致命傷になり得る。
少女は先程のものよりも更に小さい投擲用のナイフを取り出すと、アレスに向けて投げ放った。数は左右二ずつの計四本。顔面、喉、脇腹に二本と腕の一振りで別の箇所を狙い撃つ妙技。
一本一本重心の位置が別々なのだろう。これを避け切るのはアレスをして運が必要になってくる。
――バサッ。
アレスはベッドから毛布をひっ掴むとそれを振り回して投げナイフをはたき落とす。
そのままアレスは毛布を盾がわりに距離を詰めて行こうとしたアレスは、眠るように崩れ落ちる少女を見てその足を止められた。
――罠、か?
それにしては余りにも隙を晒しすぎているように思える。アレスが女性を斬らないからこそいいようなものの、そうでなければ間違いなく斬り殺されているだろう。
警戒しつつゆっくりと距離を詰めて行くアレス。
「しびびびび」
何やら呻いている少女の様子に、アレスは足を止める。手足がピクピクと痙攣し、どうにも身体が動かない様子だった。
――何でだ?
状況に置いていかれ気味のアレスの視界に少女が初めに持っていた短剣が映る。暗がりで分かりづらいが、何か液体のものが塗りたくられているような光沢があった。
少女に対する意識を途切れさせないよう気を付けながらアレスは短剣を拾い上げた。刀身には確かに何かが塗られていて、アレスは薄黄色のその液体に覚えがあった。鼻を近付けて、匂いを嗅いでみる。
甘く、何処かくすぐったいような臭い。
――トレムロの花。
乾燥させて粉末にすると麻痺毒になる花だ。黄色い花弁で、山の中腹などでよく見かける。猟師が使うこともあり、毒物の中では比較的知られているもの。大方水と樹液に混ぜ込んで刀身に塗ったのだろうが――
――刀身に、赤い跡。
状況を見るに、少女の血だろう。恐らく、最初に鎧で短剣を防いだ時、弾かれた短剣の刃で何処かを切ってしまったのだ。
トレムロの花の麻痺毒は効果こそ短いものの、すぐに効き目が出る。戦闘開始時に毒が回り始め、たった今全身に回ったのだろう。しかし――
「しびびびび」
――緊張感、ねえなぁ。
命を狙って失敗した暗殺者など殺されても何も文句が言えない。というよりも殺されるのが当然ので、少女目線では危機的な状況の筈なのだが――
「しびびびび」
――やっぱり、苦手なタイプだったなあ。
溜息を吐くようにアレスは思う。
何とも呑気というか、マイペースの極みというか。相手のペースに持ち込まれて、振り回される。終わった時にはどっと疲れているのだ。
まるで掴み所のない暗殺者の少女。痺れている彼女をどうしたものかとアレスは思い、疲れた様子で溜息を吐くのだった。
全話改編終了しました。
大分内容が変わっているところもありますので、目を通して頂ければ幸いです。




