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遍歴騎士アレス  作者: 矢田
第一章 『義の騎士』アレス
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08.圧政の村

 ――酷いな。


 アレスは領館がある村のすぐ近くの木の陰に潜みながら思う。アレスはこれまで圧政が行われている領地を幾つも見てきたが、これはその中でも一等酷いものだった。


 畑仕事をする村人達の手足は骨が浮き、枯木のように細い。老人ばかりではなく、働き盛りの男達すら頬骨がはっきりと浮いている始末だ。


 逃げ出すのを防ぐ為だろう。数名の兵士が見張りに立っている。姿勢を崩し、やる気のない態度を見るに練度は知れているが、それでも弱り切った村人が逃げ出すのは不可能だ。


 ――ここの代官は頭が悪い。


 吐き捨てるように、アレスは思う。仕事は十分な体力が無ければ効率が落ちる。明らかに栄養が足りていない村人が、まともに仕事が出来るとはとてもではないが思えない。


 作れる総量が減るから重い税を課し、重い税のせいで身体が弱り、仕事量が落ちる。すると総量が減って、税を上げて……と延々繰り返してきたのが目に浮かぶようだった。


 そういえば、とアレスは思う。サキは平均よりもやや痩せてはいたが、ここまで不健康な痩せ方、もといやつれ方はしていなかったな、と。


 そう思って女性の姿を探してみるも、見つからない。尤も、男は外、女性は家の中で仕事をしているとも考えられるのだが、アレスが想像したことが正しかった場合――


 ――代官は、俺の敵だ。


 もしそうだった時は徹底的に打ちのめそうとアレスは密かに心に決めた。


 よろよろと崩れ落ちた村人の男性に向かって、退屈そうにしていた兵士が嫌な笑みを浮かべながら歩き始めたのが目に入ったから。


 他の村人で止めに入る者はいない。ただ不安と憐憫、諦観が綯い交ぜになった視線を倒れた男に送るばかりだ。


 荷物は置いたまま、木の陰から出てアレスは早足に近付いて行く。男には厳しいアレスだったが、この状況で出ていかないほど非道な人間ではない。


 むしろ、口では悪し様に言いつつも、本質的にはアレスは二つ名の通り『お人好し』である。


「おいおい、何勝手に休んでんだァ!」


「す、すみ……ません。ち、力が入ら、ないんです」


 怒鳴りつける兵士に、立ち上がろうと足掻きながら喉を震わせる村人。四つん這いになって必死に立ち上がろうともがいているが、中々立ち上がれない。


 当然だ。


 倒れた状態から立ち上がるというのは思いの他体力を使う。いつ倒れてももおかしくないような健康状態ではかなりの難事となる。


「ほらとっとと立てよ、オラァ!」


 兵士が男性の腹を蹴りつける。まずい。幸い兵士は金属製の脚甲をつけているわけではなかったが、皮の硬い靴でも今の男性の状態だと命を落としかねない。


 胸の中は怒りの熱で沸き上がらんばかりだ。歯軋りの音が脳髄を刺激する。アレスは吐き捨てるように舌打ちし、しかし走り出さんとする足を抑えてその場に留まった。尤も――


 ――我慢は、しなかったが。


 一瞬の静寂。


「……か、あっ」


 アレスは先程よりも遥かにゆっくりとした歩調で歩き出す。視界の中では何が起きたのか理解していない兵士が血の泡を吹き、崩れて行く所だった。


 左首には投げナイフが突き刺さっていて、あの位置では間違いなく大きな血管を傷付けているだろう。


 アレスのベルトからは投げナイフが一本減っている。


「……折れているようだな」


 アレスは男の側に膝を付くと服を投げナイフで切り裂いて患部を曝す。もう腫れてきている。近い内に青黒く変色することだろう。腰元の水袋を取り外すと幹部に少し掛けて、それから袋の口を縛ると幹部に乗せた。


 もっと冷たい井戸水あたりならもっと良かったのだが、間に合わせくらいにはなる。


「ア、アンタ……」


「……腹に何か溜まるような感覚か、吐き気が込み上げてくる感覚はあるか」


 蚊の鳴くような声を絞り出した男に、アレスは問う。応急手当て程度の心得はアレスにもあるが、その手の感覚があるようならアレスには手に負えない。


「な、ない」


「……そうか」


 ならば、一先ず安心していいだろう。折れた骨が内臓を傷付けているようだと厳しかったが、これなら助かる目はある。


「貴様、何をしている!」


 アレスを遠巻きに見ていた村人達のざわめきに気が付いたのか、兵士が一人近付いて来る。アレスは悠然とした態度で立ち上がると、兵士を冷たい視線で射抜いた。


 アレスは意識を『遍歴騎士』から『大貴族の息子』へと切り替えていく。幼い頃から仕込まれた上に立つ者としての雰囲気がアレスから立ち上り、身体が一回り大きくなったようにすら感じた。


「貴様、と言ったか。ダーストの兵」


「えっ、いや……」


 やや高圧的に声を掛けてきた兵士はアレスの問いに意味のない言葉を漏らすばかり。本能的に逆らってはいけない、立場が上の人間だと悟ったのだ。今のアレスはそうさせるだけの空気を身に纏っていた。


「……まあ、いい。兵の教育がなっていないのは問題だが――それよりも」


 アレスは一呼吸溜めを作る。そして、先程よりも声の調子を一つ落として続けた。


「この村の惨状は、何だ。人は飢え、土地は痩せ、王国法を守っているとは思えんな」


「いえ、その……」


 たじろぐ兵士に、アレスは畳み掛けるように言う。


「ここの代官に伝えろ。王国が獅子、レグルス公爵家のアレス・エニュオル・レグルスが来たと」


「こ、公爵! し、失礼しました。すぐにっ」


 完全に腰が引けた兵士が慌てて踵を返し、走り去って行く。証明のために家の紋章が刻まれた短剣を渡すつもりだったのだが、どうにも脅かし過ぎたなとアレスは心の内で呟いた。


 レグルス公爵家。王都に程近い位置に広大な領地を構え、強靭な騎士団を有する王国屈指の大貴族だ。王都の近くで強大な戦力の保有を許されることからも分かるように王族からの信任も厚く、歴代の王をして「獅子の家に裏切られる時はこの国が滅ぶ時なのだ」と言わしめる程である。


 厳しい教育と訓練によって、レグルス家の者はどの分野でも優秀だと言われている。今代は不作だとも言われているが。


 長男は飛び抜けて優秀だが、次男は脳まで筋肉で出来ていて、三男(アレス)は家を飛び出して遍歴し、四男は芸術に傾倒。長男以外外れだとすら噂されていたりする。


 自分に関しては言い訳しようもないが、他二人はしっかり家のために働いているのにな、と噂を聞くたびに思っているアレス。


「こ、公爵様……?」


「いや、私はただの騎士だ。少し待っていてくれ。荷物を取ってくる。薬草もあるから、痛みも少しは抑えられるだろう」


「す、すみません」


 気にするな、と言い残し、アレスは木の陰に向かう。苦労して持って来た熊の肉も役に立ってくれるだろう。少しは村の助けになればいいが、と思うアレス。


 遠巻きに見ていた村人達が倒れている男に駆け寄って来る。虐げられている村はにわかに慌ただしい空気に包まれていった。



 ■ □ ■ □



「……どうにか、足りたか」


 魔獣(ガルム)の肉を村人達に配り終えてアレスは大きく溜息を吐いた。アレスが運んで来た肉の量はアレスの体重の大凡二倍程。


 切り分けた肉を剥いだ魔獣の皮で包み、ナイフで留めて、おそらく魔獣によってだろう。分厚く剥がれた木の皮に載せて縄で全体を縛り、延々引きずってきたのだ。


 お陰で一日で着く予定が三日もかかったわけだが。


 途中で身嗜みを整えたりもしていたが、余計な日数が掛かった原因はやはり熊肉である。


 途中でやってきた代官からの使者を、今日すぐに呼びたてるとは随分と礼を失する行いだ。てっきり此方に都合の良い日取りを伺いに来たのかと思ったのだが、と言い掛かりを付けて追い返し、肉を配って、病人に薬湯を飲ませる。


 ここまでやる事は本来領主やら代官の許可が無ければ許されないのだが、公爵家という名の持つ圧力によって許されていた。下手に禁じようものなら不興を買いかねないと代官は恐れているのだろう。


 権力を傘に無法を通すという点でアレスと代官の間に差は無い。アレスの方が真っ当に見えるのは騎士道や倫理といった要素で塗装されているからだ。


 アレスも騎士道を理由に上げているが根っこにあるのは女性(サキ)のためと、領民を虐げるやり方が気に食わないという自分勝手な思いだ。


 それを自覚していても、アレスは止めようとは思わない。自分の思うように我を通すという点で、アレスは非常に貴族的ともいえる。


 忙しく、しかし貴族らしい余裕を失わずにというのは至難の技で、酷く肩が凝ったとアレスは再び大きく息を吐いた。昼前に着いたというのに日は殆ど沈んでしまい、空が赤く染まっている。


「アレス様」


 村人の男が声を掛けてくる。昼の様子を見る限り、村長かそれに近い役職の者だろう。


「……何だ?」


 一拍置いて、アレスは応える。貴族然とした態度はどうにも疲れるが、兵士の目もある以上手は抜けない。


「その、本日は何処にお泊まりになられるのかと。お恥ずかしい話ですが、どの家も貴族様をお泊め出来るような場所は……」


 どう答えるべきかアレスは少しだけ迷い、口を開いた。


「何処でも構わん。最悪、軒の下でもな。虚飾でしか自身の貴さを示せぬ者は貴族としてのあり方を見直すべきであろうよ」


 代官のことを皮肉りつつ、武家貴族らしい実直な言葉を返す。


「そ、そうですか。では、我が家にお迎えしたいのですが、よろしいでしょうか?」


「ああ、そうさせて貰おうか」


 言って、そういえば、とアレスは口を開いた。


「昼間から気になっていた。この村では若い女性の姿が見えんな。居ても大凡四十を超えたような女ばかりだ」


「それは……」


 男は言い淀むも、アレスは男の瞳に一瞬怒りの炎がちらついたのを見逃さなかった。


「……ここでは言い辛いか。ならば、後で聞くことにしよう」


 兵士の目があってはな、と囁き、アレスは遠巻きに視線を送ってくる兵士を睨んだ。ビクリと身体を震わせるも、立ち去ることはない。間違いなく領主に監視を命じられているのだろう。


 ――さぁて、どう出てくるかね。


 不謹慎だが、少しばかり明日が楽しみだと、アレスは肉食獣が獲物を狙うような笑みを頬に刻んだ。



改編済みです。

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