10:幸運な副産物
大社から離れた後、空間が歪んで周辺の景色は何もなくなってしまった。
…あれは、嘘や幻の類いだったのだろうか。
けれど、私の目の前に座る子供とピニャケルとやらは本物らしい。
そういえば先程、優梨さんと夜雲さんが言っていた。
司令専属のデブ鳥、両親が作ったピニャケル…。
「ここまで来たら少しは安心かな、ピニャ」
「ええ。主。悪意は現時点で観測できておりませんので、ここならば安心した会話が可能でしょう」
「あ、あの…椎名さん」
「おや、僕のことがわかるのかい?現実で風邪を引いている影響で小さくなっているけれど…今、目の前にいる僕は君が知っている「図書館管理人」の椎名譲。今度こそ久しぶりだね、永羽さん」
長髪を揺らした彼はおそらく十二歳ぐらいだと思う。
昔、ニュースで見た姿。それこそ…水さんが亡くなられた事件の犯人である悪霊を退治した時のものだ。
けれど、そんなことはどうでもいい。
小さくても、私が知っている存在であり、私が何なのか知ってくれている存在。
誰も味方がいないと思っていた悪夢のような場所で巡り会えた、唯一の味方なのだから。
「…」
「安心したら、力が抜けた?」
「そう、ですけどぉ…うわぁ…わ…」
ぽろぽろと流れ落ちる涙を止めようとしても、意志に反してそれは零れ続ける。
椎名さんはそんな私を止めることなく、静かに頭を撫でてくれた。
「おやおや。そうだね。怖かったね。何が何だかわからない空間で、一咲さんは君が殺したことになっているし、その件で僕からつめられるし。最悪だったね」
「うわああああああああああっ…」
「よしよし。もう大丈夫だからね。ピニャ。しばらく抱き枕になってあげるといい。君の匂いにはリラックス効果があるから」
「御意」
「ほら、永羽さん。鳥さんだよ。ふわふわだよ」
「ふわふわです。あともちもちです」
「ううううう…」
うっ…デブ鳥と言われていただけあって、抱き心地が肉厚!
けれど、羽毛はふわふわだし、暖かいし、特徴的な匂いがする…。良い匂い。
「いやされます…」
「そう言って頂けると、ピニャケル一同嬉しいですね」
「椎名さん、お一人頂けたりしませんか?このふわもちは人類全員が得るべき幸福だと思います!」
「無理だねぇ。皆僕の家族だから」
「そうですか…残念です」
「私でよければいつでもふわもちさせて差し上げますので」
「でも帰っちゃうじゃないですかぁ…」
「主ぃ…」
私とピニャケルさんの視線に頭を抱えた椎名さんは、小さくため息を吐く。
「そうだね…水と桜哉も常に君たちと一緒というわけにはいかないし、時雨だって同じだ。枷が取れた今、一咲さんが無茶をしないよういつでも連絡がやりとりできるピニャを貸し出すのもありかもね」
「あるじぃ!」
「椎名さん!」
「はいはい。二人とも、そこまで喜ばれることを僕はしていないから。とりあえず離れて?」
椎名さんに窘められ、私とピニャケルは一定距離を保って座る。
その様子を見た彼は、心配そうな顔から安堵の表情に変えて、小さく咳払いをした。
「そろそろ落ち着いたかな?」
「そう、ですね。だいぶ、ピニャケルのおかげかも」
「嬉しいことを言ってくれますね」
「この数分で凄く懐いたね…まあ、とりあえずさ。そろそろ本題に入ってもいいかな?」
「そうですね。あの、椎名さん。なぜ貴方は子供の姿で?」
「僕は現実では風邪を引いていてね。端的に言えば「弱体化」している状態なんだ」
「な、なるほど?」
「腑に落ちないようだね」
「それは、そうですよ。風邪程度で子供になるほど弱る病気なんて」
存在しない。そう告げると、彼もわかっているようで小さく頷いた。
「うん。そんなものはない。君みたいに新発見と言ってしまえば話の着地点が見えなくなるから、この場ではないということにしておこう」
「そう、ですね」
「それに、原因は予想がついているんだ」
「本当ですか!?」
「うん。おそらく、僕がここに入り込めているのは生前の「通信魔法」をはじめとした、君と一咲さんを繋いでいた魔法の影響ではないかなと思っている」
そういえば…その魔法群は通信魔法という名目ではあったが、精神を別空間に移動させたりなどなど、離れ業の集合体みたいなものだった。
一咲ちゃんではなく、彼がここにいるのはその中間地点として私たちを繋いでいた存在だからなのだろう。
私の精神に干渉していた存在だから。
「君の意識には一咲さん以上に干渉したからね。君、あの魔法を使う頃には死にかけだったし…」
「滅相もございません…」
「だから、「僕」も補助をかなり行っていたんだ。あの時は言わなかったけれど、君の意識の深層まで潜ったり、魔力の流れを調整したことがある。無断で入るべきではない場所にも入り込んだ。今さらだけれども、深く謝罪をさせてほしい」
「い、いえ…それが必要な事であったのですよね。それに、魔力の流れを調整ということは、少なくとも生前の私が得ていた苦痛を和らげていたことになります。むしろ、お礼を言わせてほしいぐらいです」
魔力の流れが大幅に乱れていて、死にかけだった私に対して彼がやっていたことは延命治療に近いものだ。
そんな彼が行った事象のおかげで痕跡が私の意識の深層に到達していた。
その影響で、彼は私の危機に引っ張られて、同じ場所に現れることができたようだ。
「大きな副産物のきっかけにもなりましたしね」
「そう言ってくれると、少しは罪悪感も晴れるかな…」
「しかし、それで椎名さんをこの事態に巻き込んでしまったのは大変申し訳なく思います」
「気にしないで。君たちに降りかかる危機に対して手を貸すのも仕事だから。しかし、僕も今回のことに関してはよくわからないんだ」
「そうですか…」
彼からしたら、風邪で寝込んでいたらいつの間にか私の問題に巻き込まれていたのだろう。
訳のわからない状況に巻き込まれた上で、私を助けに動いてくれたとは…。
「生前から今に至るまで…何から何まで、お世話になりっぱなしですね」
「大丈夫。「僕」はこういうのは大社の仕事で慣れているから。とりあえず、君が置かれていた状況を教えてくれるかな?」
「は、はい。もちろんです」
水さんと舞園さんと合流してから、映像を見るまでの間。
それから、現状のミドガルで起きている問題。
その全てを話すと、彼は静かに口を開いた。
「…誰も予想していないし、予想できないこと。それはつまり「その能力を把握していない存在」からの攻撃ということにはならないかい?」
「…新しい敵、ですか」
「うん。新たにリラとは異なる悪魔がミドガルに入り込んでいるのなら、そいつの術に君はかかり、この世界に送り込まれた」
…舞園さんの結界を貫通して私に術をかけたなんて。
これからも、かかる可能性があるし…もちろんノワをはじめとした全員がこの術にかかる可能性がある。
早く術から解放されないといけないのもあるが、対策も考えなければ。
「僕が眠っている間に入り込めた事実を基に考えると、これは「悪夢」だろうね」
「何が起こるかわからないから、内側から自発的に目覚めなければいけませんよね」
「そうだね。とりあえず、悪夢の中を彷徨ってみよう。なにか目覚めることができるきっかけがあるかもしれない。ピニャ、移動は頼めるかい?」
「もちろんです。お二人とも、しっかり掴まってくださいね」
ピニャケルに再び乗り込んで、私たちは移動を開始する。
悪夢の中を冒険だなんて、不安しかないけれど…今は一人ではないし、頼りになる人が側にいる。
それに、この世界で「手がかり」を得られないと、次の犠牲者は…。
『アリア』
『永羽ちゃん!』
いや。彼女は絶対にこんな目には遭わせない。
その為にも私は、前に進まないといけない。
「行きましょう、二人とも」
「ああ。ピニャ」
「はい!」
大きな身体を支える足を踏み出していく。
先の見えない、真っ暗な夢の中を、ピニャケル君は勇ましく進み始めた。




