3:桜色の舞台役者
遠い昔、大きな舞台劇場があった場所は桜並木になった。
そこで殺された僕は…百年程の時間を、この場所で過ごしていた。
それもあの子に、出会うまでの話だが。
「…」
「何をしているのかな、この子…」
いい生地で仕立てられていそうな制服に身を包んだ白髪の少年が読んでいる分厚い本のタイトルは「メンタルコントロール」の本らしい。
とてもじゃないが、こんな小さな子供に理解ができる内容とは思えないし、そういうのはやめておいた方がいいと思う。
『…舞鳥の一番星?ああ、俺の事だぞ。舞台の仕事をさせて貰っているのは説明していなかったか?』
『俺は君を育てた正太郎さんに憧れて舞鳥の舞台役者を志したんだ。彼のような、一番星を目指して…この舞台戦争に飛び込んだ。紫苑と一緒にね』
それをやって舞台役者として大成した男と、それに憧れて…精神を壊した男を知っているから。
一人は僕を拾って育ててくれた筧正太郎。
帝都を襲った震災で行方不明になったきり、遺体すら見つかることは無かった。
そしてそんな彼がいなくなったことで没落した舞鳥を再び帝都一の劇団に仕立てた雲雀朱音。
正太郎さんが仕事で遺したレコードや記録を漁り、常にその背をを追い続けていた。
同じ舞台役者として、正太郎さんが編み出した演技法、そして才能に酷く憧れた朱音は…彼に追いつく技法を大成させたと同時に…自我を失った。
日常生活を送ることは出来ていたが、誰かの指示がないとまともに生活すら出来ない始末。
そんな朱音にまともな生活をさせる為、鴇宮は「一般男性の生活を演じてね、朱音」と指示していたのは懐かしい思い出だ。
朱音は友として、記憶の中に印象深く存在している。
それと同時に、あの舞鳥の戯曲作家である鴇宮紫苑の期待に応え続けた男として、その名前を覚えている、
あの偏屈かつ突拍子もないことを平気で注文してくる戯曲作家の注文に全て応えていたというではないか。
「思えば、雲雀に巡り会えた事も…鴇宮の才能の一つだったのかもしれないね」
本当に、どこまでも運がいい女。
戯曲作家としても、小説家としても名を残し…子孫は今も生きている。
戦火をくぐり抜け————理想の、幸せな人生を歩んだのだろう。
なんとも羨ましい限りだ。俺なんて、こんなところで今も醜態を晒しているというのに。
「———ねえ、そこの幽霊。さっきっから独り言がポルターガイストになってざわざわしてる。滅茶苦茶うるさい。強制成仏がお望みなのかな」
少年は無表情で塩を構え、いつでも僕に投げつけられるようにしていた。
「塩か。塩に触れたら、成仏できるだろうか」
「…君、地縛霊かい?」
「そうらしい。この土地から動けず、成仏もできずに百年近く」
「へえ。死因は」
「子供に話すような事ではないよ」
「僕、こう見えて二十歳なんだ」
「そうか。では…殺される直前、近親との交わりを強要された」
「誰にだい?」
「双子の姉に。僕は家族として愛していたが、彼女は僕を男として愛していた」
「…」
「もちろん僕の時代でも、現代でもそれは禁忌に相当する。叶わぬ恋と理解した姉は僕を誰にも渡さないために、ここで」
「そう。辛いことを聞いたね」
「話を聞くだけ?」
「僕には無理だよ。君をこの世から解放する手立てを持ち合わせていないからね」
「そう」
「でも、話し相手程度にはなっていいよ。修学旅行の間だけれどね」
「しゅうがくりょこう…?」
不思議な言葉と共に本を閉じた少年は、遠くから聞こえる声に耳を傾けた。
「慶城学院初等部のみなさーん。移動しますよー」
「呼ばれている。行かないとだ」
流石に初等部と聞いて、どういうことか理解できないほどの馬鹿ではない。
こいつ、小学生じゃないか。
「おい、今二十歳と」
「嘘だよ。僕はまだ十二歳の小学生だから。貴重な話をありがとう」
「…騙したな」
「騙される君が悪い。そういう君だからこそ、姉を拒めなかったんだろうね。優しすぎるからこんなところに一人で置いておくのが不安になる地縛霊だ」
「…そうか」
「君、名前は?」
「舞園桜哉…舞台役者をやっていた」
「ふむ…ところで、男でいいんだよね?」
「男以外に見えるのか?」
「今の君はどうやら全盛期の姿で幽霊になっているみたいだから」
「…?」
「今、女性ものの着物を纏う幽霊が僕の前にいるものだからさ。性別の判断ができなくてね」
少年の言葉に、はっと息をのんだ。
そうだ。俺は…男であるが、舞台上では女の役をすることが多かった。
対して姉は、桜花は逆に男の役で舞台に上がっていた。
「男ということは、女形役者だったんだね、君」
「まあな。ところで、君は?」
「僕?僕は椎名譲。どこにでもいる魔法使いさ」
全て無表情で、淡々と。
光の宿らない目を向けた、壊れた人形のような魔法使い———譲と俺はこの日、初めて出会った。
彼も最初、俺を解放するのは無理だと言っていた。
けれど、彼はそう言いながらも…修学旅行の最終日に俺を契約という形で「もの」に憑依させ、守護霊とすることで舞台跡地から連れ出してくれた。
そして彼は、表情一つ変えずに自分の行動を振り返りつつ、ある言葉を告げた。
・・
「————最初から無理だと諦めるのは、可能性を潰す行為だった」
「と、唐突になんですか」
「かつて、地縛霊をしていた俺を舞台跡地から引き剥がした少年が、俺を連れ帰りながら述べた言葉だ」
「椎名さんが…。でも、彼だからできたんでしょう?」
鈴海一の魔法使いだから、一咲ちゃんの師匠をできるほどの人だから。
私には遠く及ばない実力を持っている彼だからこそ、不可能を可能にしてみせただけだ。
「あいつには師匠と呼べる存在がいなかった。それでいて魔力が多くて、コントロールも下手くそで…心臓に負荷がかかっていたから、いつも苦しそうにしていた」
「だからこそ、いつでも対処できるように入院をしていたし、ピニャ君には会ったよね?あの子たちが魔力を吸ってあげないと、普通の人と同じような暮らしができなかった」
「そんな小さな魔法使いに縋って、救われたのが俺であり」
「私だったりするんだ」
水さんと舞園さんは今、同じ人の姿を思い浮かべているんだろう。
その表情は、友達に向けるそれでも、恩人に向けるそれでもなく。
大好きな子供に向けるような、柔らかな笑みだった。
「…私が稽古をつけるよ。これでも、譲君と一緒に魔獣討伐をしていたから」
「けしかけた俺にも責任がある。俺も手伝おう」
「…お二人が」
「お前が一人でも戦える程度には育ててやる。それに、今後の為にも、その剣は使えるようになった方がいい。悪魔討伐を抜きにしても、お前にはメリットしかないと思うが」
「た、確かに…お願いしたいところ」
「そんな即答するほど思い悩んでたの!?戦えていたのに!」
「付け焼き刃程度だよ…まだ、伸ばさなきゃ。今後は通用しないと思うから。で、でも…悪魔討伐は不安です。考える時間を」
「お前は剣の腕を鍛えることに集中したらいい。討伐をお前が行うかどうかは…様子を見ながら考えよう」
「ありがとうございます」
「決まりだな」
「騙されてる!騙されてるよアリア!絶対この男は無理矢理にでも悪魔討伐させるよ!だって舞園だもん!性格の悪さでは時雨さんとどっこいな舞園だもん!」
ノワから舞園さんとの距離を離される。
悪魔討伐を代行してくれるのなら、私に得しかない話なのに、なんでそこまで…。
「さっきから思っていたけれど、今日の桜哉君はお喋りだ」
「そうだろうか」
「いつもなら、私以外の女の子と口すら利こうとしないのに。永羽ちゃん…アリアとは沢山話すんだね」
「この子は…」
舞園さんの赤い瞳が私に向けられる。
「あの子に、よく似ているんだ。だから放っておけなくて」
「一目惚れ?」
「親心の方がしっくりくるな」
「なぁんだ。成仏のきっかけができたと思ったのに」
「…それは水で十分だ」
「…もう」
成仏のきっかけ…そっか。舞園さんは地縛霊と言っていた
枷のように、成仏に様々な条件が設けられているのかもしれない。
けれど、なぜ露骨に落ち込んでいるのだろうか。
「…ちょいちょい」
「…どうしたの、ノワ」
「…これさぁ、師匠が言っていたんだけど、舞園さんは水さんにほの字なんだよ。あいつのことは嫌いだけど、年頃としてはこういう恋愛話は興味が出ちゃうよねぇ〜」
「ほのじ?」
「そっか。そういう知識がないということは、恋愛関係も疎い…。つまりね————」
私とノワの耳元に、刀が振り落とされる。
肩に到達する前にそれは寸で止められ、刃先はノワに向けられる。
「何か言ったか、二番弟子?」
「聞く前に剣を抜くな!怪我をしたらどうする!」
「…!」
無言で剣を振りかざし、ノワを追い回す舞園さん。
ほのじって何だろう。
あんなに顔を真っ赤にして追いかけているあたり、とても不都合な事なんじゃないだろうか…。
「きょ、今日の桜哉君は変だね。この子たちとの時間が彼を変えてくれるのは好ましいことだけどね…!」
数年かけても、私たち以外と会話しなかった貴方の変化は…少々複雑かも。
そう呟いた水さんを遠目で眺める私は、三人の複雑な心境を理解できないまま。
ただずっと、三人の姿を眺めていた。




