2:賢者様と勇者の成長期
ミドガルに入った私は、目の前で起きている出来事を理解することができなかった。
「そこのお兄さん!うちはどうですかい?」
「実は紹介したい子が入りましてね…」
街の至る所は優しい光で包まれているけれど、いたる場所に客引きらしい人が立っている。
それに、店らしき場所の前には厳つい人たちが立っている。
「まるで魚市みたい…」
「流石に花魁…じゃなかった。娼婦を魚扱いするのは駄目だと思うよ、アリア」
「ね、ねえノワ。ここはなあに?常夜都市って幽霊族が住んで」
「この都市には二つの側面がある。一つは娼館街としての側面。今見ている世界だね」
「しょ、しょうかんって…?」
「清く育った君には馴染みがないか。つまり、お店に雇われている人と遊んで、楽しいことをするんだ」
「何をして、楽しいと…?」
「子供ができる行為だよ。君も少しは習っただろう?」
「こ…子供は、お母様もお父様も、家庭教師もコウノトリが運んでくるって聞いたわ。コウノトリが赤ん坊を母体に押し込んで…」
「なにそれ怖い…超怖い。アリアの両親はなんちゅう知識を仕込んでくれてんねん…」
「うぇ?そういう生まれ方をすると、小さい頃に聞かされたのだれけど、それで快楽を得られるのかしら?逆に苦しいと思うのだけれど…」
「…アリア」
「な、なあに?」
呆れた目を浮かべたノワは、私の耳に近づく。
吐息が耳の穴に触れて、とってもくすぐったい。
けれど、それがどうでもよくなるほどに、彼女はとんでもないことを耳元で述べる。
「はんにゃーほんにゃーうんたらかんたらなむあみなむあみ…(言葉にするとまずいので、ノワが知っている中で一番「為になりそう」と思われる言葉で代用しています)」
え、ええ…あれを、ここに?
それからああして、そうして、出して、くっついて…え、えっ。
「だぶつ(前略。代用でお送りしました)…と、言う訳なんだけども」
「あ、あうっ…あうっ」
「君のご両親も、そうしてアリアを産んだんだよ」
トドメにこれ。
前世を含めて初めての性教育みたいなものだ。とても照れくさい話なのに、それを両親に当てはめたら、当てはめたら…!
「いいいいいいいいいいいいいい言わないでくれるかしらっ!?」
「え、何?想像しちゃった」
「…軽く」
「やはり刺激が強かったか。なんかごめんね。でも、無知の状態でここをうろつかせる訳にはいかないから。最低限の知識は持って貰わないと」
「…ノワも、顔が真っ赤」
「そりゃそうだよ。説明する側も、照れくさいじゃんか。耳打ちでも勘弁してほしいぐらいだよ」
「そう、だよね。ありがとうね、面倒ごとをお任せしちゃって」
「いいって。でも貴族はそういう教育、早い段階でしていそうな気がしたんだけどさ」
「子供を作る課程という授業は家庭教師の予定表に記載はあったわ。けれどそれは十五歳になるまではお預け」
「ほうほう」
「本来なら私も受けている時期だけど、勇者に選ばれて、家庭教師の授業を受けている場合ではなくなったから」
「勇者に選ばれるっていうのも大変だね。私が家庭教師なら、予定が狂って泡を吹きそう」
事実、私の先生も泡を吹いていた。
予定至上主義みたいなところがあったからかもだけれど…私が勇者に選ばれたことで、一年間の予定が大幅に狂った結果、目を回して倒れてしまったのは懐かしい記憶だ。
あの後、回復したとは聞いているけれど、元気にしているかな。
「それに加えて、前世の方でもやっていなかったね」
「うん。あの時期にはもう身体が動かせなかったし…関係ない話題だと思われていたのかも」
「関係ない訳がないんだけどなぁ…」
「どうして?」
「月経ぐらいは」
「…?」
「今のアリアも」
「なにそれ」
何が何だかわからない単語の数々に首をかしげると、ノワが頭を抱えてふらついてしまう。
「まさか、こんなに酷いとは」
「なんでそんな扱いをされているのかしら!?」
「でも奇妙だな。この国の平均十二歳だし…」
「それは魔力の流れが乱れていることに起因している可能性がありますねぇ。鈴海でもそういうこと、よくありましたよ」
「え」
「え」
「路地の方にいらしてください。そこでお話をしましょう」
声の主はすぐ横にある路地の先にいるらしい。
聞き覚えはあるけれど、なんだろう。思い出せない。
誰の声、なんだろうか。
「この声…水さんか?」
「水?」
「師匠の契約守護霊をしている人」
「椎名さんの関係者…」
と、いうことは時雨さんと同じく、私たちを見守る目的でやってきたのだろうか。
そういえば、時雨さんはいつの間にか消えていた。
もしかしたら彼女と入れ替わりで訪れたのかもしれない。
「そういえば、あの後の時雨さんがどこに消えたか聞きたいし…けどなぁ」
「どうしたの?」
「まあ、そうだね。まだ時雨さんはマシだと思えるぐらいの人がいるだろうから、先に説明しておく」
「う、うん」
足下すら見えないほど暗いその場所は、幽霊の類いが好みそうな空間。
ノワは杖に光を灯して、路地を先行してくれる。
「深見水さんは私たちが入院していた病院の元看護師。永羽ちゃんとは面識があるみたいだけど、知っていたりする?」
「深見水さん…うん。小さい頃に何度か」
けれど、あの水さんがここにいるなんて…とてもじゃないが信じたくはない。
彼女は今度結婚するからって、寿退職をしたはずなのだから。
「優しい人だよ。多分、君と面識があった時から変わっていないと思う」
「うん。問題は、もう一人…なんだよね?」
「そう。水さんが来ているってことは、会話を拒絶してくる方もついてきてるはず。水さんと舞園桜哉はワンセットだから」
名前からして男性だろう。
会話を拒絶ということは…。
「「また変わった人が来たのかぁ…」と、思われると思いますよ、桜哉君?」
「…別に。変わり者なのは自覚している」
ベレー帽を被り、両サイドに緩く紺色の髪を結わえた幼さを見せる女性と、羽織を纏った薄茶色の髪と整った顔立ちを持つ男性
暗闇の中から、真っ赤に染まった目を向ける。
浮かべた笑みは歓迎を、固まった表情は嫌悪を抱き…二人と私たちは対面を果たした。
「久しぶりだね。と、言っても…貴方が七歳の時までしか勤めていないし、覚えていないかもだけど」
「深見水さん。ええ、覚えています」
「そっか。じゃあ久しぶりでいいのかもね」
ベレー帽の少女…幼く見えるが立派な成人女性である深見水は、嬉しそうに微笑んで、私たちを抱きしめてくれる。
優しくて、温かい抱擁はノワがしてくれるそれとは少し違う。
…なんというか、母性に満ちているような気がするのだ。
「二人とも、無事で何よりだよ〜!」
「お久しぶりです、水さん。舞園も、お久し」
「わー!久しぶり〜!図書館を出てから全然だったけれど、元気そうで何よりだよ〜!」
「…」
「桜哉君、少なくとも一咲ちゃんには返事をしたら?稽古で何度か戦った仲なんでしょう?」
「こんな雑魚のことなんざ、一切覚えていない」
「覚えているね」
「覚えてんじゃん!雑魚じゃないけど!」
舞園さんと呼ばれた男性は、水さんの言葉には反応をするけれど、一咲ちゃんの言葉には一切反応をしない。
やっぱり、また変わった人がやってきたらしい。
「とりあえず桜哉君。結界を」
「了解」
舞園さんが両手をかざすと、私たちを中心に小さな箱らしき結界を形成する。
「桜哉君は結界能力者。この中にいる限り、誰にも認識されないんだ。込み入った話を到着早々申し訳ないけれどしたいと思うの。いいかな?」
「勿論です。しかし、なぜ二人がここに?師匠の側を離れないものだと思っていたのですが」
「ミドガルは幽霊の都市でしょう?時雨ちゃんは見えない人だから、今回は入れ替わり。ここは私たちが適任だし、それに…」
「…」
「ここの敵、少し厄介みたいだから。もしも倒せないなんて事態になったら、桜哉君に対処して貰うことになる」
「…」
全員の視線が舞園さんへと向けられる。
しかし彼はその視線から目を逸らすように、顔を逸らしてしまった。
「一応ね、私たちは先行してこの都市に潜入して、情報を収集したんだ」
「…当然のことだが、原作も理解した上でな」
「オウヤ、シャベッタ」
「黙れ二番弟子。お前と交わす言葉はない。勇者」
「わ、私ですか?」
「俺はお前に問う。本来ならここで何が出てきた?」
試されている…と、直感で理解できた。
彼の手にはいつの間にか日本刀が握られている。
おそらくあれが、彼の武器なのだろう。いつ出したか認識することすらできなかった。
今、ここで下手な回答をするのは絶対に避けたいところだ。
殺意を隠していない剣先で、切られかねない。
思い出せ、エミリーのキャラ紹介に軽く書いてあったことを。
「…夢魔、よね」
「わかりやすく説明してくれて助かる。そうだ。お前たちに馴染みがある言葉を用いて、より詳細に説明するのならば、サキュバスの混血遊女だった」
「「だった」?」
「…遂に原作から大きく状況が変わったってことだね」
スメイラワースで時雨さんが告げた言葉が頭に響く。
『…この物語はミリア・ウェルドをパーティーに勧誘できず、挙げ句の果てには別団体を作らせてしまった時点で、既に本軸から逸れた「別の物語」に変貌しています。もう二度と、元々の「賢者ノワ」には戻れません』
その言葉を聞かされた時、大きくショックを受けたのはもう懐かしい話。
…覚悟は何度もしていたが、遂にこの日が来たらしい。
この物語はもう、私たちの知っている物語ではない。
「ここに潜んでいるのは魔物でも、悪意のある人間でもなく…正真正銘の悪魔となっていた。原作から変わっているようだな」
「悪魔って、純血か…このタイミングで、魔王陣営が本格的に手を出してくるのは勘弁してほしいなぁ」
「大々的に活躍しすぎたのが原因かな。二人を潰さないといけない。そう思わせたからこそ、原作から敵が変更されたと私は考えるよ」
「さらに言えば、そこの二番弟子は悪魔への対抗策を持ち合わせていない。魔法は悪魔を殺せない」
魔法は悪魔には効かない。
聞いたことはあったけれど、まさか本当の話だったとは。
けれど、ノワを頼れないとなると…。
「一度、図書館に帰るのは?師匠に悪魔に対抗できる術を」
「譲は今風邪を引いて寝込んでいる。しばらくは使い物にならないだろうな」
「肝心な所で役に立たねぇなししょー!」
「…だから、勇者。お前が悪魔を殺すんだ」
舞園さんの言葉に、私は一瞬心臓が握られたような感覚を覚えた。
今回は私。
聖剣もまともに扱えない私が、原作より遙かに強くなった敵を討つ。
やらなければいけないとわかっている。
だけど、そんなの、そんなの…。
「無理です…私にはできません」
必死に絞り出した声は不安だけを抽出し、結界内にこだました。




