11:略奪者の糸
アリアとノワを別れてからしばらく。
私は人通りの少ない場所で、一度だけ図書館への帰還を果たしました。
送り込んで貰った手前、こうして戻るのは避けたかったのですが。
…純粋に心配なんですよね。
その心配通りに、遠くから何かが割れる音が聞こえる。
案の定ということらしい。
「一時的に帰宅しましたよ。あらあら、やっぱりでしたか」
「あ、ああ…おかえり、時雨。なぜここに?」
それを影に隠すようにしながら、彼は私を出迎える。
…私が出かけている間は紙コップを使うようにと言い聞かせていたのに。
ティーカップを割っている状況なんて予想外です。理解できません。
「一つ、前提をお話ししておきましょう」
「う、うん」
「この図書館の観測スペース。常日頃から永羽さんと一咲さんを見守っているこの場所では、魔法が使用できません」
「そうだね。そういう規則だから」
「そしてもう一つ。貴方は魔法なしだと何もできない人間です。それは記憶があろうがなかろうが、大差はありません」
「うぐっ!?」
椎名譲という人間は、永羽さんや一咲さんが思っているような完璧超人ではありません。
この人は親の仇討ちの為に、魔法と知恵を身につける以外の全てを捨てた元復讐鬼。
家事一式を覚える暇があるのなら、一秒でも仇を早く殺せる術を身につける男。
…私たちの父親が、彼をここまで酷い人間にしてしまった。
本当は誰よりも弱くて、穏やかに過ごすべき人だというのに。
「私がきちんとお世話をしますから、定期的にこうして側に戻らせてくださいね」
「…君の手を煩わせる事はしたくはないんだけどなぁ」
「着替えができるようになっただけ、一歩前進です」
今の譲さんは無地のTシャツに短パン。どこにでもある部屋着状態だ。
ここまで着替えられる日が来たと知れば、紅葉君は泣いて喜ぶでしょう。
生前も自力での着替えはままならず、式典用の制服に着替える際は紅葉君が手伝っていたと聞いた。
一人の時は、魔法でささっと着替えを行っていた。
自分の手で、ボタンは外すことはないし…外せない筈だ。
「…ボタン、今も一人でつけられないんだけど」
「ボタンを外し、Tシャツに着替えられるだけで十分です」
青い絹糸のような髪へ指を通し、優しく撫でる。
生前は両親を失ったトラウマとストレスで真っ白になってしまった青い髪。
紫紺の瞳はぼんやりと細められた。気持ちがいいらしい。
「ところで時雨、どうして君はここに?」
「どうせお留守番できていないだろうなと…」
「うっ」
「心配で戻れば、案の定これです」
近くから箒とちりとりを持ち出し、割れたティーカップを回収する。
後はそのまま併設されている「処分扉」に放り込めば掃除は完了だ。
それから、私たちはいつも通り観測スペースに戻った。
戻ってきたばかりだけれど、紅茶と向こうで買ってきた茶菓子を用意して、いつも通りの時間を過ごす。
「で、時雨。なぜ君はここに?」
「原作の履修をしようかと思いまして」
「賢者ノワのかい?原作本は倉庫に直してしまってね…少し待っていて。取りに」
「私が行きます」
「でも疲れているだろう?」
「本棚を倒すのは想像に容易いので。倉庫ですね」
「…」
「僕をなんだと思っているんだい」という目線を背に、私は倉庫に向かう。
彼の言うとおり、賢者ノワの原作本と最終巻の原稿はわかりやすい場所に置かれていた。
「見つかったかい?」
「ええ」
「君が調べに来るような事態が起きているのかい?原作との大きな齟齬とか」
「逆です」
「ん?」
「あの子たちが変えた事象は多いですが、原作との違いが少なく、まだ原作本を頼りにして進行できる状態です。前日譚なので一部だけではありますが…」
「ミリア・ウェルドたち勇者後援旅団という原作に存在しない集団がいても、変わっていないのかい?」
「ええ。勇者後援旅団以外は何一つ」
「ふむ。別行動だけれども、勇者後援旅団も勇者パーティーの一部として認識されているのかな」
「その可能性は低くありません」
物語は大きく変わった。けれど、道筋は変わらない。
道筋の転換期はやはり…。
「やはり大きく変えるとなると、ノワの追放ですかね。アリアは成せるでしょうか」
「無理かな」
「断言とは…少しは信じている素振りでも見せてはどうでしょうか」
「あの子は追放できないさ。生前から「そう」だから」
譲さんは生前、生きていた頃の永羽さんと一咲さんと定期的に面会をしていたらしい。
知らない時間を過ごした譲さんと生きていた頃の二人。
その記録は記憶を失っても、彼の元に存在している。
そこから推察した結論が、不可能。
それもそうだろう。
私が友江一咲の名前を呼ぶ度に面白くなさそうな顔をしていた霧雨永羽が、友江一咲との離別を選べる訳がない。
「周囲から君たちから離れるようにと言われても、僕が君たちを側に起き続けたように」
「彼女もまた、運命から距離を置けと言われても…ノワを手放せない。そういうことでしょうか?」
「そういうことだよ」
「理解しました。同じであれば、あの子は目的を果たせそうにありませんね」
私は彼女たちを見守るだけ。
危機であれば手を貸すけれど、後は傍観に徹するだけの存在だ。
だから、アリアの目的を成すために手を貸したりはしない。
もちろん、ノワの目的を成すために手を貸すこともない。
「それで、今後の君はどういう方針で二人と行動を共にするんだい?」
「しばらくは影から見守る予定です。何事もありませんから」
「そうかい」
「それで、私が貴方に聞きたかったのは…オードガリアの件です」
「ああ、一応設定上存在している山ね。何かあったの?」
「あの山に軽く侵入していました」
「へえ。どんな山だったのさ」
「高濃度魔力が渦巻き、住まう魔物が凶暴化している山です。とてもじゃありませんが、ノワでも苦戦を強いられるでしょうね。あの子は高濃度魔力環境に不慣れですから」
「なんでそんなバランス崩壊エリアが存在してるの?」
「頂上には不浄を取り除く生き物がいるそうですよ。どこぞの誰かさんが使えない能力を補う存在ですねぇ」
その瞬間、彼の眉間にしわが刻まれる。
ノワでも苦戦を強いられそうな山。
トドメは自分が使えない能力を持つ主と来れば、言わずとも察してくれたらしい。
「ところで…」
「僕はまだここを動く気はないよ」
「あら、あの山はきっと貴方好みですよ。いつか暇つぶしに立ち入ってくださいね」
「立ち入る前提で話を進めないでくれるかな!?」
「では、私はそろそろ仕事に戻ります」
「あ、ああ…うん。気をつけてね」
「はい。貴方も、もう冷蔵庫以外台所のものには近づかないでくださいね。言いつけ通り使い捨て食器を使うこと。ゴミは部屋の隅の袋にまとめておいてください。次回帰ったときに捨てますから。掃除は自動掃除機ロボットをつけておくこと。お風呂はシャワーで済ませておいてください。湯船は駄目です溺れますから。くれぐれも譲さんの身体を傷つけないでくださいね」
「はいはいわかったから!留守番ぐらいちゃんとできるから!一人でできるようになっておくから!君は早く仕事に戻る!」
彼の文句を背に、私は再びあの世界に入る扉へと向かう。
半ば押し込まれたような気がするが、それは今度指摘するとして…。
私は再び、賢者ノワの世界に戻った。
時刻は夜。砂漠の夜は逆に冷えていて、逆に防寒着が欲しくなる。
だからだろうか。彼女が普通に動けているのは。
「まさかこんなところで会えるとは。待ち伏せですか?」
「…よかった、ここで」
「何かご用ですか?ノ」
便宜上、ノワと彼女の名前を呼ぼうとすると、私の首元に杖が向けられる。
…これは、下手な真似はできないらしい。
「無関係か一応確認しておきたくて」
「何に対してでしょうか」
「今の時刻は深夜一時。アリアが宿に帰ってこない」
「…どういうことです、それ」
「あんたは多分、図書館に戻っていたんだろう?アリアは連れ帰っていないな?」
「勿論。私は単独で行動しています。私の言葉が信じられないのなら、誓約に反し、貴方の師匠を呼び出して言質を取ればいい。彼の言葉なら信じられるでしょう?」
「事実なら構わない」
杖を下ろしてくれる。私の言葉でも信じてはくれたらしい
「けれど、戻ってこないのは気がかりです。心当たりは?」
「わからない…私は昼間、寝込んでいたから」
「あの暑さですものね。設定上耐えきれなかった事は明白ですから…あまり気にしないように」
しかし、追放までの道のり…まとめて「前日譚」と呼ぶが、それは元々原作には存在しない描写だ。
追放後の本編ならともかく、今のところ手がかりが限られている。
「貴方、物語上の知識はあるのですよね」
「まあ、あるけど」
「パシフィカが仲間になるイベントが始まっているのではないですか?」
今のところ、一番考えられるのはパシフィカが加入するまでの流れだ。
けれど、ノワは首を振る。どうやら違うらしい。
「ううん。パシフィカは太陽の精霊…太陽が昇っている間にしか活動をしないんだ。今はもう眠っているはず…。起きていたとしても、太陽の恩恵がないから、力が出ない。こんな砂漠に一人で出たら、盾役をしていたパシフィカでも格好の餌だよ」
「だから基本的に話も日中に行われ、夜中にイベントが起きるのはおかしいと」
「そういうこと。だからアリアがいなくなった理由がわからない。魔法で探っているけれど、全然引っかからない上に錯乱されているんだ」
「それはおかしい事象ですよ。二番弟子である貴方は相当な実力者です。そんな貴方の探索に引っかからない事象なんて」
『時雨。ノワに伝えて。アリアの行き先は精霊に攪乱…わかりやすく言えば「神隠し」みたいな事象を引き起こされた可能性がある。魔法じゃ追跡できない』
ふと、通信魔法経由で彼から助言が入る。
彼が来る程度ではないが、一応想定外の事象として手を貸してくれるらしい。
「…では、どうしたら」
『アリアに何かノワの所有物を預けていないかな。それがあれば、君が追えるだろう?』
出番が来たことを理解したのか、左手が無意識に跳ねる。
あまり使いたくはありませんが、今はこの力に頼るしかありませんね。
「…わかりました。私が手を貸しましょう」
「へ?」
「ノワ、貴方、何か自分の所有物をアリアに預けていませんか?」
「弟子入り記念で貰った万年筆を貸しているけれど」
「それは幸いです」
「それで、何をするつもりで」
「私が追います。貴方は私の護衛をお願いしますね。能力使用中は、他の何も奪い取れませんから…!」
左手の手袋を外し、外気に晒す。
大気に舞う魔力を掬い、そこに存在する無数の糸から「馴染みのある魔力の糸」を探り出した。
…攪乱されているからか、糸が凄く細い。
一度見失えば、再び探るのに時間を取りそう。
これはなるべく能力の中断なしに追う必要がありますね。
「都市の北門から外に出ます。距離は不明ですが、とにかく都市の外に万年筆があることはわかりました」
「…わかるんだ」
「能力の都合です。さあ、行きますよ護衛。貴方の強さを存分に見せてください」
「心得た…!」
彼女がいるかどうかはわからない。けれど万年筆はそこにある。
どうか、アリアも見つかりますように。
そう願いながら私は魔力の糸を手繰り、ノワと共に北方向へと進んでいった。




