18:加護の指輪
今日は酷く疲れた。
宿に辿り着いた瞬間、その気持ちが強くなる。
それでも勢いよく扉を開けることはせず、そっと静かに扉を開ける。
ドアの隙間から、中の様子を伺った。
見たこともない道具を頭に装着して、万年筆を指輪に向かって動かしている彼女の邪魔をしないよう、静かにゆっくり部屋の中へ。
「…ふう、これでおしまい」
「お疲れ、ノワ」
「あ、アリアだ。帰ってきたのなら教えてくれたらよかったのに」
「帰ってきたのはちょうど。それに、流石にあの集中だし、邪魔はできないよ。はい、これ」
「わ、クッキーだ!いいの?」
「うん。疲れた時は甘いものだろうし、是非」
「うん。はい、アリア」
袋の中からクッキーを一枚取り出したノワは、私にそれを差し出してくれる。
「いいよ。ノワの為に買ってきたんだから」
「まあまあ。一人で食べるよりは二人でだよ。ほら」
「あ、ありがとう」
半ば強引にクッキーを手に乗せられる。
せっかく受け取ったものだ。食べないのは悪い。
口の中にそれを運び、一口。しっかり甘い感覚が口の中に広がってくれる。
…私も、糖分を欲するほどに疲れていたらしい。
「美味しい!」
「それはよかった」
どうやら、ノワの口にも合ったらしい。
お腹が空いていたのか、欠片を衣服に零しつつ、一気にばりぼり食べる姿には…まあ、何も言わないでおこう。
品性の欠片も無い、普段の彼女なら絶対にしなさそうな事。
どうしてこの状態が生まれているのか、理由はわかっている。
「朝からこの時間までずっとやっていたの?」
「うん。ぶっつづけ」
「朝ご飯と、昼ご飯は」
「食べてないね」
「集中しすぎ。ほら、一気に食べたから口元に欠片ついてるよ。動かないで」
「んー」
口の端についたクッキーの欠片を一つ一つ取り除く。
ふと、口元へ指が触れた。
昨日、これが私の額に…いや、思えばスメイラワースで私の口に触れた代物なんだよな。
艶めくそれをチラチラと視界に入れる度、謎の雑念を抱いてしまう。
柔らかかったなぁ。もう一度触ってみたいなぁとかいう、最悪な雑念だ。
それを振り払いながら、クッキーの欠片を回収する。
「ほら、終わったよ」
「ありがとー。アリアはついてないの?」
「多分。見てみる?」
「ん」
顔を近づけて、ノワに口元を確認して貰う。
彼女の震える指が頬に添えられてからしばらく。
「…ついてないね」
「そ。それなら、大丈夫かな。ありがとう」
「いえいえ。さて、お腹も満たされた事だし、そろそろ本題に入っていいかな」
「勿論。指輪、完成したんだよね?」
「うん。早速、嵌めてみ…アリア?」
「あ、いや。嵌めてくれないのかなって」
こういうのは、互いに嵌め合うものだと思っていたので、さりげなく疑問をぶつける。
しかし、どうやらノワの反応を見る限りその認識は異なる代物らしい。
「いいいいいいいいいいいいいいいいんですか」
「う、うん。私はそう言うものだと思っていたけど、もしかして違う?」
「あ、いや。ペアリングだから嵌め合うのが正当かもしれないね。そういうことにしておこうね。私はそれがいいからね。というわけで嵌め合おう!」
「う、うん。それから、どの指にする?」
「ゆび」
「うん。昔、聞いたことがあるよ。指輪をつける場所にはそれぞれ意味があるんだって。私も昔、椎名さんに聞いたことがあるの」
「へえ、師匠もこういうことを予測していたのかな。こういうペアリングはどこがいいかって言ってた?」
「うん!椎名さんが左手薬指の指輪には「絆を深める」って意味合いがあるって言っていたの。意味もぴったりだし、ここがいいと思うの」
「師匠!?」
「わ、どうしたの?何かおかしいことでもあった?」
「お、おかしいも何も…その、アリアさんや」
「何?」
「左手の薬指…結婚指輪の定位置だよ?わかって言ってる?」
「うん。で、でも椎名さんが…「君達はそこがぴったりだよ」って」
「な、何を企んでいるんだろうか師匠は…あのね、こういうのは」
「ノワは嫌?」
「嫌じゃないです。むしろウェルカムです」
「だったら、左手の薬指でいいよね?」
「勿論です」
なんとなく、押し切ったような気がするけれど…本当にいいんだよね?
しかし、椎名さんは時雨さんにも指輪を贈っているわけだし、流石に意味を知らないわけでは無いはずだ。
…なぜ、私たちに左手の薬指を勧めたのだろうか。
まあ、そのあたりは考えても一緒だろう。聞いても絶対にはぐらかす。
こういうのは将来ベリアに聞いておこう。彼女なら教えてくれるはずだ。
とりあえず、位置の件は置いておいて…そんなことを気にするよりもやるべき事がある。
「じゃあ私からするね」
「よ、よろしくお願いしまぁす!」
机の上に置かれた指輪を手に取り、彼女の左手を持ち上げる。
ゆっくりと、輪を薬指に通し…それを奥まで進める。
「そういえば、サイズとか大丈夫なの?」
「ああ、一応魔道具だからね。つけてぴったりになるよう自動調整が入るから」
「そうだった。はい、これでどう?」
「う、うん。いいね。最高だよ。じゃあ次はアリアだ」
「うん。よろしくね」
今度はノワの手が私に添えられ、同じように指に輪を通す。
それが付け根に辿り着いた瞬間、指輪のサイズがちょこっとだけ変わり、指にぴったりの形状になって私の指に留まり始めた。
「…どうかな」
「うん。ばっちり」
「それはよかった」
「ありがとう、ノワ」
「いえいえ」
ノワは軽く返事をした後、手を胸に当てて何度か息を吸い込んだ。
少し、安心したのかな。
「なんだろうなぁ。なんか、つけているだけで安心するや。精神安定の魔法はかけていないんだけど」
「…薬指は心に一番近い指らしいよ」
「それも師匠が?」
「うん。椎名さんが教えてくれた事の続きがそれ」
「まだあったんだ」
「うん。だから、友達でも恋人でも———一番近くにいたい人と指輪を贈り合う関係になったり、ペアリングをつけようと提案するような仲の存在がいるならば…」
「迷わず、左手の薬指につけなさいってか」
「そういうこと。どんなに遠く離れていたって、心と意志は共にある。だからどうか安心して欲しいと、願いを込めて」
「そっか。どこまで見透かしてんだろうな、あの魔法使いは」
しばらく、互いに寄り添いながら時間を過ごす。
そうしているうちにいつの間にか眠ってしまい…次の日、私たちは床の上で顔を見合わせることになることはまた、別の話だ。




