23:福音書の守り手
時は昭和時代。
演劇が盛んな時代で、特に名を挙げていた劇団「舞鳥」と「孔雀」は一度だけ、共同で舞台を作り出した事がある。
戯曲は鴇宮紫苑と鴻上橙弥の共作。
異母兄妹という特殊な立ち位置にあることを公表した直後だったから、話題も十分な代物だったと思う。
「来ましたね、舞園弟!」
「ひっ…鴇宮…なんで。また僕に怪我を負わせる気?勘弁してくれよ…」
「まあまあ、落ち着いてくれ。桜哉。今日は俺もついているから」
「そうだよ。俺もいるから。怪我なんてさせないよ」
「橙弥、朱音…うん。ありがとう」
当時の俺は帝都一と呼ばれるようになっても自信を身につけることもなく、いつも孔雀の戯曲作家だった橙弥か、姉さんの後ろに隠れていた。
特に、天敵である鴇宮の前では必ずと言っていいほどに。
「そっ…それで、鴇宮。なんで僕を呼び出したの?」
「せっかく舞園弟を配役できるチャンスですし、朱音とダブルで主役を張ってほしくて」
「…朱音と」
俺と朱音は友人ではあったが、別々の劇団に属していたと言うこともあり共演は一度もなかった。
けれど、やはりライバルである彼と一度同じ舞台に立ってみたいという願望はあった。
こんなところで叶えられるらしい。
勿論、俺は二つ返事で受け入れた。
「勿論だよ。朱音とは一度、同じ舞台に立ってみたかったから」
「ありがとございます。貴方は「福音書の守り手」の主人公ヨシュア役。朱音は福音書の改変を目論む堕天使サタン役で頼みたいのですが…」
簡単な筋書きを受け取り、それに目を通す。
「天使に関わる話。橙弥にしては珍しいね。メインは鴇宮が執筆したの?」
「そう、というか…」
「?」
鴇宮の得意分野は「子供も楽しめる冒険劇」で、橙弥は「人間の愚かさ書いた劇」
戯曲の空気は橙弥の書くそれだったけれど、流れは鴇宮の作風に近かった。
けれど、二人の得意なものを合わせたものでなはい。
鴇宮がメインにしても、橙弥がメインにしても…違和感があった。
「実はですね、それは玄お兄様が読んでいた本を参考にして作った話なんです。だから、普段より作風の毛色が違うのかもしれませんね」
「…鳩波さん。朔也から大学にすら来ていないと聞いている。大丈夫なの?」
「多分、もう駄目」
「そう…」
鳩波玄は鴇宮が居候をしていた家の子供。
身体が凄く弱くて、学校に行けるのも月に数回。
部屋から出てくれるのは半月程度、基本的に、寝たきりの生活を送っていた。
いつ死んでもおかしくはなかったし、今まで余命宣告すらされていなかったのもおかしいぐらいの虚弱さ。
鴇宮に「駄目だ」と聞かされても、俺たちは動揺すらできない。
むしろ、仕方ないと思えるぐらいだった。
「この舞台は、鳩波さんを送り出す為のもの?」
「…そうとも言えますね。少しでも天界をよく書くつもりです。玄お兄様には極楽より、天国の方が似合っている気がしますから」
確かに、極楽浄土で蓮に囲まれている姿よりは…イメージ図として書かれている天使の姿をしている鳩波さんの方が想像できる。
俺自身、彼には何度か世話になった。
彼が持つ帝大のコネクションを使って、役作りの為に帝大図書館に出入りさせてもらったし…殺陣の練習相手をしてくれる朔也という友達にも恵まれたから。
「この劇を通して、鴇宮は…天国をいいものだと鳩波さんに伝えたい。その認識は間違っていない?」
「あっています。だから、どうか協力してください」
「もちろん。けれど、寂しくなるね…最近、ここに来る人も減っているし」
「そうですね。劇も規制が多くなりましたし…何か、始まるのでしょうか」
それから劇の準備に追われていたが、結論を言うと「この劇は完成することはなかった」
理由は単純。この劇を作っている間に———大戦が始まったからだ。
・・
俺は大戦が始まり、政府の命令で劇団が…孔雀が解散した日に姉から殺された。
運がいいのか悪いのか。実際の戦場は知らない。
俺はただ、殺された孔雀の劇場跡地で佇むだけ。
たまに、肝試しをしてくるバカの相手をして…一日を過ごす。
気がつけば戦火は収まり、帝都は復興の道を辿り始めた。
そんな日々を過ごしていた時だった。
志郎、だったか。鳩波さんの忘れ形見と共に、鴇宮…あの時はもう、鳩波紫苑となっていた彼女が足を運んでくれたのだ。
「舞園弟。いますか?」
「…聞こえていませんよね」
「お母さん、どうしたの?」
「いえ、たまにはお母さん。幽霊とお話ししてみようかなと」
「変なの。俺、向こうで遊んでいるね」
「ええ。気をつけてね」
「わかっている」
鳩波さんにそっくりな風貌を持つ志郎は、彼とは違って活発な少年だった。
小さな彼は母親の手から離れて、近くにいた猫と戯れ始めた。
そんな彼を見て、彼女は小さく微笑んでから語り始める。
俺が死んでからの出来事を。
あの後、舞鳥も解散させられたらしい。
それから鴇宮は鳩波さんと結婚して…彼を看取ったそうだ。
「なぜ未来のない彼と結ばれたのか…気になりますよね」
「愛しているからです。理由なんて、それだけで十分ではないですか」
「それに、玄さんは「何かを残すこと」に固執していました。志郎は、その一つ。私は彼の為に、色々なものを残す手伝いをしたかったんです」
「あの戯曲も、彼の為に書いたものでしょう?懐かしいですよね、もう…十年以上前の話」
「あれを一緒に書いてくれる人も、演じる予定だった人も…貴方を含めてもう誰もいないんです」
だから、私も書けない。
鳩波玄の為に書いた物語なのに、彼はもうこの世にはいない。
鴇宮が苦手だった薄暗い場面、それを任せられる橙弥もいない。
俺と朱音が演じる主役、けれどもう俺たちは死んでしまった。
残されたのは、彼女のみ。
そんな彼女にはもう、あの戯曲を書く目的が存在していなかった。
書く気力もまた、同様に。
「ごめんなさい。ただ、あの話の続きはあるんですよ。私が書く予定だったところだけですけど…」
それから彼女は筋書きを話してくれる。
福音書を神から授かり、天国への道を歩み始めたヨシュア。
しかしその道は過酷で、時には天国への道を阻む堕天使が現れました。
そんな中、ヨシュアの旅路をサポートしてくれる天使が現れたのです。
その名前は———。
・・
「それが、ヴェル。ベリアはその姉として設定だけだが存在していた」
「…じゃあ、あたし達は」
「おそらく、鴇宮が作り出した作品の一つから、この世界に引っ張られた存在だと思う。なぜ悪魔なのかはわからないけれど、少なくともお前達は「福音書の守り手」っていう未完成の戯曲から輸入された存在だよ」
「…福音書の守り手だけでなく、他の作品が混ざる可能性って、あるのでしょうか」
「あくまで予想にはなるが、ないと思う」
「どうして、そう思ったのですか?」
「賢者ノワと福音書。その二つに共通することは「未完」…それだけだからな」
私たちが歩む旅路の目的が「鳩波紫苑が完成させられなかった賢者ノワの理想的な完結」なら、同様な立ち位置にある、福音書もまた———。
けれどそれは私たちとは違って、主人公も不在だ。
これから現れたりするのだろうか…なんてね。
「俺はあいつの全てを知るわけではないけれど、少なくとも、あいつはきっちり物語を完結させる作家だった。あいつの願いで、お前達の目的になったこと。それは「完結」だろう?」
「そうですけど」
「それが一つだけなんて、誰も言っていないじゃないか。あの女はすぐに言うぞ。「誰が一つと言いました?複数は当たり前だと思ってくださいよ」とかな。それで何回殺されかけたことやら…」
舞園さんはそう告げた後、ふらりとどこかへ行ってしまう。
話はこれでおしまいらしい。
舞台役者だった彼が演じるはずだった「未完の舞台」
その登場人物として設定されていたヴェルとベリア。
「未完の物語」と「未完の舞台」
どんな関係があるかわからないし、これからどんな影響を与えてくるかわからない。
どうやら私たちの行く末は、まだまだ困難なもののようだ。




