58. 喜びの陰で
アグロスの死から3日後、サラは王城のベッドで目を覚ました。
誰かが手を握っている。
(ああ……! シズだ。やっぱり、シズは生きてたんだ)
サラは手を握り返し、ゆっくりと目を開けた。
「……サラ様?」
「……? アマネ? シズは……?」
見上げた先にいたのは、アマネだった。酷い隈だ。寝ていないのだろうか。
「旦那様をお呼びします!」
アマネはサラから荒々しく手を離すと、質問には答えずにドアから出て行った。
(聞こえなかったのかな……?)
サラはぼんやりと思った。
部屋の中を見渡すと、何もかもが見慣れない部屋だった。サラの殺風景な自室と異なり、壁紙も絨毯も装飾が美しく、天蓋付きのベッドはふかふかだ。窓の格子だけが異様だった。
(誰の家だろう。贅沢だなあ。パルマかな。ユーティスかも)
サラはゆっくりと身を起こした。
どれくらい寝ていたのだろうか。体が重たい。上半身を起こすだけで、力を使い果たした気分だ。枕を前に抱いて、体を支えた。
(ロイは、どうしてるかな。お父様、生きてて良かった……!)
サラは父と手を繋いだロイの表情を思い出し、思わず笑みがこぼれた。
(どうなるかと思ったけど、ロイが助かった。こんなエンディングは初めて見た!)
ロイを救うと決めた時、ゲームから大きく道が外れることは覚悟していた。上手くいく保障もなかった。それでも、サラは踏み出した。誰も見たことのない未来を目指して。
(ロイ。良かった。もう、一人じゃないよ。私も、リュークも、リーンも、パルマも、シズもいるよ。『S会』のメンバーにも紹介したいな。美味しいものを沢山食べさせてあげたい)
それは、サラの夢見る温かい未来だ。
(お父様は貴族だって言ってたな。ユーティスは王子だから、あまり遊べないかもしれないけど、貴族のパーティとかで会えるかも。ああ、どっちもカッコいいだろうな。ロイ、私と踊ってくれるかな? ユーティスが嫉妬しそう!)
サラは枕に顔を埋めて「ふふふ」と笑った。
やり遂げたという思いが、サラの胸を高揚させていた。自分の一歩が、ロイの運命を変えた。もう無理だと、諦めないで良かった。
(本当に、良かった)
ガチャリ、と錠前が外れる音がして、部屋のドアが開いた。サラは現れた人物に驚き、慌てて姿勢を正そうとした。
「楽な姿勢で構わん」
「お父様!」
サラはベッドから降りるのを諦め、枕を背中に当てて背筋を伸ばした。
「…………」
「…………」
沈黙が流れた。サラは父に黙って屋敷を飛び出し、何日も家を空けていることを思い出した。
「あの、お父様……」
「何だ」
相変わらず、父はそっけない。
「黙って家を出て、申し訳ないことをいたしました」
サラは謝った。サラは王都で起こった事を知らない。父は、言葉を探している様だった。
「……お前は」
ゴルドは、低く、言葉を絞り出した。伝えなければならないことがあった。
「お前は…………体は大丈夫か? 3日も寝ていた」
言えなかった。
「3日も!?」
藍色の瞳を大きく瞬かせてぽかんと口を開けるあどけない娘に、どう伝えればいいのだ、とゴルドは苦悩した。
「皆は、どうしていますか? ロイは、無事でしょうか!?」
今は、娘の質問がありがたい。向き合わなければならない現実から、時間を稼いでくれている。
「ロイは、裁判中だ」
「裁判?」
「ロイは、犯罪奴隷だ。……やはり、知らなかったか」
「犯罪奴隷!? 違法奴隷のはずでは?」
「元々は借金奴隷として登録されていたが、主人を殺そうとした罪で犯罪奴隷に登録し直されている」
「そんな……」
娘は青ざめた顔でゴルドを凝視している。
「では、私は、犯罪奴隷を脱獄させた罪人なのですね……?」
頭の回転が速い娘だ。たったあれだけの情報で、自分の状況を把握してしまった。
「では、では、シズは無事ですか!? パルマやユーティス様は!?」
皆捕まっているのでは? と、サラは続けた。
ゴルドは、娘の手を握った。はっと、サラが身構える。
小さな、小さな手だった。
(こんな小さな手で、王都を救ったのか)
ゴルドは驚きを隠せなかった。もっと早くに握っていれば、違う結果を見せてあげられたかもしれない。…………サラにも、シズにも。
ゴルドは、シズの最後の願いを思い出した。
「サラ」
ゴルドは娘の横に腰を下ろした。そして、腕をまわし、抱きしめた。サラが動揺しているのが伝わってくる。ゴルドは息を止め、覚悟を決めた。
「シズが、死んだ」
それは短く、冷たい宣告だった。
「……え?」
サラは、父が何を言っているのか、理解できなかった。
「何を、おっしゃって」
「シズは死んだ。3日前のことだ。あの奴隷商人に殺された」
ゴルドは、言葉を誤魔化すことが出来なかった。
「いっ、いや。いやいやいやいやいやいやいや!」
サラが叫んだ。ゴルドの胸の中で、激しく身を揺らしている。
「サラ」
「や、やだ、やだあああああああああ!」
うわああああ、と娘が絶叫した。胸が張り裂ける様な、悲痛な叫びだった。シズにとってサラが娘だったように、サラにとってシズは母の様な存在だったのだと、ゴルドは気が付いた。
サラは、母の愛を知らずに育った。シズの無償の愛は、どれほどこの小さな聖女に光を与えていたことだろう。
(私が、判断を誤らなければ。私が、サラの話にもっと耳を傾けていれば。私が、シズを愛してやれれば…………!)
後悔が、ゴルドの胸を締め付ける。
サラの母を失った時もそうだった。嫉妬深い正妻から守るためだったとはいえ、身重の体でノルンまで旅をさせてしまった。出産後、出血多量で亡くなったと聞いた時は目の前が真っ暗になった。私が、私が、という後悔の波がとめどなく押し寄せてきた。
「サラ、すまない……!」
ゴルドは娘を強く抱きしめた。サラは逃げ出そうと身をよじった。
「やだ、はなしてぇ! シズのとこに行く! 私も行くぅ‼」
「行かせん!」
ゴルドは叫んだ。叫ぶと同時に、10年前に枯れ果てていたはずの涙が溢れた。
「私はお前から、二人も母を奪ってしまった!」
「おどっ、おどうさまっ!?」
「許せとは言わん。憎んで構わん! シズが戻るなら……お前の母が戻るなら、喜んで死んでやる! だが、お前は行くな!」
サラは父の涙に困惑した。父が泣くなど、想像もしていなかった。そして気付いてしまった。震える胸を通して、父がどれほどシズを大切にしていたかを。
シズを失った喪失感と罪悪感は、見えない爪となってサラの胸をぐちゃぐちゃに掻きむしっている。痛い、痛い、苦しい。
ほんの数カ月過ごしただけなのに、こんなに苦しい。
シズと長く過ごした人達は、どれほどの苦しみを抱えているだろう。シズから惜しみない愛情を向けられていた父は、どれほど…………!
「お父様……‼」
サラは、父の背中に手を回した。思いのたけをぶつける様に、力一杯抱きしめ返す。
「お父様、ごめんなさい! ごめんなさい! 私がシズを死なせたの! シズは私を守るために戦ったの! 私が我が儘言わなければ、シズは死なずに済んだの!」
ロイの幸せを掴んだ道の陰で、サラは沢山の人を不幸にした。ゲーム通りに生きていれば、シズは死ぬことはなかった。自分の踏み出した一歩が、シズの運命を変えてしまった。
「ごめんなさい、ごめんなさい! お父様に、アマネに、シユウに、テスに、シズを返してあげられなくて、ごめんなさい!」
「サラ! 謝るな!」
「お父様!」
二人は、声を上げて泣いた。サラが泣き疲れて気を失うまで、お互いを想い、お互いのために泣いた。
「テス様……」
二人の様子をドアの隙間から覗っていたアマネも泣いていた。隣に立つ、テスの小指をぎゅっと握っている。
「『鬼』が、泣くな」
『鬼』は泣かない。シズの死を見届けた時も、何人もの部下を見送ってきた時と同様、テスは泣かなかった。
だが、ただの部下に過ぎないはずのシズの死を、ゴルドと聖女が悼んでいる。その光景は、テスの心に小さな光を灯した。
「シズ、良い家族を持ったな」
テスの頬を、一筋の涙が伝った。
娘の死を、ようやく悲しんでやることができた。
ブックマーク、評価、感想、誤字報告ありがとうございます!
サラもようやく向き合うことができました。あと1~2話で第1部が終われそうです!その後は、挿話を挟んで、第2部スタートの予定です。
これからもよろしくお願いいたします!




