表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/365

54. 名前を呼んで

 サラは、白い砂漠に立っていた。

 誰かに呼ばれて振り返ると、知らない青年と女性が手招きをしていた。サラは笑って、彼らの方に駆けていく。砂の大地を易々と駆ける自分の体は、男性のものだ。大きな手に逞しい腕。褐色の肌が砂にまみれて黄金に輝いている。

 サラは二人に追いつくと、女性を片手で抱き上げ、もう片方の腕を青年の肩に回した。お互いが何かを言う度、サラ達は笑った。青年は弟、女性は妻だった。


(これは、アグロスの記憶……?)

 サラの意識が誰かの記憶を共有している。これは、アグロスのものだとサラには分かった。


 サラ達は小さなオアシスに辿り着いた。

 町中に張り巡らされた石造りの水路を辿ると、まばらに民家があり、それぞれの庭にはヤシの木が茂り、ヤギや牛が繋がれていた。あちこちから笑い声が聞こえてくる、華美ではないが、豊かな暮らしのようだった。


 サラが家に戻ると、父と母が出迎えた。母の腕には、生まれたばかりの我が子がいた。サラは妻を優しく床に降ろすと、腰に下げた狩りの獲物を父に渡し、母から娘を預かった。娘はよく眠っている。妻に似て、まつ毛が長い。銀色の髪は自分と同じだ。


 サラは両親と弟に何か言うと、妻と娘を連れて庭の小さな泉の傍に座った。くつろいでいると、飼い犬が擦り寄ってきた。乳臭い、娘の匂いが好きなようだ。娘の手に鼻を擦り付け、千切れんばかりに尻尾を振る犬を見て、サラと妻は見つめ合って笑った。


(なんて、幸せなんだろう)

 意識の境がはっきりしない中で、サラは幸福感に包まれていた。

 アグロスの、人としての記憶はほとんど残っていない。恐らくこの光景は、アグロスの砂漠の心に残された、最後のオアシスなのだ。


 ふと、サラは空にシミを見つけた。

 何だろう、と立ち上がる。

 シミから、小さな蟲の様なものが、一匹、また一匹と這い出してきた。

 背筋がゾッと寒くなった。サラは妻の手を取った。


 空のシミは、穴だった。


 おびただしい数の『何か』得体の知れないものが、オアシスを覆っていた。

 サラは妻の手を引きながら、声を張り上げ家族に危険を知らせた。2階のテラスから『何か』を見上げた両親が、消えた。

 弟が家から飛び出し、サラ達を飲み込もうとしていた『何か』の大群を魔法で散らした。その弟の真上を、黒い霧が横切った。弟は、半分になった。


 サラは喉の奥から悲鳴をあげた。

 妻の手を強く握りしめ、走りだす。犬が吠えながらついてきた。

 あちこちから助けを求める声が聞こえては消えていく。


 もう少しだ。もう少しで町を出る。


 犬の声も聞こえなくなった。

 急に、前触れもなく、妻を引く手が軽くなった。

 振り返ると、妻は手首から上だけを残して…………消えていた。


「「うわああああああ‼」」


 サラとロイは、同時に悲鳴を上げた。


 はっと目を開けると、サラはロイを胸に抱きしめたままだった。ロイと視線が合う。ロイも、サラと同じものを見てきたようだ。現実世界では、ほんの一瞬の出来事だったのだろう。周りはまだ、白い光に包まれていた。


「ううっ!」

 ロイが呻いた。僅かな動揺の隙を突いて、主導権が入れ替わった。

「放せ、サラ・フィナ・シェードォ!」

「うっ!」

 アグロスの手が、サラの首に手をかけた。骨が折れるかと思えるほどの強さで握られたかと思うと、ふっと弱くなったり、また強くなったりを繰り返している。ロイも戦っているのだ。

「あなた……何、したいの……?」

 サラは声を絞り出した。

「全部、奪ってやる!」

 ロイの顔で、アグロスが叫ぶ。

「私から全てを奪った魔王‼ 許さない‼ 許せない‼ 私が先に、全ての『魔』を吸い尽くしてやる! あいつには、渡さない。私が、魔王ごと飲み込んでやる‼」

 その瞳は、何処までも深く、哀しい色をしていた。

 サラは、アグロスの事が憎い。シズを傷付け、ロイを傷付け、多くの人の命を奪った。

 だが、サラは見てしまった。

 幸せだった記憶を。かつては誇り高い戦士だった、彼の心を。理不尽な暴力で奪われた、彼の全てを……!


「カザル」


 ビクッと、アグロスの肩が揺れた。サラは、泣いていた。悔しくて、哀しくて、涙が止まらなかった。サラの涙が、アグロスの手に落ちていく。


「カザル」


 サラはもう一度、名を呼んだ。

 かつて人間だった頃の、温かい人達に囲まれた、アグ族の青年だった頃の彼の真名(まな)を。


 サラは手を伸ばし、アグロスの両頬を包んだ。

 サラの首を掴む手には、ほとんど力が入っていなかった。

 サラは、アグロスの頬を伝う涙を拭った。


「カザル。魔王は、私が倒します。貴方の代わりに、私が、必ず倒すから……!」

「う……ああああああああ」

 アグロスの喉から、力なく声が漏れ出る。

「もう一度……」

 アグロスの瞳は、サラを通して別のものを見ている様だった。

「……名前を呼んで」

 サラは笑った。その笑顔は、記憶の中の妻が彼に向けたものとよく似ていた。


「おやすみなさい……カザル」


 再び白い光が、サラから溢れ出した。光は朝日の様に、黒い闇を払っていく。魔界を繋ぐ穴が、見る見る小さくなっていく。


 ふと、細くて大きな手がサラの手を握った。

 ロイだ。ロイはにっこりと微笑んだ。

 サラとロイは手を握り合い、空を見上げた。


「アグ・ロス」


 ロイが呟いた。

 光から逃れようと暴れまわっていた『何か』達がピタリと動きを止め、一斉に穴の中へと還っていく。


 光はどこまでも広がり、『魔』を浄化していく。


 魔力を一気に消費し、ふらりと倒れかけたサラの肩を、誰かが支えた。リーンだ。掌を通して、魔力を送り込んでくれている。その目が「よくやったね」と労っている。「うん」とサラは頷いた。

 そのサラの、あいている手をパルマが握った。

 ロイの手を、エドワードが握った。エドワードをグランが支える。


 リュークが、黒い魔石を取り出した。リュークは魔石をロイの胸に当てた。


「あ……!」

 ロイが思わず声を上げる。体の中に残っていた、『何か』が吸い出される感覚があった。そして、アグロスと呼ばれた男の魂も。


 ロイは目を閉じた。


 吸い出される瞬間、アグロスは穏やかな顔をしていた。


ブックマーク、評価、感想、誤字報告ありがとうございます!


あともうちょっと、頑張ります!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ