(番外編) 夢のしずく ー魔王ヒュー ー
魔王ヒューは、アルバトロス王国が滅びようとしていた最中、井戸の中で生まれた。
母はヒューを産んで力尽き、父は我が子を抱くことなく魔物に喰われて死んだ。
アルバトロス王国を滅ぼした張本人であり、国王であったガイアードに拾われ、『魔王』として育てられた。
妹の存在を知ったのは、13歳の時だ。
それまで、冷たい塔とガイアード、そして数人の魔族だけが全てだったヒューの世界は、妹の存在によって美しい色を伴う世界へと一変した。
愛し方も、愛され方も分からなかったが、ヒューは妹と、父と慕うガイアードのために生きようと必死だった。
だが、どれだけ愛を求めても、『魔王』として生まれた体がそれを許さなかった。絶え間なく襲い掛かる不気味な気配が、ヒューを覚醒させようと纏わりついてくる。
(嫌だ。魔王なんか、なりたくない)
魔王になれば、父は喜ぶだろう。
だが、魔王になった瞬間、今の自分は消えてしまう。
きっと、全てを……妹も父も忘れ、ただ『魔』を呼ぶだけの『王』になってしまうだろう。
(嫌だ。俺は、忘れたくない)
妹と父の温もりを思い出し、恐怖に耐えた。
(なぜだ)
自分はいったい、どんな罪を犯したというのだろう。
罪を犯していないとしたら、どうしてこんな罰を受けているのだろう。
ただ、一人のエルフとして、家族と一緒に暮らしたいだけなのに。
心の奥にある『扉』を必死で押さえながら、ヒューは毎日、ぎりぎりのところで戦っていた。
なのに。
突然、どこか遠い場所で『異界の扉』が出現した。
その巨大な扉は数分後には閉じて無くなったが、ヒューの中の小さな扉を刺激するには十分な威力だった。
(なぜだ……! いやだ!)
必死で胸を押え、妹と父の温もりを探す。
だが、急激に膨れ上がっていく扉の存在がヒューの心に嵐を巻き起こし、温もりを見失った。右も左も分からなくなり、妹の笑顔も、父の大きな手の感触も思い出せなくなった。
ヒューは脳が侵食されていくような恐怖に、体中を掻きむしった。だが、もがけばもがくほど、ヒューを嘲笑うかのように扉は大きくなっていく。
(いやだ……!)
このまま扉が開けば、自我が無くなってしまう。
妹も、父も、自分の心から居なくなってしまう。
(それくらいなら、死んだ方がましだ)
ヒューは死を望んだ。
魔王が自殺など出来るはずがない。
だが、万が一のことを考え、ずっと心に秘めていた考えがあった。
(『聖女の泉』……!)
それは、最後の希望だった。
『聖女の泉』は、魔王が治める領地で唯一の危険地帯だ。
魔族ではない妹のために、父が残した唯一の聖域ともいえる。強い結界によって、魔物は泉に近付けない。
だがもし、あの聖水で満ちた泉に飛び込めたなら、魔王である自分は消滅できるのではないだろうか。
残り少ない理性で泉の近くに転移したヒューは、かつて大魔導士が作ったという結界に腕を伸ばした。魔物ではない妹の腕は、すんなりと結界を通り抜けた。ヒューは阻まれる事無く結界内に転がり込んだ。
(ああ……! これで死ねる!)
もうすでに、死ぬことしか頭になかった。
泉から溢れる聖なる光と、魔王の体から溢れる邪気がぶつかり合い、四肢が千切れるような痛みと嫌悪感に襲われるが、ヒューは構わず走った。
(怖い。死にたい。魔王はいやだ。怖い。死にたい。死にたい。楽になりたい)
叫びながら、泉に飛び込んだ。
見た目からは想像もできない程、泉は深く温かかった。
体中の穴という穴から聖水が濁流のように流れ込んでくる。
死ぬ、と思ったその瞬間。
パアッと、ヒューの脳裏に妹の笑顔と父の大きな手が蘇った。
(ソフィア……父上……!!)
溺れていく。
息ができない。
あまりの苦しさにもがきながら、ヒューは願った。
(いやだ! ……生きたい!!)
ヒューは、生まれて初めて明確に『生』を願った。
ヒューの強い願いが、ちょうどその時「逃げたい」と願っていた、遠い国の少女の心と共鳴した。
二人の強い想いは力となり、少女はヒューの元へと引き寄せられた。
「大丈夫ですか!?」
「!?」
泉の岸辺で目を覚ましたヒューが目にしたのは、ずぶ濡れになった桃色の髪の少女だった。
濃紺の瞳は涙で光り、闇夜の星みたいだとヒューは思った。
「綺麗だ」
「なっ……!」
真っ赤になって顔を背ける少女が、キラキラと輝やいている。
眩しそうに少女を見上げる少年もまた、砂金のように煌めいている。
―――幾多の偶然を経て、『魔王』と『聖女』が出会った。
それは、どの世界でも起きるはずがなかった……奇跡だった。
二人は互いの正体を知らぬまま出会い、語り合った。
重大な『責務』を負わされ、息の詰まる思いで生きてきたこと。
大切な人達を守るためには、責務を果たさなくてはならないこと。
だけど、その責務から逃げたいと思ってしまったこと……
二人は、互いに似たような境遇で育ったことを知り、今まで誰にも打ち明けられなかった想いを吐露した。
答えを見つけるためではなく、ただ、自分の想いを聞いてもらいたい一心で、二人は話し続けた。
ヒューは、いつの間にか心が落ち着き、『扉』の存在を忘れていた自分に気が付いた。
サラもまた、「逃げたい」という衝動が治まり、目の前の少年の境遇に共感している自分に気が付いた。
木々のざわめきと共に、穏やかな時間が過ぎていく。
自然に繋いだ手から、互いを労わる気持ちが伝わってくる。
それはまるで、今まで求めていた魂の伴侶に出会った気分だった。
「ヒュー。一緒に逃げちゃいましょうか」
「いいね。サラ」
出来るはずの無い約束。叶うことのない願い。
現実に戻れば、また『魔王』と『聖女』として求められる役割を果たさなくてはならない。
せめてこの夢のような時間が少しでも長く続いてほしい。
(俺が『魔王』でなければ)
(私が『聖女』でなければ)
ずっと、この手を握っていられるのに。
重い運命を背負った少年少女が見た、ひとときの夢。
「こんなところに居たのか、ヒュー」
「なぜ、『魔王』と居るのかな? 『聖女』サラちゃん」
「「!!」」
手を繋ぎ合ったまま、それぞれが振り返った先に。
ガイアードら『魔王軍』と、リーンら『対魔王軍』の姿があった。
「聖……女?」
「魔王……?」
―――夢が、覚める。
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まさかの『魔王ルート』突入!?
『シャラちゃん』の活躍の裏で、もっとも影響を受けたのは誰であろう『聖女サラ』です。
本来であれば乗り越えていた試練が何も起きず、普通の少女の感覚のまま育ってしまったのですから。
どうか、嫌わないであげてください。全部、私のせいです。
さて、次回は、もう一組のカップルも登場します。
目指せ、大団円!




