(番外編)魔族の子 ー雷鳴ー
男は40歳前後の旅人に見えた。
薄汚れた格好をしているが、整った顔立ちとスッと伸びた背筋からは気品が感じられる。背が高く、肩幅も広い。
一瞬、レオナを娼館から連れ出してくれた「おじさん」かと思ったが、おじさんよりも洗練された大人に見えた。騎士なのかもしれない。
とりあえず知り合いではなかったことに安堵しながらも、レオナはこの先どうすべきか困り果てていた。
先程、この男が口にした「レオナルド」も「ソフィア」も、レオナは知らない。
レオナルドとレオナは似ているが、レオナルドは男性名だ。自分とは関係ない。
客人ならそれなりの対応をしなければならないが、急に猫背になって醜い化粧を始めたら、不審に思うだろう。
どのように言い訳しよう、と逡巡していると、先に男が口を開いた。
「急に声をかけてすまなかった。後ろ姿が知り合いに似ていて……。君は、あの屋敷の者か?」
男は冷静を装っているが、酷く動揺していることが声の揺らぎから伝わってきた。レオナを安心させるために浮かべたであろう笑顔も、どこかぎこちない。
だが、その顔が「おじさん」に少し似ているせいか、悪い大人には見えなかった。
「私は、あの屋敷の主に買われた、奴隷です」
「奴隷だと!?」
心底驚いたように、男が目を見開いた。
それほど驚くことなのだろうかと、レオナは首を捻った。
前にいた国も、この国も、貧富の差は激しい。
当たり前のように、経済的な理由で奴隷落ちする者はいる。レオナより過酷な環境で働かされている子供も、いくらでもいるだろう。
「おじさん、奴隷を見たことがないの?」
「あ、いや。そういう訳ではないのだが……君が奴隷なんて信じられない」
「?」
どういう意味かとレオナが訊き直すより早く、男はパッとマントを翻すと、「また後で!」と言って去っていった。
(……なんだったの? いまの人)
呆気にとられ、ポカンと口を開けたままレオナは立ち尽くした。
男との邂逅は一瞬の出来事だったが、彼の一言一言がやけに耳に残っている。
私が奴隷なんて信じられないとは、どういう意味だろう。
知り合いに似ていたと言っていた。
もしかして……母の客だったことがあるのだろうか。
だが、母の名は「ソフィア」ではないし、「様」を付けられるような身分でもない。
だとしたら……
(お父様……!?)
急に、レオナの胸に雷鳴が轟いた。
ということは、「レオナルド」というのが父の名なのだろうか。
父は私に自分の名を取って名付けたのだろうか。
私の髪の色は、父と同じだ。後ろ姿が似ている、というのも納得できる。
それから、それから……
(ああ! 考えがまとまらない!)
心臓がバクバクと、強く、速く早鐘を打つ音が、身体中に鳴り響いている。
こんなことは初めてだ。
嵐の前の雷鳴の様に、その音はレオナの心を搔き乱した。
結局、気持ちが落ち着かないまま化粧をし、走って屋敷に向かった時には、使用人達はすでに朝餉を済ませていた。
心なしか、いつもよりも屋敷が騒がしい。
気難しい主人が、また癇癪でも起こしたのだろうか。
今日は朝から鞭で打たれるな、とレオナは覚悟を決めて使用人頭の女の元へ急いだ。
ところが、女はレオナの顔を見るや否や、ゾッとするような笑みを浮かべ、恭しくレオナの手を引いた。何処に連れていかれるのかと戦々恐々としていると、意外にも女が向かった先は屋敷の正面玄関であった。
そこには見知った使用人達の他に、主人である老婆と、客が立っていた。今朝、雷鳴を連れてきたあの男だ。
訳が分からないままレオナは男に引き渡され、気味が悪いほどの満面の笑みを浮かべる主人に見送られながら、馬に乗せられた。
レオナと男を乗せた馬は、勢いよく屋敷から離れて行った。
「あ、あの! 何が起きて……」
「喋るな。舌を噛むぞ」
質問することも許されぬまま、レオナは住み慣れた馬舎が小さくなっていくのを眺めることしか出来なかった。
「あの、どういうことか、そろそろ説明してください」
その夜。
月明かりが差し込む小さな洞窟の入口あたりで、レオナは横になって男を睨みつけた。
ようやく男が馬を止めた時には、辺りはかなり暗くなっていた。ずっと馬の世話をしてきたとはいえ、乗るのは初めてだったレオナにとって、長時間の乗馬は地獄だった。ほとんど整備されていない山道を走ったせいか、脳まで揺れて軽い脳震盪をおこしているし、お尻は皮がむけそうだし、無駄に力を入れていたせいで全身が筋肉痛だ。
レオナに睨まれた男は、辺りを警戒しているのか、ずっと腰に差した剣の柄に手を添えて立っている。一日中馬を走らせていたというのに、疲れていないのだろうか。
「とりあえず、座ったらどうですか?」
「……ん? ああ、えっと……何か言ったか?」
「……座って話をしませんか?」
聞こえていなかったのかと、レオナはため息を吐いてから、ゆっくりと体を起こした。慌てて男が駆け寄り、肩を支える。
「いっ!」
「どうした。どこか痛むか?」
「な、なんでもありません!」
思い返せば、馬に乗っている間もずっと体を支えてくれていた。男にとってはごく自然な行動だったのだろう。
しかし、優しくされることが久しぶりのレオナには、男の紳士的な振る舞いがくすぐったくて仕方がなかった。
頬が熱い。夜で良かったと思いながら、レオナは赤くなった顔を隠す様に、男に背を向けた。
「馬に乗るのは初めてだったから、気持ちが悪いだけです。そ、それより、どうして私が今ここにいるのか説明してもらえませんか? 早く戻らないと。3つ目の鐘で起きて、馬舎の掃除をしないといけないんです」
「その必要はない」
「でも、私はあの屋敷の奴隷で」
「もう奴隷じゃない」
「え?」
「君を、買った」
「……え……?」
ドクン、と胸が鳴る。
一度もレオナに笑みなど見せなかった女主人が満面の笑みで手を振っていた理由はこれだったのかと、合点がいった。
おそらく、買った時よりもかなりの高値で売れたのだろう。
身の回りの世話を必要としない若い男が、女の奴隷を買う理由など分かり切っている。
レオナはまだ子供だが、世の中にはそういう趣味の人がいることを、娼館育ちのレオナはよく知っている。ましてレオナは美少女だ。素顔を見て興味が湧いたとしても不思議はない。
「……」
「……たぶん、誤解だ!」
何も言っていないのに、じわじわと距離を取るレオナに何かを悟ったのか、男は慌てて否定した。
「買った、という表現が悪かったか。あの老婆に君を引き取りたいと申し出たら、10万テラなら売ってもいいと言われたものだから」
「10万テラ!? 良馬が5頭買える値段じゃないですか!」
「幸い君は魔術で縛られた奴隷ではないようだし、金で解決できるなら願ったり叶ったりだと思って」
「払ったんですか!? 私、50テラで売られてきたのに!?」
「50テラ!? ほとんどタダじゃないか!」
お互いに「寝耳に水だ」と言わんばかりに目を剝いて向かい合った。
『周りに冷静を欠く人物が居ると、自分は冷静になる』とはよく言ったもので、二人は互いの顔を見て、はたと正気を取り戻した。
「と、とにかく! 君はもう自由だ。君さえ良ければこれから……」
何かを言おうとしていた男の動きが、ピタッと止まった。顔つきが急に険しくなる。その顔が、かつて手を引いて逃げてくれた時の「おじさん」を彷彿とさせ、ゾワッと胃の辺りが冷たくなるのを感じた。
「どうしたの」
「しっ! 逃げるぞ」
何か良くない事が起きているのは明白だ。
ふらつく足で、気合だけで立ち上がる。ガクガクと膝が笑っている。
レオナが馬に近付こうとしたその時。
雷鳴が、響いた。
ブックマーク、評価、感想、いいね!等、いつもありがとうございます!
また誰か知らん子の話を書き出したよ、と思っている方も多いかと思います(笑)
何だか、脇役にもそれぞれの人生があるんだな、と思ったら
生かしてあげたくなるんです。
おかげで番外編ばっかりで中々他の話にいけないですが、
頑張りますので最後までお付き合いくださいませ!




