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(番外編) 魔族の子 ー夜明け前ー

 三つ目の鐘が鳴る。


 レオナはあかぎれの手に息を吐きながら、寝起きをしている馬舎の戸を開いた。

 外にはまだ、白い星が無数に瞬いている。レオナは大きく背伸びをしながら、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。上手く吸わないとむせてしまうので、肺の中で暖める様に、ゆっくり、ゆっくり吸うのがコツだ。

 馬舎の匂いが染みついた血液が、浄化されていくような感覚が心地好い。


(夜が、明けなければいいのに)


 ブルッと震えながら、レオナは馬の匂いが染みついた革製の手袋をはめた。

 夜が明ければ、屋敷の主や使用人達に虐められる日常が待っている。

 この、暗く、一人でいられる今の時間だけが、奴隷のレオナに許された唯一の贅沢だった。


 レオナは、今年で12歳になる。

 12歳といえば、多くの国では学校に通い始める歳であるが、9歳の頃から奴隷として働いているレオナにとっては夢のまた夢だ。


 レオナの母は、高級娼婦だった。


 小さな宿屋で日銭を稼ぐ一介の娼婦に過ぎなかった母が国一番の地位にまで昇り詰めたのは、父の存在があったからだ。

 レオナは父のことをほとんど覚えていない。

 レオナ、と呼ぶ優しい声と、レオナの柔らかな栗毛を梳く長い指の感触だけが、父の全てである。どんな顔だったのか、どんな人だったのか、何も分からない。母や娼館のオーナーに尋ねたこともあったが、誰も父の正体を知らないのだと言っていた。

 数カ月に一度訪れ、気前良く金を落としていく仮面の男。

 娼館では「旦那様」と呼ばれていたので、名前すら分からない。ただ、優雅な立ち振る舞いや口調から、何処かの国の大貴族であろうと噂されていた。そんな特別な人を「お父様」と呼べる特権と、父と同じ栗毛とダークグリーンの瞳がレオナの自慢だった。


 そんな父が、ぱたりと来なくなった。


 半年、1年、1年半……と時が経つにつれ、レオナを取り巻く環境は大きく変化していった。

 おとぎ話のお姫様のように繊細で美しかった母は精神を病み、見る見るうちに痩せていった。  

 客をとれなくなった母とその娘は、娼館で一番高価な部屋から次第に安い部屋へと移動させられ、3年たった頃には古いベッドが一つ置かれただけの、小さな納屋に押し込まれていた。

 それでも追い出されず、食事も人並みに与えられたのは、「旦那様」が戻ってくる可能性があったからだ。

 忘れられた死にかけの娼婦など娼館にとって何の価値もないが、レオナは別だ。

 何かの拍子に裕福な貴族の娘として迎えが来るかもしれない。たとえ来なかったとしても、レオナには商品価値がある。母親似の美貌と父親譲りの気品が備わったレオナが、将来、国中の男達が列をなして求めるほどの美女になることは容易に想像できた。

 だからこそ、レオナは娼館という鳥籠の中で大事に育てられた。


 だが、ある日を境にレオナの生活が一変した。


 レオナの暮らす娼館に「魔族が紛れ込んでいる」と噂が立ったことが事の発端だった。

 魔族といえば「魔王の手下」というイメージしかなかったレオナにとって、同じ屋根の下にそんな悪い生き物がいるとは到底信じられなかった。

 愛憎渦巻く特殊な環境ではあったが、娼婦たちは仲間意識が強く、皆、レオナを自分の子の様に可愛がってくれた。

 だから、そんな噂はただの勘違いで、きっとすぐに消えて無くなるだろうと思っていた。

 そう思っていたのはレオナだけではなく、オーナーも娼婦たちも、客でさえ、「心配いらないよ」と笑っていた。


 だが、『猟犬』はやってきた。


 『猟犬』は魔王軍の残党狩りを国連から委託された組織だ。人に紛れて逃れた魔族や、協力者を炙り出し殺すことが目的だという。

 彼らの多くは魔物によって家族や仲間を殺された経験があり、恨みが強い。そのため、魔物を狩るためには手段を選ばず、邪魔する者は例え女子供でも容赦しないのだという。


 『猟犬』が娼館を訪れた時、レオナは母の髪を梳いていた。

 父が6歳の誕生祝いにとプレゼントしてくれた櫛は、レオナの宝物だった。3年使って塗装もあちこち剥がれてきたが、父と自分を繋ぐ唯一の櫛で母の髪を梳く時間が好きだった。


「何かあったのかな……」


 娼館の方が騒がしいな、また変なお客様が来たのかな、とレオナがぼんやり考えていると、血まみれの男が一人、納屋に飛び込んできた。

 よく母を指名してくれていた、昔馴染みの冒険者のおじさんだった。母が客をとれなくなった今でも、レオナのことを可愛がってくれる優しい男だ。

 そんなおじさんの酷い姿に驚いて固まっていると、おじさんは「逃げるぞ」とだけ言って、寝たきりの母をおぶり、レオナの手を引いた。

 何が何だか理解できないまま、レオナは燃える娼館を背に必死で走った。

 娼婦たちの悲鳴が、オレンジの火の粉が、黒い煙が、どこまでもレオナを追ってくる。初めて出た娼館の外を、走って、走って……レオナは気を失った。


 レオナが目を覚ました時、レオナは一人だった。

 母も、おじさんの姿もない。

 火傷を負った体を引き摺りながら見知らぬ森の中を彷徨い、途方に暮れていた所を山賊に捕まった。そうして奴隷商に売られ現在に至る。


 あの日から、父からもらった櫛だけがレオナの拠り所だ。


「お父様、今日も見守っていてね」


 ぼそっと呟き、レオナは懐にしまっていた櫛を取り出し、キスをした。

 元は高価な物だったのだろうが、逃げる時に壊れたらしく、歯はほとんどが欠け、柄に埋め込まれていた宝石は一つを残して無くなってしまっていた。

 そのため、価値のない玩具だと思われたのだろう。奴隷として売られた時に取り上げられなかったのは幸いだった。


 レオナは再び背伸びをすると、日課に取り掛かった。


 馬舎の藁や馬糞を集め、新しい藁に入れ替える。集めた古い藁や糞は馬舎の裏で土と混ぜ、布をかぶせて堆肥にする。その後は5頭の馬達に餌をやり、その日使う薪を割る。

 小柄なレオナには大変な重労働だが、できなければ食事をもらえない。  

 毎日必死で働くことしか、身寄りのないレオナには生きる術がなかった。


「いけない。もうすぐ夜が明けちゃう!」


 レオナは馬の糞尿に塗れたシャツで額の汗をぬぐいながら、明るく色付いてきた東の空を振り返った。

 いつもならとっくに終わっている頃だが、今日は腹を壊した馬がいて、掃除に時間がかかってしまったのだ。

 この後は、馬舎から少し離れた屋敷で掃除と洗濯が待っている。その前に水を浴びて匂いを落とさなければならない。


 レオナが焦る理由は、水浴びをしているところを誰にも見られたくないからだ。


 そのために、三つ目の鐘の音で目を覚まし、真夜中から仕事を始め、明るくなる前に水浴びを済ませなければならなかった。


 レオナは、自分が美しい少女であることを知っている。

 国中の美女が集まる高級娼館でも一際美しかった母に似たのだ。奴隷になって以降、ろくに鏡を見ていないが、自分の姿は容易に想像できた。


 山賊に拾われた時、レオナは煤と血に塗れ、髪も服もボロボロだった。その上、あちこち大火傷を負って酷い状態だったため、山賊も奴隷商もレオナに商品価値を見出せず、他の奴隷のおまけとして二束三文で田舎の富豪に売りつけた。美しい少女だと分かっていれば、もっと違うところに売られていただろう。不幸中の幸いと言える。

 レオナを買った老婆は、汚いレオナを屋敷に置くことを嫌がり、馬の世話係として馬舎に閉じ込めた。

 さらに幸運だったのは、前任の世話係が孫を亡くしたばかりの老夫婦だったことだろう。

 老夫婦は孫と同じくらいのレオナを憐れみ、寝る間を惜しんで傷の手当をしてくれた。回復力が普通の子供より優れていたこともあり、レオナはすぐに元の姿を取り戻すことができた。

 老夫婦はレオナの美しさに気付くと、わざと顔に痣に見える様な化粧を施し、そばかすを描かせた。小鳥の羽の様に柔らかな栗毛には馬の油を塗り、わざと汚れている風に見せた。滲み出る品性を隠すために猫背で歩くよう訓練し、鈴の様な声を隠すため、カエルを真似て話すよう指示した。

 老夫婦が揃って病気で亡くなったあとも忠実に続けてきた甲斐あって、今はまだ一部の者にしかレオナの美しさは気付かれていない。

 だが、もう数年もすれば、サナギが孵化するがごとく変化するレオナの美貌を隠し通すことはできなくなるだろう。

 もうすでに、膨らみ始めた胸にチラチラと視線を送る者達が出始めている。そんな者達に化粧前の姿を見られでもすれば、たちまちレオナの商品価値が跳ね上がり、どこかの貴族に愛人として売られてしまうだろう。

 娼館で生まれ育ったレオナには、その後の人生が手に取るように想像できた。


(まだ、だめ。お母様を探せなくなる)


 もう少し大人になれば、娼館にでも逃げて金を稼ぐことが出来る。レオナが売られた額など、一晩でおつりがくるくらいのものだ。

 そうして自由になったら、母を探すつもりだった。

 あの日、母はおじさんに背負われていた。

 おじさんはAランクの冒険者だと言っていたから、きっと母と無事に逃げおおせたはずだ。

 ……自分を置いていったことについては恨みもあるが、苦渋の決断だったに違いないと、レオナは自分を納得させてきた。


(だめ! 泣いちゃだめ!)


 胸に隠した櫛を服の上からギュッと握りしめながら、レオナは井戸へと走った。亡くなったお爺ちゃんがレオナのために作ってくれた衝立に身を隠しながら、お婆ちゃんが買ってくれた石鹸で体と服を手早く洗う。

 2日前に洗っておいた服に袖を通し、簡単に痣を描くと事前に準備しておいた焚火へと走った。白湯を飲みながら、凍える体が温まっていくのを感じてホッと安堵の息を吐く。

 しかし、この時間にここを訪れる者は滅多にいないとはいえ、まだ油断はできない。


(早く残りの化粧をしなくちゃ……)


 東の空に顔を出した朝日が、眩しく馬舎を照らしている。

 よしっ、と気合を入れて立ち上がると、レオナは焚火を足で消した。


「レオナルド様……?」

「!?」


 急に背後から声がして、レオナは反射的に振り返った。


(しまった……!)


 ほとんど素のままの顔だったことを思い出し、慌てて顔を隠した。

 サーッと血の気が引く。

 相手の顔は逆光でよく分からなかったが、屋敷の者であれば今までの苦労が水の泡だ。


「……ソフィア……さま……?」


 聞き覚えの無い声だ。

 恐る恐る指の隙間から覗いた先に、呆然と立ち尽くす見知らぬ男が立っていた。

ブックマーク、評価、感想、いいね! 等、いつもありがとうございます。


久しぶり(おふざけ回は除く)の新エピソード開始です。

4話くらいで終われたらいいなと思っています。

最後までお付き合いいただけると幸いです!

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