118. 魔王城3階の戦い -双子の守護者 3-
ヒューは、暗い、暗い海を漂っていた。
魔王として身も心も変わっていく途中。
真っ黒な海を漂う船の中で、マストにしがみつきながら、ふと、海原を漂う小さな小さな箱を見つけた。ヒューが腕を伸ばすと、すんなりとそれは右手に納まった。
暖かく、優しく光る、琥珀色の宝箱。
「ソフィ……ア?」
突然、世界がグラリと揺れて、大波がヒューを船ごと飲み込んだ。ヒューはマストから手を離し、宝箱を抱きしめた。
◇◇◇◇
ヒューは、覚醒時の負荷により、深い眠りについていた。
しかし、カイトの覚醒の衝撃で目を覚まし、ガイアードがソフィアを蘇らせるため聖女と話をしているのが聞こえてきた。
自分が張った結界内のことは、手に取るように分かる。
レオナルドも、ニーチェも、ギィも既に消えてしまっていた。
哀しい、とは思わなかった。
覚醒して眠りについている間、暗い海を漂いながら全てを見てきた。そこで、レオナルド達がソフィアを殺したのだと知った。だが、不思議とレオナルドを恨む気にはならなかった。
―――魔王と我が王のために。
そんな想いが、ずっとレオナルドから発せられていたからだ。
だから、レオナルドの死を哀しいとも、嬉しいとも思わなかった。ただ、「そうか」と思った。
ヒューは、元々感情の起伏が激しい少年ではなかった。
ぼんやりとしていることが多く、目の前で魔族が死んでも……例えそれが自分が手を下したのだとしても……大して気にも留めなかった。ただ、事象を事象として受け止めるだけだった。
ヒューにとって、感情を動かされる相手はガイアードとソフィアだけであった。
物心ついた時から、ガイアードのことは親だと思っていた。ガイアードの大きな手は心地好くて、触れていると心が落ち着いた。
ソフィアと出会って、灰色だった世界に急に色がついた。初めのうちは、何がどうなっているのか分からず戸惑ったが、言葉を覚えていくうちに分かったことがある。
(俺は、ガイアードには守られたくて、ソフィアのことは守りたいのだ)
そのことに気が付いてからは、一層、世界が鮮やかに見えるようになった。
昔から、ガイアードやソフィアが居ない時に、途端に胸の奥から何か良くないものが這い出てきて「何処かに引き摺られていくのではないか」という感覚に襲われることがあった。
今思えば、それは魔界の扉であり、この混沌の海を生み出している元凶であったのだと分かる。
成長するにつれ、「何故、魔王は覚醒しないのだ」と皆が口々に言っているのが聞こえてきた。「魔王ではないのでは?」と言うものもいた。
だが、ヒューは紛れもなく魔王であった。
聖女が「魔界の扉を閉じる者」であるように、魔王は「魔界の扉を開く者」である。
そしてその扉が自分の心の中にあることを、ヒューは知っていた。
だが、その扉は17年間、開くことはなかった。
否、ソフィアに出会う前までは少し開いていたようにも思える。
だが、扉が解放され、ヒューが覚醒することはなかった。
原因は分かっている。
ガイアードとソフィアの存在が、ヒューの人としての意識を繋ぎとめる錨の働きをしていたのだ。
だが、ソフィアが死んだ。
正確には、ヒューが生きている限りソフィアが死ぬことはないとはいえ、冷たくなったソフィアを見た時、そして、その腹の中に小さな命があったとこと知った時、ヒューの船を繋ぐ錨は外れてしまった。
その瞬間、ヒューは身も心も魔王となった。
魔界の扉が開き始め、荒波が一気にヒューに襲いかかり、ヒューの人格を乗せた船は、暗い混沌の海を彷徨うことになった。
正直なところ、善良なエルフであったヒューにとって、魔王の国などどうでもよいことであった。
ただ、ガイアードに喜んでもらいたかった。ソフィアが笑って暮らせる世界にしたかった。
だが扉が開いた今は、そんな気持ちがズレてしまっている。
(ああ。これが『ボタンを掛け違えたように変わる』ということか)
と、ヒューはレオナルドの口癖を理解した。
もう、戻れない。
今はただ、全てを壊したい。血を見たい。悪意で世界を染めたい。負の感情を身体いっぱいに浴びたい。ガイアードと一緒に、世界を滅ぼしたい……!
そんな想いが、胸の奥から沸々と湧き上がってくる。
……だが、ソフィアを守りたいと思う気持ちだけは、小さな小さな箱の中で海を漂っていた。
沈まずに、残っていてくれた。
ヒューは、迷わず箱を掴んだ。ソフィアの目の色と同じ、琥珀色の宝箱。
(ソフィア……ソフィア……俺の、妹……!)
荒波に吞まれ、意識が遠くなる中で、ヒューはソフィアに自分の命を流し始めた。
◇◇◇◇
「……ヒュー!?」
ソフィアの身体に、とめどなく魔力が注がれていく。自分でも、聖女でもない。
ガイアードは愕然とした。
魔王として覚醒した後、自我を失っていたはずのヒューが、ソフィアに命を分け与えている。
「駄目だ……!」
(このままでは、ソフィアが蘇る代償にヒューが死んでしまう……!)
「止めるんだ! ヒュー!!」
叫ぶと同時に、ガイアードはソフィアを覆っていた水晶を破壊した。
目を見張るサラとゾルターンの前で、ガイアードは腹に刺さった剣を抜いて放り投げ、ソフィアを胸に搔き抱いた。燃える様に熱い右腕に触れてヒューに呼びかける。
(止めろ。止めてくれ。このままでは、どちらも手に入らない……!)
ガイアードにとっては、ヒューもソフィアも等しく大事なモノだ。失う訳にはいかない。
「ガイアード」
いつの間にか、手を伸ばせば届きそうな位置に聖女が立っている。
「ガイアード。貴方の望みは何?」
月を映す水面に落ちた雫のように、聖女の声が波紋となって胸に広がる。
「俺の望み? 決まっている。誰からも奪われることのない、強固な魔王の国を作ることだ!」
なぜ、いちいち答えているのか自分でも分からない。
「国を作って、何がしたいの?」
聖女の声は、鼓膜ではなく、胸に直接語り掛けてくる。これが『共有』という力だろうか、とガイアードは思う。
「人を支配し、世界を手に入れる」
「何のために?」
咎めるでも、叱るでも、呆れるでもなく、聖女はただ、優しく問いかけてくる。
止めようと思っても、母に問われた子のように、言葉が口を突いて溢れてしまう。
「我が民を……幸せにするためだ」
「本当に?」
―――本当に、貴方の望みは民の幸せなの?
聖女の声が、キインッ、と心の琴線に触れた。
(ああ……違う!)
ガイアードは、ソフィアを強く抱きしめた。
「俺は、俺が幸せになりたかっただけだ。俺の幸せのために、ヒューやソフィアに笑って欲しかっただけだ……!」
急に、頭の中がクリアになった。
(なんと愚かなことだ。あの小国の王が言うように、俺はただの子供で、馬鹿であった)
ガイアードは自嘲しながら、掌に魔力を込めた。
(すまない。ヒュー、ソフィア。我がままで、不甲斐ない父であった……!)
「聖女よ! 俺の邪魔をするなよ!」
くわっ、とガイアードが目を剝いた。掌から放たれた炎がガイアードとソフィアの周りに円を描く。
「きゃあ!」
「聖女殿、下がれ!」
ゾルターンがサラの腰を掴んで後ろに飛んだ。
炎の壁がサラ達とガイアード達を隔てている。
その壁の向こうで。
ガイアードはソフィアの右腕を、自分の腹の傷にねじ込んだ。
「ヒュー! 聞こえるか! ソフィアを助けたければ、俺の魔力も使え!」
ガイアードが呼びかけると、ソフィアの右腕がピクリ、と反応した。ヒューが反応している証拠だ。ガイアードはニヤリとほくそ笑んだ。
「ヒュー! 魔王よ。俺を喰うがいい! 俺を喰って、ソフィアを蘇らせよ!」
魔族は本来、魔王の餌である。
このままソフィアに命を分け続ければ、ヒューは死んでしまう。だが、ガイアードの魔力と魂で補うことが出来れば、どちらも助けられるだろう。
(聖女に頼らず、初めからこうしていればよかったのだ)
ガイアードはヒューとソフィア、両方を助けるためにヒューに取り込まれることを選んだ。それが愚かな父として、唯一我が子にしてやれることだった。
「うおおおおおおおおおおおおおお!」
ガイアードの血肉以外の全てが、ソフィアの右腕を通してヒューへと流れ込んでいく。
恐らく、ヒューは自我がほとんど残っていない。今自分が何をしているのかも、分かっていないだろう。
だが、それでいい。そうでなくてはソフィアを助けることは出来ない。
一瞬、脳裏に「なぜだ?」と首を傾げる息子の姿が浮かび、ガイアードは微笑んだ。
ソフィアを生かすためには、誰かを犠牲にしなければならないのだ。
(その誰かは、ヒューではなく、この俺だ……!!)
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
ガイアードが吼えた。
その雄叫びが消えかける間際、パンッ! と白い光が部屋を満たした。
「うっ!」
あまりの眩しさに、サラとゾルターンは目を瞑る。
やがて光はゆっくりと小さくなり、人の形となった。
「……おとう……さま……?」
はっ、と目を開いたサラの目に映ったのは、力尽きた父を抱いたまま呆然と座る、美しいエルフの姿だった。
ブックマーク、評価、感想等、ありがとうございます!
ソフィア、復活です。
悪者になり切れなかった、ガイアードパパ……。
根が良い人過ぎたのでしょう。せつないです。
さて!
別件ですが、同時連載していた「シノと白鬼」(N4156GA)が完結しました!
こちらは予定通り10話で終わりました。
(サラ様はプロットで30話くらいだったのが、200話くらいになりそうですけど(笑))
短いお話なので、何かのついでにでも、お読みいただけると幸いです。
では、また次回!




