104. 城1階の戦い ー愛を知る魔族 4ー
「初めからこうすれば良かったわ」
全身を真紅に染めながら、ニーチェが笑った。
ニーチェは魔力を解放し、一瞬で人であった肉体を魔族のものへと改造した。見た目はほとんど変わらないが、ニーチェを彩る色が濃くなった。髪も瞳も血の様に紅く、白かった肌も赤く火照っている。纏う空気まで赤く染まり、より一層ニーチェの妖艶さを際立たせていた。
(ようやく、か)
と、刀の柄を握りながら、シグレは身構えた。
先ほどまでのニーチェは、脆い肉体を途轍もなく強固な鎧で覆った様な状態だった。今のニーチェは鎧を捨て、肉体自体を強化させた状態だ。戦闘能力は圧倒的に上がっている。だが、これこそシグレが望んだ展開だった。
数回放った『寒月』の感触から、シグレはニーチェの魔力量が自分のそれを遥かに上回っていると判断した。『寒月』で相手の魔力を削り切る前に、自分の魔力と精神力が尽きてしまうだろう。それだけは避けなければならなかった。
だから、ニーチェの男達を迷わず切った。
ニーチェが怒りに身を任せて防御に使っている魔力を攻撃に回してくれれば、一度の『寒月』で奪える魔力量が格段に増えると考えたからだ。もちろん危険も伴うが、今更命など惜しくはない。命を惜しんで事を成せない程度の男が、『鬼』の頭領になどなれるはずもない。
シグレは相打ち覚悟で床を蹴った。
シグレの一閃を、ニーチェが魔力で作った剣が弾く。その隙を狙って、シグレの足がニーチェの脇腹を蹴り上げる。ニーチェはその足を掴み、壁に向かって投げ飛ばした。間髪を入れずシグレは剣を振って軌道を変え、壁を蹴って再びニーチェへと切りかかる。
二人は無言のまま、激しい攻防を続けた。一秒が数分にも感じられる。
ニーチェに肉弾戦の経験はない。だが、相手の動きと心を読むサキュバスの能力と、魔族として覚醒させた強靭な肉体と類まれな反射神経でシグレの攻撃を受け切っていた。流石のシグレも内心で舌打ちをする。
「ずいぶん醜く変わったものだな」
「ふふ。煽っているの? 余裕がなくなったのかしら。色男さん」
「余裕など、初めから無いが?」
「まあ! 散々私をいたぶっておいてよく言うわね。……ねえ、色男さん。あなたの大事な女の子を、私、食べちゃいたいわ」
攻防を続けながら、ニーチェがニヤリと妖しく笑う。
「お前ごときが、聖女を倒せるとは思えん」
「あは! 違うわよ」
弾ける様に笑った後、ぐいっ、と、ニーチェは唇をシグレの耳元に寄せ、甘く囁いた。
「こっちに向かって来ている、黒髪の女の子よ」
「!!」
しまった、と思った時には既に遅かった。
ニーチェの剣が、シグレの右腕を根元から切り落とした。
ガタン、と音を立てて、シグレの剣が腕ごと落ちる。
シグレは無表情のまま、2度床を蹴って飛び退った。
「……っ……!」
ガクッ、とシグレが膝を突いた。切口を左手で押さえ、肩で息をしている。
「ふふ……あは……あははははは! 魔族みたいな男だと思ったけど、ちゃんと人の心があるのね! そう。あの子が心配? 安心して。あなたを食べた後、ちゃんとあの子も食べてあげる。ああ、『食べる』って、サキュバスとしてじゃなくて魔族としてって意味よ? ふふ。今まで、人間を食べるなんて気持ち悪いって思っていたけれど、魔族の身体になると、とっても美味しそうに見えてきちゃった。ふふ。私のお腹の中で、再会させてあげる」
嬉しそうに腰をくねらせながら、ニーチェがシグレに歩み寄る。
剣を失くし、重傷を負い、膝を折った男など、もはやニーチェの敵ではなかった。
自分の大切な愛人達を殺した男の、身も心もバラバラに壊したい。
(さっきのは、ゲラーシの恨みよ。次は、イワンの分……)
ニーチェはシグレの髪を掴んだ。
「……許してくれ」
小さく、シグレが呟く。ニーチェは目を見開いた。
「あは! 何を言っているの? まさか命乞い? あはははは……はっ」
「お前を騙したことを、許してくれ」
「なっ……!?」
ニーチェは信じられないものを見る様な目で、自分の胸を貫いた短剣を凝視した。
変わった形をした短剣が根本までニーチェの豊かな胸元に沈んでいる。むろん、ただの剣では魔族に致命傷を与えることなど出来ない。ニーチェも煩わしそうに眉を寄せ、短剣を抜こうとシグレの左手に両手を添えた。……が。
「うっ! 何なのよ、この剣!? 力が……力が吸い取られる!?」
「黒い魔石で作ったクナイだ。『魔』を取り込む」
顔色一つ変えずに、シグレは更にクナイを押し込んだ。
「いやっ! いやあああ! 何よ、これ! 放しなさいな! あなた何なの!? その傷で、どうしてそれだけの攻撃が……え!?」
驚愕にニーチェは震えた。
確かに自分は先程、この男の腕を切り落としたはずだ。治癒魔法が効かなくなる呪いを込めた剣で。放っておいても出血多量で死ぬはずだった。
なのに、この男の身体からも、切り落とした右腕からも一滴の血も流れていない。
そればかりか、痛みの感情さえ全く伝わってこない……!
「まさか……義手!?」
「だから言っただろう? ……許してくれと」
「! ぅ……うわあああああああああああああああ!!」
ニーチェが狂ったように叫ぶ。
「返して! あの子達を返して! 私が何をしたというのよ! ただ愛しただけよ!? ただ、愛されたかっただけよ!? 許さないっ! お前も一緒に死ねえええ!」
ニーチェの燃える手がシグレの頭を掴んだ。
一瞬、シグレの脳裏にかつての恋人の姿が浮かぶ。一緒に逝ってやれなかった、美しい魔物。
「……ああ。そのつもりだ」
シグレはそっと目を閉じた。
その時。
「させません!!」
アマネの声が広場に響いた。
そして……ニーチェの胸から下が、消えた。
「ああ!」
重力に逆らえず、ニーチェの身体が床に落ちた。シグレを掴んでいた手も消えていた。ニーチェは両腕もない、胸から上だけの姿になっていた。
「あ……ああああああ!」
心臓の位置にあった、自分の核である魔石も消えた。ニーチェはもう、再生することも出来ない。このまま消え行くのを待つだけだ。
魔族になった身体では、涙すら流すこともできない。
「何で……何で……」
ニーチェは目を閉じたまま、「何で」を繰り返した。意味の分からない攻撃で一瞬にして全てを失った。……いや……きっと、古木の宰相に会った時からこうなる運命だったのだ。ただのサキュバスのくせに、人間の真似をして、人間の幸せを求めた罰だ。サキュバスらしく生きれば良かったのだ。
(それでも私は……愛されたかった……!)
魔力で得た偽りの愛ではなく、ただのニーチェとして愛されたかった。
愚かなことだと、分かっていたのに。
「ニーチェ様」
不意に、頭上から声がした。男が一人、ニーチェを見下ろしていた。
「……ローベルト。まだ、居たの? もう、あなたは自由よ? 何処にでも行きなさいな」
ニーチェは努めて冷たい声で言った。
長い間、心を操られ、望まぬ行為を強制させられてきたのだ。自分を恨んでいるに違いない。だから、どうせならローベルトの手で殺して欲しい、とニーチェは思った。
ニーチェの期待通り、ローベルトの両手がニーチェの首に伸びた。
ニーチェは少し笑って、目を閉じた。だが。
「!? ローベルト!?」
ニーチェは思わず叫んだ。
ローベルトはニーチェの首ではなく頬を両手で包むと、ラズベリー色の唇を奪ったのだ。
「ローベルト!? どうしてっ」
「我々が、いつまでもあなたの術に嵌っていたと?」
「!?」
「我々は、元魔法騎士です。数年で、術は解きましたよ。……今まであなたの傍にいたのは自分達の意志です。結構、あなたの命令に逆らっていたのに、気が付かなかったのですか?」
少し、おどけた笑顔でローベルトはニーチェの肩を抱いた。ゆっくりと、ニーチェの身体は光の花びらとなって小さくなっている。
「……だって、私は……あなた達を無理やり……んっ」
ニーチェの唇を、再びローベルトは塞いだ。今までよりも、熱い口づけ。濡れた唇を離した時には、既にニーチェの身体は首から上だけになっていた。
「ニーチェ様。いえ、ニーチェ」
ローベルトはニーチェの頬を優しく包み、凛々しい顔に精一杯の笑みを浮かべ涙を堪えた。
「私の妻に、なってください」
「!」
それは、ニーチェがずっと夢見てきた台詞だった。古木の宰相の笑みと、ローベルトの笑みが重なる。魔族となったはずのニーチェの頬に、ポロリ、と涙がこぼれた。
「……はい。喜んで」
花の様な笑顔のまま、ニーチェは光の花びらとなって消えた。
……愛を知る魔族、撃破。
ブックマーク、評価、感想等、ありがとうございます!
うおっ! やっぱり書ききれませんでした!
ニーチェさん、登場した時はただの妖しいお姐さんだったのに。
意外に乙女でした。サラ様、完全に負けてます。
次回は、どっかに行っちゃったアマネと、放置プレイ中のシグレ兄様の回です。
お付き合いいただけると幸いでございます!
では。




